民数記36章

いよいよ民数記の最後の章からの学びとなりました。きょうは民数記36章から学びます。まず1~4節までをご覧ください。

Ⅰ.ヨセフ族の訴え(1-4)

 

「1 ヨセフ族の一つの氏族、マナセの子マキルの子ギルアデの氏族に属する一族のかしらたちが進み出て、モーセと、イスラエルの子らの一族のかしらである家長たちの前でこう語った。

2 「主は、くじによってあの地をイスラエルの子らに相続地として与えるように、あなたに命じられました。そしてまた、私たちの親類ツェロフハデの相続地を彼の娘たちに与えるように、あなたは主によって命じられています。3 もし彼女たちが、イスラエルの子らのうちのほかの部族の息子に嫁いだなら、彼女たちの相続地は、私たちの先祖の相続地から差し引かれて、彼女たちが嫁ぐ部族の相続地に加えられるでしょう。その結果、私たちが相続する割り当て地は減ることになります。4 イスラエルの子らにヨベルの年が来れば、彼女たちの相続地は、彼女たちが嫁ぐ部族の相続地に加えられ、彼女たちの相続地は、私たちの先祖の部族の相続地から取り去られることになります。」」

ここには、マナセ族の一つの氏族のかしらたちが進み出て、モーセとイスラエルの子らの一族のかしらである家長たちが進み出て、モーセにある訴えを起こしたとあります。どのような訴えでしょうか。その訴えは、マナセ族のツェロフハデの娘たちが、他の部族の人と結婚して嫁いで行ったなら、その土地はその部族の土地に加えられるため、自分たちの相続地が減ってしまうことになるというのです。

思い出してください。マナセ族の中に、モーセに申し出た女の人たちがいました。それがツェロフハデの5人の娘たちです。彼女たちは男の兄弟がいなかったので、父の名をもつ相続地がなかったのです。それをモーセに訴えると、モーセはこの問題を神のところへ持って行き、祈りました。すると神は、彼女たちの訴えはもっともだと、彼女たちにも父の相続の所有地を与えるようにと言われたのです(27章)。しかし、折角与えられた相続地でも、彼女たちが他の部族の人たちのところに嫁いだなら、その割り当て地はその部族のものとなり、結果として、マナセ族の相続地が減ってしまうことになります。そこでマナセ族のかしらたちがやって来て、モーセに訴えたのです。

 

Ⅱ.主のみこころ(5-9)

そのことに対する主の答えはどのようなものだったでしょうか。5~9節までをご覧ください。「5 そこでモーセは、主の命により、イスラエルの子らに命じた。「ヨセフ部族の訴えはもっともである。6 主がツェロフハデの娘たちについて命じられたことは次のとおりである。『彼女たちは、自分が良いと思う人に嫁いでよい。ただし、彼女たちの父の部族に属する氏族に嫁がなければならない。7 イスラエルの子らの相続地は、部族から部族に移してはならない。イスラエルの子らは、それぞれその父祖の部族の相続地を堅く守らなければならないからである。8 イスラエルの子らの部族のうち、相続地を受け継ぐ娘はみな、その父の部族に属する氏族の一人に嫁がなければならない。イスラエルの子らが、それぞれ、その父祖の相続地を受け継ぐようにするためである。9 このように、相続地は、部族からほかの部族に移してはならない。イスラエルの子らの部族は、それぞれ、自分たちの相続地を堅く守らなければならないからである。』」」

  主は、このヨセフ部族の訴えはもっともであると言い、彼女たちは父の部族に属する氏族、すなわち、ヨセフ族の人たちのところにとつがなければならないと言いました。なぜでしょうか。なぜなら、イスラエル人はおのおの父祖の部族の相続地を堅く守らなければならないからです。神から与えられた相続地は、他の部族へ移してはならなかったのです。イスラエルの各部族は、おのおのその相続地を堅く守らなければなりませんでした。

これはどういうことでしょうか。いったいなぜ神はこのように命じられたのでしょうか。そもそもこのことがなぜ民数記の最後に記されてあるのでしょうか。私たちにどんなことを教えようとしているのでしょうか。それは、私たちクリスチャンに与えられた相続地も変わらないということです。それは不変であり、不動なものなのです。私たちの行いにかかわらず、神が私たちに与えてくださった相続地はいつまでも変わることがありません。ペテロはこう言いました。「また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。」(Ⅰペテロ1:4)

私たちに与えられている相続地は、朽ちることも、汚れることも、消えていくこともないものです。それが天にたくわえられているのです。そして、やがてそのような資産を受け継ぐようになります。そのことを知っていれば、たとえ今、しばらくの間、さまざまな試練の中で、悲しまなければならないことがあっても、喜ぶことができます。たましいの救い、永遠のいのちを得ているからです。これはすばらしい約束ではないでしょうか。

 また、ここには、「イスラエル人は、おのおのその相続地を堅く守らなければならないからである。」ということが強調されています。ということは、私たちが守らなければならない相続地があるということです。私たちには神からすばらしい相続地が与えられているにもかかわらず、いろいろなことでそれを失ってしまうことがあります。その一つが試練です。私たちはこの地上にあってさまざまに試練にあうたびに信仰が試されることがあります。しかし、どんなことがあっても、神から与えられた相続地を堅く守らなければならないのです。

Ⅲ.ツァロフハデの娘たちの応答(10-13)

さて、このように語られた主のことばに対して、ツァロフハデの5人の娘たちはどのように応答したでしょうか。10節から13節までをご覧ください。「10 ツェロフハデの娘たちは、主がモーセに命じられたとおりに行った。11 ツェロフハデの娘たち、マフラ、ティルツァ、ホグラ、ミルカおよびノアは、おじの息子たちに嫁いだ。12 彼女たちは、ヨセフの子マナセの子孫の氏族に嫁いだので、彼女たちの相続地は、彼女たちの父の氏族の部族に残った。13 これらは、エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原で、主がモーセを通してイスラエルの子らに命じられた命令と定めである。」

ツァロフハデの娘たちは、主がモーセに命じられたとおりに行いました。彼女たちは全員おじの息子たち、すなわち、従兄弟のところに嫁ぎました。すごいですね、女性にとって結婚は人生にとって最も重要な出来事かと思いますが、彼女たちはそれをすべて主にゆだねたのです。主が命じられた通り、父の部族に属する氏族に嫁ぎました。そのようにして、彼女たちは自分たちの相続地を父の氏族の部族に残したのです。

「これらは、エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原で、主がモーセを通してイスラエル人に命じた命令と定めである。」

これらのことが、エリコに近いモアブの草原で、主がモーセを通してイスラエル人に命じられたことです。特に民数記の26章からは、イスラエルが約束の地に入ってからどうあるべきなのかについて語られてきましたが、それは私たちの信仰生活そのものでもあります。私たちは神の恵みにより、イエス・キリストを信じる信仰によって救いの中に入れられました。神の相続地に入れさせていただいたのです。そこでは堅く守らなければならないものがたくさんあります。神の相続を受けたからもう大丈夫というのではなく、神の相続地を受けたからこそそれを堅く守り、神のみことばに従順に聞き従う者でなければならないのです。それが神の恵みによって救われた者としてふさわしい応答なのです。私たちも、神の御言葉を堅く守り、神が約束してくださった相続地に入れさせていただきましょう。

民数記35章

きょうは民数記35章から学びます。

 

Ⅰ.レビ人の相続地(1-8)

 

まず、1~8節をご覧ください。「1 エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原で、主はモーセに告げられた。2 「イスラエルの子らに命じ、その所有となる相続地のうちから、居住のための町々をレビ人に与えよ。また、その町々の周りの放牧地はレビ人に与えなければならない。3 その町々は彼らが住むためのものであり、その放牧地は彼らの家畜、群れ、そしてすべての動物のためのものである。4 あなたがたがレビ人に与える町々の放牧地は、町の城壁から外側に向かって周囲一千キュビトである。5 あなたがたは、町の外側に、町を真ん中として東側に二千キュビト、南側に二千キュビト、西側に二千キュビト、北側に二千キュビトを測れ。これが彼らの町々の放牧地となる。6 レビ人に与える町々については、人を殺した者を逃れさせる六つの逃れの町がなければならない。また、このほかに、四十二の町を与えなければならない。7 レビ人に与える町は、全部で四十八の町で、放牧地付きである。8 あなたがたがイスラエルの子らの所有地のうちから与える町々は、大きい部族からは多く、小さい部族からは少なくしなければならない。それぞれ自分が受け継いだ相続地の大きさに応じて、自分の町々の一部をレビ人に与えなければならない。」」

 

ここには、レビ人が受ける相続地について記されてあります。イスラエルの12部族には相続地が割り当てられましたが、レビ人にはありませんでした。それは18:20にあるように、主ご自身が彼らの相続地であったからです。それで主はモーセを通して、レビ人が住むための町々、また、彼らの家畜の群れや、すべての獣のための放牧地付の48の町を、イスラエルの所有地のうちからレビ人に与えるようにと命じられたのです。

 

彼らに与えられる町と放牧地は、町の城壁から外側に、回り1000キュビトです。1キュビトは約44センチなので、1000キュビトは約450メートルになります。5節がどのような意味なのかよくわかりませんが、これが4節の言い換えであるとすると、以下のように、町自体の城壁の幅+その外側に1000キュビトということになります。

 

すべて町とその周囲の放牧地がセットになっていました。

 

ヨシュア記21章を見ると、興味深いことは、レビ人の町はイスラエル12部族全体に散らされるような形で置かれたことがわかります。これはどういうことかというと、そのようにレビ人がイスラエル全体に散らされることによって、彼らが主に贖われた主の民であることを絶えず思い起こさせようとしたのです。このことからも、主が、イスラエル全体が祭司の国、つまり神ご自身の国であることを示しておられたのです。

 

6~8節をご覧ください。このレビ人に与える町々については、以下のように、人を殺した者を逃れさせるための六つの逃れの町を設けなければなりませんでした。この逃れの町については、この後で説明したいと思います。ですから、レビ人に与える町は、以下のように全部で48の町で、放牧地付、そこに6つの逃れの町がありました。

Ⅱ.逃れの町(6-15)

 

次に9~15節までをご覧ください。「9主はモーセに告げられた。10 「イスラエルの子らに告げ、彼らに言え。ヨルダン川を渡ってカナンの地に入るとき、11 あなたがたは町々を定めて、自分たちのために逃れの町とし、誤って人を打ち殺してしまった殺人者がそこに逃れることができるようにしなければならない。12 この町々は、復讐する者からあなたがたが逃れる場所となる。殺人者が、さばきのために会衆の前に立たないうちに死ぬことのないようにするためである。13 あなたがたが与えるべき町は六つの逃れの町で、それらは、あなたがたのためのものである。14 このヨルダンの川向こうに三つの町を、カナンの地に三つの町を与えて、逃れの町としなければならない。15 イスラエルの子ら、または彼らの間に在住している寄留者のために、これら六つの町は逃れの場所となる。すべて誤って人を打ち殺してしまった者が、そこに逃れるためである。」

 

逃れの町についての説明です。この逃れの町は、誤って人を殺した者がそこに逃れることができるためでした。この町々は、彼らが復讐する者から逃れる場所で、殺人者が、さばきのために会衆の前に立つ前に、死ぬことがないようにと定められたものです。律法には、「人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。」(出21:12)とありますが、その人に殺意がなく、神が御手によって事を起こさせた場合、この逃れの町に逃れるようにしたのです(出21:13)。復讐する者たちは、相手から事情を聞く前に手を下すことがあったので、そういうことがないように、誤って人を殺した者を守る必要があったのです。

 

これらの6つの逃れの町は、ヨルダン川を境として東側の3つの町と西側の3つの町に設けられました。それは、ヨシュア20:7~8によると、以下の町々です。

  • ナフタリの山地・・・ガリラヤの「ケデシュ」
  • エフライムの山地・・「シェケム」
  • ユダ山地・・・「ヘブロン」
  • ルベン族の高地の荒れ野・・「ベツェル」
  • カド・・・ギルアデの「ラモテ」
  • マナセ・・バシャンの「ゴラン」

地図を見てわかるように、それはイスラエル全体に万遍なく置かれました。それは、どこにいてもすぐに、いずれかの町に逃れることができるためです。このように、この逃れの町はイエス・キリストご自身を指し示していたのです。私たちもたとえ罪を犯しても、イエス・キリストのもとに逃れることができます。そして、キリストのもとに逃れる者を、キリストは守ってくださるのです。なぜなら、キリストが代わりに罰を負ってくださったからです。私たちも罪を犯さずには生きていけないものですが、それでもこの逃れの町が用意されていることを覚えて、キリストのもとに逃れる者でありたいと思います。

 

 Ⅲ.殺人者に対する規定(16-34)

 

最後に16~34節をご覧ください。ここには、殺人者に対する規定が記されてあります。まず16~21節までをお読みします。「16 もし鉄の器具で人を打って死なせたなら、その人は殺人者である。その殺人者は必ず殺されなければならない。17 もし、人を殺せるほどの、手に持てる石で人を打って死なせたなら、その人は殺人者である。その殺人者は必ず殺されなければならない。18 あるいは、人を殺せるほどの、片手に持てる木製の器具で人を打って死なせたなら、その人は殺人者である。その殺人者は必ず殺されなければならない。19 血の復讐をする者は、自分でその殺人者を殺してもよい。彼に出くわしたときに、殺してもよい。20 もし、人が憎しみをもって人を突き倒すか、あるいは悪意をもって人に物を投げつけて死なせたなら、21 または、敵意をもって人を手で打って死なせたなら、その打った者は必ず殺されなければならない。その人は殺人者である。その血の復讐をする者がその殺人者に出くわしたときには、彼を殺してもよい。」

 

ここでは、どのような動機で人を殺したのか、不慮の事故であったのか、それとも故意によるものであったのかが問われています。「人がもし鉄の器具で人を打って死なせたら」、それは故意の殺人であって、その人は必ず殺されなければなりませんでした。「人を殺せるほどの石の道具」の場合も同じです。また、「人を殺せるほどの木製の器具で、人を打って死なせた」場合も同じです。それは故意による殺人で、その者は、必ず殺されなければなりませんでした。血の復讐をする者は、自分でその殺人者を殺してもよいし、彼と出会ったときに、彼を殺しても構いませんでした。

 

次に動機です。憎しみや悪意、敵意をもって人を死なせるなら、それは故意の殺人であって、その人は必ず殺されなければなりませんでした。その血の復讐をする者は、彼と出会った時に殺しても構いませんでした。たとえ逃れの町に逃れたとしても、そこから引き連り出して、血の復讐をする者に引き渡すことができました。

 

