ゼルバベルへの励ましのメッセージ ハガイ書2章20~23節

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聖書箇所:ハガイ書2章20~23節(旧約P1611)
タイトル:「ゼルバベルへの励ましのメッセージ」

ハガイ書の第四のメッセージ、最後のメッセージです。ハガイ書は全体で2章しかない短い書ですが、パンチの効いたというか、とても励まされる書です。バビロン捕囚から帰還したユダの民がエルサレムの神殿を再建するにあたり、どれほど大きな励ましが与えられたことかと思います。そのメッセージの最後の部分は、ユダの民全体に対するものではなく、この再建工事の指揮を執った総督ゼルバベル個人に対するものでした。それは今日あなた個人に対して語られているメッセージでもあるということです。

Ⅰ.勝利の希望(20-22)

まず、20~22節をご覧ください。20節には「2:20 その月の二十四日、ハガイに再び次のような【主】のことばがあった。」

「その月の二十四日」とは、ペルシャの王ダレイオス王の第二年の第九の月の二十四日のことです。すなわち、この第四のメッセージは、前回の第三のメッセージが語られた同じ日に語られたものです。預言者ハガイに対して、次のような主のことばがありました。
「ユダの総督ゼルバベルに次のように言え。」
第三のメッセージまでは、総督ゼルバベルと大祭司ヨシュア、あるいはユダの民全体に与えられたものでしたが、この第四のメッセージは、ゼルバベルだけ語られたものです。いわゆるゼルバベル個人に語られたメッセージです。なぜ主はゼルバベルに対して語られたのでしょうか。それは彼を励ますためでした。

21節、22節をご覧ください。ここには、「ユダの総督ゼルバベルに次のように言え。『わたしは天と地を揺り動かし、もろもろの王国の王座を倒し、異邦の民の王国の力を滅ぼし尽くし、戦車とその乗り手をくつがえす。馬とその乗り手は味方の剣によって倒れる。」とあります。どういうことでしょうか。
「わたしは天と地を揺り動かし」ということばは、2章6~7節でも語られていたことです。2章6節には、主は天と地、海と陸、すべての国々を揺り動かすからあなたがたは仕事に取りかかれ、ということでしたが、ここでは、どのように主は天と地を揺り動かされるのか、その具体的な内容が述べられています。すなわち、異邦の民の王国の力を滅ぼし尽くし、戦車とその乗り手をくつがえす、ということです。馬とその乗り手は味方の剣によって倒れることになります。つまり、主はそのように敵を滅ぼされるということです。これは敵の攻撃によって工事を中断していたゼルバベルにとって、どれほど大きな励ましであったことかと思います。というのは、この神殿再建工事の責任を任せられた彼はどんなことがあってもそれを成し遂げなければならなかったのにそれができないでいたからです。16年間もずっと放置したままでした。普通ならくびです。その責任を果たすことができなかったのですから。彼は自分の力不足というか、足りなさに相当落ち込んでいたのではないかと思います。そんな彼に対して主は彼を責めるようなことは一切言わず、むしろ、彼を励ますことばを語ってくださいました。それがこれです。「わたしは天と地を揺り動かし、もろもろの王国の王座を倒し、異邦の民の王国の力を滅ぼし尽くし、戦車とその乗り手をくつがえす。馬とその乗り手は味方の剣によって倒れる。」。
これは、そうした彼の前に立ちはだかる敵をことごとく打ち破られるということです。いわばこれは勝利の宣言なのです。

そしてこれはこのハガイの時代だけのことでなく、今を生きる私たちにも語られていることです。というのは、このことばは実はまだ私たちも経験していない世の終わりにおいて起こる出来事も預言しているからです。この「もろもろの王国の王座を倒し」とか、「異邦の民の王国の力を滅ぼし尽くし」ということばがそれを示しています。また、その後の23節の「その日」ということばもそうです。終末のことを示している特徴的なことばです。つまりこれは世の終わりにおいて反キリストの勢力が倒れることの預言なのです。黙示録16章には、その戦いについて書かれてあります。それは「ハルマゲドンの戦い」と呼ばれている世界最終戦争のことです。
「こうして汚れた霊どもは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる場所に王たちを集めた。」(黙示録16:16)
これはキリストと反キリストの勢力との戦いですが、その戦いにおいてキリストが勝利するという預言です。それはこのハガイ書で言われていることが最終的に成就する時でもあるのです。その時キリストは来臨され、彼を信じるすべての者をご自身のもとに引き寄せてくださいます。栄光のからだによみがえって。

