ヨシュア記10章

バイブルカフェ

きょうはヨシュア記10章から学びたいと思います。

 Ⅰ.日よ、ギブオンの上で動くな(1-15)

 少し長いですが、まず1~15節をご覧ください。「1 エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、エリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らのただ中にいることを聞いた。2 彼とその民は非常に恐れた。ギブオンが王国の都の一つのように大きな町であり、またアイよりも大きく、そこの人々がみな勇士だったからである。3 エルサレムの王アドニ・ツェデクはヘブロンの王ホハム、ヤルムテの王ピルアム、ラキシュの王ヤフィア、エグロンの王デビルに人を遣わして言った。4 「私のところに上って来て、私を助けてください。ギブオンを討ちましょう。ギブオンがヨシュア、およびイスラエルの子らと和を講じたからです。」5 それでアモリ人の五人の王、すなわち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王、彼らとその全陣営は集結し、上って行ってギブオンに向かって陣を敷き、戦いを挑んだ。
6 ギブオンの人々はヨシュアのところ、ギルガルの陣営に人を遣わして言った。「しもべどもから手を引かないで、急いで私たちのところに上って来て、私たちを救い、助けてください。山地に住むアモリ人の王たちがみな、私たちに向かって集まっているのです。」7 ヨシュアはすべての戦う民たちとすべての勇士たちとともに、ギルガルから上って行った。
8主はヨシュアに告げられた。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。あなたの前に立ちはだかる者は彼らの中に一人としていない。」9 ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った。10 主は彼らをイスラエルの前でかき乱された。イスラエルはギブオンで彼らを激しく討ち、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダに至るまで彼らを討った。11 彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主が天から彼らの上に、大きな石をアゼカに至るまで降らせられたので、彼らは死んだ。イスラエルの子らが剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。12 主がアモリ人をイスラエルの子らに渡されたその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「太陽よ、ギブオンの上で動くな。月よ、アヤロンの谷で。」13 民がその敵に復讐するまで、太陽は動かず、月はとどまった。これは『ヤシャルの書』に確かに記されている。太陽は天の中間にとどまって、まる一日ほど、急いで沈むことはなかった。14 主が人の声を聞き入れられたこのような日は、前にも後にもなかった。主がイスラエルのために戦われたからである。15 ヨシュアは全イスラエルとともにギルガルの陣営に戻った。」

前回は、ヨルダン川のこちら側の王たち、すなわち、カナンの王たちが連合してイスラエルと戦おうとした時、ギブオンの住民たちは賢くも策略を巡らしてイスラエルと平和条約を締結し、イスラエルに滅ぼされることを免れたことを見ました。きょうの箇所には、その一方で、これを面白くないと思ったカナンの王たちが、そのギブオンを攻撃することが記されてあります。1~2節には、「エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、エリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らのただ中にいることを聞いた。彼とその民は非常に恐れた。ギブオンが王国の都の一つのように大きな町であり、またアイよりも大きく、そこの人々がみな勇士だったからである。」とあります。

エルサレムは、ギブオンから南東に15㎞ほどのところにあります。このエルサレムの王は「アドニ・ツェデク」という名で、意味は「義なる主」です。このアドニ・ツェデクは、創世記14章に登場したメルキゼデクの子孫であると言われています。そこには「シャレムの王メルキゼデク」(創世記14:18)とありますが、「シャレム」とは「エルサレム」のことです。メルキゼデクはそのエルサレムの王であり祭司でもありましたが、カナンの連合軍と戦って勝利したアブラハムを祝福しました。アブラハムはそのことに大いに感激して、大祭司であったこのメルキゼデクにすべてのものの十分の一をささげました(創世記14:19-20)。このメルキゼデクは、ヘブル人への手紙においては真の大祭司であるイエス・キリストのひな型であったと記されてあります(7章)。おそらく、彼はアブラハムの信じる神を真の神として認め、彼自身も同じ神を信じていたので、カナンの連合軍には加わらず、むしろアブラハムの勝利を祝ったのであろうと思われます。それなのに、ここではその子孫であるアドニ・ツェデクが、他の王たちとともにイスラエルに対して戦いを挑んできたのです。いったいなぜでしょうか。ある人は、「昨日の友は今日の敵だ」ということを言いたかったのではないかと考えます。人間ほど信じられない存在はないのだということをたちに示そうとしているのだというのです。またある人は、信仰は極めて個人的なものであって、たとえ先祖にどんなに立派な信仰者がいても、その子孫が必ずしもその信仰を受け継ぐものではないということを教えているのではないかと言います。

1節と2節を見ると、その鍵となる言葉があることがわかります。それは「聞き」という言葉と、「非常に恐れた」という言葉です。彼は、ヨシュアがアイの町を攻め取ってそれを聖絶し、先にエリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らの中にいることを聞いて非常に恐れたのです。それは、ギブオンが大きな町であって王国の都の一つのようであり、またアイよりも大きくて、そこの人々はみな勇士たちであったからです。そのギブオンがイスラエルと和を講じたことを聞いて恐れたのです。

私たちにもこのようなことがあるのではないでしょうか。そうした噂を聞いて恐れてしまい、正しい判断が出来なくなってしまうということが・・。いったいなぜイスラエルがエリコとアイを攻略することができたのか、なぜキブオンがイスラエルと和を講じたのかということを考えるなら、自ずと自分たちの成すべきことが見えてくるのではないかと思います。すなわち、イスラエルの陰には全能の神がともにおられるのであって、ギブオンの住民がイスラエルと和を講じたのは戦っても勝つ見込みがないと判断したからであって、彼らにできる唯一のことはこのイスラエルの神を神とすることであるということです。それ以外に救われる道はありません。この神に敵対すること自体間違っているのです。彼らはその判断を誤ってしまってしまったのです。

時として私たちも噂を聞いて恐れてしまい、判断を誤ってしまうことがあります。神が求めておられることよりも、目の前の状況に振り回されてしまい、目先の解決を求めてしまうことがあるのです。そういうことがないように、私たちは常に祈らなければなりません。判断を焦ってはなりません。噂を信じてはいけないのです。むしろ、神のみこころは何か、何が良いことで完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなければなりません。これが解決の道です。それなのに、アドニ・ツェデクはその判断を誤ってしまいました。そして、カナンの他の王たちと、ギブオンを攻撃しようとしたのです。

それに対して、ギブオンの人々はどうしたでしょうか。当然、イスラエルに援軍を要請します。6節には、「ギブオンの人々はヨシュアのところ、ギルガルの陣営に人を遣わして言った。「しもべどもから手を引かないで、急いで私たちのところに上って来て、私たちを救い、助けてください。山地に住むアモリ人の王たちがみな、私たちに向かって集まっているのです。」とあります。そこでヨシュアはすべての戦う民とすべての勇士たちとを率いて、ギルガルから上って行きました。

その時、主はヨシュアにこう仰せられました。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、ひとりとしてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない。」たとえ神がともにおられると信じていても、それほど多くの敵と戦わなければならないとしたら、だれでも恐れを抱くでしょう。それはヨシュアも同じでした。そんなヨシュアに対して主は、「恐れてはならない」と言われました。なぜなら、主が彼らをヨシュアの手に渡されたからです。この「渡したからだ」というのは完了形になっています。これから先のことでも、主の側ではすでに完了していることです。主はすでに彼の手に、彼らを渡しておられるのです。私たちに必要なことは、その主のことばを信じて前進することです。

それに対してヨシュアはどのように応えたでしょうか。9節をご覧ください。「それで、ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った。」
それでヨシュアは急襲をしかけます。夜通しギルガルから上って行き、突然彼らに襲いかかりました。それが神のみこころだと確信した彼は、すぐに行動に移したのです。もたもたしませんでした。「ちょっと待ってください。もう少し祈ってみますから」と言わず、夜のうちに出発し、攻撃したのです。これは私たちにも必要なことです。私たちは待ち過ぎるときがあります。もちろん、祈ることは大切なことですが、私たちが祈るのは主のみこころを知るためであって、主が「これをしなさい」と言われたのに「いや、もうちょっと待ちます」というのは信仰でありません。信仰とは、主が語られたことにすぐに応答することです。
アブラハムは、ひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行き、そこで全焼のいけにえとしてイサクをささげなさい、と主から命じられたとき、「翌朝早く」イサクといっしょに神が示された場所へ出かけて行きました。それが信仰です。私たちは、神が与えられたチャンスを逃すことがないように、ヨシュアのように主のことばに従う者でありたいと思います。

さて、主のことばにしたがってヨシュアが出て行った結果、どうなったでしょうか。10節と11節をご覧ください。「主は彼らをイスラエルの前でかき乱された。イスラエルはギブオンで彼らを激しく討ち、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダに至るまで彼らを討った。彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主が天から彼らの上に、大きな石をアゼカに至るまで降らせられたので、彼らは死んだ。イスラエルの子らが剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。」
主が彼らをイスラエルの前でかき乱したので、イスラエルはギブオンで彼らを激しく打ち殺しました。そして、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダまで行って彼らを打ちました。彼らがイスラエルの前から逃げてベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主は天から彼らの上に大きな石を降らせアゼカに至るまでそうしたので、彼らは死にました。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かったのです。最近、よく雹が降ったとニュースで聞きますが、雹は大きいと野球のボールぐらいのもあるので容易に彼らを殺すほどの威力を持っていたのでしょう。その雹で死んだ人のほうが、剣で殺した人たちよりも多かったのです。どういうことですか?主が戦ってくださったということです。主が彼らをヨシュアの手に渡されたのです。それで主は激しく敵を打つことができました。

12~15節をご覧ください。ここにはヨシュアの祈りが記されてあります。「主がアモリ人をイスラエルの子らに渡されたその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「太陽よ、ギブオンの上で動くな。月よ、アヤロンの谷で。」13 民がその敵に復讐するまで、太陽は動かず、月はとどまった。これは『ヤシャルの書』に確かに記されている。太陽は天の中間にとどまって、まる一日ほど、急いで沈むことはなかった。14 主が人の声を聞き入れられたこのような日は、前にも後にもなかった。主がイスラエルのために戦われたからである。15 ヨシュアは全イスラエルとともにギルガルの陣営に戻った。」どういうことでしょうか?
日が沈んでしまうと、彼らを追跡することができなくなるので、ヨシュアは日が沈まないようにと主に祈ったのです。太陽がギブオンの上にあり、月がアヤロンの谷にありました。このままでは、あと数時間後には日が沈んでしまいます。ですから、少しでも日がとどまり、明るいうちに敵を全滅させるためにもう少し時間をください。太陽よ、止まれ!と命じたのです。するとどうでしょう、民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまりました。主がこのような祈りを聞かれたことは、先にもあとにもありません。それはそうです、太陽がまる一日沈むことなく、天にとどまっていたという話など聞いたことがありません。ある人たちはこのような箇所を見ると、そんなことあり得ない、ヨシュアはただそのように感じただけにすぎない、と言います。同じ時間でも長く感じたり短く感じたりすることがあるように、この日もそれだけ長く感じられただけのことだというのです。そうではありません。人間の頭では考えられないことを、主はなさるのです。これは聖書の全歴史においても特に際立つ不思議な主の御業として記録されています。それは主がイスラエルのために戦われたからです。私たちもヨシュアのように主のことばに従い、前進するなら、私たちの頭では想像もできないようなことを主がしてくださるのです。

Ⅱ.勝利の主(16-27)

次に16~27節までをご覧ください。「16 これらの五人の王たちは逃げ、マケダの洞穴に隠れた。17 すると、マケダの洞穴に隠れている五人の王たちが見つかったという知らせがヨシュアに入った。18 ヨシュアは言った。「洞穴の口に大きな石を転がし、そのそばに人を置いて彼らを見張りなさい。19 しかし、あなたがたは、そこにとどまってはならない。敵の後を追い、彼らのしんがりを攻撃しなさい。彼らを自分の町に逃げ込ませてはならない。あなたがたの神、主が彼らをあなたがたの手に渡されたからだ。」20 ヨシュアとイスラエルの子らが非常に激しく彼らを討ち、ついに彼らが一掃されるまで攻撃し終わったとき、彼らのうちの生き残った者たちは城壁のある町々に逃げ込んだ。21 兵はみな無事にマケダの陣営のヨシュアのもとに戻った。イスラエルの子らをののしる者は一人もいなかった。22 ヨシュアは言った。「洞穴の口を開き、あの五人の王たちを、その洞穴から私のもとに引き出して来なさい。」23 彼らはそのとおりにした。その五人の王たち、すなわち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王を洞穴から彼のもとに引き出して来た。24 彼らがその王たちをヨシュアのもとに引き出したとき、ヨシュアはイスラエルのすべての人を呼び寄せ、自分と一緒に行った戦士の指揮官たちに言った。「近寄って、この王たちの首を踏みつけなさい。」彼らは近寄り、王たちの首を踏みつけた。25 ヨシュアは彼らに言った。「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。あなたがたの戦うすべての敵に主がこのようにされる。」26 その後、ヨシュアは王たちを討って殺し、五本の木にかけ、夕方まで木にかけておいた。27 日の入るころになって、ヨシュアは命じて彼らを木から降ろし、彼らが隠れていた洞穴の中に投げ込んだ。その洞穴の口には大きな石が置かれ、今日に至っている。」

5人の王たちの軍隊を完全に打ち負かした後、ヨシュアはギルガルの陣営に引き上げましたが、そのちょっと前に、イスラエルの前から逃れた5人の王たちがマケダのほら穴に隠れたという話が記録されています。この5人の王たちはほら穴に隠れたとき、ヨシュアは彼らをそのままにしておいて、敵のあとを追うように命令します。そして、敵を絶滅させた後でこの5人の王たちを引き出し、彼らの首に足をかけさせました。そればかりではありません。ヨシュアは彼らを打って死なせ、彼らを5本の木にかけ、夕方まで木にかけておきました。このように首に足をかけるとか、死体を木にかけるというのは、イスラエルがこの5人の王たちに勝利したことの見せしめです。
「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。あなたがたの戦うすべての敵は、主がこのようにされる。」
これが一目瞭然です。主がどれほど力ある方であるかは、それをみればわかります。だから私たちも恐れてはなりません。おののいてはなりません。私たちの主は全能の神であって、私たちが真に恐れなければならないのは、この神だけなのです。

Ⅲ.聖絶しなさい(28-43)

最後に28~43節までを見て終わりたいと思います。「28 その日、ヨシュアはマケダを攻め取り、この町とその王を剣の刃で討った。彼らとそこにいたすべての者を聖絶し、一人も残さなかった。彼はエリコの王にしたようにマケダの王にした。29 ヨシュアは全イスラエルとともにマケダからリブナに進み、リブナと戦った。30 主は、この町もその王もイスラエルの手に渡された。それで彼は、その町とそこにいたすべての者を剣の刃で討ち、そこに一人も残さなかった。彼はエリコの王にしたようにその王にした。31 ヨシュアは、全イスラエルとともにリブナからラキシュに進み、これに向かって陣を敷き、ラキシュと戦った。32 主はラキシュをイスラエルの手に渡された。ヨシュアは二日目にそれを攻め取り、その町と、そこにいたすべての者を剣の刃で討った。すべて彼がリブナにしたとおりであった。33 そのとき、ゲゼルの王ホラムがラキシュを助けようとして上って来た。ヨシュアは、ホラムとその民を一人も残さず討った。34 ヨシュアは、全イスラエルとともにラキシュからエグロンに進んだ。彼らは、それに向かって陣を敷き、それと戦い、35 その日に、エグロンを攻め取り、剣の刃で討った。そしてその日、そこにいたすべての者を聖絶した。すべて彼がラキシュにしたとおりであった。36 ヨシュアは、全イスラエルとともにエグロンからヘブロンに上った。彼らはそれと戦い、37 それを攻め取り、ヘブロンとその王、およびそのすべての町、そこにいたすべての者を剣の刃で討ち、一人も残さなかった。すべて彼がエグロンにしたとおりであった。彼はその町と、そこにいたすべての者を聖絶した。38 ヨシュアは全イスラエルとともにデビルに引き返し、これと戦い、39 それとその王、およびそのすべての町を攻め取り、剣の刃で彼らを討った。そして、そこにいたすべての者を聖絶し、一人も残さなかった。彼がデビルとその王にしたことはヘブロンにしたとおりであり、またリブナとその王にしたとおりであった。40 ヨシュアはその全地、すなわち、山地、ネゲブ、シェフェラ、傾斜地、そのすべての王たちを討ち、一人も残さなかった。息のある者はみな聖絶した。イスラエルの神、主が命じられたとおりであった。41 ヨシュアはカデシュ・バルネアからガザまで、および、ゴシェンの全土をギブオンに至るまで討った。42 これらすべての王たちと彼らの地を、ヨシュアは一度に攻め取った。イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである。43 ヨシュアは全イスラエルとともにギルガルの陣営に戻った。」

マケダでヨシュアに歯向かった5人の王たちを殺した後、ヨシュアはそれを皮切りに、リブナ、ラキシュ、ゲゼル、エグロン、ヘブロン、デビルの町々を攻め、これらの町々を陥落させます。しかし、それだけではありません。ヨシュアは容赦なくこれらの町々のすべての住民を聖絶しました。40節には、「こうして、ヨシュアはその全土、すなわち山地、ネゲブ、低地、傾斜地、そのすべての王たちを打ち、ひとりも生き残る者がないようにし、息のあるものはみな聖絶した。イスラエルの神、主が命じられたとおりであった。」とあります。いったいこれはどういうことでしょうか。あまりにも残酷な行為です。戦いで敵を破るというのはわかりますが、一人も残らずにことごとく滅ぼすというのは、あまりにも非道に感じます。ヨシュアはそれほど冷酷無比な人間だったのでしょうか。

そうではありません。今読んだ40節にあるように、あるいは25節にもあったように、それはヨシュアから出たことではなく神の命令であり、神がそのようにせよと命じられたので、ヨシュアはそのようにしたのです。すなわち、彼は主の命令どおりに行ったということです。それではいったいなぜ神はそのような命令を出されたのでしょうか。それは単に大量虐殺を行ったということではありません。ここに「聖絶」とあるように、イスラエルが聖さを守り神の祝福の基として置かれるためにそのようにしたのです。これは「聖絶」あるいは「分離」のためだったのです。彼らがカナンの異教的な習慣から守られ、神の民としての聖さを保つためだったのです。

私たちはこの世で、神の民として祝福の基としての使命を果たしていくためには、どうしてもこの世と分離しなければなりません。この世の力はとても強いものがあります。その背後には悪魔の力が働いており、罪に陥れる罠がたえずあります。だからこそ私たちは意識的にこの世から分離して、信仰の主体性というものを確立しなければなりません。そうでないと、私たちは容易にこの世の力にのみ込まれてしまうことになるからです。


パウロはⅡコリント6章17~18節でこう言っています。「それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」
これは、この世と交わってはならないということではありません。私たちはこの世に遣わされている者として、絶えずこの世との関わりの中で生かされているからです。パウロがここで言っている「彼らと分離せよ」とは、彼らと霊的に交わることがないようにという意味です。私たちは確かにこの世に生きていますがこの世のものではなく神のものとして、神に従って生きていかなければなりません。この世と妥協してはならないのです。分離しなければなりません。そして、時には実際に分離する必要があります。

私は1993年に韓国の光琳教会というメソジスト派では世界で一番大きな教会に行ったことがあります。韓国の教会の成長の要因はどこにあるのかを学びに行きましたが、その要因の一つはこの分離にあることがわかりました。この教会だけでなく韓国の多くの教会では祈祷院を持っています。この光琳教会の祈祷院はとても立派なもので、毎月信徒が集まって断食の祈りをするのです。断食聖会です。それはこの世と分離の時です。家を離れ、仕事を離れ、食事からも離れて、ただ神との交わり、祈りとみことばの時を過ごすのです。その中で彼らは聖霊に満たされ、信仰に満たされ、そしてまたこの世に出て行くのです。韓国にはこのような祈祷院がたくさんあるのです。そこで一月に一度とか、二月に一度、三月に一度、あるいは一年に一度、聖別して祈るのです。必ずしも祈祷院に行かなければならないということではありません。祈祷院に行く目的は、聖別することですから、この聖別することを私たちが求め、この世と分離して主体的な信仰を持つことができるのであればいいわけですが、なかなかそれを実現していくことは容易なことではありません。その点でこうした祈祷院で祈ることは大きな助けになるのは間違いありません。