次に22~29節までをご覧ください。「22 もし敵意もなく突然人を突き倒し、あるいは悪意なしに何か物を投げつけ、23 または、人を死なせるほどの石を、よく見ないで人の上に落としてしまい、それによってその人が死んだなら、しかもその人が自分の敵ではなく、害を加えようとしたわけではないなら、24 会衆は、打ち殺した者と、血の復讐をする者との間を、これらの定めに基づいてさばかなければならない。25 会衆は、その殺人者を血の復讐をする者の手から救い出し、彼を、逃げ込んだその逃れの町に帰してやらなければならない。彼は、聖なる油を注がれた大祭司が死ぬまで、そこにいなければならない。26 もしも、その殺人者が、自分が逃げ込んだ逃れの町の境界から出て行き、27 血の復讐をする者がその逃れの町の境界の外で彼を見つけて、その殺人者を殺すことがあっても、その人には血の責任はない。28 その殺人者は、大祭司が死ぬまでは、逃れの町に住んでいなければならないからである。大祭司の死後に、その殺人者は自分の所有地に帰ることができる。29 これらのことは、あなたがたがどこに住んでも、代々守るべき、あなたがたのさばきの掟となる。」

 

ここでは、過失致死の場合の取り扱いについて語られています。すなわち、もし敵意なく人を突いてしまったり、悪意なしに何か物を投げつけてしまったとか、または気がつかないで、人を死なせるほどの石を人の上に落とし、それによって死なせた場合など、しかもその人が自分の敵でもなく、傷つけようとしたのでなければ、その人をどうするかということです。これは、たとえば、一緒に木こりの仕事をしていて、斧の頭が取れて同僚の頭にぶつかり、死んでしまった、というような場合です。その場合は、会衆が、殺人者とその血の復讐をする者の間に入って、それが故意によるものなのか、過失によるものなのかを前述の規定に従って判断し、もしそれが過失による殺人の場合であれば、彼をその復讐する者の手から救い出し、彼が逃げ込んだその逃れの町に返してやらなければなりませんでした。彼は聖なる油をそそがれた大祭司が死ぬまで、そこにいなければなりませんでした。どういうことでしょうか。確かにそれは意図的なものでなく、偶発的なものであったとしても、血を流したことに対して贖いが求められたということです。大祭司の死は、その在任中に殺された被害者の血を贖うのに十分なものであったからです。

 

なぜ大祭司の死がその贖いのために十分だったのでしょうか。この大祭司はイエス・キリストのことを表しています。すなわち、それはイエス・キリストの死を意味していたのです。イエス・キリストは大いなる大祭司として、全く汚れのないご自分を神にささげ、その死によって世の罪のためのなだめの供え物となられました。ちょうど大祭司の死によって、あやまって人を殺した者の罪が贖われ自分の所有の地に帰ることができたように、私たちの大祭司イエス・キリストの死によって、彼のもとに逃れて来たものたちが罪によって失われた相続地を受けるに足る者とされ、キリストが約束された永遠の住まいに帰ることができるようになるのです。従って、あやまって人を殺した場合は、聖なる油が注がれた大祭司の死まで、自分の家族から離れて、亡命の状態にとどまることが要求されたのです。

 

ですから、もし誤って人を殺した者が自分が逃げ込んだ逃れの町の境界の外に出て行ったなら、血の復讐者が彼を見つけて殺しても、血の復讐者にはその罪は帰せられませんでした。なぜなら、誤って人を殺した者は大祭司が死ぬまでそこ(逃れの町)にとどまっていなければならなかったからです。そこから勝手に出ることは許されませんでした。ただ大祭司の死後は、自分の町に帰ることができました。彼の罪が贖われたからです。

 

次に30~34節までをご覧ください。「30 もしだれかが人を打ち殺したなら、証人たちの証言によってその殺人者を殺す。一人の証人の証言だけで、人を死刑にすることがあってはならない。31 あなたがたは、殺人者のいのちのために贖い金を受け取ってはならない。彼は死ぬべき悪しき者なのである。彼は必ず殺されなければならない。32 逃れの町に逃れさせる代わりに贖い金を受け取り、祭司が死ぬ前に、彼を帰らせて国に住むようにさせてはならない。33 あなたがたは、自分たちのいる土地を汚してはならない。血は土地を汚すからである。土地にとって、そこで流された血は、その血を流した者の血以外によって宥められることはない。34 あなたがたは、自分たちの住む土地、わたし自身がそのただ中に宿る土地を汚してはならない。主であるわたしが、イスラエルの子らのただ中に宿るからである。」」

 

殺人者を死刑に定めるには、証人の証言がなければなりませんでした。しかもその証言は複数でなければなりませんでした。ここには何人とは書いてありませんが、申命記17:6には、「ふたりの証人または三人の証人の証言」とあります。どんな咎でも、どんな罪でも、一人の証言によっては罪に定めることはできませんでした。また、その証言は偽りの証言をしてもなりませんでした。

 

また、死刑にあたる罪を行った殺人者の場合、殺人者のいのちのための贖い金を受け取って、彼を赦してはなりませんでした。それは必ず殺されなければならなかったのです。なぜなら、33節にあるように、血は土地を汚すからです。すなわち、血を流す罪、殺人が行われた時に、血が汚されたのです。その土地が贖われるには、その血を流した者の血が流され、贖われなければならなかったのです。

 

イスラエルは、自分たちの住む土地、すなわち、主がそのうちに宿る土地を汚してはならなかったのです。主である神が、その真ん中に宿るからです。このことは、私たちにも言えることです。ヘブル9:22には、「律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです」とあるように、私たちの心の汚れは、イエス・キリストの血によってしかきよめられることはできません。イエス・キリスの血だけが、私たちをすべての悪からきよめてくださり、神がともに宿ることを実現させてくださったのです。

また、一度救われて主の御住まいとなった者が、その霊肉を罪で汚してはならず、もしあやまって罪を犯したならば、罪を言い表してきよめていただかなければなりません。神は真実で、正しい方ですから、もし私たちが自分の罪を言い表すなら、すべての悪からきよめてくださるのです。

 

約束の地を前にして、神がモーセを通してこれらのことを語られたのは、彼らが受け継ぐ地を汚すことがでないように、そして、もしあやまって汚すようなことがあったら、このようにしてきよめられることを教えるためだったのです。

民数記34章

きょうは民数記34章から学びます。

 

Ⅰ.相続となる地カナンの境界線(1-15)

 

まず、1~2節をご覧ください。「1 主はモーセに告げられた。2 「イスラエルの子らに命じて彼らに言え。あなたがたがカナンの地に入るときには、あなたがたへのゆずりとなる地、カナンの地とその境界は次のとおりである。」

 

主は、イスラエルが約束の地に入って行ってから彼らに与えられる相続地の境界が示されました。まず南側の境界が3~5節に記されてあります。「3 あなたがたの南側は、エドムに接するツィンの荒野に始まる。南の境界線は、東の方の塩の海の端に始まる。4 その境界線は、アクラビムの坂の南から回ってツィンの方に進み、その終わりはカデシュ・バルネアの南である。またハツァル・アダルを出て、アツモンへと進む。5 さらに境界線は、アツモンから回ってエジプト川に向かい、その終わりは海である。」

南側の境界は、エドムに接するツィンの荒野、すなわち、塩の海の端に始まります。そしてアクラビムの丘陵地帯の南側から回ってツィンの荒野の方に進み、その終わりはカデシュ・バルネアの南です。それからエジプト川まで続き、地中海に達します。これが南の境界線です。

 

6節には西の境界線が記されてあります。「6 あなたがたの西の境界線は、大海とその沿岸である。これをあなたがたの西の境界線としなければならない。」

西の境界線は、地中海とその沿岸です。西には他に何もありませんので、これはよくわかります。

 

では北側の境界線はどうでしょうか。7~9節にあります。「7 あなたがたの北の境界線は、次のとおりにしなければならない。大海からホル山まで線を引き、8 さらにホル山からレボ・ハマテまで線を引く。その境界線の終わりはツェダデである。9 そして境界線はジフロンに延び、その終わりはハツァル・エナンである。これがあなたがたの北の境界線である。」

ホル山やツェダデがどこなのかその位置が明確ではありません。ただハツァル・エナンの場所はある程度特定されているので知ることができますが、それは驚くことに今のレバノンの北、そしてシリヤのところにまで及んでいるのがわかります。イスラエルに約束された地は、かなりの領域にわたっていたことがわかります。

 

そして東の境界線については10~12節にあります。「10 あなたがたの東の境界線としては、ハツァル・エナンからシェファムまで線を引け。11 その境界線は、シェファムからアインの東方のリブラに下り、それから境界線は、そこから下ってキネレテの海の東の傾斜地に達する。12 さらに境界線はヨルダン川を下り、その終わりは塩の海である。以上が境界線によって周囲を区切られた、あなたがたの地である。」」

キネレテの海とはガリラヤ湖のことです。そこからヨルダン川を下り、その終わりが塩の海までの領域です。ヨルダンの東側については既にガド族とルベン族、マナセの半部族が相続していたので、それを除く残りの9部族と半部族が受け継ぐべき地が示されているものと思われます。

 

そして、残りの2部族とマナセの半部族については、13~15節までをご覧ください。「13 モーセはイスラエルの子らに命じて言った。「これが、あなたがたがくじを引いて相続地とする地である。主がこれを与えよと命じられたのは、九部族と半部族に対してである。14 ルベン部族は一族ごとに、ガド部族も一族ごとに、そしてマナセの半部族も、自分たちの相続地を受け取っているからである。15 この二部族と半部族は、ヨルダン川の、エリコをのぞむ対岸、東の方、日の出る方に、自分たちの相続地を受け取っている。」」

イスラエルに約束された相続地は、くじによって決められました。これは箴言16:33に「くじは膝に投げられるが、そのすべての決定は主から来る。」あるように、そのすべての決定は主から来るとあるからです。彼らは自分たちによって決定するのではなく、その決定のすべてを主にゆだねたのです。

 

ここで創世記15:18~21を開いてください。「15その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。エジプトの川から、あの大河ユーフラテス川まで。19 ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、20 ヒッタイト人、ペリジ人、レファイム人、21 アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の地を。」」

ここには神がアブラハムに与えると言われた土地が記されています。そして、何とここにはエジプト川からユーフラテス川までとあります。ユーフラテス川というのはアラビヤ半島へ注ぎ込むユーフラテス川の上流域のことです。それはこの相続地の北の境界線にありました。ですから、彼らはアブラハムに約束された地のほとんどを相続するようになったことがわかります。つまり、主が約束したことが成就したということです。

 

Ⅱ.土地分配の仕方(16-29)

 

次に、16~29節までをご覧ください。「16 主はモーセに告げられた。17 「あなたがたにその地を相続地として受け継がせる者たちの名は、次のとおりである。すなわち、祭司エルアザルとヌンの子ヨシュア。18 あなたがたは、その地を受け継ぐため、それぞれの部族から族長一人ずつを選ばなければならない。19 その人たちの名は次のとおりである。ユダ部族からは、エフンネの子カレブ。20 シメオン部族からは、アミフデの子サムエル。21 ベニヤミン部族からは、キスロンの子エリダデ。22 ダン部族からは、族長として、ヨグリの子ブキ。23 ヨセフの子孫からは、マナセ部族から、族長として、エフォデの子ハニエル、24 またエフライム部族から、族長として、シフタンの子ケムエル。25 ゼブルン部族からは、族長として、パルナクの子エリツァファン。26 イッサカル部族からは、族長として、アザンの子パルティエル。27 アシェル部族からは、族長として、シェロミの子アヒフデ。28 ナフタリ部族からは、族長として、アミフデの子ペダフエル。29 これが、カナンの地でイスラエルの子らへの相続地を受け継がせるようにと、主が命じた人たちである。」」

 

ここには、この地をどのように相続すべきかについて、もう一つの点が記されています。それは、相続地として受け継がせる者を選び、彼らを通して割り当てがなされていったということです。今でいうと遺言執行人のようなものと言えるでしょう。それが祭司エルアザルとヌンの子ヨシュアでした。彼らの下にイスラエルのそれぞれの部族から族長が一人ずつ割り当てられました。日本でもそうですが、遺産相続をめぐっては本当に多くの問題が生じます。そのことが原因で家族がいがみ合って、憎み合うというケースに発展することも少なくありません。そういうことがないように、遺言執行人を定め、公正に遺産を相続するようにしたのです。

 

 さて、このようにして神が約束してくださった地の相続が行われましたが、ここで私たちが覚えておかなければならないことは、私たちにも神からの相続地が割り当てられているということです。それは私たちの想像を絶するような霊的遺産、天の御国です。それが私たちに約束されているのです。

 

 であれば、ガド族やルベン族のように「ここは居心地が良いからここに留まっていたい」と主張したり、この地上のものに執着して神が約束してくださったものを見失うことがないように注意すべきです。いつも与えられた約束の地を見て、そこを目指してただ前進していかなければなりません。

 

 皆さんも、童話「ウサギとカメ」のお話をよくご存知だと思います。ウサギとカメが競争して、カメが勝利する話です。いったいどうしてウサギはカメに負けたのでしょうか。どうしてカメがウサギに勝ったのか、知っていますか?一般には、ウサギは油断して昼寝をしてしまったのに対して、カメはコツコツと歩みを進めて、ウサギを追い抜いてしまった。 しかし、これが思わぬ結果をもたらした本当の理由ではありません。では、いったい本当の理由は何だったのでしょうか。

 それは、ウサギとカメでは「見ているところが違った」からです。ウサギは何を見ていたのか。ウサギは、カメを見ていました。だから、ノロノロとやってこないカメに、油断をしてしまったのです。

 対するカメは何を見ていたか。ゴールを見ていました。カメがウサギを見ていたら、昼寝をしているウサギを見て、自分も休んでしまったかもしれません。しかし、カメはそうしませんでした。ゴールを見ていたからです。

言わんとしているところはどういうことかというと、ゴールは何かをしっかり見極め、競争相手に惑わされることなく、ゴールを見ることの重要性です。レースの本質を、しっかり捉えよ、ということです。カメはゴールを見ていたから歩みは遅かったけれど、足の速いウサギに勝つことができました。「見ているところが違った」から、この結果が生じたのです。「見ているところ」は正しいか、ということです。

 私たちもゴールを見ずに、隣ばかり、周囲ばかりを見てしまうことがあります。しかし、それがもたらすのは、カメに負けたウサギ同様、残念な結果の可能性があるのです。

 私たちのゴールは何でしょうか。私たちのゴールは、イエス・キリストです。へブル12:1にこうあります。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」信仰の創始者であり、完成者であるイエス・キリストこそ、私たちの人生のゴールです。この方から、目を離してはなりません。

 

使徒パウロは、こう言いました。「13 兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、14 キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」(ピリピ3:13-14)

 

私たちには、約束の地、天の御国が与えられています。主は必ずそこへ導いてくださいます。それゆえ、主イエスキリストにあって神が上に召してくださるという、その目標を目指して、ひたむきに前のものに向かって進み、一心に走る者でありたいと思います。

民数記33章

きょうは民数記33章から学びます。

 

Ⅰ.イスラエル人の旅の行程(1-49)