皆さん、クリスチャンは死んで終わりではありません。よみがえるのです。朽ちることのない栄光のからだによみがえり、いつまでも主とともにいるようになります。そのとき、Ⅰコリント15:54で言われていることばが実現することになります。それは、「死は勝利に呑まれた」ということばです。ですから、クリスチャンは、死は怖くないのです。いや、正直怖いでしょう。でも、やがてその死からよみがえることを信じているから、平安があるのです。噓だぁ、そんなことあるはずないじゃないか!と言う方もおられると思います。にわかには信じられない話です。でも聖書はそのように約束しているのです。そして、その初穂としてキリストはよみがえられました。それはキリストを信じるすべての人もそのようになることを実証するためだったのです。これがクリスチャンの希望です。

昨日、さくらチャーチの上野姉が天に召されて1か月を記念して、ご自宅で記念会を持ちました。そこで上野さんが生前、ご自身が召されたらこれを牧師に渡してくださいと書かれたお手紙の最後に書いてあったことばをお伝えしました。それは召される半年前の9月1日に書かれたものですが、そこにこうありました。
「生きとし生けるもの、いつかは世を去りますが、『わたしを信じる者は死んでも生きるのです』との力強い聖句を胸に刻んで歩みます。」
何と力強い御言葉でしょう。「わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」皆さん、これが真の希望なのです。

あなたの希望は何ですか。毎日楽しく生きることですか。良いところに就職して安定した生活を送ることですか。いい人と結婚して幸せになることですか。ああ、いい人生だったと言ってこの世を去ることでしょうか。それもすばらしいことです。でももっとすばらしい希望があります。それは死んでも生きることです。死を超えたいのち、永遠のいのちを持つことです。主はこのいのちを与えると約束してくださいました。ヨハネの福音書3章16節にこうあります。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
御イエスを信じる者は、永遠のいのちを持つことができます。それは今すぐという面もありますが、最終的には世の終わりまで待たなければなりません。でも、そのときあなたはこういうようになるでしょう。「あっ、本当だった!本当に聖書に書いてあるとおりだった。神は生きておられる。これが永遠のいのちか。このいのちを持つことができて本当に良かった。アーメン!」と。

皆さんは、「時間割引率」という言葉を聞いたことがありますか?これは将来の富と現在の富とが、どの程度で均衡するかということを示す指標です。たとえば、1年後に1万円もらうと約束をしている子が、1年も待てない。今すぐにでも欲しい。今なら千円でもいいと考える子の時間割引率は、90%となります。もし五千円ならいいと考える子なら、50%です。なんか年金みたいな話ですが、時間割引率の高い子ほど、低い価格でも今の富を手に入れようとするんです。そしてこの時間割引率の高い子と低い子を比較すると、収入や社会的地位、家庭生活のすべての面において、時間的割引率の低い子、すなわち、我慢して待つ子ほど優っているという結果が出たのです。このことから言えることはどういうことかというと、人生で成功するためには、時間割引率が低い方がいいということです。つまり、我慢できるという資質を身に着けることが重要であるということです。

明日という日に希望の光を見る人は幸いです。死後のいのちの希望を持つ人は幸いなのです。もしかするとあなたは今、ゼルバベルが経験していたような困難の中に置かれてあるかもしれません。しかし、あなたにはこのような希望、復活の希望が与えられているのです。どうか近視眼的にならないでください。将来与えられる確かな希望をしっかり握り締めてください。へブル10章36節にこうあります。
「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。」(ヘブル10:36)
そのためには忍耐が必要です。でも、主はあなたに確かな勝利の希望を与えておられるのですから、忍耐をもってそれを待ち望んでいただきたいと思います。

