模範となった教会 Iテサロニケ1章4~10節

聖書箇所:Iテサロニケ1章4~10節(2回目)

タイトル:「模範となった教会」

 

 テサロニケ人への手紙第一からお話しています。きょうは、1章4節から10節までのところからお話します。タイトルは「模範となった教会」です。

この手紙は、パウロが書いた13の手紙の中で最も早く書かれた手紙です。1章3節でパウロは、彼らの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしていると言いました。そしてきょうの箇所には、その彼らの信仰はどのようなものだったのかが語られています。それは、マケドニアとアカヤとのすべての信者の模範となるような信仰でした。パウロやシルワノはこのテサロニケに1か月くらいしかいることができなかったのに、いったいどのようにしてすべての信者の模範になることができたのでしょうか。きょうは、このことについて学びたいと思います。

 

 Ⅰ.私たちの福音(4-5)

 

 まず4節と5節をご覧ください。4節には「神に愛されている兄弟たち。私たちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っています。」とあります。

 

 彼らは、「神に愛されている兄弟たち」でした。それは、彼らが何か良いことをしたからではありません。彼らは神から遠く離れていた者たちでした。神を神としてあがめることをせず、感謝もせず、心の欲望の赴くままに生きていました。神に愛される資格など全くありませんでした。にもかかわらず彼らは、神に愛された者たちでした。なぜでしょうか。神が選んでくださったからです。ここには「私たちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っています」とあります。

 

 彼らは愛されるように神に選ばれた者でした。それは彼らだけではありません。私たちもそうです。イエス・キリストを信じているすべてのクリスチャンは、神に選ばれた者なのです。私たちはどこか自分の意志で教会に来てイエス様を信じたかのように思っているところがありますが、実はそうではなく、神が選んでおられたので来るようになったのです。ヨハネの福音書15章16節にこのようにあります。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです」

 あなたがたとは私たちクリスチャンのことです。あなたがたがわたし、すなわちイエス様を選んだのではありません。イエス様があなたがたを選び、任命したのです。それはあなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるためです。イエス様が選んでくださったので、私たちはイエス様を信じることができたのです。

 

また、エペソ人への手紙1章4節と5節には、いつ神が私たちを選んでくださったのかが記されてあります。「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。にしようとされました。」

ここには、「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び」とあります。いつ選んでくださったのですか?私たちが生まれる前からです。いや、世界の基の置かれる前から、イエス・キリストによってご自分の子にしようと、定めておられたのです。すごいですね。あなたはずっと前から選ばれていたのです。

 

 このようなことを申し上げると、「じゃ、救われない人は、あらかじめそのように定められていたんですか、そんなの不公平じゃないですか」と言う人がいますが、決してそうではありません。Ⅰテモテ2章4節には、「神は、すべての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」とあるからです。すなわち、神は、すべての人が救われることを望んでおられるということです。それなのに信じようとしないとしたら、それは神の側に問題があるのではなく、信じようとしない人の側に問題があるのです。神から差し出された救いの恵みを受け取ろうとしないで、自ら拒んでいるわけですから。神の救いはすべての人に差し出されているのであって、すべての人が救われることを神は望んでおられるのです。ですから、もしあなたがその差し出された救いを受け入れるならば、あなたも神に選ばれた者なのです。テサロニケの兄弟たちは、差し出された救いの恵みを素直に受け入れました。それは彼らが神に選ばれた人たちだったからです。

 

 5節をご覧ください。ここには「私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いたからです。」とあります。これはその理由です。テサロニケの人たちがなぜ福音を信じるようになったのかということです。それは、パウロたちによって伝えられた福音が、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、彼らの間に届いたからです。どういうことでしょうか?福音はただのことばではないということです。福音は神の力です。Ⅰコリント1章18節には、「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(Ⅰコリント1:18)とあります。また、同じⅠコリント2章4節にも、「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。」(Ⅰコリント2:4)とあります。

すなわち、パウロが伝えた福音のことばはただのことばではなく、そこに力と聖霊と強い確信が伴っていたということです。これはしるしや奇跡といった神の不思議な御業が現わされたというだけでなく、彼らの生き様を通して福音が力強く証しされていたということです。「あの人はどこか違うなあ。本当にいい人だ。ただのいい人を越えて、何か神の力を感じる」といった感じです。それはここに、「私たちの福音」とあるからです。「私たちの福音」とは何でしょうか。それは、私たちが所有している福音のことです。福音が自分たちのものになっているということです。ただ私たちが信じているというだけでなく、それがすっかり板についているということです。すなわち、彼らはこの福音に生き、福音に立って歩んでいたのです。そこにはものすごい聖霊の力が現れていました。その福音がテサロニケの人たちに伝えられたのです。