 

  1. 出エジプト(1-4)

 

まず1節から4節までをご覧ください。「1 モーセとアロンの指導のもとに、その軍団ごとにエジプトの地から出て来たイスラエルの子らの旅程は次のとおりである。2 モーセは主の命により、彼らの旅程の出発地点を書き記した。その旅程は、出発地点によると次のとおりである。3 彼らは第一の月、その月の十五日に、ラメセスを旅立った。すなわち過越のいけにえの翌日、イスラエルの子らは、全エジプトが見ている前を臆することなく出て行った。4 エジプトは、彼らの間で主が打たれたすべての長子を埋葬していた。主】彼らの神々にもさばきを下された。」

 

ここには、イスラエルがエジプトを出てから今の時点、すなわちヨルダン川の東側のエリコの向かいにあるモアブの草原までどのように導かれてきたかの旅程が記されてあります。まず4節までのところには、彼らがエジプトを出た時のことがまとめられています。まずイスラエルは、モーセとアロンの指導のもとに軍団ごとにエジプトから出発しました。それは、1年後にシナイの荒野で整備されたような整えられたものではありませんでしたが、ある程度の秩序を保っていたことがわかります。そうでないと約60万人の男子と、女子、それに子供を加えて200万人を超える人たちと、多くの家畜を引き連れて一夜のうちに旅立つことは困難だったからです。ここで強調されていることは、彼らは「全エジプトが見ている前を臆することなく出て行った。」ということです。それは主が力強い御手によって連れ出されたからです(出エジプト13:9,14,16)。

 

  1. 第一段階~エジプトからシナイの荒野まで~(5-15)

 

次に、5節から15節までをご覧ください。「5 イスラエルの子らはラメセスを旅立ってスコテに宿営し、6 スコテを旅立って荒野の端にあるエタムに宿営した。7 エタムを旅立ってバアル・ツェフォンの手前にあるピ・ハヒロテの方に向きを変え、ミグドルの前で宿営した。8 ピ・ハヒロテを旅立って海の真ん中を通って荒野に向かい、エタムの荒野を三日路ほど行ってマラに宿営した。9 マラを旅立ってエリムに行き、そこに宿営した。エリムには十二の泉と、七十本のなつめ椰子の木があった。10 それから、彼らはエリムを旅立って葦の海のほとりに宿営し、11 葦の海を旅立ってシンの荒野に宿営した。12 シンの荒野を旅立ってドフカに宿営し、13 ドフカを旅立ってアルシュに宿営し、14 アルシュを旅立ってレフィディムに宿営した。そこには民の飲む水がなかった。15 それから、彼らはレフィディムを旅立ってシナイの荒野に宿営し、」

 

ここにはエジプトを出てからシナイ山までの旅程が記されてあります。ここではまず8節の「ピ・ハヒロテから旅立って海の真ん中を通って荒野に向かい」ということばが強調されています。これは出エジプト記14章にある出来事ですが、イスラエルがエジプトを出た後、背後からエジプト軍が追ってきました。目の前は紅海で全く逃げ場を失うという絶対絶命のピンチの中で、主が奇跡的なみわざによって海の真ん中に乾いた道を作られ、それを通って救われました。

 

それから9節の、「エリムには12の泉と、70本のなつめやしの木があり、そこに宿営した」ということも強調されています。そこではどんなことがあったでしょうか。これは出エジプト15章にある出来事ですが、彼らは荒野の旅の中で水がなく苦しんでいたときマラという所に来て水を見つけました。しかし、その水は苦くて飲むことができませんでした。それでモーセが主に叫ぶと、主が1本の木を示されたのでそれを水の中に投げ入れました。するとそれは甘くなり、飲むことができるようになりました。それで彼らはエリムに到着することができました。それは、彼らが主の命令に聞き従うなら主は彼らをいやし、なつめやしの木のように潤してくださることを教えるためのものでした。

 

そして、14節の「レフィデム」に宿営したことについて、それぞれ簡単な出来事が記録されています。そこでも彼らは、飲み水がなく大変苦しみました。しかし、モーセがホレブの岩の上に立ち岩を打つと、そこから水が流れ出ました。彼らは主を信じることができず主と争ったため、そこはマラ(争う)と名付けられました。大切なことはどんな時でも主の御声に従うことであるということです。そして、レフィデムではもう一つの大切な出来事がありました。それはアマレクとの戦いです。ヨシュアが戦い、モーセが祈りの手を上げて祈ったことで、彼らは勝利することができました。

 

  1. 第二段階~シナイの荒野からリマテまで~(16-18)

 

次に16節から18節までをご覧ください。「16 シナイの荒野を旅立ってキブロテ・ハ・タアワに宿営した。17 キブロテ・ハ・タアワを旅立ってハツェロテに宿営し、18 ハツェロテを旅立ってリテマに宿営した。」

 

ここには、シナイの荒野からリマテまでの旅程が記されてあります。ここから民数記に記録されてある内容です。彼らはシナイの荒野で律法が与えられ、幕屋が与えられ、また大掛かりな人口調査が行われ、軍隊が編成されて、神の民として整えられてシナイの荒野からカナンの地に向かって出発しました。それはエジプトを出た第二年目の第二の月の二十日のことでした(民数記10:11)。

 

キブロテ・ハ・タアワでは、イスラエルの民が食べ物のことでつぶやいたので、うずらが与えられましたが、主は彼らの欲望に対して怒りを燃やし、激しい疫病で民を打たれたので、欲望にかられた民はそこで死に絶えました。ここで印象的なみことばは、民数記11:23の「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今にわかる。」というみことばです。主の御手が短いことはありません。主はどんなことでもおできになる方です。私たちに求められていることは、この主にただ従うことなのです。

また、ハツェロテでは、ミリヤムとアロンがモーセに逆らったのでミリヤムは神に打たれてらい病になりました。

 

そして、18節にはリテマに宿営したとありますが、このリテマとはどこにあるのかがよくわかりません。ハツェロテの後で、この荒野の旅程で最も悲劇的な事件が起こりました。それは、カデシュ・バルネアでの出来事です。約束の地まで間もなくというところにやって来たとき、イスラエルはその地を偵察すべく12人のスパイを送るのですが、そのうちの10人は否定的な情報をもたらし、そのことを信じたイスラエルの民は嘆き悲しみました。彼らは主のみことばに従いませんでした。主は「上って行って、そこを占領せよ。」と言われたのに、彼らは民のことばを信じておびえてしまったのです。それでイスラエルはその後38年間も荒野をさまよってしまうことになりました。ただヌンの子ヨシュアとカレブだけが主に従い通したので、後に約束の地に入ることができましたが、その他の20歳以上の男子はみな荒野で死に絶えてしまいました。しかし、その出来事がここには全く記録されていません。不思議です。いったいなぜでしょうか。民数記12:16には、「ハツェロテから旅立ち、パランの荒野に宿営した」とあり、13:26には、「パランの荒野のカデシュ」とあるので、この二つの荒野の近くにあったのがこのリテマではないかと考えられているからです。つまり、このリテマこそがカデシュ・バルネアではないかと考えられているからなのです。

 

  1. 第三段階~リテマからホル山~(19-40)

 

次に、19節から40節までをご覧ください。「19 リテマを旅立ってリンモン・ペレツに宿営し、20 リンモン・ペレツを旅立ってリブナに宿営した。21 リブナを旅立ってリサに宿営し、22 リサを旅立ってケヘラタに宿営し、23 ケヘラタを旅立ってシェフェル山に宿営した。24 シェフェル山を旅立ってハラダに宿営し、25 ハラダを旅立ってマクヘロテに宿営した。26 マクヘロテを旅立ってタハテに宿営し、27 タハテを旅立ってテラフに宿営し、28 テラフを旅立ってミテカに宿営した。29 ミテカを旅立ってハシュモナに宿営し、30 ハシュモナを旅立ってモセロテに宿営した。31 モセロテを旅立ってベネ・ヤアカンに宿営し、32 ベネ・ヤアカンを旅立ってホル・ハ・ギデガデに宿営し、33 ホル・ハ・ギデガデを旅立ってヨテバタに宿営し、34 ヨテバタを旅立ってアブロナに宿営し、35 アブロナを旅立ってエツヨン・ゲベルに宿営した。36 エツヨン・ゲベルを旅立ってツィンの荒野、すなわちカデシュに宿営し、37 カデシュを旅立ってエドムの国の端にあるホル山に宿営した。38 祭司アロンは主の命によりホル山に登り、そこで死んだ。それは、イスラエルの子らがエジプトの地を出てから四十年目の第五の月の一日であった。39 アロンはホル山で死んだとき、百二十三歳であった。40 カナンの地のネゲブに住んでいたカナン人、アラドの王は、イスラエル人がやって来るのを聞いた。」

 

ここには、そのリテマからホル山までの旅程が記されてあります。これがいつの出来事なのかははっきりしていませんが、おそらくカデシュ・パルネアでの出来事の後の38年に及ぶ旅程ではないかと思われます。エジプトを出てから40年目の第五の月の一日に、アロンはこのホル山で死にました。それはメリバの水の事件(民数記20:11)で、モーセとアロンが主に従わなかったからです。それで彼らは約束の地に入ることができませんでした。

 

  1. 第四段階~ホル山からモアブの草原まで~(41-49)

 

イスラエルの旅程の最後は、ホル山からモアブの草原までの道のりです。41節から49節までをご覧ください。「41 それから、彼らはホル山を旅立ってツァルモナに宿営し、42 ツァルモナを旅立ってプノンに宿営し、43 プノンを旅立ってオボテに宿営し、44 オボテを旅立ってモアブの領土のイエ・ハ・アバリムに宿営した。45 イイムを旅立ってディボン・ガドに宿営し、46 ディボン・ガドを旅立ってアルモン・ディブラタイムに宿営した。47 アルモン・ディブラタイムを旅立って、ネボの手前にあるアバリムの山々に宿営し、48 アバリムの山々を旅立って、エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原に宿営した。49 すなわち、ヨルダン川のほとり、ベテ・ハ・エシモテからアベル・ハ・シティムに至るまでのモアブの草原に、彼らは宿営した。」

 

彼らはホル山からエドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った(民数記21:4)ので、まず南に下り、エツヨン・ゲベルまで南下して、次いで、エドムを避けながらプノンまで北上したものと思われます。そして、やっとの思いで今、約束の地に入る手前まで来たのです。

 

それにしても、いったいなぜここで40年間の荒野の旅路を書き記す必要があったのでしょうか。これは主の命令であったとありますから、そこには何らかの主の意図があったものと思われます。おそらくそれは、それが力強い主の御手によって導かれたことを示すねらいがあったのでしょう。それは「旅立って、宿営した」という言葉が何回も繰り返されていることからもわかります。彼らは雲の柱と火の柱によって導かれました。彼らはその時は、雲しか見えなかったかもしれません。夜は火の柱しか見えません。けれども、振りかえれば、主が行なわれた道を辿ることができたのです。

 

また、これが私たちの信仰の歩であることを示すためだったのでしょう。私たちの信仰生活は、このイスラエルの荒野の40年の旅程に見られるように、まさに「旅立って、宿営し、そして所有する」生活なのです。へブル11:8には、アブラハムが信仰によって相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたとき、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行ったことが記されてあります。なぜでしょうか。彼は堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいただければからです。「13 これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。14 そのように言っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。15 もし彼らが思っていたのが、出て来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。16 しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。」(へブル11:13~16)

これが、私たちの信仰生活です。私たちは、この地上では旅人であり、寄留者であるにすぎません。私たちが目指すのは、天の故郷です。そこに至るまでには実にさまざまな出来事が起こりますが、それでも私たちが前進して行くのは、もっと良い故郷、天の故郷を目指しているからです。ですから、たとえこの地上でさまざまなことが起こっても、それでも私たちは天の故郷を目指して、「旅立って、宿営し、そして所有する」のです。この地上の旅で一喜一憂してはなりません。それよりもはるかにすぐれた天の故郷を仰ぎ見て、この地上の旅路を進んでいかなければならないのです。

私たちにはわからないことがあります。でも、確かに主は雲の柱と火の柱をもって導いておられます。主の御手がいつも私たちの上に置かれているのを見て、信仰をもってそれにすべてをゆだねつつ、信仰の旅路を歩ませていただきたいと思います。

 

Ⅱ.カナンの地に入るとき(50-56)

 

 最後に50節から56節までをご覧ください。「50 エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原で、主はモーセに告げられた。51 「イスラエルの子らに告げよ。あなたがたがヨルダン川を渡ってカナンの地に入るときには、52 その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払って、彼らの石像をすべて粉砕し、彼らの鋳像をすべて粉砕し、彼らの高き所をすべて打ち壊さなければならない。53 あなたがたはその地を自分の所有とし、そこに住め。あなたがたが所有するように、わたしがそれを与えたからである。54 あなたがたは、氏族ごとに、くじを引いて、その地を相続地とせよ。大きい部族には、その相続地を大きくし、小さい部族には、その相続地を小さくしなければならない。くじで当たったその場所が、その部族のものとなる。あなたがたは、自分の父祖の部族ごとに相続地を受けなければならない。55 もしその地の住民をあなたがたの前から追い払わなければ、あなたがたが残しておく者たちは、あなたがたの目のとげとなり、脇腹の茨となり、彼らはあなたがたが住むその土地であなたがたを苦しめる。56 そしてわたしは、彼らに対してしようと計画したとおりを、あなたがたに対してすることになる。」」

 

ここには、カナンの地に入る時に守るべき事項が語られています。それは、その地の住民をことごとく彼らの前から追い払うようにということです。彼らの石像をすべて粉砕し、彼らの鋳造もすべて粉砕し、彼らの高き所をみな、打ち壊さなければなりません。なぜでしょうか?それは、それが主の土地であって、彼らが所有するように、主が彼らに与えてくださったものだからです。すなわち、それは主の聖なる地であるからです。そこに、他の神々があってはならないのです。だから、それらを徹底的に粉砕しなければなりません。そうでないと、その偶像が彼らを悩ますようになるからです。事実、ヨシュアの死後、彼らはその地の住民を追い払わなかった結果、偶像礼拝に引きずり込まれる結果となりました(士師2:11,12)。敵に苦しめられ、神にさばきつかさが与えられますが、やがてまた偶像に引かれていくことを繰り返すようになるのです。それは特に士師の時代に著しいですが、イスラエルが偶像と全く縁を切ることができなかったことはその歴史が証明しています。

 

私たちの住むこの日本の社会のおいても、こうした異教的な風習がたくさんありますが、主に贖われたものとして、聖なる者として、そうしたものに心が奪われることがないように、それらを取り除いていくことが求められています。このくらいはいいだろうと妥協せず、汚れから離れ、何が良いことで、神に受け入れられるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えましょう。(ローマ12:2、Ⅱコリント6:14-18)。

民数記32章

民数記32章

 

きょうは民数記32章から学びます。

 