では、私たちの教会のように祈祷院のない教会はどのようにして聖別することができるのでしょうか。聖書には何と書いてあるでしょうか。出エジプト記20章8節には「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」とあります。これは十戒の第四の戒めです。「聖なる日とせよ」ということばは「カーデシュ」というヘブル語で、「分離する」という意味があります。つまり、日曜日は他の曜日とは違って分離された特別な日であることを覚えて、これを聖なる日とせよということです。他の曜日の延長に日曜日があるのではなく、日曜日は「聖なる日」なのです。もちろん、主にあっては日曜日だけが主の日でなく、毎日が主の日です。しかし、それはこの日が他の日と同じであるということではありません。これは「聖なる日」なのです。他の日とは区別された日なのです。毎週日曜日ごとに造り主なる主の前に出て、この世とのいっさいの関わりを断ち、ただ主との交わりを通して信仰を強められ、月曜日からもう一度この世に遣わされていくのです。ですから、日曜日が週の初めにあるのです。六日間働いて休む日なのではなく、一週の初めに神を礼拝し、自分が神のものであることを確信し、神から力をいただいて強められ、月曜日からまた新たにこの世での生活を営んでいくのです。それゆえに私たちは日曜日を「聖なる日」としなければなりません。これを軽んじてはならないのです。ここから聖別が始まっていくからです。

今から百年以上前に、アメリカにジョン・ワナメイカーという人物がいました。彼は「百貨店王」と呼ばれるほど優れた実業家として有名な人です。しかし彼は貧しい家で育ち、14歳で働きに出なければなりませんでした。彼は幼い頃教会学校において、日曜日は神様を礼拝する日であり、神様を礼拝することなくて他のことをすることは空しいと教えられていました。しかしその後彼が14歳で書店に勤めると、そこでは日曜日に休むことができませんでした。彼は教会学校での教えを思い出し、若かった彼は「教会に行かせてください」と正直にその書店に主人に申し出ましたが、主人はそれを許しませんでした。そこで仕方なく彼はその書店を辞めました。そして日曜日に休むことができる仕事はないかと必死に探し始め、間もなくある一つの仕事を見つけました。それは衣料品のセールスマンの仕事でした。セールスマンなら自由に働くことができると、日曜日に仕事を休むために、月曜日から土曜日まで一生懸命に働いたのです。すると、だんだんと彼の才能が認められるようになりました。やがて彼は一つの衣料店を任せられるようになり、そしてそれがどんどん大きな業績につながってくと、ついに百貨店の経営者に上り詰めたのです。そして1889年から1893年の期間、当時のアメリカ大統領ハリソンの下で郵政大臣をも務めるほどの人物になったのです。しかし、大臣という多忙な執務の中にあっても一日たりとも聖日礼拝を休むことはありませんでした。

私たちはこのジョン・ワナメイカーに学びたいものです。このワナメイカーのように日曜の礼拝を厳守し、この世と分離することによって、自分が主のものであることを確信し、そこから恵みと力をいただいて強められていく信仰を持ちたいと思います。それが聖別するということであって、そのような信仰者を主は必ず祝福してくださるのです。

ヨシュア記9章

2023年2月22日(水)バイブルカフェ
ヨシュア記9章

きょうはヨシュア記9章から学びたいと思います。

 Ⅰ.敵の策略(1-6)

 まず1~6節までをご覧ください。「1 さて、ヨルダン川の西側の山地、シェフェラ、レバノンに至る大海の全沿岸のヒッタイト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の王たちはみな、これを聞くと、2 ともに集まり、一つになってヨシュアおよびイスラエルと戦おうとした。3 ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行ったことを聞くと、4 彼らもまた策略をめぐらし、変装をした。古びた袋と、古びて破れて継ぎ当てをしたぶどう酒の皮袋をろばに負わせ、5 繕った古い履き物を足にはき、古びた上着を身に着けた。彼らの食糧のパンはみな乾いて、ぼろぼろになっていた。6 彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国から参りました。ですから今、私たちと盟約を結んでください。」」

ヨルダン川の西側の山地の王たちはみな、これを聞くと、ともに集まり、一つとなってヨシュアおよびイスラエルと戦おうとしました。「これを聞き」とは、ヨシュア率いるイスラエルがエリコとアイを打ち破ったことを聞くと、ということです。これを聞いたパレスチナの王たちはおののき、何とかイスラエル軍の進撃を阻止しなければならないと連合して戦おうとしたのです。

しかし、ギブオンの住民たちは別行動を取りました。ギブオンは、イスラエルが攻め取ったエリコとアイの南に位置する町です。このギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行ったことを聞いて、イスラエルと盟約を結ぼうとしたのです。彼らはわざわざ遠くから来たかのように見せかけるため、古びた袋と古びて破れて継ぎ当てをしたぶどう酒の皮袋をろばに負わせ、繕った古い履き物を足にはき、古びた上着を身につけて、ヨシュアのところにやって来ました。また、かわいて、ぼろぼろになったパンを持っていました。なぜ彼らはこのような策略を企てたのでしょうか。彼らはそのことを聞いて、ヨシュアとその民に対して勝つことはできないと判断したからです。それにしても、わざわざ変装したり、偽ってまで盟約を結ぶ必要があったのでしょうか。おそらく彼らは戦いに勝てないというだけでなく、この戦いがどのような戦いであるのかをよく理解していたのでしょう。すなわち、これは聖なる戦いであり、カナン人を聖絶するためのものであるということです。それゆえ、彼らがその地の住人であることがわかったら聖絶されるのは見に見えていました。でもそれだけは避けなければなせないと思ったのです。
孫子の兵法には、戦いに絶対に勝つ秘訣は負ける相手とは戦わないとありますが、まさに彼らは最初から負ける戦いはしないという選択をしたのです。それはとても賢い判断でした。一方、イスラエルにとっては判断を誤り、後々までも尾を引く結果となっていくことになります。私たちの敵である悪魔はこのように巧妙に襲いかかってきます。悪魔は偽りの父であり、このような策略をめぐらし、変装を企て、知らず知らずのうちに私たちの内側に忍び込んで来て、私たちを信仰から引き離そうとするのです。だれの目にも明らかな方法によってではなく、だれも気付かないような罠を仕掛けてくるのです。

ペテロは「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」(Ⅰペテロ5:8)と言っています。彼はだれよりもこのことを体験させられました。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(ルカ22:33)と言った次の瞬間、イエス様が捕らえられ大祭司のところに連れて行かれましたが、そこで彼はイエス様を知らないと三度も否定したのですから。人間の力とはそんなものです。私たちがどんなに「私はこうだ」と豪語しても、自分の決意などは脆くも崩れてしまいます。私たちの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜しながら歩き回っているということを覚えておかなければなりません。

Ⅱ.主の指示を求めなかったイスラエル(7-15)

次に、7~15節をご覧ください。「7 イスラエルの子らはそのヒビ人たちに言った。「おそらく、あなたがたは、私たちのただ中に住んでいるのだろう。どうして私たちがあなたがたと盟約を結べるだろうか。」8 彼らはヨシュアに言った。「私たちは、あなたのしもべです。」ヨシュアは彼らに言った。「あなたがたは何者か。どこから来たのか。」9 彼らは彼に言った。「しもべどもは、あなたの神、主の名のゆえにとても遠い国から参りました。主のうわさ、および主がエジプトで行われたすべてのこと、10 主がヨルダンの川向こうのアモリ人の二人の王、ヘシュボンの王シホン、およびアシュタロテにいたバシャンの王オグになさった、すべてのことを聞いたからです。11 私たちの長老や、私たちの国の住民はみな私たちに言いました。『旅のための食糧を手にして彼らに会いに出かけなさい。そして彼らに、「私たちは、あなたがたのしもべです。今、どうか私たちと盟約を結んでください」と言いなさい。』12 これが私たちのパンです。私たちがあなたがたのところに来ようと出た日、それぞれ自分の家で食糧として準備したときには、まだ温かかったのですが、今はご覧のとおり、干からびて、ぼろぼろになってしまいました。13 これがぶどう酒の皮袋です。私たちがこれらを満たしたときには新しかったのですが、ご覧のとおり破れてしまいました。これが私たちの上着と私たちの履き物です。とても長い旅のため古びてしまいました。」14 そこで人々は彼らの食糧の一部を受け取った。しかし、主の指示を求めなかった。15 ヨシュアは彼らと和を講じ、彼らを生かしておく盟約を結んだ。会衆の上に立つ族長たちは彼らに誓った。」

それに対してイスラエルはどのように応答したでしょうか。ここでギブオン人がヒビ人と言われているのは、ギブオン人がヒビ人のグループの一つだったからです。イスラエルの人々はそのことを見抜いてこう言いました。「おそらく、あなたがたは、私たちのただ中に住んでいるのだろう。どうして私たちがあなたがたと盟約を結べるだろうか。」
それは、かつてモーセによって次のように命じられていたからです。「あなたが、はいって行って、所有しようとしている地に、あなたの神、主が、あなたを導き入れられるとき、主は、多くの異邦の民、すなわちヘテ人、ギルガシ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人の、これらあなたよりも数多く、また強い七つの異邦の民を、あなたの前から追い払われる。あなたの神、主は、彼らをあなたに渡し、あなたがこれを打つとき、あなたは彼らを聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。また、彼らと互いに縁を結んではならない。あなたの娘を彼の息子に与えてはならない。彼の娘をあなたの息子にめとってはならない。彼はあなたの息子を私から引き離すであろう。彼らがほかの神々に仕えるなら、主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主はあなたをたちどころに根絶やしにしてしまわれる。むしろ彼らに対して、このようにしなければならない。彼らの祭壇を打ちこわし、石の柱を打ち砕き、彼らのアシェラ像を切り倒し、彼らの彫像を火で焼かなければならない。あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。」(申命記7:1-6)

すると、彼らは偽って、彼らが非常に遠い国から来たということ、そこで主がエジプトで行なわれたこと、またヨルダン川の東側でエモリ人の王とヘシュボンの王、またバシャンの王にしたすべてのことを聞いたと、イスラエルの過去の出来事に言及しています。しかし、つい先ごろ起こったエリコとアイをイスラエルが攻め取ったことについては言及していません。なぜなら、彼らは遠くの国に住んでいるため、そのようなことは聞いていないふりをしているからです。悪魔は実に巧妙に襲いかかってきます。そして、彼らは古くなった着物、古くなったぶどう酒の皮袋、また古くなったパンを見せて、それを遠い国から来た証拠として差し出すのです。その結果、ヨシュアは彼らと和を講じ、彼らを生かしてやるという盟約を結んでしまいました。

どうしてヨシュアは彼らと盟約を結んでしまったのでしょうか。あれほど主がモーセを通してカナンの民と盟約を結んではならないと命じられたのに。14節にその理由が記されてあります。それは、彼らが「主の指示を求めなかった」からです。私たちは7章でイスラエルがアイとの最初の戦いで敗北したことを見ました。その原因は、イスラエルが罪を犯したからです(7:1)。彼らは聖絶の物のことで主の信頼を裏切ったのです。それで主の怒りがイスラエル人全体に燃え上がりました。それなのに彼らは偵察を送り、二、三千人の兵を上らせれば十分だと判断しました。自分たちが見たことで判断し、主の指示を仰がなかったのです。ここでも同じ失敗を繰り返しています。彼らは自分たちで判断し、主の指示を求めませんでした。

このことはイスラエルだけでなく、私たちにも言えることです。自分たちで判断して主の指示を仰ごうとしない傾向があります。イスラエルが同じ失敗を繰り返したのは、それだけ人間にはその傾向が強いということを示しています。
箴言には、「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」(箴言14:12)とあります。また、「主を恐れることは知識の初めである。」(箴言1:7)ともあります。私たちは自分の判断に頼るのではなく、主を恐れ、主の知恵を求め、主の判断を求めていかなければなりません。

Ⅲ.約束に忠実な神(16-27)

さて、そのようにギブオンの住民と盟約を結んだイスラエルはどうなったでしょうか。16~27節までをご覧ください。「16 彼らと盟約を結んでから三日たったとき、人々は彼らが近くの者たちで、自分たちのただ中に住んでいるということを聞いた。17 そこでイスラエルの子らは出発し、三日目に彼らの町々に着いた。彼らの町々とはギブオン、ケフィラ、ベエロテ、およびキルヤテ・エアリムであった。18 イスラエルの子らは彼らを討たなかった。会衆の上に立つ族長たちがイスラエルの神、主にかけて彼らに誓ったからである。しかし、全会衆は族長たちに向かって不平を言った。19 族長たちはみな全会衆に言った。「私たちはイスラエルの神、主にかけて彼らに誓った。だから今、私たちは彼らに触れることはできない。20 私たちは彼らにこうしよう。彼らを生かしておこう。そうすれば、私たちが彼らに誓った誓いのために、御怒りが私たちの上に下ることはないだろう。」21 族長たちは全会衆に言った。「彼らを生かしておこう。」彼らは全会衆のために薪を割る者、水を汲む者となった。族長たちが彼らについて言ったとおりである。22 ヨシュアは彼らを呼び寄せて、彼らに言った。「あなたがたは私たちのただ中に住んでいながら、なぜ、『私たちは、あなたがたからとても遠いところの者です』と言って私たちを欺いたのか。23 今、あなたがたはのろわれる。あなたがたの中から、奴隷たち、私の神の家のために薪を割る者と水を汲む者が絶えることはない。」24 彼らはヨシュアに答えた。「しもべどもは、はっきり知らされました。あなたの神、主がこの全土をあなたがたに与え、その地の全住民をあなたがたの前から根絶やしにするように、しもべモーセにお命じになったことを。それで私たちは、自分のいのちのことであなたがたを非常に恐れ、このようなことをしたのです。25 ご覧ください。今、私たちはあなたの手の中にあります。あなたのお気に召すように、お目にかなうように私たちを扱ってください。」26 ヨシュアは彼らが言うようにし、彼らをイスラエルの子らの手から救った。それで彼らは殺されなかった。27 ヨシュアはその日、彼らを会衆のため、また主の祭壇のため、主が選ばれる場所で薪を割る者と水を汲む者とし、今日に至っている。」

彼らと盟約を結んで三日後、人々は、彼らが近くの者たちで、自分たちの中に住んでいるということを聞きました。イスラエルは騙されたことに気付きました。彼らが自分たちのただ中に住んでいることが判明したのです。そのことが判明したとき、ヨシュアはどうしたでしょうか。イスラエルの全会衆は族長たちに不平を言いました。しかし、ヨシュアは彼らを滅ぼしませんでした。なぜでしょうか?18節にその理由が記されてあります。それは、「全会衆の上に立つ族長たちがすでにイスラエルの神、主にかけて誓っていた」からです。

ヨシュアはなぜギブオン人たちにこれほどまでに義理を立てなければならなかったのでしょうか。なぜこの契約を無効にしなかったのか。ギブオン人たちはヨシュアを騙したのです。騙した契約は無効なはずです。民法でも、騙された契約はそれが騙されたものであることが証明されると無効にされます。その上、主はヨシュアにカナンの地の異邦の民をみな聖絶するようにと命じておられました。であれば、その契約を無効にし、彼らを滅ぼしても良かったはずです。それなのに、どうして彼らを助ける必要があったのでしょうか。それは、19節にあるように、ヨシュアと族長たちがイスラエルの神、主にかけて誓ったからです。ヨシュアは一度契約したことに対してどこまでも忠実に果たそうとしたのです。なぜなら、主なる神ご自身がそのような方であられるからです。イスラエルの神は人間との契約、約束に対してどこまでも忠実に守られる方です。それは私たちがどのような者であるかとか、私たちがこれまでどれほどひどいことをしてきたかということと関係なく、主の語られた約束に同意したことによって、それを最後まで果たしてくださるのです。なぜなら、主は真実な方だからです。主は真実な方なので、どこまでもそれを貫いてくださるのです。

私たちがこのような神のご性質を覚えておくということは、極めて重要なことです。なぜなら、神が私たちといったん約束されたなら、それは必ず成就するからです。神は契約を遵守される方なのです。それゆえに私たちは神の約束を求め、その約束を受け取るまで、忍耐して祈らなければなりません。なぜならヘブル10章35~36節にはこうあるからです。「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」

それならばなぜ神はすぐに約束を成就されないのでしょうか。それは私たちのためです。私たちがあえて忍耐することによって主の御前にへりくだるためなのです。もし約束されたことがすぐに成就するとしたらどうなるでしょうか。いつの間にかそれを自分の手によって成し遂げたかのように思い込み、高ぶってしまうことになります。自分自身の努力や熱心さによって達成したかのように思い込み、神の栄光を奪い取ってしまうことになるでしょう。ですから、神は忍耐することを通して、待つことを通して、それが自分の力ではなく神の力によって成し遂げられたことを深く刻みつけようとされるのです。

もう一つの理由は、そのように忍耐することによって、私たちの信仰や人格を磨き上げようとしておられるからです。ローマ5章3~5節にはこうあります。「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることはありません。」
こうした忍耐を通してこそ練られた品性と希望が生み出されていくということを覚えるとき、むしろ困難を静かに耐えることが神のみこころであり、そのとき私たちの人格が成長させられていくのです。

それゆえ、神が約束されたことが成就しないと嘆いたり、疑ったりしてはなりません。約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。その忍耐を働かせることによって、練られた品性が生み出され、寝られた品性が希望が生み出されると信じて、この神の約束の御言葉に信頼して歩みましょう。主は必ずご自身の約束を成就してくださいますから。

 

ヨシュア記8章

2023年2月8日(水)バイブルカフェ
ヨシュア記8章

きょうはヨシュア記8章から学びたいと思います。

 Ⅰ.アイの攻略(1-9)

 まず1~2節をご覧ください。「1 主はヨシュアに言われた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民をすべて率い、立ってアイに攻め上れ。見よ、わたしはアイの王と、その民、その町、その地をあなたの手に与えた。2 あなたがエリコとその王にしたとおりに、アイとその王にもせよ。その分捕り物と家畜だけは、あなたがたの戦利品としてよい。あなたは町の裏手に伏兵を置け。」」

前回は7章からイスラエルがアイとの戦いに敗れた原因を学びました。それは、イスラエルの子らが、聖絶のもののことで罪を犯したからです。ユダ部族のカルミの子アカンが、聖絶のもののいくらかを取ったため、主の怒りがイスラエル人に向かって燃え上がったのです。そこでヨシュアは失意の中で主に解決を求めると、イスラエルの中から悪を一掃するようにと命じられました。そこでヨシュアはそれがアカンによる犯行であることが明らかになると、その言葉のとおり、彼とその家族のすべてと、彼の所有するすべてをアコルの谷に連れて行き、彼に石を投げつけ、火で焼き払いました。

あまりにも残酷な結果に、いったいなぜ神はそんなことをされるのかと不思議に思うところでしたが、それは神の残酷さを表していたのではなく罪の恐ろしさとともに、私たちも皆アカンのような罪深い者であるにもかかわらず、神はひとり子イエス・キリストの十字架の死によってその刑罰を取り除いてくださったがゆえに、そうしたすべての罪から赦されている者であり、神にさばかれることは絶対にないという確信を与えるためであったということでした。それゆえ、神を信じる者にとって最も重要なのは自分には罪がないと言うのではなく、その罪を言い表して、悔い改めるということです。悔い改めこそが信仰生活の生命線なのです。

今回の箇所では、聖絶のものを一掃しイスラエルに対する燃える怒りをやめられた主が、再びヨシュアに語られます。主は、ヨシュアに対してまず「恐れてはならない。おののいてはならない。」と語られました。「戦う民全部を連れてアイに攻め上」らなければなりません。ヨシュアは前回の敗北の経験を通してどれほどのトラウマがあったかわかりません。相当の恐れがあったと思いますが、恐れてはならないのです。おののいてはなりません。なぜなら、主が彼らとともにおられるからです。彼らの罪は取り除かれ、かつてヨルダン川を渡ったときのように、またエリコの町を攻略したときのように、主が彼らに勝利を与えてくださるからです。その勝利はここに「見よ。わたしはアイの王と、その民、その町、その地をあなたの手に与えた。」とあるように、もう既に彼らに与えられているのです。ですから、彼らはかつてエリコとその王にしたように、アイとその王にもしなければなりませんでした。しかし、ここにはエリコの時とは三つの点で違いがあることがわかります。第一に、「戦う民全部を連れてアイに攻め上れ」ということ、第二に、「分捕り物と家畜だけは、あなたがたの戦利品としてよい」ということ、そして第三に、「町の裏手に伏兵を置け」ということです。どういうことでしょうか。