 

 皆さんはどうでしょうか。「私の福音」になっているでしょうか。確かに福音によって救われましたが、私の福音と言えるまでにはなっていないかもしれません。この福音が「私の福音」と言えるまで福音にしっかりととどまり、福音に生きる者でありたいと思います。そこに力と聖霊と強い確信が伴うようになるからです。

 

 Ⅱ.聖霊による喜び(6)

 

 次に6節をご覧ください。ここには「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。」とあります。

 

 福音は力と聖霊と強い確信を伴ってテサロニケの人たちにもたらされましたが、一方、テサロニケの人たちはそれをどのように受け止めたでしょうか。ここには「あなたがたもまた多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。」とあります。聖霊の力と強い確信をもって語られた福音のことばを、テサロニケの人々も聖霊による喜びをもって受け入れ、パウロたちと、そして主に倣う者になりました。多くの迫害の中にあっても、です。それだけ聖霊の力が働いていたということです。

 

 皆さん、クリスチャンの歩みは決して良いことずくめではありません。良いことがあれば悪いこともあります。クリスチャンになったら何もかもがバラ色になるというわけではないのです。イエスさまがいばらの冠を被らせられたように、クリスチャンの生涯にもいばらが生えていることがあるのです。バラもあればいばらもあります。しかしクリスチャンはそうしたいばらの中にあっても喜ぶことができます。なぜなら、クリスチャンの喜びは聖霊による喜びだからです。それはこの世が与える喜びとは違います。それは状況がどうであれ、決して奪い取られることがない喜びです。一般的に健康の時は喜ぶことができても、いざ病気になったらその喜びはどこかに吹っ飛んでしまいます。お金があれば喜べますが、無くなった途端に不安になります。友達がいれば喜べますが、友達に裏切られたり見捨てられたりすると落ち込んでしまいます。それまで抱いていた喜びがいっぺんに吹っ飛んでしまうのです。しかし、聖書が与える喜びは、どのような状況にあっても奪い去られることがありません。

 

 一週間前に東京パラリンピックが閉幕しましたが、パラリンピックアスリートの輝いた姿に圧倒されました。ある人は生まれながらに目が見えなかったり、またある人は交通事故で脊椎を損傷して車いすでの生活を余儀なくされたり、ある人は仕事の事故で腕を失ったりと、それぞれが肉体のハンディキャップを抱えながらも、突き抜けた喜びを感じました。「障害」というと、一般的にはマイナスイのメージがありますが、パラリンピックについて言えば必ずしもそうとは言い切ることができないと思いました。健常者と同じように、いやそれ以上に喜びに溢れていました。たとえ肉体にハンディキャップを抱えていても、彼らからその喜びを奪うことはできません。聖霊による喜びも同じです。たとえ状況がどうであれ、そうしたものによっては決して奪い取られることはありません。テサロニケの人たちはこの聖霊による喜びをもっていたのです。聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、主に倣う者になったのです。

 

ペテロは、迫害によって散らされていたクリスチャンたちに対してこのように書き送りました。「そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまな試練の中で、悲しまなければならないのですが、あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。」(Ⅰペテロ1:6-9)

「そういうわけで」とは、イエスさまを信じて罪赦され、永遠のいのちが与えられたので、ということです。言い換えるなら、聖霊を受けたので、ということです。そういうわけで、私たちは大いに喜んでいるのです。いまは、しばらくの間、さまざまな試練の中で、悲しまなければならないのですが、信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。私たちはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。

 

これは信仰の結果なのです。たましいの救いを得ているからなのです。聖霊による喜びがあります。テサロニケのクリスチャンたちには、この聖霊による喜びがありました。それゆえ、多くの苦難の中でも、この聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、主に倣う者となったのです。

 

私たちも同じです。私たちがイエス様を信じた結果、この聖霊が与えられました。ですから、多くの苦難の中でも、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、主に倣う者になれるのです。

 

Ⅲ.模範となった教会(7-10)

 