Ⅰ.ルベン族とガド族の願い(1-15)

 

まず1~5節をご覧ください。「1 ルベン族とガド族は、多くの家畜を持っていた。それは、おびただしい数であった。彼らがヤゼルの地とギルアデの地を見ると、その場所は家畜に適した場所であった。2 そこでガド族とルベン族は、モーセと祭司エルアザル、および会衆の上に立つ族長たちのところに来て、次のように言った。3 「アタロテ、ディボン、ヤゼル、ニムラ、ヘシュボン、エルアレ、セバム、ネボ、ベオン、4 主がイスラエルの会衆の前で打ち滅ぼされたこれらの地は、家畜に適した地です。そして、しもべどもには家畜がいます。」5 また言った。「もし、私たちの願いがかないますなら、どうか、しもべどもがこの地を所有地として賜りますように。私たちにヨルダン川を渡らせないでください。」

 

26章から、イスラエルが約束の地に入るための備えが語られていますが、その時、ルベン族とガド族からモーセと祭司エリアザルに一つの願いが出されました。それは、ヨルダン川の東側にあったヤゼルの地とギルアデの地を自分たちに与えてほしいということでした。なぜなら、そこは家畜に適した地だったからです。彼らは非常に多くの家畜を持っていたので、ヨルダン川を渡らないでその地に住むことができればと思ったのです。前回学んだように、彼らはミデヤン人たちからの戦利品として多くの家畜が与えられました。「ヤゼルの地とギルアデの地」は、彼らがエモリ人シホンを打ち破った時に占領したところです。モアブの地であるアルノン川からヤボク川までがヤゼル、ヤボク川からガリラヤ湖の南端へ走っているヤムルク川までがギルアデの地です。

 

それに対してモーセは何と答えたでしょうか。6~15節までをご覧ください。「6 モーセはガド族とルベン族に答えた。「あなたがたの兄弟たちは戦いに行くのに、あなたがたはここにとどまるというのか。7 どうして、イスラエルの子らの意気をくじいて、主が与えてくださった地へ渡らせないようにするのか。8 あなたがたの父たちも、私がカデシュ・バルネアからその地を調べるために遣わしたとき、そのようにふるまった。9 彼らはエシュコルの谷まで上って行って、その地を見たとき、イスラエルの子らの意気をくじいて、主が与えてくださった地に入って行かないようにした。10 あの日、主は怒りに燃え、誓って言われた。11 『エジプトから上って来た者たちで二十歳以上の者はだれも、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った地を見ることはない。わたしに従い通さなかったからである。12 ただ、ケナズ人エフンネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアは別である。彼らが主に従い通したからである。』13 事実、主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らを四十年の間、荒野をさまよわせ、主の目に悪であることを行ったその世代の者たちは、ついに、みな死に絶えた。14 そして今、あなたがたが、罪人の子らとしてあなたがたの父たちに代わって立ち上がり、イスラエルに対する主の燃える怒りを増し加えようとしている。15 あなたがたが背いて主に従わないなら、主は再びこの民をこの荒野に見捨てられる。そしてあなたがたは、この民全体に滅びをもたらすことになるのだ。」」

 

モーセは怒って言いました。彼らの兄弟たちは戦いに出て行くというのに、彼らはそこにとどまろうとすることで、イスラエル人の意気をくじくことになると思ったからです。それはかつてカデシュ・バルネアからその地をさぐらせるために12人の偵察隊を遣わしたときの振る舞い同じです。神が、上って行ってそこを占領せよと仰せられたのに、彼らは従いませんでした。10人の偵察隊は、そこには大きくて、強い敵がいるから難しいと言って、彼らの戦意をくじきました。その結果彼らは、四十年の間荒野をさまようことになってしまいました。それと同じだというのです。もし主のみことばに背いて従わなければ、主はまたこの民を見捨てられることになります。それは、全く自己中心的な願いでした。

 

主がヨルダン川東岸の民を追い出されたのは、彼らがそこに定住するためではありませんでした。それは彼らがイスラエルに敵対し、戦いを挑んできたためです。また、主が彼らの家畜を増やされたのもそこに住むためではなく、彼らが約束の地で生活するためでした。彼らが住むところはあくまでもヨルダン川を渡った先にあるカナン人の地でした。それなのに彼らは、たまたまその地が住むのに良さそうだからという理由で、それを自分のものにしようとしたのです。

  このようなことは、私たちにもよくあるのではないでしょうか。神様のみこころよりも、自分の思いや都合を優先してしまうことがあります。でも、もし自分の願いを優先して主のみこころに蔦川無ければ、それはこのルベン族やガド族と同じです。今の状態のままでいたい、前進する必要はない。このままここに留まっていたいというのは、ここでルベン族とガド族が言っていることと同じことなのです。私たちはもう一度考えなければなりません。自分が救われたのは何のためかを。それは自分の願いをかなえるためではなく、神のみこころを行うためなのです。

 

Ⅱ.ルベン族とガド族の誓い(16-32)

 

それに対して、彼らは何と言ったでしょうか。16~19節をご覧ください。「16 彼らはモーセに近寄って言った。「私たちはここに、家畜のために羊の囲い場を作り、子どもたちのために町々を建てます。17 しかし私たちは、イスラエルの子らを彼らの場所に導き入れるまで、武装して先頭に立って急ぎ進みます。子どもたちは、この地の住民の前で城壁のある町々に住みます。18 私たちは、イスラエルの子らがそれぞれその相続地を受け継ぐまで、自分の家に帰りません。19 ヨルダン川の向こう側では、彼らとともに相続地を持ちません。私たちの相続地は、このヨルダンの川向こう、東の方になります。」」

 

それを聞いた彼らは、自分たちはイスラエルが約束の地に入るまで、武装して、先頭に立って戦うと明言しました。イスラエル人がおのおのその相続地を受けるまで、自分たちの家には帰らないと言ったのです。皆さん、どう思いますか。これは一見、主のみこころに従っているようですが、根本的なところでは全然変化がありません。結局、ヨルダン川東岸を自分の土地にしたいという思いに変わらないのですから。自分たちを完全に明け渡していないのです。もし完全に明け渡していたならば、自分の思いは脇に置いておいて、まず主のみこころに従って前進して行ったことでしょう。その後で、主は何を願っておられるのかを祈り求めて行動したはずです。それなのに彼らは、あくまでも自分たちの土地を確保した上で、ヨルダン川を渡って行こうとしました。それは条件付きの従順です。それは主が求めておられることではありません。主が求めておられるのは、無条件で従うことです。その後のことは主が最善に導いてくださると信じて、主にすべてをゆだねることなのです。

 

このようなことは、私たちにも見られます。なかなか自分を主に明け渡すことができません。そしてこのように条件を付けて、少し距離を取りながら、自分の願いをかなえようとすることがあります。そして付け足すかのように少しお手伝いをして、あたかも主に仕えているかのように振る舞うのです。表面的には主に従っているようでも、実際には自分の思いを捨てることができないのです。人はうわべを見るが、主は心を見られます。大切なのは、私たちがどのような動機で主に仕えているかということです。聖霊によって心の深いところにある動機を探っていただく必要があります。そして、純粋に主に従う者でありたいですね。

 

それでモーセはどうしたでしょうか。20~32節をご覧ください。「20 モーセは彼らに言った。「もしあなたがたがそのことを実行するなら、すなわち、もし主の前で戦いのために武装し、21 あなたがたのうちの武装した者がみな主の前でヨルダン川を渡り、ついに主がその敵を御前から追い払い、22 その地が主の前に征服され、その後であなたがたが帰って来るなら、あなたがたは主に対してもイスラエルに対しても責任を解かれる。そして、この地は主の前であなたがたの所有地となる。23 しかし、もしそのように行わないなら、そのとき、あなたがたは主の前に罪ある者となり、自分たちの身に降りかかる罪の罰を思い知ることになる。24 あなたがたは、自分の子どもたちのために町々を建て、自分の羊のために囲い場を作るがよい。自分の口から出たことを実行しなさい。」25 ガド族とルベン族はモーセに答えた。「しもべどもは、あなたが命じられるとおりにします。26 私たちの子どもたちや妻たち、家畜とすべての動物は、あそこ、ギルアデの町々にとどまります。27 しかし、しもべども、戦のために武装した者はみな、あなたがおっしゃるとおり、渡って行って、主の前で戦います。」28 そこで、モーセは彼らについて、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、イスラエルの諸部族の一族のかしらたちに命令を下した。29 モーセは彼らに言った。「もし、ガド族とルベン族の、戦いのために武装した者がみな、あなたがたとともにヨルダン川を渡り、主の前で戦い、その地があなたがたの前に征服されたなら、あなたがたはギルアデの地を所有地として彼らに与えなさい。30 しかし、もし彼らが武装してあなたがたとともに渡って行かなければ、彼らはカナンの地であなたがたの間に所有地を得なければならない。」31 ガド族とルベン族は答えた。「主があなたのしもべたちに語られたことを、私たちは実行いたします。32 私たちは武装して主の前にカナンの地に渡って行き、私たちの相続の所有地を、このヨルダンの川向こうとします。」」

 

それでモーセは、もし彼らが主の前に戦いの武装をし、ヨルダン川を渡って、その敵を御前から追い払い、その地が主の前に征服された後に帰るのであればいいと、彼らの申し出を受け入れました。これはどういうことでしょうか。なぜモーセは彼らの申し出を受け入れたのでしょうか。はっきりした理由はわかりません。しかし、20~23節に何回も繰り返して使われていることばがあります。それは「主の前に」ということばです。

「もしあなたがたがそのことを実行するなら、すなわち、もし主の前で戦いのために武装し、あなたがたのうちに武装した者がみな主の前でヨルダン川を渡り、・・・その地が主の前に征服され、・・・そして、この地は主の前であなたがたの所有地となる。しかし、もしそのようなことを行わないなら、そのとき、あなたがたは主の前に罪ある者となり、・・・」

つまり、彼らが「主の前に」どうであるかが問われていたのです。その主にすべてをゆだねたのです。

私たちもイスラエルのように、自分に都合がいいように考え、自分に都合がいいように行動するような者ですが、最終的に「主の前に」どうなのかが問われているのです。

 

Ⅲ.新しい名を付けたガド族とルベン族 (33-42)

 

その結果どうなったでしょうか。33~42節をご覧ください。「33 そこでモーセは、ガド族と、ルベン族と、ヨセフの子マナセの半部族に、アモリ人の王シホンの王国とバシャンの王オグの王国、すなわち町々がある地と、周辺の地の町々がある領土を与えた。34 そこでガド族は、ディボン、アタロテ、アロエル、35 アテロテ・ショファン、ヤゼル、ヨグボハ、36 ベテ・ニムラ、ベテ・ハランを城壁のある町々として、または羊の囲い場として建て直した。37 また、ルベン族は、ヘシュボン、エルアレ、キルヤタイム、38 および、後に名を改められたネボとバアル・メオン、またシブマを建て直した。彼らは、建て直した町々に新しい名をつけた。39 マナセの子マキルの子らはギルアデに行って、そこを攻め取り、そこにいたアモリ人を追い出した。40 モーセがギルアデをマナセの子マキルに与えたので、彼はそこに住んだ。41 マナセの子ヤイルは行って、彼らの町々を攻め取り、それらをハボテ・ヤイルと名づけた。42 ノバフは行って、ケナテとそれに属する村々を攻め取り、自分の名にちなんで、それをノバフと名づけた。」

 ここに、ヨセフの子マナセの半部族も加わっていることがわかります。モーセは、ガド族とルベン族とマナセの半部族とに、エモリ人の王シホンの王国と、バシャンの王オグの王国、すなわちその町々のある国と、周辺の地の町々のある領土を与えました。彼らは自分たちのために町を建て、その建て直した町々に新しい名をつけましたが、それはすべて自分たちの名前にちなんでつけました。神ではなく自分の名前です。ここに彼らの本心が表れています。主のみこころを求めるのではなく、自分のことで満足しているとしたら、結局それは自分自身を求めていることになります。

 

そうした自分中心の信仰には、やがて必ず主のさばきがあることを覚えておかなければなりません。彼らはモーセに約束したように、確かにヨルダン川を渡って、他の部族とともに戦いました。そして、ヨルダン川の東側を自分たちの所有としました。しかし、その後どうなったでしょうか。イスラエルがカナンを占領して後、ダビデ王による統一王国となりますが、その後、国は二分され(B.C.931)、ついにアッシリヤ帝国によって滅ぼされることになります(B.C.722)。その時最初に滅ぼされたのがガド族とルベン族でした。彼らはイスラエル12部族の中で最初に捕囚の民となったのです。そして主イエスの時代には、そこはデカポリスという異邦人の地になっていました。マルコの福音書5章には、イエスがゲラサ人の地に行ったときそこで汚れた霊につかれた人から霊を追い出し、それを豚に乗り移させたという記事がありますが、それがこのデカポリス地方、ゲラサ人の地、ガダラ人の地だったのです。この「ガダラ人の地」とはガド族の人々の土地という意味で、そこには悪霊がたくさんいました。そこはユダヤ人が豚を飼うほど異教化していたのです。

 

ですから、私たちの信仰生活においても、自分の満足を求めるだけで神のみこころに歩もうとしなければ、このガド族やルベン族が歩んだのと同じ道をたどることになります。そのことを覚えて、ますます主のみこころに歩んでいきたいと思います。

民数記31章

きょうは民数記31章から学びます。

Ⅰ.主の復讐(1-24)