まず「戦う民全部を連れてアイに攻め上れ」というのは、前回の攻略で攻め上ったのは3千人でしたが、今回は「全部の民」です。この時イスラエルの軍隊は20万人ほどであったと考えられます。その20万人すべてが戦いに参加するようにというのです。それは神が助けを必要とされるからではなく、すべての神の民が神の戦いに参加するためです。できることはひとりひとり皆違います。できないこともあるでしょう。しかし、神の戦いは全員で戦うものなのです。

先日サッカーのワールドカップで日本は、ドイツ、スペインという強豪国を破って決勝トーナメントに進出しましたが、スペイン戦での三苫選手のエンドライン1mmまであきらめないでボールを王姿勢に、世界中から称賛の声が上がりました。でもこの戦いで活躍したのは三苫選手だけではなく他のフィールドに立つ選手も、ベンチにいる選手も、さらには日本中のサポーターたちも一つになりました。みんなで戦った勝利でした。その結果、強豪国ドイツ、スペインを破るという大金星をあげることができたのです。

それは、神の戦いも同じです。戦う民全員が出て行かなければなりません。自分ひとりくらいいなくても大丈夫だろうなどと考えを抱いてはならないのです。全員で戦うという覚悟が求められているのです。

次に、「その分捕り物と家畜だけは、あなたがたの戦利品としてよい」ということですが、エリコとの戦いにおいては、金、銀、銅、鉄以外のすべてを聖絶しなければなりませんでした(6:18-19)。しかしアイとの戦いにおいては、その分捕り物と家畜だけは、彼らの戦利品とすることが認められました。すなわち、普通の聖絶の原則が適用されたのです(申命記2:34-35,3:6-7)。重要なことは、この原則の適用が人によって判断されるのではなく、神のみことばによってなされなければならないということです。自分が欲しいから取るのではなく、主が与えてくださるのを待たなければならないのです。主は、ご自分が良いと思われるときに、必要なものをちゃんと与えてくださるからです。

そして、「町のうしろに伏兵を置け」ですが、エリコの戦いのときとは戦術にかなりの違いが見られます。エリコの戦いでは伏兵を全く用いず、ほとんど戦わずして勝利することができました。彼らは神の指示されたとおり6日間町の周りを回り、そして7日目には7回ひたすら回り、ラッパの音とともに時の声を上げると、エリコの城壁が崩れ落ちました。しかし、アイとの戦いにおいてはそうではありません。町のうしろに伏兵を置くようにと言われたのです。これはどういうことでしょうか。神は必ずしも超自然的な方法のみによって敵を打ち破られるわけではないということです。むしろ、ご自分の民が正々堂々と戦い、また、ある場合には戦略をも用いて敵を打ち破られることもあるということです。神はそのときそのときに応じて最善に導いてくださるのであって、神が成されることを一定の法則の中に当てはめることはできないのです。よく「前の教会ではこうだったのに・・」という不満を耳にすることがあります。確かにそれまでの経験が生かされる時もありますが、神の働きにおいてはその時、その時みな違うのです。事実、私たちは大田原と那須とさくらで同時に教会形成を担っていますが、この三つの場所での働きを考えてもそこに集っておられる方々や置かれている状況が違うため、やり方は全く違います。ですから、大切なことは主が言われることを行なうことであり、御霊に導かれて進むことなのです。

次に、3~9節までをご覧ください。「3 そこでヨシュアは戦う民すべてとともに、アイに上って行くために立ち上がった。ヨシュアは三万人の勇士を選んで夜のうちに派遣し、4 彼らに命じた。「見よ、あなたがたは町の裏手から町に向かう伏兵だ。町からあまり遠く離れないで、みな身構えていなさい。5 私と、私とともにいる兵はみな町に近づく。アイの人々がこの前と同じように、私たちに立ち向かって出て来たら、私たちは彼らの前から逃げることにする。6 彼らは私たちを追って出て来るので、私たちは彼らを町からおびき出すことになる。彼らは『この前と同じように、われわれの前を逃げて行く』と言うだろうから。私たちは彼らの前で逃げることにする。7 あなたがたは伏せているところから立ち上がり、町を占領せよ。あなたがたの神、主がその町をあなたがたの手に渡される。8 その町を攻め取ったら、その町に火を放て。主のことばどおりに行うのだ。見よ、私はあなたがたに命じる。」9 ヨシュアは彼らを派遣し、彼らは待ち伏せの場所へ行き、ベテルとアイの間、アイの西側にとどまった。ヨシュアはその夜、兵とともに夜を過ごした。」

ヨシュアは戦う民全部と、アイに上って行く準備をしました。そしてその中から勇士たち3万人を選ぶと、主が命じられたとおり、伏兵として夜のうちに彼らを派遣し、町のうしろに配置しました。ヨシュアは前回と同じようにアイの町を北のほうから攻めますが、それはおとりです。アイの人々を町からおびき出すためです。アイから人々が出て来たら、ヨシュアたちは彼らの前で逃げるふりをします。そしてアイの町に戦う人たちがいなくなったところに、伏兵として待機していたイスラエルの勇士たちが入って行って占領するという戦略です。それはヨシュアの考えに基づいてのことではなく、主に命じられた命令に基づいてのことでした。ヨシュアは、主が言いつけられたとおりに行ったのです。

Ⅱ.勝利の投げ槍(10-29)

さて、その結果どうなったでしょうか。10~29節をご覧ください。23節までをお読みします。「10 翌朝ヨシュアは早く起きて、兵を召集し、イスラエルの長老たちとともに、兵の先頭に立ってアイに上って行った。11 彼とともにいた戦う民はみな、上って行った。彼らは町の前に近づき、アイの北側に陣を敷いた。彼とアイの間には谷があった。12 彼は約五千人を取り、ベテルとアイの間、町の西側に伏兵として配置した。13 兵は町の北側に全陣営を置き、町の西側にはその後陣を置いた。ヨシュアはその夜、谷の中に下って行った。14 アイの王がそのことに気づくと、町の男たち、王とその兵はみな、急いで朝早く起き出し、イスラエルに立ち向かって戦うために、アラバの手前の決めておいた場所に出て来た。しかし、王は町の裏手に伏兵がいることを知らなかった。15 ヨシュアと全イスラエルは彼らの前で打たれるふりをし、荒野への道を逃げた。16 アイにいた兵はみな彼らの後を追うために呼び集められ、ヨシュアを追撃し、町から誘い出された。17 そのため、イスラエルの後を追って出なかった者は、アイとベテルに一人もいなかった。彼らは町を開け放しのまま捨てておいて、イスラエルを追撃した。
18 主はヨシュアに告げられた。「あなたの手にある投げ槍をアイの方に伸ばせ。わたしがアイをあなたの手に渡すから。」ヨシュアは手にある投げ槍を町の方に伸ばした。19 すると、伏兵はすぐその場所から立ち上がった。ヨシュアが手を伸ばすやいなや彼らは走り、町に入ってそれを攻め取り、ただちに町に火を放った。20 アイの人々はうしろを振り返って見た。すると、町の煙が天に立ち上っていて、彼らには、どちらにも逃げる手立てがなかった。荒野へ逃げていたイスラエルの兵は、追って来た者たちの方に向き直った。21 ヨシュアと全イスラエルは、伏兵が町を攻め取り、町の煙が立ち上るのを見たので、引き返してアイの人々を討った。22 伏兵たちは町から出て来て彼らに向かった。そのため彼らは両側からイスラエルの挟み撃ちにあった。ヨシュアたちは、彼らを打ち殺し、生き残った者も、逃れた者も一人も残されないまでにした。23 しかし、アイの王は生け捕りにして、ヨシュアのもとに連れて来た。」

ヨシュアは先の3万人に加えて5千人を伏兵として町の西側に回らせました。そして民を町の北側に置くと、ヨシュアはその夜、谷の中で夜を過ごしました。アイの王がそのことに気付くと、翌朝早く、急いでイスラエルを迎えて戦うために出てきました。ヨシュアと全イスラエルが打たれたふりをして荒野への道に逃げたとき、アイの民はみな、彼らのあとを追って出て来ると、ヨシュアの合図とともに伏兵が走って町に入りそれを攻め取り、急いで町に火をつけました。荒野に逃げていた民も追って来た者たちのほうに向き直ると、ちょうどアイの民をはさみ打ちにするような形となり、アイの者たちを打ちました。イスラエルはアイの民を打つと、生き残った者ものがれた者もひとりもいないまでにしました。しかし、アイの王は生けどりにして、ヨシュアのもとに連れてきました。イスラエルは、主が言われるとおりにしたことで、完全な勝利を収めることができたのです。

ところで、18節には、アイがイスラエルの戦略にはまり、町を明けっ放しのままにしてイスラエルのあとを追ったとき、主はヨシュアに「手に持っている投げ槍をアイのほうに差し出せ。わたしがアイをあなたの手に渡すから。」と言われました。いったいこの「投げ槍」とは何だったのでしょうか。その手が伸びたとき、陰に隠れていた伏兵が立ち上がり、町に入ってそれを攻め取り、急いで町に火をつけました。それはかつてイスラエルがアマレクと戦ったときモーセが神の杖を手に持って、戦いの間中手を上げていた姿を思い起こさせます(出17:8-16)。ヨシュアはそれを記録するようにと命じられましたが、ここでは投げ槍が差し伸ばされたことが勝利の合図となり、敵を聖絶することができました。まさにそれは祈りの手だったのです。ヨシュアは主に命じられたとおりに投げ槍をアイの方に差し伸ばし、主が戦ってくださるのを祈ったのです。

これは私たちにも求められていることです。祈りの手を差し伸ばさなければなりません。それを止めてはならないのです。主がよしと言われるまで差し伸ばし、主が働いてくださることを待ち望まなければならないのです。

次に24~29節をご覧ください。「24 イスラエルがアイのすべての住民を野で、すなわち彼らが追って来た荒野で殺したとき、アイの住民はみな一人残らず剣の刃に倒れた。全イスラエルはアイに引き返し、町を剣の刃で討った。25 その日、倒れた者は男女合わせて一万二千人、アイのすべての人々であった。26 ヨシュアはアイの住民をことごとく聖絶するまで、投げ槍を差し出した手をもとに戻さなかった。27 イスラエルは主がヨシュアに命じられたことばのとおり、その町の家畜と分捕り物だけを自分たちの戦利品とした。28 ヨシュアはアイを焼き、永久に荒れ果てた丘とした。今日もそうである。29 さらに、ヨシュアはアイの王を夕方まで木にかけてさらし、日の入るころ人々に命じた。それで彼らはその死体を木から降ろし、町の門の入り口に投げ捨て、その上に大きな石塚を積み上げた。今日もそうである。」

こうしてアイの軍隊を打ち破ると、イスラエルはアイの町に入って住民を皆殺しにしました。女、子供を含めた全住民を殺すことは人道主義に反するようですが、聖絶するためという明白な理由のためにそのようにしたのです。聖絶とは何ですか?聖絶とは、神のものを神のものとすることです。神のものとして分離することです。そうでないものを徹底的に取り除のです。イスラエルにとってこれは聖戦だったのです。彼らがその地に入って行っても、神の民として神の聖さを失うことがないように、主はそうでないものを聖絶するようにと命じられたのです。

それは、神の民である私たちも同じです。私たちは常に肉との戦いがあります。そうした戦いの中でそれと分離しなければなりません(Ⅱコリント6:14~18)。それによって主は私たちの中に住み、共に歩んでくださるからです。それなのに、私たちはどれほどそのことを真剣に求めているでしょうか。この世と妥協していることが多くあります。「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。」(Ⅰペテロ2:15)とあるように、あらゆる行いにおいて聖なるものとされることを求めていきたいと思います。

Ⅲ.エバル山の祭壇(30-35)

終わりに30節から35節までを見ていきたいと思います。「30 それからヨシュアはエバル山に、イスラエルの神、主のために一つの祭壇を築いた。31 それは、主のしもべモーセがイスラエルの子らに命じたとおり、またモーセの律法の書に記されているとおり、鉄の道具を当てない自然のままの石の祭壇であった。彼らはその上で【主】に全焼のささげ物を献げ、交わりのいけにえを献げた。32 ヨシュアはその場所で、モーセがイスラエルの子らの前で書いた律法の写しを、石の上に書いた。33 全イスラエル、その長老たち、つかさたち、さばき人たちは、寄留者もこの地で生まれた者も同様に、主の契約の箱を担ぐレビ人の祭司たちの前で、箱のこちら側と向こう側とに分かれ、半分はゲリジム山の前に、もう半分はエバル山の前に立った。それは【主】のしもべモーセが以前命じたように、イスラエルの民を祝福するためであった。34 その後、ヨシュアは、みおしえの書に記されているとおりに、律法のすべてのことばを、祝福ものろいも読み上げた。35 モーセが命じたすべてのことばの中で、ヨシュアが、イスラエルの集会全体、および女と子どもたち、および彼らの間で生活する寄留者の前で読み上げなかったことばは、一つもなかった。」

それからヨシュアは、エバル山にイスラエルの神、主のために一つの祭壇を築きました。ヨルダン川を渡ることも、エリコとアイの攻略も信仰生活の一部であり、祭儀の執行であったにもかかわらず、また、ギルガルでは40年ぶりに割礼を施し過越しのいけにえをささげました(5:2-12)。にもかかわらず、なぜアイの攻略後に再び祭壇を築いたのでしょうか。

「エバル山」は「はだかの山」という意味の、アイの北方50㎞にある山です。標高は940m、谷からは367mもそびえている山です。アイからそこへ向かうには最低でも2日はかかります。それゆえ、戦いを終えたばかりのヨシュアがこのような遠路を旅することができるはずがなく、これは後代の挿入ではないかと主張する人たちもいるほどです。

しかしそれは、申命記27章においてモーセによって命じられていたことでした。すなわち、イスラエルがヨルダン川を渡ったならばエバル山に主のための祭壇、石の祭壇を築き、そこで全焼のいけにえと和解のいけにえをささげなさい、ということです。ヨシュアはそのとおりにしたのです。それにしてもなぜこの時だったのでしょうか。それは、エリコとアイとの戦い、またアカンの事件を経験し、これからさらに多くの敵と戦わなければならないイスラエルにとって、エバル山での祝福と呪いの律法の確認は、まことにふさわしいものであったからです。

石の上に律法の写しが書かれると、イスラエルの民はゲリジム山とエバル山の二つに分かれて立ち、律法のすべてのことばを、祝福ものろいも読み上げました。ヨシュアはモーセが命じたとおりにし、読み上げられなかったことばは一つもありませんでした。それは、イスラエルの中心は神のことばであり、その神のことばによってこそ彼らは強くなり、勝利することができるからです。それは、私たちも同じです。私たちも神のみことばによって強められ、神のことばに徹底的に従い、信仰によって神の約束を自分のものにしていく者でありたいと思います。

 

ヨシュア記7章

ヨシュア記7章

 

きょうはヨシュア記7章から学びたいと思います。

 

 Ⅰ.アカンの罪(1-9)

 

まず1~9節までをご覧ください。5節までをお読みします。「1 しかし、イスラエルの子らは聖絶の物のことで主の信頼を裏切った。ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶の物の一部を取った。それで、主の怒りがイスラエルの子らに向かって燃え上がった。2 ヨシュアは部下をエリコからベテルの東、ベテ・アベンの近くにあるアイに遣わし、彼らに言った。「上って行って、あの地を偵察せよ。」部下たちは上って行って、アイを偵察した。3 彼らはヨシュアのもとに帰って来て言った。「民をみな上って行かせるには及びません。二、三千人ぐらいを上らせて、アイを討たせるとよいでしょう。彼らはわずかですから、民をみな送って骨折らせるには及びません。」4 そこで民のうち、およそ三千人がそこに上って行ったが、彼らはアイの人々の前から逃げた。5 アイの人々は彼らの中の三十六人を打ち殺し、彼らを門の前からシェバリムまで追って、下り坂で彼らを討った。民の心は萎え、水のようになった。」

 

神の不思議な方法によってエリコで勝利を収めたイスラエルは、さらに西へと向かい、次の攻撃の目標であるアイへと進みました。アイは、エリコから20㎞ほど北西に離れたところにあります。そして、さらに7~8㎞ほど西に進むとベテルがあります。それはエリコよりも標高が1,000メートルほど高いところにあったため、そこへ行くには道を上っていかなければなりませんでした。しかしそこは難攻不落と言われていたエリコに比べ以前から廃墟となっているような町で、難なく攻略できるかのような町でした。実際、事前にヨシュアによって派遣された偵察隊によると、その地にいるのはわずかなので民全部を行かせる必要はないと報告したほどです。当時アイの人口は12,000人で、戦闘可能な兵士は約3,000人でした。ですから、民をみな上らせる必要はなく、2,000~3,000人ぐらい上らせて打たせるとよいでしょうと進言したのです。それでイスラエルの民3,000人がそこに上って行くと、彼らは思いがけない攻勢を受け、アイの人々から逃げてしまいました。アイの人々はイスラエルの中の36人を打ち殺し、彼らを門の前からシェバリムまで追い、下り坂で彼らを打ちました。それでイスラエルの民の心は萎え、水のようになってしまいました。いったい何が問題だったのでしょうか。6~9節までをご覧ください。

「6 ヨシュアは衣を引き裂き、イスラエルの長老たちとともに、主の箱の前で夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶった。7 ヨシュアは言った。「ああ、神、主よ。あなたはどうして、この民にヨルダン川をあえて渡らせ、私たちをアモリ人の手に渡して滅ぼそうとされるのですか。私たちは、ヨルダンの川向こうに居残ることで満足していたのです。8 ああ、主よ。イスラエルが敵の前に背を見せた今となっては、何を申し上げることができるでしょう。9 カナン人やこの地の住民がみな、これを聞いて私たちを攻め囲み、私たちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、あなたの大いなる御名のために何をなさるのですか。」」

 

ヨシュアは衣を引き裂き、イスラエルの長老たちといっしょに、主の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶりました。そして、いったいどうしてこのようなことになってしまったのかと嘆きました。ヨシュアの信仰はどこへ行ってしまったのでしょうか。ヨルダン川渡河を導き、エリコの攻略を成功させた指導者のことばとは思えないことばです。けれども、これが人間の現実なのです。神の前に正しい人であったヨブも、試練の中で信仰の弱さを露呈しました。それは私たちも同じです。どんなに奇しい主の御業を体験しても、ちょっとでも自分の思うようにいかなかったり、嫌なこと、苦しいこと、辛いことがあると、次の瞬間にはもう嘆いてしまいます。ヨルダン川の向こう側にいた方が良かった、というようなことを言ってしまうのです。ただヨシュアはそれだけで終わらず、そのような悲しみの中にあってもその敗北の原因は何だったのかを主に尋ねます。敗北を味わうことは人生の中で多々あることですが、大切なのはその敗北の原因をつきとめ、それを除り除くように努めることです。

 

Ⅱ.身をきよめなさい(10-15)

 

主はへりくだって祈るヨシュアに、その敗北の原因を示されます。10~15節までをご覧ください。「10 主はヨシュアに告げられた。「立て。なぜ、あなたはひれ伏しているのか。11 イスラエルは罪ある者となった。彼らはわたしが命じたわたしの契約を破った。聖絶の物の一部を取り、盗み、欺いて、それを自分のものの中に入れることまでした。12 だから、イスラエルの子らは敵の前に立つことができず、敵の前に背を見せたのだ。彼らが聖絶の者となったからである。あなたがたの中から、その聖絶の物を滅ぼし尽くしてしまわないなら、わたしはもはやあなたがたとともにはいない。13 立て。民を聖別せよ。そしてこう言え。あなたがたは、明日のために自らを聖別しなさい。イスラエルの神、主がこう告げられるからだ。『イスラエルよ、あなたの中に聖絶の物がある。あなたがたがその聖絶の物を、あなたがたの中から取り除くまでは、敵の前に立つことができない。14 明日の朝、部族ごとに進み出よ。主がくじで取り分ける部族は氏族ごとに進み出、主がくじで取り分ける氏族は家族ごとに進み出、主がくじで取り分ける家族は男一人ひとり進み出よ。15 聖絶の物のことでくじで取り分けられた者は、彼も彼に属するすべてのものも、火で焼かれなければならない。彼が主の契約を破ったからであり、彼がイスラエルの中で恥辱となることをしたからである。』」

 