第三に、その結果です。聖霊によって伝えられ、聖霊の喜びをもって受け入れられた福音は、いったいどのようになったでしょうか。7節と8節をご覧ください。「その結果、あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。 主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。そのため、私たちは何も言う必要がありません。」

 

 すばらしいほめ言葉です。激しい迫害の中、パウロ一行はこのテサロニケの町にわずか1か月くらいしか滞在することができませんでしたが、テサロニケのクリスチャンたちはそうした多くの苦難の中でも、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、主倣う者になりました。それを聞いたときパウロは、どれほどうれしかったことでしょう。その喜びが8節でこのように表現されています。

「主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。そのため、私たちは何も言う必要がありません。」

この「響き渡った」ということばは、ラッパの響きが広がっていく様を表しています。彼らの信仰はマケドニアとアカヤ地方だけでなく、すべての信者の模範となって響き渡りました。そればかりか、このことばは完了形になっています。つまり、ずっと響き渡り続けていたということです。一時的に響いただけではなく、ずっと響き続け、広がり続けていったのです。もう何を言う必要がないほどでした。これほどのほめことばはないでしょう。何も言う必要がないほどの信仰です。

 

私たちの教会もそのようになりたいですね。私たちの信仰が、このさくら市だけでなく栃木県の全域に、いや全国に、全世界に響き渡り、多くのクリスチャンを励ましていくような、そんな教会となったらどんなにすばらしいことでしょうか。絶対にそうなります。なぜなら、これは御霊なる主の働きによるものだからです。私たちの力では主に倣う者になることはできませんが、御霊なる主にはできます。御霊なる主は私たちを、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えてくださいます。ですから、この御霊により頼むなら、かつてテサロニケで起こったことが、この教会にも起こると信じます。かつて中国の教会がそうであったように、日本の教会も、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れるなら、あらゆる所に響き渡るようになるのです。

 

そのためにはどうしたらいいのでしょうか。二つのことがあります。一つは、偶像から立ち返り、生けるまことの神に仕えることです。9節をご覧ください。「人々自身が私たちのことを知らせています。私たちがどのようにあなたがたに受け入れてもらったか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、」

パウロの宣教のことばが、神のことばとして彼らに受け入れられると、彼らは偶像から神に立ち返り、生けるまことの神に仕えるようになりました。回心にはこの二つのことが必要です。つまり離れることと、向かうことです。彼らは偶像から離れ、神に向かいました。このテサロニケには多くの偶像がありました。テサロニケの町からはギリシャの神々オリンポスの山を眺めることができたと言われています。そこにはギリシャ神話の神々を信奉しているたくさんの人たちがいました。それはパウロがギリシャ文化の中心地アテネを訪れた時、そこにあったおびただしい数の偶像を見て怒りを感じたことからもわかります。同じギリシャの地方都市であったこのテサロニケにも相当の偶像があり、それに支配されていました。しかし彼らはパウロを通して語られた神のことばを受け入れたとき、そうした偶像から離れ、生けるまことの神に仕えるようになりました。この「偶像から」の「から」は、偶像からの明確な分離を示しています。中途半端な決別ではありません。明確な方向転換です。180度変わったのです。

 

それは単に木や石できた偶像ばかりではなく、私たちの心の中で作り上げているものもそうです。神以外のものを神よりも大切にするものがあるとしたら、それはその人にとって偶像なのです。クリスチャンもこうした偶像礼拝に陥っていることがあります。それが何であったとしても、テサロニケのクリスチャンたちが偶像から立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになったように、私たちもそうした偶像と明確に分離し、生けるまことの神を第一にして、心から神に仕える者でなければなりません。あなたにとっての偶像とは何でしょうか。

 

それから、もうひとつのことは10節にありますが、主の再臨を待ち望むということです。「御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。」

 

これはどういうことかというと、テサロニケのクリスチャンたちは、キリストの再臨を待ち望んでいたということです。この「待ち望む」ということばは、赤ちゃんが生まれる時、両親がわくわくしながらそれを待望する姿に似ています。赤ちゃんが生まれてくるのがわかるとそのために備えます。いつ生まれてきてもいいように部屋の模様替えをしたり、ベビーベッドを用意したり、その脇にはオムツを交換する台を置いたり、暑ければエアコンを、寒ければ赤ちゃんの健康にいいヒーターを用意します。産着も、ベビー服も、おもちゃも、ミルクも、ちゃんと用意して待ちます。私たちも娘が生まれた時は部屋の壁紙からカーテンまでも交換しました。それと同じように、テサロニケのクリスチャンたちはイエスさまがいつ再臨してもいいように待ち望んでいたのです。