まず、1~24節までをご覧ください。「1 主はモーセに告げられた。2 「あなたは、イスラエルの子らのために、ミディアン人に復讐を果たせ。その後で、あなたは自分の民に加えられる。」3 そこでモーセは民に告げた。「あなたがたのうち、男たちは戦のために武装せよ。ミディアン人を襲って、ミディアン人に主の復讐をするためである。4 イスラエルのすべての部族から、部族ごとに千人を戦に送らなければならない。」5 それで、イスラエルの分団から、部族ごとに千人、すなわち、合計一万二千人の、戦のために武装した者たちが選ばれた。6 モーセは部族ごとに千人を戦に送った。また彼らとともに、祭司エルアザルの子ピネハスを、聖なる用具と吹き鳴らすラッパをその手に持たせて、戦に送り出した。7 彼らは主がモーセに命じられたとおりに、ミディアン人に戦いを挑み、その男子をすべて殺した。8 その殺された者のほかに、彼らはミディアンの王たち、すなわち、エウィ、レケム、ツル、フル、レバの五人のミディアンの王たちを殺した。また、ベオルの子バラムを剣で殺した。9 イスラエル人は、ミディアン人の女たちと子どもたちを捕らえ、またその動物、家畜、財産をことごとく奪い取り、10 彼らの居住していた町々や陣営をすべて火で焼いた。11 そして人でも動物でも、略奪したものや分捕ったものすべてを取り、12 エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原の宿営にいる、モーセと祭司エルアザルとイスラエルの会衆のところに、その捕虜や分捕り物、略奪品を携えてやって来た。13 モーセと祭司エルアザル、およびすべての会衆の上に立つ族長たちは出て行って、宿営の外で彼らを迎えた。14 モーセは、軍勢の指揮官たち、すなわち戦いの任務から戻って来た千人の長や百人の長たちに対して激怒した。15 モーセは彼らに言った。「女たちをみな生かしておいたのか。16 よく聞け。この女たちが、バラムの事件の折に、ペオルの事件に関連してイスラエルの子らをそそのかし、主を冒?させたのだ。それで主の罰が主の会衆の上に下ったのだ。17 今、子どもたちのうちの男子をみな殺せ。男と寝て男を知っている女もみな殺せ。18 男と寝ることを知らない若い娘たちはみな、あなたがたのために生かしておけ。19 あなたがたは七日間、宿営の外にとどまれ。あなたがたでも、あなたがたの捕虜でも、人を殺した者、あるいは刺し殺された者に触れた者はだれでも、三日目と七日目に身の汚れを除かなければならない。20 衣服、皮製品、やぎの毛で作ったもの、木製品はすべて汚れを除かなければならない。」21 祭司エルアザルは、戦いに行った兵士たちに言った。「主がモーセに命じられたおしえの掟は次のとおりである。22 ただ、金、銀、青銅、鉄、すず、鉛など、23 すべて火に耐えるものは、火の中を通せば、きよくなる。ただし、それは汚れを除く水で汚れを除かなければならない。火に耐えないものはみな、水の中を通さなければならない。24 また、あなたがたは七日目に自分の衣服を洗うなら、きよくなる。その後で、宿営に入ることができる。」」

 

この31章は、26章から続く約束の地に入る備えが語られています。1節から3節には、主がモーにミディアン人に復讐するようにと命じておられます。その後彼は彼らの民に加えられます。つまり、その後でモーセは死んで、先祖たちの墓に加えられるということです。いわば、これがモーセの最後の務めであったわけです。これから約束の地に入ろうとしていたイスラエルに、いったいなぜこのようなことが命じられたのでしょうか。

 

その背景には、25章の出来事がかかわっています。25:1には、イスラエルがシティムにとどまっていた時、モアブの女たちと淫らなことをしたことが記録されています。これは偽りの預言者バラムの助言によってモアブの王バラクがモアブの女たちをイスラエルの宿営に送り、彼らと不品行を行わせることで、偶像礼拝の罪を犯させました。そのためイスラエルに神罰が下り、イスラエル人2万4千人が死にました。この時のモアブの女たちこそ、モアブにいたミディアンの女たちです。このことは主を大いに怒らせたので、主ご自身がミディアン人を襲って復讐すると言われたのです。ですからこれは個人的な恨みではなく、神ご自身の復讐でした。

 

4節をご覧ください。このために主はイスラエルのすべての部族から、一部族ごとに千人ずつを戦いに送るようにと命じました。そして祭司エルアザルの子ピネハスを、聖具と吹き鳴らすラッパをその手に持たせて、彼らとともに戦いに送りました。それはこの戦いが単なる軍事的な戦いではなく、主の聖なる戦い、聖戦であったからです。彼らは、主がモーセに命じられたとおりミディアン人と戦って、ミディアン人の男子をすべて殺しました。また、その他にミディアン人の5人の王たち、エウィ、レケム、ツル、フル、レバを殺しました。そして、この事件の張本人であったベオルの子バラムを剣で殺しました。また、ミディアン人の女と子どもたちを捕らえ、その獣や、家畜や、その財産をことごとく奪い取り、彼らの住んでいた町々や陣営を全部火で焼き払いました。そして、略奪したものや分捕ったものをすべて取り、エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原の宿営にいるモーセと祭司エルアザルとイスラエル人の会衆のところに帰って来ました。

 

するとどうでしょう。宿営の外で彼らを出迎えたモーセは、戦いの任務から帰って来た千人の長や百人の長たちに対して激怒しました(14)。なぜでしょうか?女たちを生かしておいたからです。通常の戦いであれば、捕虜として捕えた女や子どもたちは生かしておきますが、今回の事件はそういうわけにはいきません。なぜなら、イスラエルに偶像礼拝がもたらされたのは、その女たちが原因であったからです。その原因となったものを徹底的に取り除くことを求められたのです。

 

主イエスは山上の説教の中でこのように言われました。「もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。」(マタイ5:29-30)

信仰のつまずきとなるものがあれば、それを取り除かなければならないということです。それなのに彼らは、その女たちを生かしておきました。それでモーセは激怒したのです。それで、男子はもちろんのこと、男と寝て男を知っている女もみな殺さなければなりませんでした。ただ男と寝ることを知らない若い娘たちだけを生かしておきました。罪のきよめの期間は七日間です。ミディアン人を殺した者たち、あるいは捕虜でも、だれでも、人を殺した者、あるいはその死体に触れた者はみな、三日目と七日目に身をきよめなければなりませんでした。火に耐えるものは火できよめ、耐えられないものは水によってきよめました。

 

Ⅱ.分捕り物の分配(25-47)

 

次に、25~47節をご覧ください。「25 主はモーセに言われた。26 「あなたと祭司エルアザル、および会衆の氏族のかしらたちは、人でも家畜でも捕らえて分捕ったものの総数を調べ、27 その分捕ったものを、戦に出た者たちと全会衆の間で二分せよ。28 戦に出た戦士たちからは、人、牛、ろば、羊の中からそれぞれ五百のうち一を、主への貢ぎとして徴収せよ。29 彼らが受けるその半分の中から取って、主への奉納物として祭司エルアザルに渡さなければならない。30 イスラエルの子らが受けるもう半分の中から、人、また牛、ろば、羊、それぞれの家畜から、それぞれ五十のうち一を取り出して、主の幕屋の任務に当たるレビ人に与えなければならない。」31 そこでモーセと祭司エルアザルは、主がモーセに命じられたとおりに行った。32 従軍した人たちが奪った戦利品を除く分捕り物は、羊六十七万五千匹、33 牛七万二千頭、34 ろば六万一千頭、35 人は、男と寝ることを知らない女が全部で三万二千人であった。36 この半分が戦に出た者たちの分け前で、羊の数は三十三万七千五百匹。37 その羊のうちから主への貢ぎは六百七十五匹。38 牛は三万六千頭で、そのうちから主への貢ぎは七十二頭。39 ろばは三万五百頭で、そのうちから主への貢ぎは六十一頭。40 人は一万六千人で、そのうちから主への貢ぎは三十二人であった。41 モーセは、主がモーセに命じられたとおりに、その貢ぎ、すなわち、主への奉納物を祭司エルアザルに渡した。42 モーセが戦に出た者たちに折半して与えた残り、すなわち、イスラエルの子らのものであるもう半分、43 すなわち会衆のものであるもう半分は、羊三十三万七千五百匹、44 牛三万六千頭、45 ろば三万五百頭、46 人は一万六千人であった。47 モーセは、イスラエルの子らのものであるもう半分から、人も家畜も、それぞれ五十のうち一を取り出して、主がモーセに命じられたとおりに、主の幕屋の任務に当たるレビ人に与えた。」

 

 すべてのきよめをした後で、捕虜として分捕ったものは、戦に出た兵士たちと、イスラエルの全会衆との間で二分されました。そのように二分されたもののうち、戦に出た戦士たちから、五百のうちの一つを主のための貢ぎとして徴収し、それを祭司エルアザルに渡さなければなりませんでした。また、イスラエルの民からは五十のうちの一つを貢ぎとし、主への奉納物としてレビ人に与えなければなりませんでした。それは農耕による収穫物だけでなく、戦いで略奪した物もすべてでした。祭司とレビ人が受けるためです。レビ人の取り分が祭司の取り分よりも多いのは、それだけ人数が多かったからでしょう。主はこのようにして、神に仕える者たちもちゃんと受けられるように配慮されたのです。一般には忘れられがちな彼らのことも、主はちゃんと覚えておられたのです。

 

 さて、彼らが略奪した戦利品を見てみましょう。ものすごい量です。羊が70万頭近く、他の家畜も万単位です。そして男と寝ることを知らない女も全部で3万2千人いました。主の怒りと復讐が、いかに大きかったかを物語っています。そして、これらのものが、軍人と会衆との間で二分されました。

 

 Ⅲ.指揮官たちのささげ物(48-54)

 

最後に、48節から終わりまでを見たいと思います。「48 すると、軍団の指揮官たち、すなわち千人の長、百人の長たちがモーセのもとに進み出て、49 モーセに言った。「しもべどもは、部下の戦士たちの総数を数えました。私たちのうち一人も欠けていません。50 それで、私たちは、各自が手に入れた金の飾り物、すなわち腕飾り、腕輪、指輪、耳輪、首飾りなどを主へのささげ物として持って来ました。主の前で私たち自身のための宥めとしたいのです。」51 モーセと祭司エルアザルは、彼らから金を受け取った。それはあらゆる種類の細工を施した物であった。52 千人の長や百人の長たちが主に献げた奉納物の金は、全部で一万六千七百五十シェケルであった。53 従軍した人たちは、それぞれ、戦利品を自分のものとした。54 モーセと祭司エルアザルは、千人の長や百人の長たちから金を受け取り、それを会見の天幕に持って行き、主の前における、イスラエルの子らのための記念とした。」

 すると、軍団の指揮官たちはモーセのもとに進み出て、自分たちが手に入れた金の飾り物などを持って来て、それを主の前で、自分たち自身の贖いとしたいと申し出ました。どういうことでしょうか?彼らはミディアンという大敵に対して、わずか1万2千人の兵で戦い、しかもイスラエルの側にはただの一人の犠牲者も出なかったことを、主に心から感謝しているのです。それは主の特別な助けと守りがなければあり得ないことでした。それはまさに主の戦いだったのです。そのことを実際に体験して、自分たちが得た戦利品は自分たちのものではなく主のものであると、自分たちの贖いの代価として、その一部を主にささげたのです。

 

モーセと祭司エルアザルは、彼らからのささげ物を喜んで受け取りました。それらの金は装飾品だったので、あらゆる種類の細工が施されていました。その重さは全部で1万6千7百50シェケルでした。1シェケルが11.4gですから、その総数は180キログラムとなります。莫大な量でした。それほど彼らは圧倒的な主の力を体験したのです。モーセと祭司エリアザルはそれを天幕に持って行き、主の前に、イスラエル人のための記念としました。この驚くべきすばらしい主の助けと救いを記念するものとして、これらの金を会見の天幕の主の前に納めたのです。

 

あなたは、彼らのように、主の圧倒的な救いと助けを経験しているでしょうか。自分たちの側には全く犠牲者が出ず、これだけの戦利品を手に入れることができたのは、ただ神の驚くべき御業によります。私たちの信じている神はこのようなお方なのです。そして、私たちはいつか主がこの地上に再臨されるそのとき、このことを目の当たりにするでしょう。そのことがコロサイ人への手紙2:13~15までのところに記されてあります。「それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。」

その時、神は初めに人を造られた時に与えられたものを、そして罪によって失われたものを奪還してくださいます。そして、それらを捕虜として凱旋の行列に加えてくださるのです。これが私たちの信じている神であり、やがて世の終わりに行われることです。その勝利の凱旋の中に、私たちも含まれているのです。このすばらしい神の救いと力ある御業を覚え、私たちも神に感謝して、喜びと真心をもって主に自分自身をささげていく者でありたいと思います。

 

民数記30章

きょうは民数記30章から学びます。

 

Ⅰ.自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない(1-2)

 

まず、1~2節をご覧ください。「1 モーセはイスラエルの諸部族のかしらたちに告げた。「これは主が命じられたことである。2 男が主に誓願をするか、あるいは、物断ちをしようと誓う場合には、自分のことばを破ってはならない。すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。」

 

これは、モーセがイスラエル人の諸部族のかしらたちに告げたことばです。モーセは28章と29章において、イスラエルが約束の地に入ってからささげるいけにえの規定について語りましたが、ここでも同様に、イスラエルが約束の地に入ってからどのように生きるべきなのかについて語っています。それがこの誓願に関する教えです。

 

この「誓願」について、新聖書注解は、次のように解説しています。「「主に対する誓願」とは、文字通り宗教的なものであって、この際は、人間同士の誓約のことではなく、あくまでも神に対するものである。主に対する誓願には二種類あって、その第一は、何かを、自ら進んで主にささげるという誓願で、その有名な例はエフタの誓願(士師記11:30.31)である。その第二は、長短の差こそあれ、ある一定期間、ある事をしないとか、あるものを口に入れないことを誓う誓いで、「物断ち」という形のものである。例えば、その期間ぶどうの実も、それから造った酒類も口にしないとか、頭にかみそりを当てない(ナジル人の誓願、→民数記6章)とか、食物を食べない(1サムエル14:24)とかに見られる例である。誓願をしないことは罪ではないが、一度誓願を立てたからには、それを主に対して、遅滞なく果たさなければならないのが原則である(申命記23:21-23)。」(抜粋)とあります。

つまり、「誓願」とは主のために「この期間、これこれのことをします」と誓願をして行うことと、逆に、主のために「この期間、これこれのことをしません」と誓う「物断ち」の二種類の誓願があったのです。すなわち、「誓願」とは積極的に何かをすることであるのに対して、「物断ち」とは積極的に何かをしないことです。

 

こうした誓願や物断ちは、主がとても尊ばれることでした。主のためにこれをするとか、これをしないといった意志や決意を、主が喜ばれるからです。しかし、そのように誓ったならば、それを果たさなければなりません。すべて自分の口から出たことは、そのとおりに実行しなければならなかったのです。誓ったのにそれを果たさないということがあれば、それは主に喜ばれることではありません。それゆえ、主に誓ったことは取り消すことができませんでした。新約聖書には、「誓ってはならない」と戒められていますが、それは、無責任に誓ってはならないということです。誓願、決意、志はとても尊いものですが、そのように誓ったならば、必ずそれを果たさなければなりません。果たさせない誓いはするなというのが、主が戒めておられたことだったのです。

 

Ⅱ.誓願の責任(3-16)

 