いったい何が問題だったのでしょうか。油断したことですか、それとも戦術の不備でしょうか。いいえ、もっと本質的な原因がありました。それは、イスラエルが罪ある者となったことです。彼らは主が命じた聖絶の物の一部を取り、盗み、欺いて、それを自分のものの中に入れたのです。だから、敵の前に立つことができなかったのです。それゆえ、彼らの中から聖絶の物を滅ぼし尽くしてしまわないなら、主は彼らとともにいることはありません。彼らは聖別しなければなりませんでした。6章で見たように、エリコはカナン攻略の最初の町として神のものとしてささげられた町でした。それはすべて神のものだったのです。彼らの中のある者が、その神のものを盗み、自分のものにしたのです。それが問題でした。それが、彼らがアイに敗北した原因だったのです。つまり、1節に書かれてあることがその鍵だったのです。

「しかし、イスラエルの子らは聖絶の物のことで主の信頼を裏切った。ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶の物の一部を取った。それで、主の怒りがイスラエルの子らに向かって燃え上がった。」

 

これは7章全体の鍵になるみことばです。イスラエルに起こった出来事が語られる前に、1節で問題点がすでに指摘されていたのです。大勝利の陰に、次の敗北の芽が生えていたということです。聖絶すべきものをアカンが隠し持ったので、イスラエル全体が聖絶の危険に陥ってしまいました。ここではアカンの罪がアカン一人の罪ではなく、「イスラエルの子らは」とイスラエル全体の責任として問われています。イスラエルは神のいのちで結ばれた有機体であることを考えると、それはアカン一人の問題ではなく、イスラエル全体の問題なのです。それは伝染病を囲い込んだ群れと同じなのです。

 

いったいどうしたらいいのでしょうか。13節で、主はその解決策を語られます。「立て。民を聖別せよ。そしてこう言え。あなたがたは、明日のために自らを聖別しなさい。イスラエルの神、主がこう告げられるからだ。『イスラエルよ、あなたの中に聖絶の物がある。あなたがたがその聖絶の物を、あなたがたの中から取り除くまでは、敵の前に立つことができない。」

その解決のために主がイスラエルに求められたことは、民を聖別せよ、きよめよということです。彼らのうちから聖絶のものを除き去るということです。それまで主は彼らとともにはおらず、敵の前に立つことはできないと言われました。

 

主は人の目に隠れた小さな罪でも見逃しません。私たちに罪があるなら、主がともに働くことはできないのです。イザヤ書59章1~2節をご覧ください。「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」

主の御手が短くて救えないのではありません。その耳が遠くて、聞こえないのでもありません。私たちの咎が、私たちと神との間の仕切りとなり、私たちの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのです。私たちに起きている問題の原因はどこか別のところにあるのではなく、私たち自身にあるのです。失敗のきっかけになった原因を「あの人」「あの事」にばかりにして目を奪われずに、もう少し深いところを見つめなければなりません。その根本的な問題が、神との関係なのです。その神との関係のために、罪が取り除かれなければならないのです。

 

そして、主が示された方法は、彼らが部族ごとに進み出て、その中からくじで取り分けるという方法でした。部族、氏族、家族は、男ひとりひとり進み出なければなりませんでした。そして聖絶のものを持っている者が取り分けられたなら、その者は、所有物全部といっしょに、火で焼かれなければなりませんでした。アカンを特定する方法について、くじによって違反者を見出すというのは、冤罪を生み出す懸念もありますが、これは神がこの問題に限って定めた方法であり、アカンの自白によって、適切な方法であったと見ることができます。

 

Ⅲ.悪を取り除く(16-26)

 

16~26節をご覧ください。まず21節までをお読みします。「16 翌朝ヨシュアは早く起き、イスラエルを部族ごとに進み出させた。ユダ部族がくじで取り分けられた。17 ユダの諸氏族を進み出させると、ゼラフ人の氏族がくじで取り分けられた。ゼラフ人の氏族を男一人ひとり進み出させると、ザブディがくじで取り分けられた。18 ザブディの家族を男一人ひとり進み出させると、ユダ部族のゼラフの子ザブディの子カルミの子のアカンが、くじで取り分けられた。19 ヨシュアはアカンに言った。「わが子よ。イスラエルの神、主に栄光を帰し、主に告白しなさい。おまえが何をしたのか、私に告げなさい。私に隠してはいけない。」20 アカンはヨシュアに答えた。「確かに、私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。私は次のようなことをしました。21 私は分捕り物の中に、シンアルの美しい外套一着と、銀二百シェケルと、重さ五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て欲しくなり、それらを取りました。それらは今、私の天幕の中の地面の下に隠してあり、銀もそこにあります。」:22 そこでヨシュアは使いたちを送った。彼らは天幕に走って行った。すると、それらはアカンの天幕に隠されていて、銀もその下にあった。23 使いたちはそれらを天幕の中から取り出し、ヨシュアとすべてのイスラエルの子らのところに持って来て、主の前に置いた。24 ヨシュアは全イスラエルとともに、ゼラフの子アカンと銀、外套、金の延べ棒、および彼の息子、娘、牛、ろば、羊、天幕、それに彼のすべての所有物を取って、アコルの谷へ運んだ。25 ヨシュアは言った。「なぜ、おまえは私たちにわざわいをもたらしたのか。主は今日、おまえにわざわいをもたらされる。」全イスラエルは彼を石で打ち殺し、彼の所有物を火で焼き、それらに石を投げつけた。26 人々はアカンの上に石くれの大きな山を積み上げた。今日もそのままである。主は燃える怒りを収められた。それで、その場所の名はアコルの谷と呼ばれた。今日もそうである。」

 

そこで、翌朝ヨシュアは早く起き、イスラエルを部族ごとに進み出させました。するとユダの部族がくじで取り分けられました。さらにユダの諸氏族を進み出させると、ゼラフ人の氏族が取り分けられました。ゼラフ人の氏族を男ひとりひとり進み出させると、ザブディが取り分けられ、ザブディの家族を男一人ひとり進み出させると、アカンが取り分けられました。原因はこのアカンでした。

 

するとヨシュアはアカンに言いました。「わが子よ。イスラエルの神、主に栄光を帰し、主に告白しなさい。おまえが何をしたのか、私に告げなさい。私に隠してはいけない。」ここでヨシュアはアカンに対して「わが子よ」と言っています。罪に対しては厳しいですが、罪人に対しては優しさを感じます。わが子よ、あなたが何をしたのかを私に告げなさい・・と。するとアカンは、自分が聖絶のものを盗んだことを告白します。するとヨシュアは使いを遣わして、アカンが言ったことが本当であることを確かめると、確かに彼が言ったとおり、聖絶のものが彼の天幕に隠されてあったので、アカンと彼の息子、娘、家畜、それに彼の所有物のすべてをアコルの谷に連れて行き、彼らを石で打ち殺し、彼らのものを火で焼き、それらに石を投げつけました。そこで、主はイスラエルに対する燃える怒りをやめられました。

 

この大変な罪のためにアカンとその全家族が滅ぼされました。それにしても、あまりにも残酷です。アカンだけならまだしも、ここではその家族全員が打ち殺されています。いったいこれはどういうことなのでしょうか。それは、神は罪を赦すお方ですが、罪を見過ごしたり大目に見たりすることはないということです。必ずけじめをつけられます。これは神の無慈悲を表しているのではなく、罪の悲惨さを表しているのです。そして、その罪のもたらす影響がどれほど大きいものであるのかを示しているのです。パウロはコリント人への手紙の中でこう述べています。Ⅰコリント5章6~7節です。「6 あなたがたが誇っているのは、良くないことです。わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませることを、あなたがたは知らないのですか。7 新しいこねた粉のままでいられるように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。」

ここには古いパン種を取り除くように、と言われています。この古いパン種とは神の目にかなわない罪、咎のことです。なぜなら、そのようなものがあると、それが粉全体をふくらませることになるからです。つまり、パン全体に影響を及ぼしてしまうことになります。だから古いパン種を取り除かなければなりません。それは粉全体、教会全体を守るためです。それはちょうど体を蝕む癌のようなもので体全体を蝕んでしまいます。そのための最善の処置は何かというと、癌細胞のすべてを取り除くことなのです。それと同じように、教会の中に悪があれば、その細胞のすべて取り除かなければなりません。それはひどい話ではなく、そうしなければ全体が滅んでしまうになるのです。それゆえ、私たちは私たちの内に罪があるならそれを取り除かなければなりません。

 

しかし今日において、私たちがアカンのように神に滅ぼされることはありません。なぜなら、イエス様が私たちの身代わりとなって十字架で死んでくださったからです。私たちの罪は既に赦されているのです。主はご自身の御子イエス・キリストの贖いによって、私たちに対する燃える怒りをやめられたのです(26節)。Ⅰヨハネ1章6~9節を開いてください。ここには、「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。もし罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」とあります。

御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。ですから、この箇所を人々の心の中に隠されている罪の糾弾と、それに対する神の裁きとしてだけ適用してはなりません。私たちはみな神の前に罪人であり、神のさばきを受けなければならない者ですが、そのような者も赦してくださる神の恵み、あわれみが語られなければならないのです。私たちに求められているのは、悔い改めることであり、主の赦しのもとに新しい一歩を踏み出すことなのです。

ヨシュア記6章

2023年1月11日(水)バイブルカフェ

聖書箇所:ヨシュア記6章

 

きょうはヨシュア記6章から学びたいと思います。

 

 Ⅰ.城壁がくずれるために(1-11)

 

 まず1~11節までをご覧ください。1節と2節をお読みします。「1 エリコはイスラエルの子らの前に城門を堅く閉ざして、出入りする者はいなかった。2 主はヨシュアに告げられた。「見よ、わたしはエリコとその王、勇士たちをあなたの手に渡した。」

 

主の奇跡的な御業によってヨルダン渡河を果たしたイスラエルは、まず割礼を施し、過越しのいけにえをささげました。それからヨシュアがエリコの近くにいたとき、抜き身の剣を手にした主の軍の将から、「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」(5:15)と命じられ、ヨシュアはそのようにしました。すなわち、彼は主の御前に自らを明け渡し、主の命じられることに従っていく決心をしたのです。そして、カナンの地の占領に向けて突き進んで行きます。

 

その最初の取り組みは、エリコの町を攻略することでした。エリコの町はパレスチナ最古の町と言われており、その町はパレスチナの主要都市であっただけでなくパレスチナにおける交通の要所であり、軍事的にも重要な拠点でした。ですから、このエリコの町を攻略することができるかどうかは、その後のヨシュアの戦いにとって極めて重要なことでした。

 

しかし、1節に「エリコはイスラエルの子らの前に城門を堅く閉ざして、出入りする者はいなかった。」とあるように、周囲には高い城壁が巡らされておりだれひとり出入りすることができない難攻不落の町でした。この難攻不落の要塞を前にしてヨシュアは早くも壁にぶち当たり、悩んでいたのではないかと思います。

 

そのような時主がヨシュアに語られました。2節です。「見よ、わたしはエリコとその王、勇士たちをあなたの手に渡した。」

ここで注目していただきたいのは、主がヨシュアに、エリコとその王、および勇士たちをあなたの手に渡したと、完了形で言われたことです。まだ起こっていない未来のことが、もう既に彼の手に渡っているということです。このことは、私たちの信仰生活において極めて重要なことを示しています。それは、たとえそれがまだ起こっていない未来のことであっても、神の約束の言葉があれば必ず成就するということです。すなわち、たとえそれが未来のことであっても完了形となるのです。ですから、私たちは何かを始めていくときまず主の前に祈り、主から約束の言葉をいただいてから始めていくことが重要です。

 

以前、礼拝後にM神学生を招聘することについて祈りと話し合いが持たれました。教会の将来のことを考えるとどうしても若い働き人が必要なことは明らかですが、経済的状況をみるとそれはとても不可能なことのように思えました。しかし、みことばを読めば読むほど神のみここはどこにあるのだろうかと祈らされるようになりました。その一つがこのヨシュア記3章にあるヨルダン川渡河の出来事でした。イスラエルの民はどのようにしてヨルダン川を渡ることができたのでしょうか。それはヨルダン川の水がせき止められたので渡ったのではなく、契約の箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、ヨルダン川の水が完全にせきとめられたので、彼らはその乾いたところを渡ることができたのです。状況的には完全に不可能なことのようでしたが、神のみこころは状況を見ることではなく、神のみことばに聞き従うことだったのです。そのとき、主の御業がなされました。ですから、私たちはまず神のみこころは何かを祈り、それに従うことが求められるのです。結局、その後にか月間祈り求めていくことになり、最終的にO教会の牧師に着任することになりました。

 

ところで、主はどのようにしてエリコの町を彼らの手に渡されたのでしょうか。次に、3~5節までをご覧ください。「3 あなたがた戦士はみな町の周りを回れ。町の周囲を一周せよ。六日間そのようにせよ。4 七人の祭司たちは七つの雄羊の角笛を手にして、箱の前を進め。七日目には、あなたがたは七回、町の周りを回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らせ。5 祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたら、民はみな大声でときの声をあげよ。そうすれば町の城壁は崩れ落ちる。民はそれぞれ、まっすぐに攻め上れ。」」

 

ここで主は、大変不思議なことをヨシュアに言われました。戦士はみな町のまわりを回れ、というのです。町の周囲を一周し、それを六日間続けます。七人の祭司たちが七つの雄羊の角笛を手にして、箱の前を進みます。そして七日目には、町の周囲を七回周り、祭司たちは角笛を吹き鳴らすのです。そして祭司たちが長く吹き鳴らす角笛の音を聞いたなら、民はみな大声でときの声をあげよ、というのです。そうすれば、城壁が崩れ落ちると。崩れ落ちたら、民はそれぞれまっすぐ攻め上らなければなりませんでした。

これは全く軍事的な行動ではありません。宗教的行為です。こんなことをして一体どうなるというのでしょうか。途中で敵がそれに気づいて襲ってくるかもしれないし、襲って来なくても、その行動を見てあざ笑うことでしょう。いったいなぜ、主はこのような命令を出されたのでしょうか。それは、彼らが自分たちの考えではなく神のみこころに徹底的に従うなら、神が勝利を与えてくださるということを示すためでした。

 

イザヤ55章8~9節には、このようにあります。「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。─主の御告げ─天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」

私たちの思いと神の思いとは異なります。私たちがどんなに愚かな知恵を絞って、ああでもない、こうでもないと話し合っても、結局は複雑な迷路に落ち込み不信仰に落ち込んでいくだけですが、しかし人知をはるかに超えた神の知恵に自分自身をゆだね、あるいはその問題をゆだねるなら、そこに不思議な神の御業が現されるのです。

 

今から5年前、妻がこれまで13年間働いてきたさくら市の小学校を突然解雇されました。次年度からは担任の先生が英語を教えるようにしたいという教育委員会の方針が変わったからということでした。それにしても長年働き、来年もお願いしたいと言われていたのにどうして急に話が変わったのか、当初はなかなか受け止められませんでした。自分たちの生活を考えると、もう少し働く必要があったからです。その時、では大田原市の教育委員会に聞いてみようと電話したところ、ちょうど一人のALTが欠員になってしまったのでお願いしたいということになり、大田原の教育委員会で働くことになりました。それは3月に入ってからのことだったので考えられないことでしたが、神様は私たちをあわれんでくださり、その道を開いてくださったのです。

そればかりではありません。さくら市の小学校を解雇されたお陰で、これまでできなかった小学生への伝道ができるようになりました。教会でサマー・イングリッシュ・デイ・キャンプを行うことになったとき、それを小学校で配ることができたのです。以前働いていた小学校の教頭先生にお願いしたところ、「どうぞ配ってください」と快く了承してくれただけでなく、「たくさん集まるといいですね。」と後でお電話までくださいました。するとその翌日から申し込みが相次ぎ、結局その年のキャンプには66人の参加申込があったのです。

それを見て、私は「はっ」としました。妻が小学校を解雇されたのはこのためだったのかと思ったからです。もしそこに留まっていれば妻の写真が載ったチラシを学校で配ることはできなかったでしょう。しかしそこを完全に辞め、しかもよく知っている先生方がおられたので、むしろ効果的にチラシを配布することができました。まさに私たちの思いと神の思いとは異なり、神の道は完全であるということを実感させられました。

 

ですから、それがたとえ私たちに理解できないことであっても、あるいは、敵にあざけられるようなことであっても、主が命じておられるのであれば、そのみことばに従わなければなりません。特に、ここには「七」という数字が強調されていることに注目してください。エリコの町を七日間回ること、七日目には七度回ること、七人の祭司、七つの雄羊の角笛と「七」が強調されているのは、これが完全な神の御業としてなされることが強調されているのです。

 

それに対してヨシュアはどうしたでしょうか。6~11節をご覧ください。「6 ヌンの子ヨシュアは祭司たちに呼びかけた。「契約の箱を担ぎなさい。七人の祭司たちは七つの雄羊の角笛を持ち、主の箱の前を進みなさい。」7 そして民に言った。「進んで行き、町の周りを回りなさい。武装した者たちは主の箱の前を進みなさい。」

8 ヨシュアが民にそう言ったとき、七人の祭司たちは、七つの雄羊の角笛を持って【主】の前を進み、角笛を吹き鳴らした。主の契約の箱はそのうしろを進み、9 武装した者たちは、角笛を吹き鳴らす祭司たちの前を行き、しんがりは角笛を吹き鳴らしながら箱のうしろを進んだ。10 ヨシュアは民に命じた。「あなたがたはときの声をあげてはならない。声を聞かせてはならない。口からことばを出してはならない。『ときの声をあげよ』と私が言うその日に、ときの声をあげよ。」11 こうして主の箱は町の周りを回り、その周囲を一周した。彼らは宿営に帰り、宿営で夜を過ごした。」

 

ヨシュアは、主が言われたとおりにしました。イスラエルの民も、そのヨシュアの声に従いました。それは世界の戦争の歴史の中でも最も異様な光景でしたが、彼らは主が言われるとおりにしたのです。

10節に注目してください。ここには、「あなたがたはときの声をあげてはならない。声を聞かせてはならない。口からことばを出してはならない。『ときの声をあげよ』と私が言うその日に、ときの声をあげよ。」とあります。口からことばを出してはいけません。黙っていなければなりませんでした。なぜでしょうか。主の戦いに人間の声は必要ないからです。人間が口から出すことばによって、主の働きが妨げられてしまうことがあります。しかし、黙っているということはなかなかできることではありません。特に女性にとっては大変なことでしょう。ある若い婦人は、「私は夫が聞いていても、いなくても、とにかく話します」と言っておられました。話さないではいられないのです。まあ、これは女性に限ったことではありませんね。男性にも言えることです。私も良く妻に言われます。しかし、主の戦いにおいては黙っていなければなりません。

 

また、主の戦いにおいてもう一つ注意しなければならないことがあります。それは、焦らないということです。11節を見ると、ヨシュアは1日に一度だけ町の回りを回らせたとあります。これはなかなか忍耐のいることです。どうせなら一日に七度回ってその日のうちに終わらせた方が効率的だと思うのですが、ヨシュアはこの点でも主に従いました。主は、私たちの思いと異なる思いを持っておられ、私たちの道と異なる道を持っておられます。ですから、私たちはに必要なのは、自分の悟りに頼らないで、主に拠り頼むことです。

 

Ⅱ.くずれた城壁(12-21)

 

次に、12節から21節までをご覧ください。「12 翌朝ヨシュアは早く起き、祭司たちは主の箱を担いだ。13 七人の祭司たちは、七つの雄羊の角笛を持って主の箱の前を進み、角笛を吹き鳴らした。武装した者たちは、彼らの先頭に立って行き、しんがりは角笛を吹き鳴らしながら主の箱のうしろを進んだ。14 彼らは二日目も町の周りを一周回り、宿営に帰った。六日間そのようにした。15 七日目、朝早く夜が明けかかるころ彼らは起き、同じようにして町の周りを七周回った。この日だけは町の周りを七周回った。16 七周目に祭司たちが角笛を吹き鳴らしたとき、ヨシュアは民に言った。「ときの声をあげよ。主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。17 この町とその中にあるすべてのものは主のために聖絶せよ。遊女ラハブと、その家にともにいる者たちだけは、みな生かしておけ。彼女は私たちが送った使いたちをかくまってくれたからだ。18 あなたがたは聖絶の物には手を出すな。あなたがた自身が聖絶されないようにするため、すなわち、聖絶の物の一部を取ってイスラエルの宿営を聖絶の物とし、これにわざわいをもたらさないようにするためである。19 ただし、銀や金、および青銅や鉄の器はすべて主のために聖別されたものである。それらは主の宝物倉に入れよ。」20 民はときの声をあげ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。角笛の音を聞いて民が大声でときの声をあげると、城壁は崩れ落ちた。そこで民はそれぞれ、まっすぐに攻め上り、その町を攻め取り、21 町のものをすべて、男も女も若者も年寄りも、また牛、羊、ろばも剣の刃で聖絶した。」