 

皆さんはどうでしょうか。イエスさまがいつ来られてもいいように、備えておられるでしょうか。その日は本当に近いのではないかと思います。別に脅かしているのではありません。本当にそのように感じます。イエス様が天に戻られて二千年が経ちました。近年の世界情勢を見ると、地球環境や疫病、国家間の紛争など、どれ一つとっても危機を感じます。地球温暖化による気候変動によって山火事や台風、ハリケーンなどの自然災害が多発しています。百年に一度と言われる豪雨が毎年のように起こっています。昨年から続いているコロナウイルス感染症もいつ収束するかわかりません。どんなにワクチンを作っても新しい型の変異株が次々に起こっています。もし核戦争が起こったら地球はひとたまりもありません。

 

米国の原子力科学者会報(Bulletin of the Atomic Scientists)が定期的に発表している終末時計によると、2021年の終末時計は「残り100秒」になっています。これはクリスチャンが言っていることではありません。米国の原子力科学者会が核兵器の脅威など、様々な世界の情勢を鑑みてはじき出している数字です。これによると終末は限りなく近いということがわかります。それは聖書でイエス様が警告していることでもあります。イエス様は世の終わりのしるしとして、どんなことが起こるのかを、マタイの福音書24章で教えてくださいましたが、それによると、世の終わりには偽キリストが現れると言われました。戦争や戦争のうわさも聞くことになります。あちこちで飢饉と地震が起こります。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えていきます。そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そして、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。その日は、限りなく近いのです。そんなことあるはずないじゃないですか、そんなの絵空事でしょ、牧師さんもとうとうきたなと思っている方も、この中に5~6人いますが、これは本当のことなのです。パウロもこう言っています。「イエスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。」(Ⅰテサロニケ4:13)と。これはどういうことかというと、イエス様が復活したなんて人間的には信じられないことですが、クリスチャンはそれを信じています。であれば、イエス様が再臨することも人間的には信じられないことですが、本当に起こりますよ、ということです。考えてみると、聖書の内容はどれも人間の頭では信じられないことばかりですが、それでも私たちはイエスが神の子、救い主であり、私たちの罪のために十字架で死んでくださり、三日目に復活したと信じています。それがクリスチャンです。であれば、イエス様が再び来られるということも、そして、そのとき、私たちも復活して天に引き上げられるということも実際に起こると信じることができます。それはもうすぐです。私は、私が生きている間に起こるといいなぁと期待していますが、それがいつなのかはだれにもわかりません。わかっていることは、イエス様は再び来られるということです。

 

テサロニケのクリスチャンたちは、それを待ち望んでいました。それこそ、真の希望です。真の希望とは、与えられたかと思ったらすぐに消えてしまうような一時的なものではなく、いつまでも続くものです。それは復活の希望です。やがてキリストが再臨する時に、永遠に朽ちない栄光のからだに復活します。それがクリスチャンの希望です。それが真の希望なのです。

 

昨日、先日主のもとに召されたIさんの納骨式を行いました。その墓石には「我らの国籍は天にあり」と刻まれていました。そして、その手前の墓石には「復活の希望」と刻まれてありました。これはピリピ3章20~21節のみことばです。「しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。」

これが私たちの希望です。テサロニケのクリスチャンたちは、この希望を告白していました。御子が天から来られるのを待ち望んでいたのです。それゆえ、彼らはこの地上でどんな苦難があっても、信仰に堅く立ち続けることができたのです。いや、彼らの信仰は、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範となったのです。

 

あなたはどうでしょうか。主が天から来られるのを待ち望んでいるでしょうか。主のご再臨にどのように備えていますか。私たちも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、主に倣う者になりましょう。そして、偶像から神に立ち返り、生けるまことの神に仕えるようになろうではありませんか。そして主の再臨を待ち望みましょう。そのとき、テサロニケの教会がすべての信者の模範となったように、私たちも、そのような教会となれるのです。

大きな喜びの知らせ ルカ2:8-12

2020年12月20日(日)クリスマス礼拝メッセージ

聖書:ルカ2:8-12(新約P110)