Ⅱ.名前を呼ばれる神(23a)

次に、23節をご覧ください。ここには、もう一つの励ましのことばが語られています。それは、「わたしのしもべゼルバベルよ」ということばです。「その日、──万軍の【主】のことば──シェアルティエルの子、わたしのしもべゼルバベルよ」

ここに「その日」とありますね。これも終末のことを示す特徴的なことばです。それはこのゼルバベルの時だけでなく、将来世の終わりにおいて成就することも重ねて語られているということです。そのゼルバベルに対して主は何と言われましたか。万軍の主はこう言われました。
「シェアルティエルの子、わたしのしもべゼルバベルよ」
主は彼の名前を呼ばれました。どういうことでしょうか。それは、主は彼をご自身にとって親しい関係にある者、特別なものとして扱っておられるということです。たとえば、あなたがどこかのレストランに行ったとして、「いらっしゃいませオオハシ」と名前で呼ばれたらどうでしょう。嬉しくなりませんか。ただの「いらっしゃいませ」に名前がついただけで、特別に歓迎されているような気がします。実際前もって名前を憶えていない限り、そんな呼びかけはできませんから、あぁ、気遣いしてくれたんだなと思うと嬉しくなります。
先週車を車検に出したのですが、その店の担当者はいつも私のファーストネームを呼んでくれます。「あ、トミオさん、いつもありがとうございます。」とか。初めはちょっとドキッとしました。そのように呼ぶのは家内か家族くらいしかいないからです。でもずっとそのように呼ばれるうちに、この人はずっと私のことを覚えていてくれているんだなぁと思ってうれしくなります。

そのように聖書の神は、あなたの名を呼ばれのです。イザヤ43章1節にこうあります。
「だが今、【主】はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。」
神はユダヤ人のことを二通りの呼び方で呼んでおられます。ヤコブとイスラエルです。ヤコブという名前は「かかとをつかむ」いう意味がありますが、それは人を押しのけるとか、だますもの、ずる賢い者という意味です。しかし、イスラエルという名前は、神と戦って勝つとか、神によって勝利するという意味です。神さまを無視するのではなく、神さまと真正面に向き合ってぶつかっていくように関わっていくという意味で、これは非常に高貴な名前なのです。ユダヤ人の先祖ヤコブは、その名の通り、だます人、ごまかす人、卑怯な者でした。しかしそんな人物をも神は愛して、神の王子のような名前で呼ばれるのです。なぜ?わたしがあなたを贖ったからだとあるとおりです。神が贖ってくださいました。あなたはただのヤコブではありません。神によって贖われた神の民イスラエルです。イエス・キリストを信じたことで、神の家族の一員として、神の民、神に特別に愛されている者とされたのです。

このことはゼルバベルにとってどれほど大きな励ましを与えてくれたことでしょう。人は誰にも言えないような苦しみや辛いことを抱えながら私たちはみんな生きていますが、その中であなたのことをまるごとご存知であられる神が、あなたの名前を呼んでくださるとしたらどうでしょう。そこに慰めと励ましが与えられ、もう一度立ち上がる力が沸いてくるのではないでしょうか。ゼルバベルもそうでした。主は彼の名前を呼ばれました。自分に与えられた使命を果たすことができず自分を責め落ち込んでいた彼に、そうじゃない、あなたは永遠の昔から、いや、この世界の基の置かれる前からわたしのしもべとして選ばれていたんだよと、どんなに弱くても、どんなに小さくても、あなたは決してわたしに忘れられることはないというメッセージは、彼にとって大きな励ましとなったのです。
Ⅲ.わたしはあなたを選んで印章とする(23b)

最後に、もう一つの励ましのことばを見て終わりたいと思います。それは、「わたしはあなたを選んで印章とする」ということばです。23節の後半をご覧ください。「──【主】のことば──わたしはあなたを選んで印章とする。わたしがあなたを選んだからだ。──万軍の【主】のことば。』」これはどういうことでしょうか。