 

翌朝ヨシュアは早く起き、主が言われたことを実行に移しました。すなわち、祭司たちは主の箱を担ぎ、七人の祭司たちは、七つの雄羊の角笛を持って主の箱の前を進み、角笛を吹き鳴らしました。武装した者たちは、彼らの先頭に立って行き、しんがりは角笛を吹き鳴らしながら主の箱の後ろを進みました。京都の祇園祭の山鉾巡業みたいですね。「エンヤラヤー」の掛け声とお囃子の響きに合わせて神輿が進んで行きます。ただ違うのは、イスラエルの行進はエリコとの戦いのためであったということです。

イスラエルの民は、その翌日も同じように町を一周して宿営に帰り、六日間同じようにしました。いったい彼らはどんな気持ちだったでしょうか。最初のうちに希望とか期待に喜び勇んでいたかもしれませんが、それが二日、三日と続く中で無駄なことではないかという思いも芽生えていたかもしれません。しかし、そのように彼らの中に無意味とも思えることの繰り返しで希望が潰えてしまうような時に、神は勝利の合図を送られました。七週目に祭司たちが吹き鳴らす角笛の音を聞いて、大声で時の声をあげると、城壁はくずれ落ちたのです。

 

これが神の時だったのです。私たちも時として「主よ、いつまでですか」と叫ばずにはいられないような時がありますが、そのような時にこそ神は御業を成されるのです。モーセの死後、あのヨルダン渡河の奇跡と、このエリコの城壁が崩れたという奇跡によって、出エジプトの神はその大能の御手をもってヨシュアとその民と共におられるということが、ここで完全に立証されました。そして、民はまっすぐに町へ上って行き、その町を攻め取りました。

 

ところで、ヨシュアはこのエリコの町を占領するにあたり、この町のすべてのものを、主のために聖絶しなさい、と命じました。その町にあるもの、男も女も、若い者も年寄りも、また牛、羊、ろばも、すべて聖絶しなければなりませんでした。ただし、銀、金、および青銅の器、鉄の器はすべて、主のために聖別されたものなので、主の宝物倉に持ち込まなければなりませんでした。

 

「聖絶」とは、ヘブル語の「ハーラム」(חָרַם)ということばで、旧約聖書に51回使われていますが、このヨシュア記には14回も使われています。それは神がすでに「与えた」と言われる約束の地カナンにおいて、そこを征服し、占領していく戦いにおいて、「聖絶する」ことが強調されていたからです。

この「ハーラム」(חָרַם)は英語訳では、「totally destroyed」とか「completely destroyed」と訳されています。つまり、徹底的に破壊すること、完全に破壊することです。すべてのものを打ち殺すという意味です。すなわち、神のものを神のものとするために、そうでないものを完全に破壊するということです。このことばの意味だけを考えるなら、「なんと残酷な」と思うかもしれませんが、しかしイスラエルが神の民として神の聖さを失い、他のすべての国々のようにならないようにするためにはどうしても必要なことだったのです。つまり、「聖絶」とは、神の「聖」を民に守らせる戦いなのです。

 

それは神の民であるクリスチャンにも求められています。Ⅱコリント6章17~18節に、次のようにあります。「それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」(Ⅱコリント6:17)

神の民として贖われたクリスチャンも、この世から出て行き、彼らと分離しなければなりません。勿論それはこの世と何の関係も持ってはならないということではありません。この世に生きている限り、この世と関わりを持たずに生きることはできません。ここでパウロが言っていることは、この世に生きていながらもこの世から分離して神のものとして生きなければならないということです。そのためには、常に世俗的なものと戦う必要性があるのです。世俗的なものは何でしょうか。それを定義することは難しいことですが、あえて定義するとすれば、それは「神への信頼を妨げる一切のもの」と言えます。私たちがこの世に生きる限りこうした世俗的なものが絶えず襲い掛かって来て神への信頼を脅かしますが、神の民として生きるために、いつもこの世と分離しなければなりません。私たちにもこの「聖絶」(聖別)することが求められているのです。

 

Ⅲ.神のあわれみ(22-27)

 

最後に、22~27節を見たいとと思います。「22 ところで、ヨシュアはこの地を偵察した二人の男に言った。「あの遊女の家に行き、あなたがたが彼女に誓ったとおり、その女とその女に連なるすべての者を連れ出しなさい。」23 偵察した若者たちは行って、ラハブとその父、母、兄弟、彼女に連なるすべての者を連れ出した。彼女の親族をみな連れ出し、イスラエルの宿営の外にとどめておいた。24 彼らはその町とその中にあるすべてのものを火で焼いた。銀や金、および青銅や鉄の器だけは主の家の宝物倉に納めた。25 しかし、遊女ラハブと、その一族と、彼女に連なるすべての者をヨシュアが生かしておいたので、彼女はイスラエルの中に住んで今日に至っている。エリコを偵察させようとしてヨシュアが送った使いたちを、彼女がかくまったからである。26 ヨシュアは、そのとき誓った。「この町エリコの再建を企てる者は主の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。」27 主がヨシュアとともにおられたので、彼のうわさはこの地にあまねく広まった。」

 

エリコの町とその町の中にあるすべてのものは、主のために聖絶されましたが、遊女ラハブと、その家にいた者たちは助け出されました。それは以前ラハブが偵察したふたりの者をかくまったからです。あの時に遊女ラハブに誓ったとおり、ふたりの斥候は彼女の家に行き、彼女と彼女に属するすべての者を連れ出し、イスラエルの宿営の外にとどめておきました。すぐに彼らを宿営の中に入れなかったのは、おそらく彼らが異邦人だったので、その前に信仰告白と割礼を受ける必要があったからでしょう。しかし、そんな異邦人であった彼らもやがて神の民の中に加えられました。そればかりか、ラハブは遊女でありながらも救い主の系図に名を連ねるという栄光に浴することになるのです(マタイ1:5)。

 

こうして旧約聖書においても神は、この世における最も卑しい者に対しても救いと恵みを与えてくださる方であることを示してくださいました。それは限りない神の恵みとあわれみの表れです。たとえ私たちが、「こんなにひどい罪を犯したのだから、決して赦されることはないだろう」と思っても、神の恵みとあわれみは尽きることがありません。神はその罪よりもさらに上回り、私たちを満たしてくださるのです。

 

26節と27節には、このエリコの町の聖絶が徹底的なものであったことが記されてあります。いや徹底的であっただけでなく、それはヨシュアの時代を超えた未来にまで及ぶまでの徹底さでした。Ⅰ列王記16章34節には、「ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった。」とありますが、エリコの町を再建させようとするヒエルがエリコの町の礎を据えたとき、長子アビラムが死に、門を建てたとき末の子セクブが死んだことで、この言葉が文字通り成就しました。ここにはイスラエルをかくまったラハブと、イスラエルに敵対したエリコとの姿とが対比されています。

 

私たちも遊女ラハブのように救われるべき資格のない者でしたが、一本の赤いひもが彼女とその家族を救ったように、イエス・キリストの血に信頼することによって、神の怒りから救い出されました。そのように救い出された者として、神の民、神のものとして、神の深いご計画の中で、神に喜ばれる歩みをさせていただきたいと思います。

 

ヨシュア記5章

聖書箇所:ヨシュア記5章

 

きょうはヨシュア記5章から学びたいと思います。

 

Ⅰ.割礼をせよ(1-9)

 

まず1~9節までをご覧ください。「1 ヨルダン川の反対側、すなわち西側にいるアモリ人のすべての王たちと、海沿いにいるカナン人のすべての王たちは、主がイスラエル人の前で、彼らが渡り終えるまでヨルダン川の水を涸らしたことを聞くと、心が萎え、イスラエル人のゆえに気力を失ってしまった。

2 そのとき、主はヨシュアに告げられた。「火打石の小刀を作り、もう一度イスラエルの子らに割礼を施せ。」3 ヨシュアは自ら火打石の小刀を作り、ギブアテ・ハ・アラロテでイスラエルの子らに割礼を施した。4 ヨシュアが割礼を施した理由はこうである。エジプトを出たすべての民のうち男子、すなわち戦士たちはすべて、エジプトを出てから途中で荒野で死んだ。5 出て来た民はみな割礼を受けていたが、エジプトを出てから途中で荒野で生まれた民はみな、割礼を受けていなかった。6 イスラエルの子らは四十年間荒野を歩き回り、その間に民全体が、すなわちエジプトを出た戦士たち全員が、死に絶えてしまったからである。彼らが主の御声に聞き従わなかったので、私たちに与えると主が彼らの父祖たちに誓った地、乳と蜜の流れる地を、主は彼らには見せないと誓われたのである。7 そして、息子たちを彼らに代わって起こされた。ヨシュアは彼らに割礼を施したのである。彼らが途中で割礼を受けておらず、無割礼だったからである。8 民はみな割礼を受けると、傷が治るまで宿営の自分たちのところにとどまった。9主はヨシュアに告げられた。「今日、わたしはエジプトの恥辱をあなたがたから取り除いた。」それで、その場所の名はギルガルと呼ばれた。今日もそうである。」

 

イスラエルの神、主が、ヨルダン川の水を涸らし、ついに彼らが渡って来たことを聞くと、ヨルダン川のこちら側、すなわち西のほうにいたアモリ人のすべての王たちや、カナン人のすべての王たちの心は萎え、もはや戦う勇気をなくしてしまいました。したがって、もしこの時イスラエルが一挙にカナンの地に攻め込めば、たちまちの内にその地を占領することができたでしょう。しかし、主は攻め込む前に次の事をするようにと命じました。2節です。「火打石の小刀を作り、もう一度イスラエルの子らに割礼を施せ。」いったいなぜ主はこのように命じられたのでしょうか。

 

割礼は、古代からユダヤ人が守り行って来た儀式です。その由来はアブラハムの時代にまで遡ります。創世記17章10節には、アブラハムとその子孫が世々守るべきものとして神から与えられた契約で、男子の性器を包んでいる皮を切り取るというものでした。それは、彼らが主の民であるということのしるしだったのです。彼らは生まれて八日目に、この割礼を受けなければなりませんでした。それにしても、いったいなぜ神はこの時このように命じられたのでしょうか。

 

4節以降にその理由が記されてあります。つまり、エジプトから出て来たイスラエルの民のうち、戦士たちはみなエジプトを出て後、途中、荒野で死んでしまいましたが、途中、荒野で生まれた民はだれも割礼を受けていなかったからです。これからカナンの地を占領するにあたり彼らがまずしなければならなかったことは、この割礼を受けることでした。なぜなら、それは神の民のしるしとして、神への献身を表わすものとして受けるようにと、命じられていたことだからです。そのように神に献身し全面的に神に信頼することによってこそ、カナンの地での戦いに勝利することができるからです。それはある意味バプテスマを象徴していました。バプテスマは自分に死にキリストのいのち、神のいのちに生きることです。信仰の戦いにおいて最も重要なことは、このことなのです。それは言い換えるなら、自らを神に明け渡し、神に献身するということです。そうすれば、神が戦って勝利してくださいます。

 

たとえば、士師記に登場するギデオンが10万人にものぼるミデアン人との戦いに勝利することができたのは、わずか三百人の勇士たちによるものでした。当初は3万2千人の戦士がいましたが、主は、あなたといっしょにいる民は多すぎるから、恐れおののく者はみな帰らせるようにと言うと2万2千人が帰って行き、1万人が残りました。10万人に対して1万人です。絶対的に不利であるのは確かです。それなのに主は、これでも多すぎると言われました。それで彼らを水飲み場に連れて行き、そこで犬がなめるように舌で水をなめる者、膝をついて飲む者を去らせ、ただ口に手を当てて水をなめた者だけを残しておくと、たったの三百人しかいませんでしたが、それでも勝利することができました。10万人のミデアン人に対してたったの三百人です。人間的に見るならば、全く話にならない戦いです。勝利する確率など無いに等しい戦いでした。しかし、この最後に残った三百人は神に献身した人々、神に全く身をゆだねた人々でした。ゆえに、主はこの三百人を用いてイスラエルに働かれ、ミデアンの大軍に勝利することができたのです(士師記7章)。

 

このことからわかることは、私たちの信仰の戦いにおいて重要なことは数の多さではなく、そこに神に全く献身した人たちがどれだけいるかということです。主はヨシュアにカナンとの戦いを始めるにあたり、イスラエルの人々にまず割礼を行うように命じ、神に献身することを要求されました。同じように主は、私たちが神に全く献身することを要求しておられます。私たちは主のもの、主の牧場の羊であることを覚えながら、自らを主に明け渡し、その生涯を主にささげるなら、主が私たちの生涯にも偉大な御業を成してくださいます。

 

ところで、主の命令に従いヨシュアがイスラエルの民に割礼を施すと、主は何と言われましたか。9節をご覧ください。「今日、わたしはエジプトの恥辱をあなたがたから取り除いた。」どういうことでしょうか。

「エジプトの恥辱」とは何でしょうか。「恥辱」とは、そしりとか恥、非難、恥といった意味です。口語訳では「はずかしめ」と訳しています。ですから、ここでは「エジプトの恥辱をあなたがたから取り除いた」とあるので、これは、かつてイスラエルがエジプトにいた時の奴隷の状態、そのはずかしめを取り除いたということです。コロサイ2章10-12節には、神はキリストにあって、人手によらない割礼、心の割礼を受けたクリスチャンのすべての罪を赦し、私たちを責め立てている債務証書を取り除けられた、とあります。ですから、ここでもイスラエルの民が割礼を受けることによって、かつての罪の奴隷としての「そしり」を取り除いたということ、そして、神のものとされたということです。彼らがそのような立場に移されたということです。ですから、その所の名は、「ギルガル」と呼ばれました。意味は「転がす」です。「恥辱」から「神のもの」に転がったのです。

 

Ⅱ.過越のいけにえ(10-12)

 

次に10~12節までをご覧ください。「10 イスラエルの子らはギルガルに宿営し、その月の十四日の夕方、エリコの草原で過越のいけにえを献げた。11 過越のいけにえを献げた翌日、彼らはその地の産物、種なしパンと炒り麦を、その日のうちに食べた。12 マナは、彼らがその地の産物を食べた翌日からやみ、イスラエルの子らがマナを得ることはもうなかった。その年、彼らはカナンの地で収穫した物を食べた。」

 

イスラエルの子らは、ギルガルに宿営していたとき、その月の十四日の夕方、エリコの草原で過越のいけにえを献げました。荒野にいたときには一度も行なわれませんでしたが、今ここでその過越を祝っています。なぜ過越のいけにえを献げたのでしょうか。

 

過越のいけにえとは、かつてイスラエルの民がエジプトから脱出したことを記念して行ったものです。エジプトからイスラエルの民をなかなか出て行かせようとしないエジプトの王ファラオに対して、主は最後の災いとしてエジプト中の初子という初子をみな滅ぼすと言われました。ただ傷のない子羊をほふってその血を取り、それを家のかもいと二本の門柱に塗れば、主はその裁きを過ぎ越すと言われたのです。そのようにしてイスラエルの民は、神の裁きから逃れることができました。

 

あれから四十年、彼らが荒野にいる間は、この過越のいけにえを献げることができませんでした。しかし今、カナンの地を占領しに出て行くにあたり、主はイスラエルの民に対して、この過越のいけにえを献げるようにと命じられたのです。それはイスラエルにとって四十年の試練の旅が終わり、再び神との契約が確立されることを表わしていました。つまり、エジプトを出た後の荒野での放浪の旅の期間が正式に終わり、エジプトのそしりが完全に取り除かれたことを意味していたのです。一つの時代が終わり、新しい時代が始まりました。荒野は終わり、約束の地が訪れたのです。

 

この子羊の血は、キリストの十字架の血を指し示していました。かつてイスラエルを神のさばきから救い出した子羊の血は、これから進む約束の地においても彼らの救いと力になります。Ⅰペテロ1章18~19節には、この子羊の血による贖いについてこうあります。「18 ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、19 傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」

この子羊の血による贖いこそ、この地上におけるさまざまな試練を乗り越える力であり、あらゆる行いにおいて聖なるものとされる原動力となります。また、この地上にしばらくとどまっている間の時を、神を恐れかしこんで過ごす動機となるのです。この子羊の血こそ私たちをすべての罪から救い出す力であり、この先の歩みにおいても勝利をもたらす秘訣なのです。私たちを罪からきよめるのは、これまでも、そしてこれからもずっと、この小羊の血なのです。

「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(Ⅰヨハネ1:7)

この救いのすばらしさを知り、その恵みに生きる人こそ、献身へと促されていくのではないでしょうか。

 

さて、11節を見ると、その過越しのいけにえを献げた翌日、その地の産物である「種なしパンと炒り麦」を、その日のうちに食べたとあります。するとそれを食べた翌日から、マナがやみ、イスラエルの民はもうマナを得ることはありませんでした。それで、彼らはその年のうちにカナンの地で収穫した物を食べました。どういうことでしょうか。

マナは彼らがヨルダン川を渡る直前までずっと降っていました。これは神の奇蹟です。彼らは荒野で食べるものがありませんでしたが、神は彼らを養うために天からマナを降らし、彼らの必要を満たしてくださいました。けれども今、約束の地において収穫した物を食べることができるようになったので、マナは必要なくなったのです。これからは、自分の手で主体的に糧を得ていかなければなりませんでした。

 

これは神の恵みによって救われたクリスチャンにも言えることです。クリスチャンは、神の一方的な恵みによって救われました。その恵みは尽きることがありません。その恵みはとこしえまで続きます。しかし、そのような恵みを受けた者はおのずと行動に変化が現われます。これまでは愛されることしか考えられなかった者が愛する者へと、受けることしか考えられなかった者が与える者へと変えられていくのです。自分の必要が満たされることはうれしいことですが、それよりも、自分を用いて主が御業を成してくださることに喜びを見出していくようになるのです。

 

しかし、これはあくまでも約束の地に入れられた者がこれまでの神の恵みに溢れて成すことであって、そうせねばならないと、強制されてすることではありません。見た目では同じでも、その動機がどこから来ているかによって、全く違う結果となってしまいます。私たちの信仰生活も強いられてではなく、感謝に溢れて、心から神に向かって行いたいものです。すべては神の恵みによるのです。

 

Ⅲ.足のはきものを脱げ(13-15)

 

最後に、13節から終わりまでをみたいと思います。「13 ヨシュアがエリコにいたとき、目を上げて見ると、一人の人が抜き身の剣を手に持って彼の前方に立っていた。ヨシュアは彼のところへ歩み寄って言った。「あなたは私たちの味方ですか、それとも敵ですか。」14 彼は言った。「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」ヨシュアは顔を地に付けて伏し拝み、彼に言った。「わが主は、何をこのしもべに告げられるのですか。」15 主の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足の履き物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる場所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。」

 

ヨシュアがエリコにいたとき、彼が目を上げて見ると、一人の人が抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立っていました。抜き身の剣とは、神の強い力や勢いを象徴する剣のことです。この抜き身の剣を持つ人が、ヨシュアの前方に立っていたのです。おそらくヨシュアはエリコの城壁を目の前にして、どのようにしてその堅固な城壁を落とすことができるだろうかと悩んでいたのではないかと思います。その時、主が抜き身の剣を手に持ち、彼の前に現われたのです。

 

その時、ヨシュアはこう言いました。「あなたは、私たちの味方ですか。それとも私たちの敵ですか。」と言いました。するとその人はそれには一切答えないで、「わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」と答えました。つまり、主ご自身が戦ってくださるということであり、彼はその将軍であるというのです。

 

これは、ヨシュアにとってはどれほど大きな励ましであったことかと思います。私たちも、このように高くそびえ立つ城壁を前にすると、そこにどんなに偉大な神の約束があってもすぐに怯えてしまうものですが、そのような時でも主が共にいて戦ってくださるのです。私たちの戦いは私たちの力によるのではなく、主が共にいて戦ってくださる主の戦いなのです。いや、主が先だって進んで行かれ、その戦いを進めてくださるのです。それゆえに、私たちは弱り果ててはならないし、意気消沈してはなりません。主が戦ってくださるのであれば、必ず勝利してくださるのですから、その勝利を確信して進んでいかなければならないのです。そのために必要なことは何でしょうか。