タイトル:「大きな喜びの知らせ」

 

 主の年2020年のクリスマスを迎えました。おめでとうございます。聖書には、イエス・キリスト誕生という驚くべきニュースが最初に伝えられたのは、ユダヤの田舎のベツレヘムという町で、羊を飼っていた羊飼いたちのところでした。彼らが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていると、突然、主の使いが彼らのところに来て、こう告げたのです。

 

「御使いは彼らに言った。『恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。』」(ルカ2:10-12)

 

 どうしてこれが喜びの知らせなのでしょうか。救い主が生まれたからといって、彼らの人生が劇的に変わるわけではありません。救い主が生まれようが生まれまいが、彼らは依然として羊飼いを続けていかなければなりません。いったいなぜこれが喜びの知らせなのでしょうか。 きょうは、その三つの理由を見ていきたいと思います。かなわち、第一に、キリストはダビデの町でお生まれになられたということ、第二に、キリストは飼い葉桶に寝かせられたということ、そして第三に、あなたの救い主としてお生まれになられたということです。

 

 Ⅰ.ダビデの町で生まれた救い主(11)

 

 まず、11節をご覧ください。ここには「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」とあります。

キリストは、どこで生まれのでしょうか。ダビデの町です。ダビデの町とは、ユダヤのベツレヘムという小さな町です。実は、旧約聖書においては、「ダビデの町」はいずれもエルサレムでした。Ⅱサムエル5:7には、「しかし、ダビデはシオンの要害を攻め取った。これが、ダビデの町である」とあります。「シオン」とは「エルサレム」のことです。ですから、ダビデの町というのはエルサレムのことなのです。それなのに、ここには「ベツレヘム」とあります。どうしてルカはベツレヘムをダビデの町と言ったのでしょうか。それは、このベツレヘムこそダビデが生まれた出身地であったからです。Ⅰサムエル記17:11をご覧ください。ここには「 さて、ダビデは、ユダのベツレヘム出身の、エッサイという名のエフラテ人の息子であった。」とあります。元々、ダビデとはダビデの出身地のベツレヘムでしたが、ダビデがエルサレムを攻め取ったとき、そこをイスラエルの政治的、宗教的な中心地としたことから、これをダビデの町と呼ぶことにしたのです。しかし、ルカはそうではなく、ベツレヘムであることを強調しました。なぜでしょうか。なぜなら、キリストが生まれるのはペレツへ無でなければならなかったからです。旧約聖書にそのように預言されていたました。ミカ書5:2を開いてください。ここには「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」(ミカ5:2)」とあります。

 これは、キリストが生まれる約700年前に預言されたものですが、ここには、イスラエルの支配者となる者が、ベツレヘムから出ると預言されてありました。イスラエルの支配者とはイスラエルを治める者のことですが、それはユダ族のベツレヘムという小さな町から出ると言われていたのです。それはダビデの家系につながる方ですが、ダビデ王とは違いダビデの家系から将来出てくる支配者のことです。つまり、キリストはエルサレムではなくベツレヘムから生まれるという預言だったのです。それは、昔から、永遠の昔から定めでした。キリストはそのとおりにお生まれになられたのです。ということはどういうことかと申しますと、この方こそ間違いない救い主であるということです。

 

 まさか偶然でしょう、と思われる方もいるかもしれません。しかしこれは偶然ではありません。もしこの預言だけが的中したというのなら、あるいは偶然だと言えるかもしれません。しかし、キリストに関する預言の成就はここだけでなく、聖書の至るところに見ることができます。たとえば、キリストの誕生に関して言うなら、皆さんもご存知のように処女から生まれると預言されていましたが、その通りになりました。イザヤ書7:14です。「それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」有名な「インマヌエル」預言です。この預言のとおりに、キリストは処女マリヤからお生まれになられました。

そればかりではありません。イザヤ書9:6~7には、この方がどのような方であるかも預言されてありました。「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」とあります。やがて来られるみどりごは、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」です。その方はダビデ王のように王座に就きますが、ただの王座ではなくとこしえの王座です。その王座に就いて、王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支えるのです。だれがこんなことができるでしょう。だれもできません。しかし、神はおできになります。万軍の主の熱心がこれをするのです。その方はだれでしょう。そうです、神の子イエス・キリストです。

 