新改訳第三版では、「わたしはあなたを印形のようにする。」と訳しています。「印章」とか「印形」というのは、王様が公文書にサインをする時に用いた「王の印」のことです。それは王の指輪についていて、その印章を押すとだれもそれを取り消すことができませんでした。それほどの権威があったのです。エステル記8章8節に、「あなたがたは、ユダヤ人についてあなたがたのよいと思うように王の名で書き、王の指輪でそれに印を押しなさい。王の指輪で印が押された文書は、だれも取り消すことはできない。」とありますが、これはクセルクセス王が王妃エステルとモルデカイに言ったことばです。自分たちを貶めユダヤ人を撲滅しようとしたハマンに対して、自分たちがよいと思うように王の名で書き、王の指輪で印を押しなさいと。それはだれも取り消すことができないほどの権威があったのです。ここで主はゼルバベルに対して、その印章のようにすると言われたのです。主はゼルバベルを特別に扱い、彼から離れることはないということです。彼をご自身の代理人として、すべての権威を与え、祝福を流す器とされたのです。ここには「わたしがあなたを選んだからだ」とありますが、彼は神殿再建のために神によって特別に選ばれた器だったのです。

これを聞いたゼルバベルはどれほど励まされたでしょうか。自分は神によって与えられた使命を果たすことができなかったと落ち込んでいた彼にとって、自分をそのような権威を持つものとして主が特別に選んでくださったのかと思うとき、もう一度主から与えられた賜物と召命をに応えて立ち上がることができたのだと思います。事実、このハガイを通して語られたみことばに励まされ、彼はもう一度神殿再建工事に取り組むことができました。そして、この預言があった4年後のB.C.516年に神殿が完成するのです。それはエレミヤの預言どおり、神殿が破壊されてからちょうど70年後のことでした。彼らは喜んで奉献式をお祝いし、また過越の祭りを楽しむことができたのです。

それは私たちも同じです。主はご自身の使命を全うするためにあなたを選んでくださいました。あなたには神から特別な使命が与えられているのです。それは人によって違うでしょう。しかし、神の宮を建て上げるために、あなたも召されているのです。そのために必要なのは何でしょうか。そのために必要なのは励ましです。それはただ「がんばれよ」と言われて与えられるものではありません。主の前に自分はどのようなものなのかを確認することによって与えられるものです。自分は神によって選ばれ、特別に祝福を流す道具として召された者であるという使命感、召命感です。これが確認できるとき、私たちは今置かれている状況がどんなに辛く、険しく、厳しくても、立ち上がり、主の業に励むことができるようになるのです。

私は多くの牧師からいろいろな質問を受けますが、その中で一番多いのは「牧師にとって一番大切なことは何ですか」という質問です。そのように質問されるとき、私は迷わずこのように答えるようにしています。「それは神の賜物と召命です。」と。神の賜物と召命は変わることはありません。たとえあなたが失敗しても、たとえあなたが思うような働きができなくても、神のあなたに対する賜物と召命は変わることはありません。神はあなたを選んで印章とされました。神はあなたを生まれる前から、この世界の基が置かれる前から選んでくださいました。あなたは神のしもべ、神のものです。神があなたとともにおられます。神があなたを助け、守り、導いてくださいます。もうそれで十分じゃないですか。権力によらず、能力によらず、わたしの霊によってと言われる方が、そのためにあなたに力を与えてくださいます。

主はこのときゼルバベルに個人的に語りかけてくださったように、主は今日あなたにも個人的に語りかけ、励ましておられます。あなたにとって必要なのは、この主のメッセージを聞くことです。
「わたしのしもべゼルバベルよ。わたしはあなたを選んで印章とする。」
そんな主のことばに励まされながら、私たちももう一度立ち上がり、主の宮の再建工事、人生という宮の再建工事に取りかかろうではありませんか。必ず主がそれを完成させてくださいますから。感謝します。