 

足のはきものを脱ぐということです。ヨシュアが、「わが主は、何をこのしもべに告げられるのですか。」と言うと、その主の軍の将はこう言いました。「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる場所である。」どういうことでしょうか。

 

これはかつてあのホレブの山で、主がモーセに対して語られた言葉と同じです。足のくつを脱ぐということは、その当時、奴隷になることを意味していました。奴隷は主人の前ではくつを脱がなければなりませんでした。したがって、くつを脱げということは、神のしもべでありなさいということを示していたのです。言い換えるならば、それは主のしもべとして完全に自分を明け渡して主に従いなさい、ということです。そうすれば、たとえ目の前にどんな困難が立ちはだかろうとも、主が勝利を与えてくださるのです。

 

私たちはイエス・キリストの十字架によって救われ、その血による贖いをいただいているにもかかわらず、いつも敗北感を味わっています。いったい何が問題なのでしょうか。足のくつを脱いでいないことです。主に従っていないのです。いつも自分が優先になり、自分の思いで突っ走ってしまいます。これではどんなに主が働きたくても働くことができません。主の前で足のくつを脱がなければなりません。主のしもべとなり、主にすべてを明け渡しましょう。そうすれば、必ず主が勝利を与えてくださいます。

ヨシュア記4章 

2022年11月30日(水)バイブルカフェ

聖書箇所:ヨシュア記4章

きょうは、ヨシュア記4章から学びたいと思います。

 Ⅰ.永久に記念となる石(1-7)

 まず1~7節までをご覧ください。「1 民全員がヨルダン川を渡り終えると、主はヨシュアに告げられた。2 「民の中から部族ごとに一人ずつ十二人を取り、3 その者たちに命じよ。『ヨルダン川の真ん中、祭司たちが足をしっかりととどめたその場所から十二の石を取り、それらを携えて渡り、あなたがたが今夜泊まる宿営地に据えよ。』」4 そこでヨシュアは、イスラエルの子らの中から部族ごとに一人ずつ、あらかじめ任命しておいた十二人を呼び出した。5 ヨシュアは彼らに言った。「あなたがたの神、主の箱の前、ヨルダン川の真ん中へ渡って行き、イスラエルの子らの部族の数に合わせて各自が石を一つ、その肩に担ぎなさい。6 それがあなたがたの中で、しるしとなるようにするためだ。後になって、あなたがたの子どもたちが『この石はどういうものなのですか』と尋ねたとき、7 あなたがたは彼らにこう言いなさい。『ヨルダン川の水が主の契約の箱の前でせき止められたのだ。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水はせき止められた。この石はイスラエルの子らにとって永久に記念となるのだ。』」」

圧倒的な主の御業によってイスラエルの民がヨルダン川を渡り終えたとき、主はヨシュアに、民の中から部族ごとに一人ずつ、12人を選び、ヨルダン川の真ん中で祭司たちが立ったその場所から12の石を取り、彼らが泊まる宿営地に据えるようにと命じました。せっかくヨルダン川を渡り終えたというのに、なぜ再びヨルダン川に戻って石を取って来なければならなかったのでしょうか。また、なぜそれを宿営地に据えなければならなかったのでしょうか。やるべきことは他にいろいろあったでしょう。疲れた人々をゆっくり休ませるとか、次の戦いの備えをするとか。

6節にその理由が記されてあります。つまり、それはしるしとなるためでした。後になって、彼らの子どもたちが、「この石はどういうものなのですか」と聞くとき、主がヨルダン川の水をせきとめられたことのしるしであると答えなければなりませんでした。それは実に、ヨルダン渡河の奇跡が生きて働かれる主の御業によるものであることの証拠として、後世の人たちの信仰の励ましとなるためのしるしだったのです。言うならば、それはイスラエルの後世の人たちに対する教訓として据えられたものだったのです。

昔から、「ユダヤ人はどうして優秀な民族なのか」という謎がありますが、その理由の一つはここにあります。すなわち、ユダヤ人は過去の体験から教訓を学び取り、それを後世にしっかりと受け継ぐ民族であるということです。ユダヤ人の生活の中にも他の民族と同じように多くの祭りがありますが、他の祭りと違うことは、ただ単に祭りによって浮かれ、はしゃぎ、興奮して、喜んでいるのではなく、その祭りに込められている歴史的教訓から学んでいるということです。それは良いことや勝利の体験ばかりでなく、悪いことや失敗の体験からもそうです。それらの事柄を通して得た教訓を、その祭りの中に託し儀式化しているのです。

たとえば、過越しの祭りをご存知だと思います。イスラエルがエジプトから救い出されたことを記念して行うものです。その祭りの期間中はどこへ行っても「種なしパン」が出されます。決してライスやパンなどは出てきません。おかずは出てきますが主食は種なしパンに徹底しています。それは、この種なしパンに大きな意味があるからです。それはイスラエル民族の屈辱と解放を記念しているものなのです。昔イスラエルがエジプトで奴隷であったとき、主は彼らの嘆きを聞かれモーセという人物を立ててそこから解放してくださいました。その脱出の際、時間がなかったのでパンを膨らませる余裕がなく、仕方なく種なしパンを食べました。そしてその後過越しの祭りの際にはその時のことを忘れないために、何百年も、何千年も、そのことを繰り返して祝ってきたのです。彼らはその種なしパンを食べる度に、あの出エジプトにおいてイスラエルの民族が受けた屈辱と、そこから解放してくださった神の恵みを、ずっと思い起こしてきたのです。

この記念碑も同じです。主がヨルダン川をせきとめて、イスラエルの民を渡らせてくださったことをいつまでも覚え、そのすばらしい主の力を思い出し、主の恵みにしっかりととどまっているために、主はわざわざヨルダン川に戻らせて12個の石を取らせ、それを記念碑としたのです。

それは私たちにも必要なことです。私たちもこのような感謝の記念碑を立てなければなりません。主が成してくださったその恵みの一つ一つを思い起こし、それを心に刻まなければならないのです。私たちはともすると、神の恵みに対してそれが当たり前であるかのように口では感謝といいながら、ぬくぬくとその中で生きていることがあるのではないでしょうか。かつてあの時に、あのようにものすごい恵みと祝福を与えてくださったのに、そればかりか様々に起こる困難に対しても、その都度乗り越える力を与え、平安を与えてくださったのに、それらすべてを過去のもとしてしまい、何の感謝もせず、むしろ不平不満をもらし、あるいはそれらを自分自身の力でなし得たかのように思って生きていることがあるのではないでしょうか。

詩篇103篇2節に、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」とあります。ほめたたえられるべき方がどのような方であるかを思い出すことが、その後の歩みの力となります。神がどのような方をあるかを知ればしるほど、神の恵みがどれほど大きいかを知れば知るほど、この神の恵みにとどまるようになるのです。

主イエスは、十字架にかかられる前夜、弟子たちと食事をした後、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのためのわたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯はわたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」(Ⅰコリント11:23-25)

それは、私たちのために救いを成し遂げてくださった主の恵みを覚え、その主と一つになるために主が再び来られる時まで行うように命じられたことでした。これを行うことによって、主が成してくださったことを覚え、心に深く刻むことができます。それは聖餐だけではありません。私たちは主の恵みを具体的な形にして、感謝を表すことによって主の恵みにとどまり、次の進ませる力を受けるのです。

Ⅱ.信仰によって(8-18)

次に、8~18節までをご覧ください。 「8 イスラエルの子らはヨシュアが命じたとおりにした。主がヨシュアに告げられたとおり、イスラエルの部族の数に合わせて、ヨルダン川の真ん中から十二の石を取り、宿営地に携えて行って、そこに据えた。9 これらの十二の石はヨルダン川の真ん中で、契約の箱を担いだ祭司たちが足をとどめた場所にあったもので、ヨシュアがそれらを積み上げたのである。それらは今日までそこにある。10 箱を担ぐ祭司たちは、民に告げるようにと主がヨシュアに命じられたことがすべて終わるまで、ヨルダン川の真ん中に立ち続けていた。すべてモーセがヨシュアに命じたとおりである。その間に民は急いで渡った。11 民全員が渡り終えた後、民が見ている前で主の箱と祭司たちが渡った。12 ルベン人とガド人と、マナセの半部族は、モーセが彼らに告げたとおり、隊列を組んでイスラエルの子らの先頭を進んで行った。13 このようにして、武装した約四万の軍勢は主の前を、戦いのためにエリコの草原へと進んで行った。14 その日、主は全イスラエルの目の前で、ヨシュアを大いなる者とされた。それで彼らは、モーセを恐れたように、ヨシュアをその一生の間、恐れた。15 主はヨシュアに告げられた。16 「ヨルダン川から上がって来るよう、あかしの箱を担ぐ祭司たちに命じよ。」17 それでヨシュアは祭司たちに「ヨルダン川から上がって来なさい」と命じた。18 主の契約の箱を担ぐ祭司たちがヨルダン川の真ん中から上がって来て、祭司たちの足の裏が水際の乾いた陸地に上がったとき、ヨルダン川の水は元の場所に戻り、以前のように、川岸いっぱいに満ちて流れた。」

イスラエルの民は、ヨシュアが命じたとおりに、ヨルダン川の真ん中から12の石を取り、それを宿営地に運び、そこに据えました。ところで、9節には、その12の石がどのようなものかを説明して、それは、ヨルダン川の真ん中で、契約の箱を担いだ祭司たちが足をとどめた場所にあったもので、ヨシュアがそれを積み上げたとありますが、多くの訳ではそのように訳していません。たとえば、口語訳では、「ヨシュアはまたヨルダンの中で、契約の箱をかつぐ祭司たちが、足を踏みとどめた所に、十二の石を立てたが、今日まで、そこに残っている。」と訳しています。この訳によると、イスラエルの子らがヨルダン川の真ん中から取った12の石とは別に、ヨシュアはヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を踏みとどめたところに、12の石を立てた、となっているのです。

それは新共同訳も同じです。新共同訳では、「ヨシュアはまた、契約の箱を担いだ祭司たちが川の真ん中で足をとどめた跡に十二の石を立てたが、それは今日までそこにある。」と訳しています。

創造主訳聖書もそうです。「ヨシュアは、また祭司たちが十戒の箱を担いで立っていたヨルダン川の川底にも、十二の石を据えて、記念としたが、それはこの書物を書いている今も、そこに残っている。」

ちなみに、英語のNKJV(New King James Version)もそうです。「Then Joshua set up twelve stones in the midst of the Jordan, in the place where the feet of the priests who bore the ark of the covenant stood; and they are there to this day.」

このように、新改訳聖書以外のすべての訳は、イスラエルの中から部族ごとに一人ずつ選ばれた12人のが、川底から運び出して川岸に設置した12の石とは別に、ヨルダン川の中で、祭司たちが足をとどめた川底のその場所に、ヨシュアが12の石を立てた、と訳しているのです。

新改訳聖書では、前後の文脈からその12の石がどこから取って来たものなのかを説明しようと訳したのです。なぜなら、川底に石を立てるという行為は考えられないからです。川の水が元に戻ったら、あるいは、川の水が増したら見えなくなってしまいます。ですから、新改訳聖書でこのように訳したのは、この記述が合理的でないため、書き間違いがあったのではないかと考えたからなのです。また、川の中に石を立てることは神の命令になかったことも、その理由の一つでした。そのようなことをヨシュアが命じるはずがないと考えたのです。

けれども、このような合理的な理由からだけで本文を解釈することは極めて危険です。そこに人間的な解釈が紛れ込んでしまう恐れがあるからです。もちろん、ヘブル語によくある表現で、新改訳聖書のように「ヨシュアは据えた」という句を補う形で、「祭司たちが立っていた場所の下にあった十二の石を」と理解することも間違いではありませんが、ヘブル語本文をそのまま受け入れるとしても、そこには依然として、二つの可能性が残るのは事実です。したがって、ここではどちらが正しいのかという判断はそのまま残しながらも、もし、口語訳やその他の訳のように、宿営地とヨルダン川の川底の二か所に記念碑が据えられたとしたら、それはどういうことなのかを考える必要があります。

確かに川の真ん中に作られた記念碑は、川が再び流れ出したあとでは何の証拠にもなりませんが、たとえ形が見えなくても、確かにヨルダン川を渡り、そのしるしとして川底に記念碑を立てたということを信じることができたのです。

最近、近くの(大田原し湯津上地区)にある前方後円墳の遺跡を見に行きました。遺跡というのは、古い時代に建てられた建物とか、お墓、歴史的事件があった何らかの痕跡が残されている所で、それを見ると過去の人々の営みが見えてきます。しかそのほとんどは、「えっ、こんなところにあるの」と思われるような、人目につかない閑散とした場所であることが多いのです。私が行った湯津上の遺跡もそうでした。そこには説明が書かれた立て看板が置かれてあるだけで、どこにあるのか、どこから上って行けばいいのかわからない場所でした。つまり、こうした遺跡は見えるとか、見えないとかということは問題ではないのです。問題は、実際ここに数百年前に人々が住んでいて、どこの誰なのかはわからないけれども、葬られたという事実があるということなのです。ですから、そこに佇んでいるだけで、昔の人のそうした思いや生活ぶりがよみがえってくるのです。

ヨシュアがヨルダン川の川底に記念の石塚を立てたのも同じではないでしょうか。それが見えるか、見えないかということではなく、実際にヨルダン川の川岸に立った時、かつてここでイスラエルの先祖たちが神の御業を体験し、そこを渡ることができたということを思い起こし、彼らに働いておられる神の大いなる力を信じることができたのです。見えるというだけでなく、見えない所にも記念の石塚を立てるほどものすごい神の奇跡を体験したんだということを、後世の人たちも感じることができるために、わざわざ川底にも石を据えてその記念としたのです。ですから、見えなくもいいのです。見えなくても、そのことが聖書に書き記されることによって、その思いがひしひしと伝わってくるのです。

それからもう一つ、そこに重要な意義があります。それは、このヨルダン川の川底に立てられた石塚は、キリストとともに十字架につけられたことの象徴であったということです。パウロはⅠコリント10章1~2節で、このように述べています。

「兄弟たち。あなたがたには知らずにいてほしくありません。私たちの先祖はみな雲の下にいて、みな海を通って行きました。そしてみな、雲の中と海の中で、モーセにつくバプテスマを受け、」

つまり、かつてモーセが紅海を通ったのは、モーセにつくバプテスマを受けたのであるならば、ヨシュアがヨルダン川を通ったのは、ヨシュアにつくバプテスマを受けたということになります。ヨシュアとはだれのことでしょうか。「ヨシュア」とはギリシャ語で「イエス」です。ですから、これはイエスにつくバプテスマのひな型だったのです。ガラテヤ2章20節にこうあります。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」

このように見ると、ヨルダン川の川底に作られた記念碑は、キリストとともに十字架につけられた自分の姿の象徴であり、宿営地に作られた記念の石塚は、キリストとともに生きる新しいいのちの象徴だったと言えます。本来であれば、川の流れの中で滅ぼされていたかもしれない自分の代わりにキリストが死んでくださったというだけでなく、その身代わりによって新しいいのちに生かされるようになりました。この十字架と復活による救いの恵みを、この二つの石塚は表していたのではないでしょうか。

さて、民がすべて渡り終わった時、主の契約の箱をかつぐ祭司たちが、ヨルダン川の真ん中から上がって来て、祭司たちの足の裏がヨルダン川の水際の乾いた陸地に上がったとき、ヨルダン川の水は元の場所に戻り、以前のように、川岸いっぱいに満ちて流れました。その日、主は全イスラエルの見ている前でヨシュアを大いなるとされたので、彼らはモーセを恐れたように、ヨシュアをその一生の間恐れました。それはヨシュアが大いなる者とされ、次なる戦いにとって大きな出来事であったことがわかります。そのポイントはいったい何だったのでしょうか。信仰です。モーセによって与えられた主の約束を、ヨシュアが受け継ぎ、信仰によってその実現に向かっていくのです。それがカナンの地の征服において現われていきます。信仰こそ、神の約束を実現してく手段であり、大いなる者とされる秘訣であったのです。

Ⅲ.信仰の継承(19-24)

最後に、19~24節から終わりまでをみたいと思います。「19 さて、民は第一の月の十日にヨルダン川から上がって、エリコの東の境にあるギルガルに宿営した。20 ヨシュアは、ヨルダン川から取ったあの十二の石をギルガルに積み上げ、21 イスラエルの子らに言った。「後になって、あなたがたの子どもたちがその父たちに『この石はどういうものなのですか』と尋ねたときには、22 あなたがたは子どもたちに『イスラエルは乾いた地面の上を歩いて、このヨルダン川を渡ったのだ』と知らせなさい。23 あなたがたの神、主が、あなたがたが渡り終えるまで、あなたがたのためにヨルダン川の水を涸らしてくださったからだ。このことは、あなたがたの神、主が葦の海になさったこと、すなわち、私たちが渡り終えるまで、私たちのためにその海を涸らしてくださったのと同じである。24 それは、地のあらゆる民が主の手が強いことを知るためであり、あなたがたがいつも、自分たちの神、主を恐れるためである。」」 

イスラエルはヨルダン川から上がると、エリコの東の境にあるギルガルに宿営しました。そこはカナン侵略の、いわば作戦軍事基地になっていった場所です。そこからイスラエルの民はカナン人との戦いを開始していきました。それほど重要な場所だったのです。そこに、ヨルダン川から取ったあの12の石を積み上げました。彼らは戦いに勝つこともあれば、負けることもありましたが、とにかくギルガルに戻ってきた時には、この記念碑を見て奮起したのです。父なる神はあのヨルダン川をせきとめて、その真ん中を渡らせてくださった全能者であることを再確認し、思い起こして、勇気をいただき、再び戦いへと出て行ったのです。

そういう意味では、ギルガルは私たちが帰る場所でもあります。そこに帰って静まり、神の偉大さを思い起こし、勇気と力をいただいて、再び戦いへと出て行くのです。そうです、それが十字架のキリストなのです。私たちはいつも十字架のキリストのもとに帰り、そこから慰めと励ましと勇気と力をいただいて、再びこの世の中に出て行くことができるのです。私たちの中で絶えずギルガルに戻ることが必要なのです。

それは私たちだけではありません。私たちの子どもにも言えることです。後になって、あなたの子どもたちがその父たちに、「これらの石はどういうものなのですか」と聞くなら、「イスラエルは乾いた地面の上を歩いて、このヨルダン川を渡ったのだ」と言わなければなりませんでした。それは、地のすべての民が主の御手が力強いことを知り、彼らがいつも彼らの神、主を恐れるためです。

私たちの子どもたちは主を恐れているでしょうか。この世の流れにどっぷりと浸かり、神ではなく別のことを恐れながら生きています。それは子どもたちだけでなく、私たち自身もそうです。地のすべての民が、主の御手が力強いことを知りこの主を恐れるために、その偉大さを教えていかなければなりません。

パウロはテモテに、「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」(Ⅱテモテ2:2)と言いましたが、そのためには、他にも教える力のある忠実な人が起こされるように祈らなければなりません。これが私たちに託された使命なのです。そのためには、まず私たちが信仰に生き、神の恵みの豊かさを体験する必要があります。この世はそれとは全く反対の方向に流れていても、「私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア24:15)とヨシュアが告白したように、私たちもそのように告白しながら歩んでいきたいものです。

ヨシュア記3章

聖書箇所:ヨシュア記3章

 

きょうは、ヨシュア記3章から学びたいと思います。

 

 Ⅰ.主の契約の箱のうしろを進め(1-6)

 

 まず1節から4節までをご覧ください。「1 ヨシュアは翌朝早く起き、すべてのイスラエルの子らとともにシティムを旅立ち、ヨルダン川のところまで来て、それを渡る前にそこに泊まった。

2 三日後、つかさたちは宿営の中を巡り、3 民に命じた。「あなたがたの神、主の契約の箱を見、さらにレビ人の祭司たちがそれを担いでいるのを見たら、自分のいる場所を出発して、その後を進みなさい。4 あなたがたが行くべき道を知るためである。あなたがたは今まで、この道を通ったことがないからだ。ただし、あなたがたと箱の間に二千キュビトほどの距離をおけ。箱に近づいてはならない。」」

 