 このように、キリストに関する預言は旧約聖書の中にたくさんあります。直接的な預言だけで少なくても300以上あります。間接的なものも含めると、実に400以上あります。そのすべての預言が成就したのは、この人類の歴史上、イエス・キリスト以外にはおられません。イエス・キリストこそ、永遠の昔から、神が定めておられた救い主なのです。これはすばらしい喜びの知らせではないでしょうか。

 

皆さんはあまり見たことがないと思いますが、1万円札の肖像となっている人物が誰だかわかりますか?そうです、福沢諭吉です。慶応義塾大学の創設者ですね。彼は、私たちが思っている以上に聖書の影響を受けていました。自分の子どもたちに、日々の教えという人生訓を書き残しましたが、そこには、天地万物を造られた神を敬うようにと書いていました。

それはともかく、彼が生まれたのは大阪にあった中津藩の蔵屋敷でした。彼の活躍を称えて、大阪の中津藩蔵屋敷があったところには福沢諭吉誕生の地という石碑が建っています。

偉大な生涯を歩んだ人の誕生を記念する、というのはよくありますが、約束通りに生まれたことを確認し、それを喜ぶためにお祝いするというようなことは聞いたことがありません。けれども、キリストは旧約聖書に約束された通りに生まれ、その通りの生涯を歩まれました。偉大な生涯を歩んだためにその人の誕生を記念する、というのではなく、約束通りに生まれたことを確認し、喜ぶためにお祝いするのがクリスマスなのです。

 

 Ⅱ.飼い葉桶に寝ているみどりご(12)

 

 第二のことは、キリストは飼い葉桶で生まれたということです。12節に、「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶に寝ておられるみどりごを見つけます。」とあります。飼い葉桶で生まれたことが、どうして大きな喜びなのでしょうか。

 

皆さんは、飼い葉桶という言葉を聞くと、家畜小屋に置かれた家畜のえさを入れる箱を思い浮かべるかと思いますが、当時の飼い葉桶は、桶といっても大きな石や岩に細い溝が掘られただけのものでした。そこに動物のエサになる藁が敷かれてあったのです。その上にキリストは寝かされました。また、飼い葉桶があったということは、そこが家畜小屋であったことを意味していますが、当時の家畜小屋も私たちが想像しているような木で作られた小屋ではなく、一般に洞穴を掘って作られただけのものでした。その中に家畜を入れていたのです。キリストが生まれたのはそのような所でした。それがどうして喜びなのでしょうか。最悪じゃないですか。皆さんに待望の赤ちゃんが生まれたら、そんなところに寝かせるでしょうか。だれでも暖かくて柔らかいベッドに寝かせたいと思うでしょう。それなのに、キリストは冷たくて堅い、しかも汚いベッドに寝かせられました。ベッドじゃありません。エサ置きですよ。キリストはそんなところで生まれてくださったのです。どうしてこれが喜びの知らせなのでしょうか。ここには、「それが、あなたがたのためのしるしです。」とあります。これは羊飼いたちにとってのしるしだったのです。どんなしるしだったのでしょうか。

 

第一に、それはだれでも、どんな人でもこの方の許に行くことができるというしるしです。もしイエス様が王宮のような所で生まれたなら、羊飼いたちは行くことかできなかったでしょう。そこに行くことができるのは本当に限られた人だけです。しかしイエス様は飼い葉桶に寝かせられました。ですから、社会的に最も低い職業であると思われていた羊飼いでも、行くことができました。どんなに汚れた人でも、どんなにみじめな人でも、どんなに貧しい人でも、どんなに孤独な人でも、どんなに問題を抱えている人でも行くことができたのです。

 

昨日は、スーパーキッズのクリスマスがありまして、「したきりすずめのクリスマス」を劇でやりました。そこには、欲張りなばあさんや人を殺した罪人をはじめ、自分は正しいと思っていたじいさんなど、いろいろな人物が登場するのですが、イエス様はそのすべての人の罪を負って十字架にかかり、死んでくださいました。だからこそ、すべての人の悩み、すべての人の苦しみ、すべての人のも問題を解決することができるのです。へブル2:10には「多くの子たちを栄光に導くために、彼らの救いの創始者(イエス様)を多くの苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の存在の目的であり、また原因でもある神に、ふさわしいことであったのです。」とあります。それはイエス様にふさわしいことでした。多くの子たちを栄光に導くために、キリストは多くの苦しみを通られたのです。もしキリストがこうした苦しみや痛みを通らなかったら、そのような人たちを十分理解することも、助けることもできなかったでしょう。けれども、キリストは飼い葉桶で生まれてくださいました。それは、そのような境遇の中いるすべての人々を助け、救うことができるためです。