それでは、この誓願について主はどのように教えておられるでしょうか。3節から16節までをご覧ください。「3 女が若くてまだ父の家にいるときに、主に誓願をするか、あるいは物断ちをする場合には、4 その父が彼女の誓願、あるいは物断ちを聞いて、彼女に何も言わなければ、彼女のすべての誓願は有効となる。彼女の物断ちもすべて有効となる。5 しかし、もし父がそれを聞いた日に彼女に反対するなら、彼女の誓願、あるいは物断ちはすべて無効としなければならない。彼女の父が彼女に反対するのであるから、主は彼女を赦される。6 もし彼女が、自分の誓願、あるいは物断ちをしようと軽率に言ったことが、まだその身にかかっているうちに嫁ぐ場合には、7 夫がそれを聞き、聞いた日に彼女に何も言わなければ、彼女の誓願は有効である。彼女の物断ちも有効となる。8 もし夫がそれを聞いた日に彼女に反対すれば、夫は、彼女がかけている誓願や、物断ちをしようと軽率に言ったことを破棄することになる。そして主は彼女を赦される。9 しかし、やもめや離縁された女の誓願については、すべての物断ちが当人に対して有効となる。10 もし女が夫の家で誓願をするか、あるいは、誓って物断ちをする場合には、11 夫がそれを聞いて、彼女に何も言わず、反対しないなら、彼女の誓願はすべて有効となる。彼女の物断ちもすべて有効となる。12 もし夫が、そのことを聞いた日にそれらを破棄してしまうなら、その誓願も物断ちも、彼女の口から出たすべてのことは無効となる。彼女の夫がそれを破棄したのだから、主は彼女を赦される。13 すべての誓願も、自らを戒めるための物断ちの誓いもみな、夫がそれを有効にすることができるし、それを破棄することもできる。14 もし夫が日々、その妻に全く何も言わなければ、夫は彼女のすべての誓願、あるいは、すべての物断ちを有効にする。夫がそれを聞いた日に彼女に何も言わなかったのだから、彼はそれを有効にしたのである。15 もし夫がそれを聞いた後、それを破棄するなら、夫が彼女の咎を負う。」16 これらは、夫とその妻との間、父とまだ父の家にいる若い娘の間とに関して、主がモーセに命じられた掟である。」

 

ここで教えられている規定によると、女性の父親が女性の立てた誓願の責任を負うということです。たとえば、若い女が主に誓願をするか、あるいは物断ちをする場合には、その父親が彼女の誓願、あるいは物断ちを聞いて、彼女に何も言わなければ、彼女のすべての誓願は有効となりましたが、もし彼女に反対するなら、それはすべて無効になりました。もし彼女が誓願、あるいは物断ちをしようと軽率に言ったことが、まだその身にかかっているうちに嫁ぐ場合は、彼女の夫がそれを聞いて、彼女に何も言わなければ彼女の誓願、あるいは物断ちは有効でしたが、夫がそれを聞いて反対すれば、彼女の誓願と物断ちは破棄されました。ただし父親や夫が娘または妻の誓願を無効にすることができたのは、それを聞いた最初の日、すなわち、誓願を立てた最初の日に限られていました。

9節にはやもめや離縁された女の誓願について言及されていますが、それはすべて有効となりました。神へのどんな誓いも果たさなければならなかったのです。

 

これらのことから、どんなことが言えるでしょうか。ここで、この誓願を立てている人に注目してください。すなわち、ここで誓願を立てている人は全て女性です。この30章では、誓願の中でも女性が立てる誓願について語られているのです。つまり、イスラエル全体は最小単位である夫婦なり家族から始まり、それが氏族、部族、そしてイスラエルの家全体へと広がっているということです。イスラエルは、それぞれの部族が共同体を形成しており、それぞれが一つになって物事を管理していかなければなりませんでした。その最小単位が夫婦であり家族だったのです。その夫婦や家族がどうあるべきなのかが教えられているのです。それが民全体へと波及していきました。

 

このことは、イスラエルの民族に限らず神の家族である教会にも言えることです。たとえば、Ⅰテモテ3:4~5には教会の監督の資格について語られていますが、その一つとしてあげられていることは自分の家庭をよく治めている人であるということです。「自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもたちも従わせている人です。自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう。」

教会のことについて教えられているのに、なぜ自分の家庭のことに言及されているのか。それは家庭が教会の最小単位だからです。それが地域教会、さらには神の国全体へと広がっていくからなのです。ですから家庭が、とりわけ夫婦がどのようにあるべきなのかはとても重要なことなのです。それは教会だけでなくこの社会全体にも言えることです。それぞれの夫婦、家庭がどうあるべきなのかが、その鍵を握っているのです。

 

では家族はどうあるべきなのでしょうか。ここにはその秩序が教えられています。すなわち、家族のリーダーは父親であり、夫婦のリーダーは夫であり、その権威に従わなければならないということです。それは父親が必ずしも正しいという意味ではありません。また夫が必ずしも正しいということではありません。それは神が立てた秩序であって、その秩序に従って歩むことが、家族が神の祝福の中で平和に過ごすことができる原則であると聖書は教えています。家の中で、もしある人が一つのことを決意して、他の人が別のことを決意して、その両方を同時に行なうことができないのであれば、どちらかを破棄しなければいけません。そこで、今読んだような定めがあるのです。娘が誓願を立てても父親がそれは良くないと判断したならば、その誓願を破棄しなければなりません。けれども、娘が誓願を立てた日に、それを禁じなければ、その誓願は有効としなければなりません。それは神の家族である教会にも言えることです。神は家族としての教会に指導者を立ててくださいました。使徒、預言者、伝道者、牧師、教師です。それは聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全に大人になって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです(エペソ4:10-13)。それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがないためです。ですから、教会にこうした指導者が与えられていることは本当に感謝なことなのです。もし指導者がいなかったらどうなってしまうでしょうか。教会がまとまることはありません。各自、自分が思うことを主張するようになり、やりたいことをするので決してまとまらないのです。ですから、牧師がいない教会は大変なのです。日本の無牧といって、牧師のいない教会がありますが、かなり大変だと思います。牧師のための謝儀が必要ないし、牧師からも指示されることがないので自由でいいという面はありますが、どこに向かって行ったらいいのかわからないので、迷える子羊のように、食べ物に与ることができずやがて死んでしまうことになります。それは不幸なことなのです。ですから、神の家族である教会には年齢や性別、育った環境、置かれている状況など多種多様な人たちが集まっていますが、そうした中にあっても聖書の教えに従い、秩序を重んじて、行動することが求められているのです。

 

それは、女だから口を出すなということはありません。黙っていればいいのね、黙っていれば・・ということでもないのです。女性であっても志を立てることはすばらしいことです。しかし、それが家族全体にとってどうなのかをよく吟味しなければなりません。それがどんなに良いことでも指導者の意見を聞き、その指導に従わなければならないのです。

 

また、男は、怒ったり言い争ったりせず、聖い手を上げて祈らなければなりません。そうすれば、妻や子どもに対してどうあるべきかが見えてくるでしょう。つまり、自分が家の主だかと言って傲慢にふるまうのではなく、自分の妻や娘の意見をよく聞いて判断しなければならないということです。自分の妻が今何を考え、何を行なっているのかを見て、聞いて、彼女の意志を尊重しなければならないのです。ペテロは、「夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐものとして尊敬しなさい。」(Ⅰペテロ3:7)と勧めていますが、このことをわきまえて、妻とともに生活することが求められているのです。つまりキリストが夫婦の関係に求めた愛と服従の関係が、神の家族である教会の中でも、さらにありとあらゆる関係の中に求められているのです。

民数記29章

民数記29章

 

きょうは民数記29章から学びます。

 

Ⅰ.ラッパが吹き鳴らされる日(1-11)

 

まず、1~11節をご覧ください。「1 第七の月には、その月の一日に聖なる会合を開かなければならない。あなたがたは、いかなる労働もしてはならない。これを、あなたがたにとって角笛が吹き鳴らされる日としなければならない。2 あなたがたは、次のものを献げよ。主への芳ばしい香りとして、全焼のささげ物、すなわち、若い雄牛一頭、雄羊一匹、傷のない一歳の雄の子羊七匹。3 それに添える穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一匹につき十分の二エパ、4 七匹の子羊については、一匹につき十分の一エパ。5 また、あなたがたのために宥めを行うには、罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。6 これとは別に、新月祭の全焼のささげ物とその穀物のささげ物、常供の全焼のささげ物とその穀物のささげ物、および、それらに添える注ぎのささげ物、すなわち、規定による、主への食物のささげ物、芳ばしい香り。7 この第七の月の十日には、あなたがたは聖なる会合を開き、自らを戒めなければならない。いかなる仕事もしてはならない。8 あなたがたは、主への芳ばしい香りとして、全焼のささげ物、すなわち、若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊七匹を献げよ。それらはあなたがたにとって傷のないものでなければならない。9 それに添える穀物のささげ物については、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一匹につき十分の二エパとする。10 七匹の子羊については、一匹につき十分の一エパ。11 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、宥めのための罪のきよめのささげ物、常供の全焼のささげ物とそれに添える穀物のささげ物、および、それらに添える注ぎのささげ物とは別である。」

 

28章から、イスラエルの民が約束の地に入ってささげなければならないささげものの規定が記されてあります。これはすでに以前にも語られたことですが、ここでもう一度取り上げられているのは、新しい世代となったイスラエルの民が、約束の地に入ってからも忘れることがないためです。28章では常供のいけにえの他に、新月ごとにささげられるいけにえ、そして春の祭り、すなわち過ぎ越しの祭り、種なしパンの祭り、初穂の祭り、七週の祭りにおいてささげられるべきものについて語られました。この29章では、その例祭の続きですが、ここでは秋の祭りにおいてささげられるいけにえについて教えられています。それはラッパの祭り、贖いの日、仮庵の祭りの三つです。そしてこれらの祭りは何を指し示していたのかというと、キリストの再臨とそれに伴う解放、そしてそれに続く千年王国です。そのときにささげられるいけにえを表しています。

 

1節を見ると、第七の月の一日には聖なる会合を開かなければならないとあります。イスラエルには祭りが全部で七つありますが、それは過ぎ越しの祭りからスタートしました。なぜ過ぎ越しの祭りなのでしょうか。それは前回も触れたように、過ぎ越しの祭りが贖いを表していたからです。私たちの信仰のスタートは過ぎ越しの祭り、すなわち、キリストの十字架の贖いからスタートしなければなりません。そしてその年の七月の月の一日には、角笛(ラッパ)ガ吹き鳴らされると日としなければなりませんでした。これは何を表しているのかというと、キリストの再臨です。Ⅰテサロニケ4章16節には、「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下ってこられます。」とあります。神のラッパが吹き鳴らされるとき、キリストが天から下って来られます。その時にも、同じように全焼のいけにえがささげられます。

 

7節には、「この第七の月の十日には、あなたがたは聖なる会合を開き、自らを戒めなければならない。いかなる仕事もしてはならない。」とあります。この日は贖罪日(ヨム・キプール、レビ記23:26~32)と言って、年に一度大祭司が至聖所に入って行き、イスラエルの民のために贖いをすることになっていました。この日は戒め、すなわち、断食をしなければなりません。そして、全焼のいけにえと穀物のささげもの、注ぎのささげものをささげなければなりませんでした。

 

ラッパを吹き鳴らされる日、キリストは教会のために再臨されます。そして、キリストにある者が一瞬のうちに空中に引き上げられ、空中で主と会うのです。まずキリストにある死者がよみがえり、次に、キリストを信じて生き残っている人々です。彼らはいっしょに引き上げられ、雲に包まれ、空中で主と会うのです。こうして彼らは、いつまでも主とともにいるようになるのです(Ⅰテサロニケ4:16)。

その一方でイスラエル人はどうなるのかというと、キリストにある者たちが空中に引き上げられると、主はオリーブ山に下りて来られます。その時この地上は患難時代を迎え、イスラエルはこれまでにないほどの苦難を受けますが、イスラエルのために戦ってくださるので、イスラエルの多くがイエスこそ待ち望んでいたメシヤ、キリストであることを知り、悔い改めのです。それが贖罪日です。このときイスラエルの贖いが完成します。これがローマ人への手紙9~11章で言われていることです。

ですから、これはキリストの再臨と、それに続くイスラエルの悔い改めのことを預言していたのです。

 

Ⅱ.仮庵の祭り(12)

 

次に12節をご覧ください。ここには、仮庵の祭りにおいてささげられるいけにえについて記されてあります。「12 第七の月の十五日には、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。いかなる労働もしてはならない。あなたがたは七日間、主の祭りを祝え。」

 

仮庵の祭りはもともと、イスラエルが約束の地に入るまで、神が彼らを守ってくださったことを祝う祭りです。この期間中、彼らは仮庵の中に住み、イスラエルを守られた神のことを思い起こしました。けれども、ここにも預言的な意味があります。主が再び来られ、そして神の国を立てられ、この地上に至福の千年王国を樹立されるのです。仮庵の祭りは、この千年王国を指し示していたのです。この祭りでは、一日ごとにたくさんのいけにえがささげられます。

 

Ⅲ.仮庵の祭りでささげるいけにえ(13-40)

 

それが13節から終わりまで記されてあることです。 「13 あなたがたは、主への芳ばしい香り、食物のささげ物として、全焼のささげ物、すなわち、若い雄牛十三頭、雄羊二匹、一歳の雄の子羊十四匹を献げよ。これらは傷のないものでなければならない。14 それに添える穀物のささげ物としては、油を混ぜた小麦粉を、雄牛十三頭については雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊二匹については雄羊一匹につき十分の二エパ、15 子羊十四匹については子羊一匹につき十分の一エパとする。16 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。17 二日目には、若い雄牛十二頭、雄羊二匹、傷のない一歳の雄の子羊十四匹、18 および、それらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物。19 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。20 三日目には、雄牛十一頭、雄羊二匹、傷のない一歳の雄の子羊十四匹、21 および、それらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物。22 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。23 四日目には、雄牛十頭、雄羊二匹、傷のない一歳の雄の子羊十四匹、24 および、それらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物。25 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。26 五日目には、雄牛九頭、雄羊二匹、傷のない一歳の雄の子羊十四匹、27 および、それらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物。28 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。29 六日目には、雄牛八頭、雄羊二匹、傷のない一歳の雄の子羊十四匹、30 および、それらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物。31 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。32 七日目には、雄牛七頭、雄羊二匹、傷のない一歳の雄の子羊十四匹、33 および、それらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物。34 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。35 八日目に、あなたがたはきよめの集会を開かなければならない。いかなる労働もしてはならない。36 あなたがたは、主への芳ばしい香り、食物のささげ物として、全焼のささげ物、すなわち、雄牛一頭、雄羊一匹、傷のない一歳の雄の子羊七匹を献げよ。37 それらの雄牛、雄羊、子羊のための、穀物のささげ物と注ぎのささげ物の数量は規定どおりである。38 さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。39 あなたがたは、あなたがたの例祭に、それらのものを主に献げなければならない。それらは、あなたがたの誓願のささげ物、または進んで献げるものとしての全焼のささげ物、穀物のささげ物、注ぎのささげ物および交わりのいけにえとは別である。」40 モーセは、主がモーセに命じられたとおりを、イスラエルの子らに告げた。」

最初の日に全焼のいけにえとして雄牛13頭ささげられますが、二日目になると12頭になります(17)。そして七日目には7頭になります(32)。これは、最後の7に合わせて調整していたのかもしれません。35節を見ると、8日目には「きよめの集会」を開かなければならないとあります。仮庵の祭りの初めの七日間は、祭司が水を流して、ハレル詩篇を歌います。けれども8日目には水を流しません。荒野の生活を終えてすでに約束の地に入ったからです。約束の地に入り、そこで神が与えてくださるすべての恵みを享受することができたからです。