エリコの町を偵察した斥候からの報告を受け、ヨシュアは翌朝早く、イスラエル人全部といっしょにシティムを出発してヨルダン川の川岸まで行き、それを渡る前に、三日間そこに泊まりました。どうしてそこに三日間留まったのでしょうか。主の導きを求めたからです。彼らは、約束の地へ進んで行くためにヨルダン川を渡って行かなければならなりませんでした。どのようにしてわたって行ったらよいのか、主に祈り求めたのです。神から約束が与えられたということは、それが棚ぼた式にもたらされるということではありません。その達成のためには、いくつかの困難を乗り越えて行かなければなりません。その困難を乗り越えて行きながら、神の約束は実現していくのです。

 

彼らはどのようにしてそれを乗り越えて行ったでしょうか。2~4節には、三日後、つかさたちは宿営の中を巡り、 民にイスラエルの神、主の契約の箱を見、さらにレビ人の祭司たちがそれを担いでいるのを見たら、自分のいる場所を出発して、その後を進むようにと命じました。どういうことでしょうか。民数記には、イスラエルが荒野を進むとき、契約の箱をその隊列の中央に置いたとあります。契約の箱を中心に東西南北に3つの部族ごと12部族が十字架の形を組んで進みました。それは、主がイスラエルの民の真ん中におられることを象徴していました。ところが、ここでは契約の箱を先頭に立て、その後ろを進まなければなりませんでした。それは彼らに行くべき道を示すためでした。彼らは今まで、その道を通ったことがなかったので、主が先だって進まれたのです。それはイスラエルの民が荒野を進んだ時と同じです。荒野のどこを進んで行ったらいいかわからなかった彼らに、主は昼は雲の柱、夜は火の柱をもって導いてくださいました。それは彼らが進むべき道を知るためです。それと同じように、主は彼らが進むべき道を知るために、その先を進んでくださったのです。

それはまた主がご自身のみことばをもって導いてくださったということです。というのは、契約の箱には、主の律法のことば、主のことばが納められていたからです。それは主の臨在を現わしていたのです。主はご自身のみことばをもって導いてくださいます。預言者エリヤは450人のバアルの預言者と戦って勝利すると、アハブの妻イゼベルのことばに恐れ、神の山ホレブまで逃れて来ました。そこで激しい大嵐があっても、そこに主はおられませんでした。地震の中にも、火の中にも、主はおられませんでした。しかし、そこにかすかな細い声がありました。彼は激しい戦いや奇跡的な主の御業の中にこそ主がおられると思っていましたが、実際はそうではなく、主はかすかな主の御声の中におられたのです。この声を聞くべきです。この声に従うべきなのです。

 

ところで、4節を見ると、この契約の箱との間には、二千キュビトの距離を置かなければならないとあります。1キュビトは44.5センチですから、二千キュビトは約900メートルになります。いったいなぜこれほどの距離を置かなければならなかったのでしょうか。

二つの理由が考えられます。一つは、主は聖なる方ですから、私たちが近づくことも、触れることもできません。そのことを示すためです。それはあのウザの事件を見てもわかります。ダビデ王がエルサレムに契約の箱を運び入れようとしたとき、車を引いていた牛がつまずいて契約の箱が落ちそうになったので、側にいたウザが慌てて手で支えたところ、この行為が神の怒りに触れ、彼は神に打たれてその場で死んでしまいました。善意でしたことなのにどうしてウザは神に打たれて死ななければならなかったのでしょうか。それは、たとえ善意でしたことであれ、神は私たちが触れることも、近づくこともできないほど聖い方であられるからです。

 

もう一つの理由は、この聖なる神の御前にしゃしゃり出て、主の働きを妨げてしまうことがないようにするためです。肉なる者が前面に出てしまうと、主が働きにくくなってしまうからです。むしろ、妨げになってしまいます。

ウオッチマン・二―は、神の前における二つの罪があると言っています。一つは拒否の罪、すなわち、神様の命令に従わないで、それを拒否するという罪です。そしてもう一つは、出しゃばりの罪、すなわち神の命令がないのに、人間的な考えによって自分で進んで行こうとする罪です。

私たちは、神様が命じているのに従わないことがありますが、逆に、命じていないのに出しゃばって失敗することもあります。神様の命令よりも自分の思いが優先してしまうのです。結局のところ、何もしなければよかったということがよくあるわけです。そういうことがないように、二千キュビトの距離を置かなければならなかったのです。

 

ところで、そのためにイスラエルの民はどのような備えが必要だったのでしょうか。5~6節をご覧ください。「5 ヨシュアは民に言った。「あなたがたは自らを聖別しなさい。明日、主があなたがたのただ中で不思議を行われるから。」6 ヨシュアは祭司たちに「契約の箱を担ぎ、民の先頭に立って渡りなさい」と命じた。そこで彼らは契約の箱を担ぎ、民の先頭に立って進んだ。」

ヨシュアは民に言いました。「あなたがたは自らを聖別しなさい。あなたがたの身をきよめなさい。」と。自らを聖別するとはどういうことでしょうか。創造主訳聖書は、「身を清め、主に信頼しなさい」と訳しています。それは神に全く信頼するということです。神が語られることに対して絶対的に従うということです。どうしてでしょうか?主が、あなたがたのうちで不思議を行われるからです。それは彼らがすることではなく、主がなさることなのです。その主が御業をなさるために必要なことは、自らを聖別し、身をきよめること、神が語られることに絶対的に従うことだったのです。

 

Ⅱ.ヨルダン渡河の目的(7-13)

 

次に7節から13節までをご覧ください。「7 主はヨシュアに告げられた。「今日から全イスラエルの目の前で、わたしはあなたを大いなる者とする。わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを彼らが知るためである。8 あなたは契約の箱を担ぐ祭司たちに『ヨルダン川の水際に来たら、ヨルダン川の中に立ち続けよ』と命じよ。」9 ヨシュアはイスラエルの子らに言った。「ここに来て、あなたがたの神、主のことばを聞きなさい。」10 ヨシュアは言った。「生ける神があなたがたの中にいて、自分たちの前からカナン人、ヒッタイト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人を必ず追い払われることを、あなたがたは次のことで知るようになる。11 見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立ってヨルダン川を渡ろうとしている。12 今、部族ごとに一人ずつ、イスラエルの部族から十二人を取りなさい。13 全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまるとき、ヨルダン川の水は、川上から流れ下る水がせき止められ、一つの堰となって立ち止まる。」

 

ヨシュアは祭司たちに、「契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って渡りなさい。」と命じました。そこで祭司たちは契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って行きました。いったいなぜこのようなことを命じたのでしょうか。二つの理由があります。

一つは7節にあります。それは、イスラエル全体の前で主がヨシュアを大いなる者とするためでした。それは、主がモーセとともにいたように、ヨシュアとともにいることをイスラエルの民が知るためだったのです。実際、ヨシュアがこれから行なうことは、かつてモーセが行なったことと同じようなことでした。つまり、神がモーセを通して紅海を分けたように、ヨシュアを通してヨルダン川をせき止めようとしていたのです。そして、かつてモーセが祈り紅海を分けたとき、「イスラエルは、主がエジプトに行われた、この大いなる御力を見た。それで民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。」(出エジプト14:31)ように、今度はヨルダン川の水をせき止めるという神の奇跡をヨシュアが行うことによってヨシュアを大いなる者とし、イスラエルの民が彼に従うようにさせたのです。つまり、この出来事はカナンの地における次なる戦いのためにヨシュアのリーダーシップを確立させるためだったのです。おそらく、この時点ではまだ十分なリーダーシップが発揮されていなかったのでしょう。イスラエルの初代指導者であったモーセがあまりにも偉大なリーダーであったがゆえに、その後継者であったヨシュアに対する民の尊敬は今一つだったのではないかと思います。ですから、この出来事を通してモーセと同じ神が同じ霊をもってヨシュアにも働いていることを示し、ヨシュアを大いなる者にしようとしたのです。

 

もう一つの理由は、彼らがカナンの地に入って行った後に直面するであろう次なる戦いのためでした。10節には、「ヨシュアは言った。「生ける神があなたがたの中にいて、自分たちの前からカナン人、ヒッタイト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人を必ず追い払われることを、あなたがたは次のことで知るようになる。」とあります。

そこにはカナン人をはじめとする七つの部族がすでに定住していました。したがって、彼らがその地を占領するためには、そうした部族と戦って勝利しなければならなかったのです。いったいどうすれば勝利することができるのでしょうか。そのためには、生ける神が彼らのうちにおられ、それらの部族を追い払われるという確信を持たなければなりませんでした。どのようにしてその確信を持つことができるのでしょうか。この奇跡的な御業を通してです。全地の主の契約の箱が彼らの先頭に立ってヨルダン川を進んで行く時、その箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまるとき、ヨルダン川の水は上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになるという出来事によって、生ける神が彼らのうちにおられ、彼らの前から敵を追い払ってくださるということを確信することができたのです。

 

かつて福島で開拓伝道に取り組んだとき、会堂建設に携わりました。主は、600坪の土地に200人収容できる会堂を建設することを許してくださいました。しかし、それは困難を極めました。建設予定地が調整区域であったため、県からの開発許可が下りなかったのです。宗教法人で開発許可を得た法人は、当時1件もありませんでした。しかし、神様は不思議な方法で導いてくださり、申請から足かけ5年、念願の開発認可を与えてくださいました。それは信じられない神の御業でした。そればかりか、会堂建設に必要な資金も備えてくださり、1998年に献堂に導いてくださったのです。この経験を通して教えられたことは、主に信頼することの重要性です。会堂を建設することができたこともすばらしいことですが、それよりも、主が不思議を成してくださるという信仰です。その経験を通してその後の働きにおいても、主が御業を成してくださるという信仰をもって進むことができました。

 

それは私たちの信仰生活のすべてにおいて言えることです。私たちはイエス・キリストの十字架の贖いと復活によって永遠のいのちがもたらされました。しかし、それはすべてにおいて順風満帆ということではなく、そこには新たな戦いが起こってきますが、その戦いのただ中に生ける主が共におられ、敵を必ず追い払ってくださることを知っているなら、たとえ困難があっても圧倒的な勝利者であられる主に信頼して前進することができるのではないでしょうか。まさにイスラエルのヨルダン渡河は、このことを知るためだったのです。

 

Ⅲ.せきとめられたヨルダン川(14-17)

 

さて、その結果どうなったでしょうか。14節から17節までをご覧ください。「14 民がヨルダン川を渡ろうとして彼らの天幕から出発したとき、契約の箱を担ぐ祭司たちは民の先頭にいた。15 箱を担ぐ者たちがヨルダン川まで来たとき、ヨルダン川は刈り入れの期間中で、どこの川岸にも水があふれていた。ところが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際の水に浸ると、16 川上から流れ下る水が立ち止まった。一つの堰が、はるかかなた、ツァレタンのそばにある町アダムで立ち上がり、アラバの海、すなわち塩の海へ流れ下る水は完全にせき止められて、民はエリコに面したところを渡った。17 主の契約の箱を担ぐ祭司たちは、ヨルダン川の真ん中の乾いたところにしっかりと立ち止まった。イスラエル全体は乾いたところを渡り、ついに民全員がヨルダン川を渡り終えた。」

 

箱を担ぐ者たちがヨルダン川まで来て、箱を担ぐ祭司たちの足が水際の水に浸ったとき、ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれていましたが、上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところでせきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられたので、イスラエルの民はすべて、そのかわいた地を通り、ヨルダン川を渡り終えることができました。これは「刈り入れの期間中」の出来事だとありますが、今の暦に直すと三月下旬から四月上旬にかけての時期です。その時期は大麦の収穫の時期で、ヘルモン山からの雪解け水がガリラヤ湖に入ってきてヨルダン川に流れるので、水かさが最も増す時期です。しかし、どんなに水かさが増しても、主の圧倒的な力によって完全にせきとめられたので、イスラエルの民はヨルダン川の真ん中のかわいた地を通って、渡ることができたのです。

 

ところで、15節には「箱を担ぐ祭司たちの足が水際の水に浸ると」とあります。そのとき、ヨルダン川の水は上から流れ下る水はつったって、せきをなして立ち、塩の海のほうに流れる水は完全にせきとめられました。すなわち、ヨルダン川の水がせきとめられたのは、祭司たちの足の裏がそのヨルダン川の水の中にとどまったときでした。祭司たちはヨルダン川の水がせきとめられてから足を踏み入れたのではなく、水の中に足を踏み入れた結果、せきとめられたのです。このとき祭司たちはどんな気持ちだったでしょうか。もし水が引かなかったらどうなってしまうだろうかと不安だったに違いありません。しかし、彼らは神の約束に従って水の中に足を踏み入れたので、水がせきとめられたのです。

 

これが信仰です。信仰とは望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。目に見えるものを信じることは、信仰ではありません。信仰とは目に見えなくても、主が約束してくださったことを信じることです。そこに偉大な主の御業が現されるのです。私たちも主のみことばを信じて、ヨルダン川に一歩足を踏み入れる者となりましょう。

ヨシュア記2章

聖書箇所:ヨシュア記2章

 

 

きょうはヨシュア記2章から学びたいと思います。

 

 Ⅰ.遊女ラハブ(1-14)

 

 まず1節から7節までをご覧ください。「1 ヌンの子ヨシュアは、シティムから、ひそかに二人の者を偵察として遣わして言った。「さあ、あの地とエリコを見て来なさい。」彼らは行って、ラハブという名の遊女の家に入り、そこに泊まった。2 ある人がエリコの王に、「イスラエル人の数名の男たちが今夜、この地を探ろうとして入って来ました」と告げた。3 それで、エリコの王はラハブのところに人を遣わして言った。「おまえのところに来て、おまえの家に入った者たちを出せ。その者たちは、この地のすべてを探ろうとしてやって来たのだから。」4 ところが、彼女はその二人をかくまって言った。「そうです。その人たちは私のところに来ました。でも、どこから来たのか、私は知りません。5 暗くなって門が閉じられるころ、その人たちは出て行きました。どこへ行ったのか、私は知りません。急いで彼らを追ってごらんなさい。追いつけるかもしれません。」6 彼女は二人を屋上へ上がらせ、屋上に積んであった亜麻の茎の中におおい隠していた。7 追っ手たちはヨルダン川の道をたどり、渡し場までその人たちを追って行った。門は、彼らを追う追っ手たちが出て行くと、すぐに閉じられた。」

 

「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア1:9)との主のみことばに励まされてヨシュアは、主が彼らに与えて所有させようとしている地を占領するために出て行きます。ヨシュアはまずシティムという所から二人の者を遣わしてエリコを偵察させました。シティムは、アベル・ハ・シティム(民数記33:49)の省略形です。それは、ヨルダン川の東約12kmの、モアブの草原にありました。そこは、イスラエル人がヨルダン川を越える前の、最後の宿営地でした(ヨシュア3:1)。ヨシュアは、ここから斥候を遣わしたのです。すると、彼らはラハブという名の遊女の家に入り、そこに泊まりました。彼らはなぜラハブの家に入ったのでしょうか。遊ぶためではありません。彼らがエリコの町に入ったということが発覚したため、追いかけられて必至に逃げた先がこのラハブの家だったのです。そこならば彼らが入って行っても怪しまれないと思ったのかもしれません。

 

すると、エリコの王に、「イスラエル人の数名の男たちが今夜、この地を探ろうとして入って来ました。」と告げる者があったので、エリコの王はラハブのところに人をやってこう言いました。「おまえのところに来て、おまえの家に入った者たちを出せ。その者たちは、この地のすべてを探ろうとしてやって来たのだから。」

 

すると、ラハブは何と言ったでしょうか。彼女は二人をかくまって、こう言いました。「そうです。その人たちは私のところに来ました。でも、どこから来たのか、私は知りません。5 暗くなって門が閉じられるころ、その人たちは出て行きました。どこへ行ったのか、私は知りません。急いで彼らを追ってごらんなさい。追いつけるかもしれません。」

これは嘘です。ラハブはなぜこのような嘘までついて彼らをかくまったのでしょうか。それは彼女がイスラエルの民について聞いていたからです。どんなことを聞いていたのでしょうか。8~13節までをご覧ください。

「8 二人がまだ寝ないうちに、彼女は屋上の彼らのところへ上がり、9 彼らに言った。「主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちがあなたがたに対する恐怖に襲われていること、そして、この地の住民がみな、あなたがたのために震えおののいていることを、私はよく知っています。10 あなたがたがエジプトから出て来たとき、主があなたがたのために葦の海の水を涸らされたこと、そして、あなたがたが、ヨルダンの川向こうにいたアモリ人の二人の王シホンとオグにしたこと、二人を聖絶したことを私たちは聞いたからです。11 私たちは、それを聞いたとき心が萎えて、あなたがたのために、だれもが気力を失ってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天において、下は地において、神であられるからです。12 今、主にかけて私に誓ってください。私はあなたがたに誠意を尽くしたのですから、あなたがたもまた、私の父の家に誠意を尽くし、私に確かなしるしを与え、13 私の父、母、兄弟、姉妹、また、これに属するものをすべて生かして、私たちのいのちを死から救い出す、と誓ってください。」

 

9節には、「私は知っています」とあります。また、10節にも、「私たちは聞いているからです」とあります。彼女が知っていたこと、聞いていたことはどんなことだったのでしょうか。それは、イスラエルの民がエジプトから出てきたとき、主が葦の海の水を涸らされたことや、エモリ人のふたりの王シホンとオグを打ち破ったこと、そしてパレスチナの地を次々と制覇してきたということです。彼女はそれらのことを聞いたとき、このイスラエルの民の背後には偉大な神が共におられ、行く手を切り拓いておられるのだと直感したのです。そして、このイスラエルの民の信じる神、主(ヤハウェ)こそまことの神であり、この神に信頼するなら間違いないと信じたのです。9~12節までには「主」という言葉が4回も使われています。これはヘブル語で「ヤハウェ」となっています。すなわち、彼女はここで「ヤハウェ」という主なる神の御名を呼ぶことによって、自分の信仰を告白していたのです。

 

それに対して二人の斥候は何と言いましたか。14節です。「二人は彼女に言った。「私たちはあなたがたに自分のいのちをかけて誓う。あなたがたが私たちのことをだれにも告げないなら、主が私たちにこの地を与えてくださるとき、あなたに誠意と真実を尽くそう。」

 

私たちは、ここに慰めを受けます。彼女は遊女という身分でありながらも、この信仰のゆえに救いを受けることができたのです。彼女が救われたのは彼女が善人だからではなく、このイスラエルの主、ヤハウェなる神を信じたからです。それは私たちも同じです。私たちもこの遊女ように神から遠く離れていた者であり、汚れた者にすぎませんが、イエス・キリストを信じる信仰によって救われるのです。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。

 

Ⅱ.赤いひも(15-20)

 

次に、15~20節までをご覧ください。「15 そこで、ラハブは綱で窓から彼らをつり降ろした。彼女の家は城壁に建て込まれていて、彼女はその城壁の中に住んでいた。16 彼女は二人に言った。「山地の方へ行ってください。追っ手たちがあなたがたに出くわすといけませんから。彼らが引き揚げるまで、三日間そこに身を隠していてください。その後で、あなたがたが行く道を行かれたらよいでしょう。」17 二人は彼女に言った。「もしこのようにあなたが行わないなら、あなたが私たちに誓わせた、あなたへのこの誓いから私たちは解かれます。18 見なさい、私たちはこの地に入って来ます。私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結び付けておきなさい。あなたの父、母、兄弟、そして、あなたの一族全員をあなたの家に集めておきなさい。19 あなたの家の戸口から外に出る者がいれば、その人の血はその人自身の頭上に降りかかり、私たちに罪はありません。しかし、あなたと一緒に家の中にいる者のだれにでも手が下されたなら、その人の血は私たちの頭上に降りかかります。20 だが、もしあなたが私たちの、このことをだれかに告げるなら、あなたが私たちに誓わせた、あなたへの誓いから私たちは解かれます。」」

 

そこで、ラハブは綱で窓から彼らをつり降ろしました。そして、山地の方へ行き、そこで彼らが引き揚げるまで、三日間そこに身を隠しているようにと言いました。二人はそのことばの通りに山地へと逃れますが、その時、彼らが誓ったしるしに、ラハブが彼らを綱でつり降ろした窓に赤いひもを結びつけておくようにと言いました。その家に彼女の父と母、兄弟、また、父の家族を全部、集めておかなければならないというのです。そうすれば、彼らがエリコを占領した時に、そのしるしを見て、その家だけは滅ぼさないためです。