 

キリストが飼い葉桶に寝かせられたことのしるしの第二は、そのことによってイエス様がどのようなお方であるのかを示していました。先ほど、当時の家畜小屋は天然の洞窟を掘って作られたものであると申し上げましたが、これらの洞穴にはもう一つの使い道がありました。何だと思いますか。そうです、お墓です。当時ユダヤ人は遺体を布に包んで天然の洞穴の中に安置しました。イエス様が葬られたのもこのようなお墓でした。ですから、その入口に大きな石が置かれてあったのです。そして、ここでは赤ん坊のイエス様が布に包まれて天然の洞穴に寝かされていました。それは当時の人々の目には墓場に置かれた遺体を連想させるものでした。どうしてこれが喜ばしい知らせなのでしょうか。キリストは人々から喝采を受けるためではなく、人々の罪を背負い、十字架にかかって死ぬために来られたということを示していたからです。このことによって、いかなる罪人も赦されるという道が開かれたのです。

 

ここに、神様の愛が表されています。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

また、マルコ10:45には、「人の子(イエス様)が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」とあります。

イエス様が来られたのは、仕えられるためではなく、かえって仕えるため、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためだったのです。この全宇宙の創造主であられる方が人の姿を取ってこの世に来てくださったというだけでも奇跡なのに、そればかりか、私たちを救うために十字架にかかって死んでくださいました。これこそクリスマスの奇跡です。これはすばらしい喜びの知らせではないでしょうか。

 

Ⅲ. あなたのための救い主(11)

 

第三のことは、キリストはあなたの救い主として生まれてくださったということです。11節をご覧ください。ここには「今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」とあります。この方は、あなたのために救い主として生まれてくださいました。

 

先日NHKの番組で「サードマン現象」を扱うものを見ました。「サードマン」というのは「第三の人」という意味です。実はこの世界には崩壊するビルの中から一人脱出できたり、深海の洞窟の中で命綱を失ったのに戻って来ることが出来たり、宇宙空間でトラブル続きのステーションで落ち着きを与えられたりして、九死に一生を得た人々が沢山いらっしゃいます。彼らは皆、異口同音に「ピンチの時、誰かの声に導かれて平安を取り戻し、すべきことが分かり、正しい選択を奇跡的に積み重ねて脱出することが出来た」と証言しています。この声を彼らにかけた存在をサードマン、第三の人と呼んでいるのです。 それは、私たちの人生においても言えることで、私たちが絶体絶命のピンチに陥った時、このような存在がいたら、どれほど大きな助けとなることでしょう。この助けこそ、あなたのために生まれてくださったキリストです。キリストは、単にピンチの時に助けというだけでなく、私たち人間の本質的な問題である罪を解決し、その罪から救ってくださるためにこの世に来てくださいました。これこそ、私たちにとっての真の希望です。

 

今は「イベントオリエンテッド」の時代であると言われています。これは、人々は、何か楽しみをもたらすできごとやイベントがあってはじめて喜びを感じることができる、というものです。そしてそれが過ぎ去ってしまうと、急に虚しさがやって来るのです。「イベント」やお金の多い少ないといった外側のものに喜びの基礎があるなら、ジェットコースターのように喜んだかと思ったら次の瞬間には落ち込んでしまうことの繰り返しになります。しかし、キリストが与える喜びは罪の赦しによってもたらされる神との平和であり、神がいつも私とともにいて、私を支えてくださるという喜びです。それは永続的なものですから、いつでも喜びで満たされていることができます。のどが渇けば水を飲めば潤されますが、また渇きます。しかし、キリストが与える水を飲む人はいつまでも決して渇くことがなく、その人の中で泉となり、永遠のいのちへの水が湧きでるのです。

 

2018年のノーベル医学・生理学賞を受賞したのは、京都大学の本庶佑教授でした。薬物療法、手術治療、放射線治療に続く第4の手法として免疫療法を確立した功績が評価されたのです。彼の発見はガン免疫治療薬オプジーボの開発に繋がりました。この薬でガンを克服できた方がインタビューに答えて「命の恩人です。感謝し尽くせません。」と言っていました。その気持ちがよくわかります。しかし、キリストはそれ以上です。なぜなら、キリストは肉体だけでなく、永遠のいのちの恩人だからです。