 

ヨハネの福音書7章37節には「さて、祭りの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の腹から、生ける水の川が流れ出るようになる。」とありますが、この「祭りの終わりの大いなる日」が、この仮庵の祭りの8日目のことです。この大いなる日に、イエスは立って、このように言われたのです。この「生ける水の川」とは、聖霊のことを指しています。キリストを信じる者には、生ける水の川が流れ出るようになります。イエスを信じた瞬間に神の聖霊が注がれ、神の恵みが注がれます。そしてやがてキリストが樹立する千年王国において、この約束が完全に成就するのです。

 

こうして仮庵の祭りには、いけにえがいつもよりも数多くささげられます。なぜでしょうか。それは仮庵の祭りが神の国を表しているからです。神の国では多くのいけにえがささげられます。つまり、神の国では絶え間なく礼拝がささげられるのです。この地上においても私たちは共に集まり主を礼拝していますが、やがてもたらされる栄光の神の国では毎日神に礼拝がささげられるのです。黙示録7章には神に贖われた神の民の姿が描かれていますが、そこにはこうあります。「9 その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。10 彼らは大声で叫んだ。「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある。」11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物の周りに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を礼拝して言った。12 「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、私たちの神に世々限りなくあるように。アーメン。」13 すると、長老の一人が私に話しかけて、「この白い衣を身にまとった人たちはだれですか。どこから来たのですか」と言った。14 そこで私が「私の主よ、あなたこそご存じです」と言うと、長老は私に言った。「この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです。15 それゆえ、彼らは神の御座の前にあって、昼も夜もその神殿で神に仕えている。御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られる。16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も、彼らを襲うことはない。17 御座の中央におられる子羊が彼らを牧し、いのちの水の泉に導かれる。また、神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」」彼らは、神と小羊との前に立って、大声で叫んでこういうのです。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にあり。」「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」

 

天国は、絶え間なく神への礼拝がささげられるところなのです。ですから、礼拝したくないという人は天国に入ることはできません。入っても苦痛に感じるからです。けれども、神に贖われたクリスチャンにとってはそうではありません。神に与えられた聖霊によって、喜びと感謝をもって私たちの救い主なる神に感謝し、賛美をささげるようになります。私たちの持っているすべてをもって神をほめたたえるのです。それがやがて来る神の国で私たちが行うことなのです。仮庵の祭りでそれほど多くのささげものがささげられるのは、そのことを表していたからです。

 

このように、イスラエルは約束の地に入り相続地を得ても、いや得たからこそ、主を礼拝しなければならなかったのです。これは私たちクリスチャンにも言えることです。私たちはすでに約束のものを手にしているのですから、積極的に自分を主におゆだねすることによって、それを自分のものとして本当に楽しむことができます。ささげることなしに、この霊的な交わりは起こりません。イスラエルのように、私たちも大胆に、主におささげする者となりましょう。

民数記28

 

きょうは、民数記28章を学びます。

 

Ⅰ.主へのささげもの(1-8)

 

まず1節から8節までをご覧ください。「1 主はモーセに告げられた。2 「イスラエルの子らに命じて彼らに言え。あなたがたは、わたしのための食物、わたしへのささげ物を、わたしへの食物のささげ物、芳ばしい香りとして、定められた時に確実にわたしに献げなければならない。3 彼らに言え。これがあなたがたが主に献げる食物のささげ物である。傷のない一歳の雄の子羊を、毎日二匹、常供の全焼のささげ物として。4 一方の子羊を朝献げ、もう一方の子羊を夕暮れに献げなければならない。5 穀物のささげ物として、上質のオリーブ油四分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の一エパ。6 これはシナイ山で定められた、常供の全焼のささげ物であり、主への食物のささげ物、芳ばしい香りである。7 それに添える注ぎのささげ物は、子羊一匹につき四分の一ヒンとする。聖所で、主への注ぎのささげ物として強い酒を注ぎなさい。8 もう一方の子羊は夕暮れに献げなければならない。朝の穀物のささげ物、および、それに添える注ぎのささげ物と同じものを、これに添えて献げなければならない。これは主への食物のささげ物、芳ばしい香りである。」

 

ここには、イスラエルの民が約束の地に入ってから、ささげなければならないささげものの規定が記されてあります。このささげものの規定については15章でも語られましたが、ここで再び語られます。なぜそんなに繰り返して記されてあるのでしょうか。なぜなら、このことがとても重要なことだからです。イスラエルが約束に地に入ってからどうしても忘れてはならなかったこと、それは彼らをエジプトから贖い出してくださった神を覚えることでした。私たちはすぐに忘れがちな者ですが、そのような中にあっても忘れることがないように、何度も何度も繰り返して語られているのです。しかも、ここでは語られている対象が変わっています。エジプトを出た20歳以上の男子はみなヨシュアとカレブ以外全員死んでしまいました。彼らは神のみことばに従わなかったので荒野で息絶えてしまったのです。今そこにいるのは新しい世代です。以前はまだ小さくて神のことばを聞いたことがなかった子どもたちが、大きく成長していました。彼らが約束の地に入るのです。そんな彼らが忘れてはならなかったのは、彼らの父祖たちが経験した神の恵みを忘れないことだったのです。

 

ここで主は、ご自身への芳ばしい香りとして、神への食物のささげ物をささげるようにと命じています。それは三つの種類がありました。一つは全焼のいけにえであり、もう一つは穀物のささげものです。そしてもう一つが注ぎのささげ物です。全焼のいけにえは、小羊をすべて祭壇の上で焼きます。穀物のささげものは、油をまぜた小麦粉です。そして、注ぎのささげ物はぶどう酒です。全焼のいけにえをささげ、このいけにえに穀物のささげものと注ぎのささげものを供えたのです。これらは常供のいけにえです。常供のいけにえとは、日ごとにささげるいけにえのことで、それは毎日、朝と夕にささげなければなりませんでした。

 

それにしても、ここには、「わたしへの食物のささげ物を、定められた時に、確実にささげなければならない」とあります。どういうことでしょうか?主はこのささげ物を食べるというのでしょうか?主は私たちからのこのようなささげ物を必要としているのでしょうか?そういうことではありません。それは、神によって罪の中から贖い出された者としてこの恵みに応答し、感謝して生きるためでした。

 

パウロは新約聖書の中でこのように言っています。「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」(ローマ12:1)

「ですから」とは、それまで語られてきたことを受けてのことです。そこには、神の恵みにより、キリスト・イエスを信じる信仰によって、価なしに義と認められたということが語られてきました。そのように神の一方的な恵みによって罪から救われたクリスチャンに求められていることは、自分を神にささげることなのです。これこそ、霊的な礼拝です。神の喜びのために生きるということであります。神が求めておられるのは私たちの何かではなく、私たち自身なのです。私たちのすべてであります。私たち自身が神と一つとなり、私たちを通して主の栄光があがめられること、主はそれを求めておられるのです。それが主の喜びなのです。そして、それが現される手段が礼拝であり、ささげ物なのです。その時、私たち自身にも究極的な喜びがもたらされるのです。

 

今週の礼拝のメッセージはテモテ第二の手紙4章からでしたが、その中でパウロは、「私は今や注ぎの供え物となります。」(4:6)言っています。彼はそのように生きていたということです。彼の生涯は、自分のすべてを主にささげる生涯でした。彼は全く主に自分をささげていたのです。これを「献身」といいます。主が求めておられたのはこの「献身」だったのです。イスラエルは今神が約束してくださった地に入ろうとしていました。そんな彼らに求められていたことは、主に自分自身をささげるということだったのです。

 

Ⅱ.安息日ごとのささげもの(9-10)

 

次に9節と10節をご覧ください。「9 安息日には、傷のない一歳の雄の子羊二匹と、穀物のささげ物として油を混ぜた小麦粉十分の二エパと、それに添える注ぎのささげ物。10 これは、安息日ごとの全焼のささげ物で、常供の全焼のささげ物とそれに添える注ぎのささげ物に加えられる。」

 

ここには、安息日ごとのささげものについて記されてあります。安息日ごとのささげものは、常供のいけにえの他に加えてささげられるものです。ここで大切なのは「加えて」ということばです。プラスしてということですね。私たちは日毎に主の御前に出ていかねばなりませんが、安息日(主の日)にはそれにプラスして主の前に出て行かなければなりませんでした。毎日礼拝していればそれでいいということではなく、安息日を覚えそれを聖なる日としなければならなかったのです。毎日礼拝していればなおのこと、安息日(主の日)を大切にして、それに加えて主の前に出て行かなければならなかったのです。それは、毎日忙しいので安息日だけは礼拝するというのとも違います。安息日が、常供のささげものを代用することはできません。ですから、主の日に礼拝すれば自分の務めを果たしているということではなく、それは日ごとの礼拝の他にささげられるものであり、むしろ日毎の礼拝の延長に、他の信者と集まっての礼拝があると言えるのです。

 

Ⅲ.新月の祭り(11-15)

 

次に、新月の祭りについてです。11節から15節までをご覧ください。「11 あなたがたは月の最初の日に、次のものを献げなければならない。主への全焼のささげ物として、若い雄牛二頭、雄羊一匹、傷のない一歳の雄の子羊七匹。12 雄牛一頭につき、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の三エパ。雄羊一匹につき、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の二エパ。13 子羊一匹につき、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の一エパ。これらが主への全焼のささげ物、芳ばしい香り、食物のささげ物である。14 それに添える注ぎのささげ物は、雄牛一頭につき二分の一ヒン、雄羊一匹につき三分の一ヒン、子羊一匹につき四分の一ヒンのぶどう酒でなければならない。これは一年を通して毎月の、新月祭の全焼のささげ物である。15 主への罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これは、常供の全焼のささげ物とそれに添える注ぎのささげ物に加えられる。」

 

今度は、月の最初の日、つまり新月に献げるささげ物についてです。これは民数記で新しく出てきた規定です。新月のささげものは全焼のいけにえが中心ですが、罪のきよめのいけにえもささげられます(15)。しかしそれは全焼のいけにえと比べると非常に少ないことがわかります。この後のところに、例年行う祭りのささげ物の規定が出てきますが、そこでも同じです。罪のためのいけにえが、全焼のいけにえと比べて圧倒的に少なくなっています。どうしてでしょうか?

それは、礼拝とは「悔い改めにいくところ」ではないからです。毎日の生活で罪を犯してしまうので、その罪が赦されるために礼拝に行くのではありません。勿論、悔い改めは重要なことですが、それが礼拝の中心ではないのです。礼拝とは自分自身を主にささげることであり、そこにある喜びと平和、そして聖霊による神の臨在を楽しむところなのです。イスラエルの民は新しく入るそのところで、自分たちを愛し、そのように導いてくださった主を覚え、日ごとに、また週ごとに、そして月ごとに、すなわち、いつも主と交わり、主が良くしてくださったことを覚えて、主に心からの感謝をささげなければならなかったのです。

 

Ⅳ.春の祭り(16-31)

 

最後に、春の祭りの規定を見ておわりたいと思います。16~25節までをご覧ください。「16 第一の月の十四日は、過越のいけにえを主に献げなければならない。17 この月の十五日は祭りである。七日間、種なしパンを食べなければならない。18 その最初の日には、聖なる会合を開く。いかなる労働もしてはならない。19 あなたがたは、主への食物のささげ物、全焼のささげ物として、若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊七匹を献げなければならない。それはあなたがたにとって傷のないものでなければならない。20 それに添える穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一匹につき十分の二エパとする。21 子羊七匹については、一匹につき十分の一エパとする。22 あなたがたのために宥めを行うには、罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹とする。23 常供の全焼のささげ物である朝の全焼のささげ物のほかに、これらのものを献げなければならない。24 このように七日間、主への芳ばしい香り、食物のささげ物のパンを、毎日、献げなければならない。これは常供の全焼のささげ物とその注ぎのささげ物に加えて献げられなければならない。25 七日目にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。いかなる労働もしてはならない。26 初穂の日、すなわち七週の祭りに、新しい穀物のささげ物を主に献げるときには、聖なる会合を開かなければならない。いかなる労働もしてはならない。27 あなたがたは、主への芳ばしい香りとして、全焼のささげ物、すなわち、若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊七匹を献げよ。28 さらに、それに添える穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一匹につき十分の二エパ。29 七匹の子羊については、一匹につき十分の一エパ。30 あなたがたのために宥めを行うには、雄やぎ一匹とする。31 常供の全焼のささげ物とそれに添える穀物のささげ物とは別に、これらのものを、それらに添える注ぎのささげ物とともに献げなければならない。それらは傷の」

 

例祭、すなわち、毎年恒例の祭りは、過越の祭りからはじまりました。これがユダヤ人にとってのスタートだったのです。なぜ過越の祭りなのでしょうか?それは、これが贖いを表していたからです。私たちの信仰も贖いから始まります。だから、過ぎ越しの小羊を覚え、それを感謝しなければなりません。それは十字架に付けられたイエス・キリストを示しているからです。新約聖書、ペテロの手紙にこうあります。「ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」(1ペテロ1:18-19)

これが私たちの信仰の土台です。それは新しいイスラエルの民が、新しい約束の地に入ってからも変わりません。彼らはこれまでと同じように、まず過ぎ越しの祭りから始めなければならなかったのです。

 

そして、この過ぎ越しの祭りに続いて、種なしパンの祭りが行われました(17)。その時彼らは種を入れないパンを食べなければなりませんでした。なぜでしょうか?罪が赦されたからです。キリストの血によって罪が赦され、罪が取り除かれました。もうパン種がなくなったのです。だから、古いパン種で祭りをしたりしないで、パン種の入らないパンで祭りをしなければなりません。第一コリント5章7~8節で言われていることはこのことです。「7 新しいこねた粉のままでいられるように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。8 ですから、古いパン種を用いたり、悪意と邪悪のパン種を用いたりしないで、誠実と真実の種なしパンで祭りをしようではありませんか。」これが種を入れないパンの祭りです。それは、キリストによって罪が取り除かれたことを祝う祭りのことだったのです。

 

次は、初穂の祭り、すなわち、七週の祭りです。26節から31節をご覧ください。「26 初穂の日、すなわち七週の祭りに、新しい穀物のささげ物を主に献げるときには、聖なる会合を開かなければならない。いかなる労働もしてはならない。27 あなたがたは、主への芳ばしい香りとして、全焼のささげ物、すなわち、若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊七匹を献げよ。28 さらに、それに添える穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一匹につき十分の二エパ。29 七匹の子羊については、一匹につき十分の一エパ。30 あなたがたのために宥めを行うには、雄やぎ一匹とする。31 常供の全焼のささげ物とそれに添える穀物のささげ物とは別に、これらのものを、それらに添える注ぎのささげ物とともに献げなければならない。それらは傷のないものでなければならない。」

 