 

かつて、これと似たような出来事がありました。そうです、過越の祭りです。出エジプト12:13には、イスラエルがエジプトから出て行くとき、神はエジプトの初子という初子をみな滅ぼすと言われました。ただ家の門柱とかもいに小羊の血が塗られた家は、神のさばきが過ぎ越していき災いから免れました。この赤いひもは、過越しの小羊の血と同じ、イエス・キリストの贖いの血潮の象徴だったのです。ラハブは遊女でしたが、そんな遊女でもこの小羊の血によって救われるのです。私たちを神のさばきから救うのは、この小羊の血を信じる信仰によるのです。私たちがどのようなものであるかは関係ありません。ただキリストを信じ、その血が塗られているかどうかが問われるのです。

 

ヘブル人への手紙11章31節に、このラハブの信仰について次のように記されてあります。「信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。」すなわち、ラハブは信仰によって生きたのです。それゆえに彼女は、遊女でありながらも不従順な人たちといっしょに滅びることを免れることができました。神のさばきから免れる唯一の道は、赤いひもを結び付けること、すなわち、神の小羊であられるキリストの贖いを信じることなのです。

 

ここに、クリスチャンとはどのような者なのかがはっきりと描かれています。それは高潔な人であるとか、立派な人、教養のある人、美徳に満ちた人ではありません。クリスチャンというのは、ただ信仰によって神の恵みと救いを受けている人のことなのです。でもちょっと待ってください。新約聖書にはこのラハブのことについてもう一か所に引用されていて、そこには彼女が行いによって救われたとも言われています。ヤコブ2:25です。「同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行いによって義と認められたではありませんか。」どういうことでしょうか。

ここでは特に人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないということの例として引用されています。これはどういうことかというと、ちょうど今礼拝でもお話ししているように、彼女がその行いによって義と認められたということではなく、彼女は生きた本当の信仰があったので、自分の命の危険を冒してもイスラエルの使者たちを招き入れ、招き入れただけでなく、別の道から送り出すことができたということです。そうした信仰には、こうした行いが伴うということです。本物の信仰にはこうした行いが伴うのです。

 

つまり、私たちは神の恵みによって、イエス・キリストを信じる信仰によってのみ救われるのです。そこには、その人がどんな人であるかとか、どんな仕事をしていたかとか、どんな性格であるかとか、どんなことをしたかといったことは全く関係ありません。ただ神の一方的な恵みであるイエス・キリストを救い主として信じて受け入れたかどうかが問われるのです。もしイエス様を信じるなら、たとえ「遊女」という不名誉な肩書であっても、たとえ異邦人として神から遠く離れていた人でも、だれでも救われ、神の祝福を受け継ぐ者とさせていただくことができるのです。そして、そのように救い主につながった本物の信仰には、そうした行いが伴ってくるのであって、その逆ではありません。

 

Ⅲ.ラハブの信仰(21-24)

 

さて、二人の斥候からそのような提示を受けてラハブは、どうしたでしょうか。21節から終わりまでをご覧ください。「21 彼女は「おことばどおりにしましょう」と言い、二人を送り出した。彼らは去り、彼女は窓に赤いひもを結んだ。22 彼らはそこを去って山地の方へ行き、追っ手たちが引き揚げるまで、三日そこにとどまった。追っ手たちは道中くまなく捜したが、彼らは見つからなかった。23 二人は帰途についた。山地から下り、川を渡り、ヌンの子ヨシュアのところに来て、その身に起こったことをことごとく彼に話した。24 彼らはヨシュアに言った。「主はあの地をことごとく私たちの手にお与えになりました。確かに、あの地の住民はみな、私たちのゆえに震えおののいています。」」

 

ラハブは、二人のことばに対して「おことばどおりにいたしましょう。」と答えました。これは簡単なことのようですが難しいことです。皆さんがそのように言われたらどのように答えたでしょうか。そんなことしていったい何になるんですか、もっと他にすることはないんですか、たとえば、地下に隠れ家を作ってそこに隠れるとか、ありったけのお金を出して命拾いするとか、そういうことならわかりますが、つり降ろした窓に赤いひもを結ぶなんてそんな簡単なことで大丈夫なんですかと言いたくなります。でも救いは単純です。救いはただ神が仰せになられたことに対して、「おことばどおりにします」と応答することなのです。よく聖書を学んでおられる方が「私はまだバプテスマを受けられません」というようなことを言われます。「どうしてですか」と聞くと、「まだ聖書を全部学んでいないからです、せめて新約聖書の半分くらいは読まないとだめでしょう」と言うのです。確かに聖書を学ぶことは大切ですが、全部学ばないと救われないということではありません。聖書が示している救いの御業、キリストの十字架と復活が私のためであり、イエスこそ私の救い主であり、人生の主として信じて受け入れるなら、救われるのです。

 

ラハブのように応答した人が、聖書の他の箇所にも見られます。イエスの母マリヤです。彼女も主の使いから、「あなたはみごもって男の子を産みます」と告げられたとき、「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」と答えますが、それが神の聖霊によるとわかると、「どうぞ、あなたのおことばどおりにこの身になりますように。」と言って、神のみことばを受け入れました。神の救いは自分の頭では理解できないことでも、聖書が神のことばであると信じ、聖書が言われることをそのまま受け入れることから始まります。そのような人は神から大いなる祝福を受けるのです。

それは、このマリヤもそうですが、ラハブもイエス・キリストの系図の中に記されていることからもわかります。マタイの福音書1章の救い主の系図を見ると、彼女の名が連なっていることがわかります(マタイ1:5)。異邦人でありながら、しかも遊女という肩書きであるにもかかわらず、神の恵みに対して信仰をもって応答したことによって、彼女は救い主の系図の中に組み込まれるまでに祝福されたのです。私たちも神の恵みを受けるにはあまりにも汚れた者ですが、主の恵みに信頼して、神の救いイエス・キリストを信じて受け入れ、この方と深く結びつけられることによって、神の恵みを受ける者とさせていただきましょう。

ヨシュア記1章

聖書箇所:ヨシュア記1章

 

きょうからヨシュア記に入ります。私たちは、これまでモーセ五書から学んできました。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、そして申命記です。これらはみなモーセによって書かれたものであり、イスラエル人の信仰生活の土台となる書物です。そのモーセが死に、今新しくイスラエルの指導者が立てられます。それがヨシュアです。このヨシュア記には、イスラエル人がカナンに住む諸民族を武力で制圧し、約束の地を征服していく歴史が記されています。ヨシュア記は、伝統的には主としてヨシュアが書き(ヨシュア24:26)、彼の死後の記事をアロンの子エルアザルとエルアザルの子ピネハスが書いたとされています。ヨシュアは、どのようにカナンの地を征服していったのか、ご一緒に見てまいりましょう。

 

 Ⅰ.ヨルダン川を渡れ(1-9)

 

 まず1~9節までをご覧ください。「主のしもべモーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げられた。2 「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこの民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。3 わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。4 あなたがたの領土は荒野からあのレバノン、そしてあの大河ユーフラテス川まで、ヒッタイト人の全土、日の入る方の大海までとなる。5 あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。6 強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならないからだ。7 ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。8 このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。」」

 

1節には、「モーセの従者、ヌンの子ヨシュア」とあります。彼は、偉大な先達者モーセの後継者であるということです。すぐれた人物の後に続く、いうならば「二番煎じ」です。ここには、その偉大な神のしもベモーセが死んだということが繰り返して書かれてあります。どういうことでしょうか。先達者が偉大な人物であればあるほどその後を継ぐ者のプレッシャーは大きいものです。しかし、そのモーセは死にました。ヨシュアにはモーセとは違う、彼自身に与えられた使命を実現してくことが求められていたのです。

 

その使命とは何でしょうか。それはイスラエルの民を約束の地に導き入れることでした。モーセは偉大な指導者でしたが、彼らをその地に導き入れることができませんでした。ヨシュアにはその使命が与えられていたのです。そしてそれはまた、律法ではなく福音によって約束を受けることを象徴していました。というのは、モーセは律法の代表者でしたが、そのモーセは死んだからです。モーセはイスラエルの民を約束の地に導くことができませんでした。約束の地に導くことができたのはヨシュアです。ヨシュアとはギリシャ語で「イエス」です。そうです、約束の地に導くのは律法ではなくイエスご自身であり、イエスを通してなされた十字架と復活という神の御業を信じる信仰によってなのです。

 

そのヨシュアに対して主が語られたことは、「今、あなたとこの民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。3 わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。」ということでした。

ここで重要なことは、「わたしがイスラエルの人らに与えようとしている地に行け」ということばです。また、「あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、すでにあなたがたに与えている」ということばです。この「与えようとしている」とか「与えている」という言葉は完了形になっています。つまり、これは確かにこれから先のこと、未来の事柄ではありますが、神にとってはもう既に完了していることなのです。確実に与えられているということです。信仰の内に既にそのことが完了していることを表わすために、未来のことであっても完了形で書かれているのです。神の約束が与えられたなら、それはもうすでに実現しているも同然のことなのです。

 

それと同時に、2節には、「今、あなたとこのすべての民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り」とあります。これは、神の約束の実現の前には、ヨルダン川を渡らなければならないということが示しています。つまり、神の約束が与えられたからといって、何の苦労もなく、自動的に与えられるわけではないということです。むしろその約束の実現の前には困難と試練が横たわっており、それを乗り越える信仰が求められているのです。すなわち、このヨルダン川を渡った時に初めて約束のものを得ることができるということです。ヨルダン川を渡らずして、ヨシュアはあのカナンの地に入ることはできませんでした。ヨルダン川という試練と困難を経て、足の裏で踏むという信仰の決断を経てこそ、彼はカナンの地に入って行くことができたのです。これが霊的法則です。ですから、私たちはすばらしい主の約束の実現のために、ヨルダン川を渡ることを臆してはならないのです。私たちの前にふさがるそのヨルダン川を信仰と勇気をもって渡って行くならば、大きな神の祝福を受けることができるのです。

 

5節をご覧ください。ここには、「あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」とあります。ここには、神がともにいるという約束が語られています。信仰を持ってヨルダン川を渡って行こうとしてもやはり恐れが生じます。しかし、この戦いは信仰の戦いであって、自分の力で敵に立ち向かっていくものではありません。主はモーセとともにいたように、ヨシュアとともにいると約束してくださいました。主がともにおられるなら、だれひとりとして彼の前に立ちはだかる者はいません。主の圧倒的な力で勝利することができるのです。

 

それゆえ、主はこう言われるのです。「強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならないからだ。7 ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。8 このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。」(6-9)

 

ここで主はヨシュアに、「強くあれ。雄々しくあれ。」と同じことを三度繰り返しています。なぜでしょうか。ある聖書学者はこう分析しています。ヨシュアは年齢が若く、したがってモーセほどの実力がなかったので、イスラエルの民が自分に従ってくれるかどうか非常に恐れていた。それで主はこれを三度も語って励ます必要があったのだと。もちろん、ヨシュアのこれから先に起こることを考えると、主がそのように言って励ます必要があったのは確かですが、むしろ、主がこのように言われたのは、これからのヨシュアの生涯が戦いの連続であるということをご存知であられたからです。ですから何度も繰り返して「強くあれ。雄々しくあれ。」と語る必要があったのです。確かに荒野においてヨシュアはモーセとともに戦いました。しかしそのモーセは死んだのです。モーセが死んだ今、自分一人で戦わなければならないとしたら、頼るべきものは主なる神だけです。神に聞き従いつつ、自分自身が先頭に立って様々な困難と闘っていかなければならないのです。そんなヨシュアにとって、「わたしはあなたとともにいる」という約束の言葉はどれほど力強かったことかと思います。確かにヨシュアの生涯は戦いの連続でした。しかし、共にいましたもう主の導きの中で、勝利を勝ち取ることができたのです。

 

これは私たちの信仰の生涯も同じです。それは戦いの連続であり、激しい戦いを通らなければならないことがあります。しかし主はそのような時にも共にいて、勝利を与えてくださいます。それが私たちの信仰生活です。主イエスの十字架は私たちの罪の赦しのためです。しかしそれ以上に十字架は悪魔に対する勝利の力であり、悪魔の罠をも勝利に転換させる大いなる力なのです。この十字架の信仰のゆえに、どんな戦いにも勝利することができるのです。一時的には敗北と見えるようなことがあったとしても、私たちにはやがて必ず勝利するのです。なぜなら、十字架においてすでに主が勝利をとってくださったからです。私たちは、その勝利の陣営にいるのです。

 

クリスチャンは、信仰をいただいたからといっても戦いが無くなるというわけではありません。問題や試練、困難がなくなるわけではないのです。この世に住む以上常に戦いの連続であり、そのような人生を歩まざるを得ませんが、しかし感謝なことは、私たちは勝利が確実な戦いを戦っているということです。小手先ではもしかすると敗北しているように見えるかもしれませんが、大局的には最も重要な所では既に私たちは勝利しているのです。

 

アラン・レッドパスという霊的指導者はこのように言いました。「クリスチャンは勝利に向かって努力するのではなく、勝利によって働き続ける者なのです。」そうです。私たちは勝利のために、勝利に向かって懸命に戦う者ではなく、もう既に与えられている勝利をもって、勝利の中を戦い続けていくものなのです。それゆえに、その勝利の信仰をいただいて、大胆に信仰と勇気をもって人生を歩んでいきたいものです。

 

Ⅱ.食料を準備しなさい(10-15)

 

次に10~15節までをご覧ください。「10 ヨシュアは民のつかさたちに命じた。11 「宿営の中を巡って、民に命じなさい。『食糧を準備しなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡るからだ。あなたがたの神、主があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、あなたがたは進むのだ。』」12 その一方で、ルベン人、ガド人、およびマナセの半部族にヨシュアは言った。13 「主のしもべモーセがあなたがたに命じて、『あなたがたの神、主はあなたがたに安息を与え、この地を与えようとしておられる』と言ったことばを思い出しなさい。14 あなたがたの妻子たちと家畜は、モーセがあなたがたに与えた、このヨルダンの川向こうにとどまりなさい。しかし、あなたがた勇士はみな、隊列を組み、あなたがたの兄弟たちより先に渡って行って、彼らを助けなければならない。15 主があなたがたの兄弟たちにも、あなたがたと同様に安息を与え、彼らもあなたがたの神、主が与えようとしておられる地を所有したら、あなたがたは【主】のしもべモーセがあなたがたに与えた、このヨルダンの川向こう、日の出る方にある自分たちの所有の地に帰り、それを所有することができる。」」

 

ヨシュアは民のつかさたちに、「食料の準備をしなさい」と命じました。それはもう三日のうちに、ヨルダン川を渡って、神が所有させようとしておられる地を占領するために、進んで行こうとしていたからです。これは、ある意味で、それ以前彼らがイスラエルの荒野で天からのマナとうずらを食べたという出来事と対照的に語られています。以前は、一方的な神の恩寵によって上から与えられる食べ物によって彼らは生きてきました。しかし、これからは自分の手によって食物を得るようにと命じられているのです。つまり、父なる神に対するある種の甘えや依存心から脱却して、自分自身の手によって食べ物を獲得しなさいというのです。

 

いったいどのようにして食料を準備したらいいのでしょうか。12~15節までのところには、その一つのことが示されています。ここでヨシュアは、ルベン人、ガド人、およびマナセの半部族に、戦いに参加するようにと命じています。覚えていますか、ヨルダン川の東岸、エモリ人が住んでいたところは、すでにモーセによって占領していました。そこにルベン族、ガド族、そしてマナセの半部族が、ここを所有地にしたいと願い出ました。モーセは初め怒りましたが、彼らのうち成年男子が、イスラエルとともにヨルダン川を渡り、ともに戦うと申し出たので、モーセはそれを許し、彼らにその地を相続させたのです。それで今、彼らが約束したように、彼らに民の先頭に立って戦うようにと命じているのです。

 

これらの諸部族は、すでにヨルダン川の東側を所有し定住していたので、わざわざヨルダン川を渡って戦う必要はありませんでした。確かにかつて東側を所有するにあたり勢い余ってそのように宣言したかもしれませんが、今では戦いに参加するという意欲は失われていたのでしょう。そんな彼らに対して、彼らも立ち上がって戦いに参加するようにと命じられているのです。なぜなら、一つでも欠けることがあれば戦いに勝つことができないからです。彼らが一つとなって戦うところに意味があります。そこに神の力が発揮されるからです。その中には、全面的に参加する者もいれば、部分的に参加する者もいたでしょう。また最前線で戦う者もいれば、後方で支援する者もいたに違いありません。しかし、それがどのような形であっても、各々が皆同じように戦略的には尊い存在なのであって、そうした仲間が一つとなって戦うことによって神の力が溢れるのです。

 

Ⅲ.イスラエル人の応答(16-18)

 

次に16~18節をご覧ください。「16 彼らはヨシュアに答えた。「あなたが私たちに命じたことは、何でも行います。あなたが遣わすところには、どこでも参ります。17 私たちは、あらゆる点でモーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います。どうかあなたの神、主が、モーセとともにおられたように、あなたとともにおられますように。18 あなたの命令に逆らい、あなたが私たちに命じることばに聞き従わない者はみな、殺されなければなりません。あなたは、ただ強く雄々しくあってください。」」

 

それに対してイスラエルの民はどのように応答したでしょうか。彼らは、「あなたが私たちに命じたことは、何でも行います。あなたが遣わすところには、どこでも参ります。私たちは、あらゆる点でモーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います。」と言いました。ものすごい力を感じますね。

 

でも、彼らはただヨシュアに従いますと言ったのではありません。彼らはヨシュアにあることを求めました。それは、「あなたの神、主が、モーセとともにおられたように、あなたとともにおられますように。」ということです。自分たちはモーセに従ったようにヨシュアにも従うので、ヨシュアよ、あなたはただ強く、雄々しくあってほしいと言ったのです。これは指導者が持つべき要素です。つまり、敵との戦いのために指導者は強く、雄々しくなければならないということです。指導者にとって誠実であることは重要なことですが、それと同時に強く、雄々しくあることが求められます。やさしく親切で、思いやりがあることは大切ですが、それと同時に強く、雄々しくあることが必要なのです。特に戦いにあっては、その指導者の強さが勝敗を決定するといっても過言ではありません。

 

いったいその強さはどこから来るのでしょうか。第一にそれは、生まれながらのものではなく神から与えられたものでした。5節には、「わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる」とあります。主がともにおられるということ、主の臨在こそがヨシュアの強さの源でした。

 

第二の理由は、彼が明確な召命観を持っていたことです。彼は主から「わたしがイスラエルに与えようとしている地に行け。」(2)と、明確な使命が与えられていました。この召命が彼を支え、彼を強くしていたのです。

私はよく牧師に必要なのは何ですかと尋ねられることがありますが、それに対して迷うことなく「召命です」と答えます。神が自分を選び、この務めに任じてくださった。自分の願いではなく、神が目的をもって自分を用いようと召してくださったということが明確であれば、どんな問題も乗り越えることができるからです。ヨシュアはこの召命を持っていたので、強く、雄々しくあることができました。自分がこの務めに資格があるかないかとか、適任であるかどうかということは関係ありません。それよりも、自分がその目的のために召されているのかどうか、神がそれをするようにと自分に命じておられるのかどうかが重要なのです。それは牧師に限ったことではありません。どんな小さな働きでも主の働き人に求められているのは、主からの召しなのです。たとえ自分に力がなくとも、弱さや欠点を持っていようとも、私たちは強くあることができるのです。

 

ヨシュアが強くあることができた第三の理由は、彼が神の約束の言葉に信頼していたからです。彼には神の約束の言葉が与えられていたので、いかなることがあっても失望しませんでした。主なる神は約束されたことを守られる方であると信じていたからです。それゆえ、神はヨシュアに7~8節で律法を守り行うこと、これを離れて右にも左にもそれてはならないこと、この律法の書を口から離さず昼も夜も口ずさまなければならない、と命じられたのです。そうです、ヨシュアの強さはこの神のことばに信頼することからくる確信だったのです。それは私たちも同じです。私たちも神のみことばに信頼し、主が約束してくださったことは必ず実現すると信じ切るなら、主の強さと確信がもたらされるのです。

 

私たちもヨシュアのように神の強さをいただくために、神の霊を宿し、神からの召命を確認しながら、神の約束に信頼するものでありたいと思います。そして、ヨシュアが主の力によってイスラエルを約束の地へと導いていったように、信仰によって前進していきたいと思います。