初穂の祭りは、過ぎ越しの祭りの三日目、つまり、過ぎ越しの祭りの後の最初の日曜日に行われました。これはキリストの復活を示しています。キリストは過越の祭りの時に十字架で死なれ、墓に葬られました。そして安息日が終わった翌日の日曜日に復活されました。日曜日の朝早く女たちが、イエスのからだに香料を塗ろうと墓にやって来くると、墓の石は取り除かれていました。そこに御使いがいて、女たちにこう言いました。「この方はここにはおられません。よみがえられたのです。」そうです、初穂の祭りは、イエス・キリストの復活を指示していたのです。使徒パウロはこう言いました。Ⅰコリント15章20節です。「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」

キリストは、私たちのために死んでくださり、その血によって罪を赦し、きよめてくださっただけではなく、よみがえってくださいました。よみがえって、今も生きておられます。そのことを覚えて、主に感謝のいけにえをささげるのです。それが全焼のいけにえ、穀物のささげもの、そして注ぎのささげ物です。

 

それは初穂の日だけではありません。ここには七週の祭りに、とあります。これが「ペンテコステ」です。ペンテコステにもささげ物をささげなければなりませんでした。それは聖霊が天から下られたことを記念する祭りです。もちろん、ユダヤ人にとってはこれが何を意味しているのかはわからなかったと思いますが・・・。

 

このように、イスラエルが約束の地に入ってからも忘れずに行わなければならなかったことは、火による全焼のいけにえ、穀物のささげ物、そして注ぎのささげ物をささげることでした。それは神への献身、神への感謝を表すものです。これが、イスラエルが約束の地に入るための備えだったのです。約束の地に入るイスラエル人にとって求められていたことは、神へのいけにえをささげていつも神を礼拝し、神と交わり、神に感謝し、神の恵みを忘れないだけでなく、その神の恵みに応答して、自分のすべてを主におささげすることだったのです。日ごとに、朝ごとに、そして夕ごとに。また、週ごとに、新しい月ごとに、その節目、節目に、主が成してくださったことを覚えて感謝し、その方を礼拝することが求められていたのです。

 

あなたはどうですか?新しい地に導かれた者として、いつも主を礼拝し、主に心からの感謝をささげているでしょうか?神があなたのためにしてくださった奇しい御業を覚えて、いつも主に感謝し、心からの礼拝をささげましょう。

民数記27章

民数記27章

 

きょうは、民数記27章から学びたいと思います。前回の学びで、モーセとアロンがシナイの荒野で登録したときのイスラエル人はみな荒野で死に、ヨシュアとカレブのほかには、だれも残っていなかったという現実を見ました。残された民が、神が約束してくだった地を相続します。そして、その相続の割り当てについて語られました。すなわち、大きい部族にはその相続地を多くし、小さい部族にはその相続地を少なくしなければならないということです。きょうの箇所には、その相続に関する神様のあわれみが示されます。

 

Ⅰ.ツェロフハデの娘たち(1-11)

 

まず1節から11節までをご覧ください。「1 さて、ヨセフの子マナセの一族のツェロフハデの娘たちが進み出た。ツェロフハデはヘフェルの子、ヘフェルはギルアデの子、ギルアデはマキルの子、マキルはマナセの子であり、その娘たちの名はマフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァであった。:2 彼女たちは、モーセの前、祭司エルアザルの前、また族長たちと全会衆の前、すなわち会見の天幕の入り口に立って言った。:3 「私たちの父は荒野で死にました。父は、コラの仲間と一緒になって、主に逆らったあの仲間たちには加わらず、自分の罪過によって死んだのです。しかし、父には息子がいませんでした。4 息子がいなかったからといって、なぜ私たちの父の名がその氏族の間から削られるのでしょうか。私たちにも、父の兄弟たちの間で所有地を与えてください。」5 そこでモーセは、彼女たちの訴えを主の前に差し出した。6 すると主はモーセに告げられた。7 「ツェロフハデの娘たちの言い分はもっともだ。あなたは必ず彼女たちに、その父の兄弟たちの間で、相続の所有地を与えよ。彼女たちに、その父の相続地を渡せ。8 あなたはイスラエルの子らに語れ。人が死に、その人に息子がいないときは、あなたがたはその相続地を娘に渡さなければならない。9 もし娘もいないときには、その相続地を彼の兄弟たちに与えよ。10 もし兄弟たちもいないときには、その相続地を彼の父の兄弟たちに与えよ。11 もしその父に兄弟がいないときには、その相続地を、彼の氏族の中で彼に一番近い血縁の者に与え、それを受け継がせよ。これは、主がモーセに命じられたとおり、イスラエルの子らにとってさばきの掟となる。」」

 

ここに、ヨセフの子のマナセの一族のツェロフハデの娘たちが出てきます。彼女たちは、モーセと祭司エルアザル、族長たちと全会衆との前、会見の天幕の入り口に立って、自分たちにも所有地を与えてくださいと言いました。どういうことでしょうか?26章33節には、ツェロフハデの娘たちの名前が記されてあります。彼女たちの父ツェロフハデには息子がなく、娘たちしかいませんでした。ということは、ツェロフハデには何一つ相続地が与えられないということになります。ですから、彼女たちは、そのことによって相続地が与えられないのはおかしい、とモーセに訴えたのです。

 

これに対して主は何と言われたでしょうか。6節です。主は、この訴えは正しいと言われました。そして主は彼女たちの訴えに基づいて、父が子を残さなかったときについての相続の教えを与えられました。子がいないという理由で相続地がないということがあってはならないというのです。その相続地を娘たちに与えなければなりませんでした。娘たちもいなければ、それを彼の兄弟たちに、兄弟がいなければ、それを氏族の中で彼に一番近い血縁の者に与えてそれを受け継がせなければなりません。

 

これはどういうことでしょうか?このことについては、おもしろいことに、ここで話が終わっていません。36章を見ると、マナセ族の諸氏族のかしらたちがモーセのところにやって来て、この娘たちが他の部族のところにとついだならば、マナセ族の相続地が他の部族のものとなってしまうので、彼女たちはマナセ族の男にとつぐようにさせてください、と訴えているのです。そしてその訴えを聞いたモーセは「それはもっともである」と、彼女たちは父の部族に属する氏族にとつがなければならないと命じます。そのようにして、イスラエルの相続地は一つの部族から他の部族に移らないようにし、おのおのがその相続地を堅く守るようにさせました。そして民数記は、この娘たちは主が命じられたとおりに行ったことを記録して終わるのです。

 

つまり彼女たちの行為は信仰によるものであって、約束のものを得るときのモデルになっているのです。そうでなければ、このことをモーセが記録するはずがありません。主がアブラハムの子孫にこの地を与えると約束されたので、彼女たちはその約束を自分のものとしたいと願いましたが、相続するためには男子でなければなりません。しかし、そうした障害にも関わらず、彼女たちは主の前に進み出て大胆に願い出ました。ここがポイントです。ここが、私たちが彼女たちに見習わなければいけないところです。つまり私たちはその約束にある祝福を、自分たちの勝手な判断であきらめたりしないで、彼女たちのように信仰によって大胆に願い求めなければならないということです。

 

マタイの福音書15章に登場するツロ・フェニキヤの女もそうでした。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません。」「子どもたちのパンくずを取り上げて、子犬にやるのはよくないことです。」と言われた主イエスに対して、彼女は、「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」(マタイ15:27)と言いました。そして、そのとおりになりました。信仰をもって、あきらめないで願い出るなら、主は惜しみなく与えてくださるのです。もちろん、その願いは自己中心的なものではなく、主のみこころにかなったものであることが重要ですが、しかし、あまりにもそれを考えすぎるあまり求めることをしなければ、何も得ることはできません。「求めなさい。そうすれば、与えられます。」(マタイ7:7)私たちは、キリストにあってすべてのものを施してくださる神の約束を信じて、神に求める者でありたいと願わされます。

 

Ⅱ.モーセの死(12-14)

 

次に12節から14節までをご覧ください。「12 主はモーセに言われた。「このアバリム山に登り、わたしがイスラエルの子らに与えた地を見よ。13 それを見て、あなたもまた、あなたの兄弟アロンが加えられたのと同じように、自分の民に加えられる。14 ツィンの荒野で会衆が争ったとき、あなたがたがわたしの命令に逆らい、彼らの見ている前で、あの水のところで、わたしが聖であることを現さなかったからである。」これはツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のことである。」

 

これは、モーセも他のイスラエルの民と同様に約束の地に入ることができないという、厳粛な主の宣告です。この宣告は、イスラエルの民以上に彼自身にとってどんなに辛かったことでしょうか。モーセはこの120年間、ただイスラエルの民がエジプトから解放され、約束の地に導くという神から与えられた使命に生きてきました。その約束の地こに入ることはできないのです。なぜでしょうか?それは14節にあるように、ツィンの荒野で会衆が争ったとき、主の命令に従わなかったからです。

 

どういうことでしょうか?もう一度民数記20章を振り返ってみましょう。これはイスラエルがエジプトを出て40年目にツィンの荒野までやって来たときのことです。もうすぐ約束の地に入るという直前のことです。そこでモーセの姉ミリヤムが死にました。そこには水がなかったので、彼らはモーセとアロンに逆らって言いました。それで主はモーセの杖を取って、彼らの目の前で岩に命じるようにと言われました。そのようにすれば、岩は水を出す・・・と。ところが、モーセは主の命令に背き、岩に命じたのではなく、岩を二度打ってしまいました。それで主はモーセとアロンに、彼らが主を信じないでイスラエルの人々の前で聖なる者としなかったので、彼らは約束の地に入ることができないと言われたのです。

 

Ⅰコリント10章4節には、この岩がキリストのことであると言われています。その岩から飲むとは、キリストにあるいのちを受けることを示しています。そのためには、その岩に向かってただ命じればよかったのです。しかし、彼は岩を打ってしまいました。モーセとアロンは、主が仰せになられたことに従いませんでした。彼は自分の思い、自分の感情、自分の方法に従ったのです。それは信仰ではありません。それゆえに、彼らは約束の地に入ることはできないと言われたのです。あまりにも厳しい結果ですが、これが信仰なのです。信仰とは、神のことばに従うことです。そうでなければ救われることはありません。私たちが救われるのはただ神のみことばを信じて受け入れること以外にはないのです。御霊の岩であるイエスを信じる以外にはありません。彼らは神と争い、神の方法ではなく自分の方法によって水を得ようとしたので約束の地に入ることができませんでした。それは他のイスラエルも同様です。彼らもまた不信仰であったがゆえに、だれひとり約束の地に入ることができませんでした。ただヨシュアとカレブだけが入ることができました。彼らだけが神の約束を信じたからです。神の約束を得るために必要なのは、ただ神のことばに聞き従うということしかないのです。

 

Ⅲ.モーセの後継者(15-23)

 

しかし、話はそれで終わっていません。それでモーセは主に申し上げます。15節から23節までをご覧ください。「15 モーセは【主】に言った。16 「すべての肉なるものの霊をつかさどる神、主よ。一人の人を会衆の上に定め、17 彼が、彼らに先立って出て行き、先立って入り、また彼らを導き出し、導き入れるようにしてください。主の会衆を、羊飼いのいない羊の群れのようにしないでください。」18 主はモーセに言われた。「あなたは、神の霊の宿っている人、ヌンの子ヨシュアを連れて来て、あなたの手を彼の上に置け。19 彼を祭司エルアザルの前に、また全会衆の前に立たせ、彼らの目の前で彼を任命せよ。20 あなたは、自分の権威を彼に分け与え、イスラエルの全会衆を彼に聞き従わせよ。21 彼は祭司エルアザルの前に立ち、エルアザルは主の前で、ウリムによるさばきを自分のために伺わなければならない。ヨシュアと彼とともにいるイスラエルの子らのすべての者、すなわち全会衆は、エルアザルの命令によって出、また、彼の命令によって入らなければならない。」22 モーセは主が命じられたとおりに行った。ヨシュアを連れて来て、彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、23 自分の手を彼の上に置いて、主がモーセを通して告げられたとおりに任命した。」

 

モーセは自分が約束の地に入れないことを思い、であれば、イスラエルの民がそこに入って行くことができるように、だれか他のリーダーを立ててくださいと言いました。そうでなかったら、彼らは羊飼いのいない羊のようにさまよってしまうことになるからです。皆さん、羊飼いのいない羊がどうなるかをご存知でしょうか?羊飼いのいない羊はどこに行ったらよいのかがわからずさまよってしまうため、結果、きちんと食べることもできずに死んでしまいます。それは霊的にも同じです。牧者がいない羊たちは、めいめいが勝手なことをするようになり、その結果、滅んでしまうことになります。士師記を見るとよくわかります。彼らは指導者がいなかったときめいめいが勝手なことをしたため霊的に弱くなり、たえず敵に脅かされてしまいます。それで彼らが叫ぶと主はさばき司を送られたので立ち直ることができました。ですから、リーダーがいないということは群れにとっては致命的なことなのです。モーセはそのことを心配していました。

 

それに対して主は何と言われたでしょうか。主はモーセに、ヌンの子ヨシュアを取り、彼の上に手を置き、彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、彼らの見ているところで彼をその務めに任命するように、と言われました。

 

主はヨシュアを、モーセの後継者としてお選びになりました。主はヨシュアが「神の霊の宿っている人」と言っています。ヨシュアにはどのように神の霊が宿っていたのでしょうか?このヨシュアについてそのもっとも特徴的な表現は、出エジプト記24章13節の、「モーセとその従者ヨシュアは立ち上がり」という表現です。彼はいつもモーセのそばにいて、彼に従い、彼を助けていました。出エジプト記17章には、イスラエルがエジプトを出て荒野を放浪していたときアマレクと戦わなければなりませんでしたが、その実働部隊を率いたのがこのヨシュアでした。また、彼はあのカデシュ・バルネヤから12人のスパイを遣わした時にもその中にもいて、カレブとともに他の10人の偵察隊が不信仰に陥って嘆いても、「ぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」と進言しました。彼は特にめざましい働きをしていたわけではありませんでしたが、常にモーセのそばにいて、モーセの助手として彼を支え、彼に仕えていたのです。いわば彼はモーセのかばん持ちだったわけです。モーセに言われたことを行ない、モーセが猫の手を借りたいときには猫の手になり、難しい仕事も不平を言わずにこなし、とにかくモーセを助けていました。Ⅰコリント11章28節には、「助ける者」という賜物がありますが、ヨシュアにはこうした助けの賜物が与えられていました。ですから、ヨシュアこそモーセの後継者としてふさわしい人物だったのです。

 モーセは主が命じられたとおりに行ないました。彼はヨシュアを取って、彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、自分の手を彼の上に置いて、主がモーセを通して告げられたとおりに彼を任命しました。彼は約束の地に入ることはできませんでしたが、アバリム山に登り、イスラエル人に与えられた約束の地を見て、その後を後継者にゆだねたのでした。