 

2015年に同じ分野でノーベル賞を受賞した大村智教授も、メクチザンという薬の開発に貢献しました。この薬は、河川盲目症に対する特効薬です。この病気はアフリカ、中南米の熱帯地域に蔓延していて、毎年1800万人が感染、そのうち約27万人が失明し、50万人が視覚障害になってしまうという恐ろしい感染症でした。ところがこの薬を飲むと一回で完全にその感染症を防ぐことができるのです。

大村さんと製薬会社は、この薬を感染地域の人々にプレゼントし、当時は3億人の人々を失明の危機から救ったと言われています。この大村さんがアフリカのガーナに行き、子どもたちとお話をしたことがありました。ジャパンとかトウキョウと言っても、誰も知らないそうですが、でもメクチザンという薬の名前を出すと、みんな「知ってる!」と言うのです。通訳の人が「この人がメクチザンを造った先生です。」と紹介するとひときわ高く、歓声が上がり「メクチザン、メクチザン」と口々にはやし立てました。子どもたちの喜ぶ顔が目に浮かぶようですね。人類の命を守る働きに貢献した人を称え、記念に覚えることは当然のことでしょう。しかしここに、肉体のいのちだけでなく、霊的ないのち、肉体は朽ちても永遠に生きる真のいのちを人類にもたらした方がおられます。それがイエス・キリストです。

 

あなたは、この喜びを受け取られたでしょうか。多くの人にとって自分の主人は自分自身です。あなたのために生まれてくださったのに、多くの人たちは「いらないよ」とか、「No, Thank you」と言うのです。しかし自分を超えた本物の救い主を信じ、この方にあなたの人生の舵取りをしていただくなら、あなたもこの喜びを得ることができます。

 

10節には、「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。」とあります。私たちにもいろいろな恐れと不安があります。孤独だという方もおられるでしょう。まさに一寸先は闇です。しかし、この世がどんなに暗くても恐れることはありません。きょう、ダビデの町であなたのために救い主がお生まれになりました。この方が主キリストです。この方はあなたの心の闇を照らすまことの光です。どうぞこの方をあなたの救い主として心に迎えてください。また、既にこの方を信じておられる方は、あなたの人生の舵取りをしてくださる主としてください。あなたの心が家畜小屋のようにどんなに汚れていても、また、どんなに酷い状態であっても、キリストあなたの心に喜びを与えてくださいます。クリスマスの奇跡は2000年前のことだけではなく、今もあなたに起こる大きな喜びの知らせなのです。

 

キッズ・バイブル・クラブ10月のご案内

さくらチャーチでは10月第二、第四日曜日にキッズ・バイブル・クラブを開催しています。
キッズ・バイブル・クラブでは、幼児と小学生を対象に楽しく聖書を学びます。
どなたも自分の子どもがすくすくと成長することを願い、最善のものを与えたいと思っていますが、果たして、その最善のものを与えているでしょうか。
子どもにとっての最善のもの、それは物質的なものではなく、永遠につながる価値観です。
キッズ・バイブル・クラブではその大切な価値観を提供します。
キッズ・バイブル・クラブを通して、きっと自分が大切な存在であることを知り、生きる力と希望を見い出すことでしょう。
是非、お子様を参加させてください。心からお待ちしております。
なお、この学びは英語のクラスはありません。
あらかじめご了承ください。

■とき:10月8日(日)、10月22日(日)
午後2時30分~3時30分
■会場:さくらコミュニティチャーチ
■対象:幼稚園児~小学生
■会費:無料
■お申込み:お子様のお名前と学年を明記してE-mailでお申込みください。

テーマ&主な内容

10/8(日)「井戸でイエスさまに出会った婦人

飲み物のクイズ
*クラッカーの大食
*水くみリレー    などで楽しみましょう!

10/22(日)「イエスさまのところに連れていかれた女性

ボールなげ
ボール捨てリレー
*ボールのダーツ  など。

かんたんなおやつもつくるよ!

お問合せ:さくらコミュニティチャーチ
Tel:028-681-8317
E-mail:sakura39church@gmail.com

 

10月の第二・第四日曜日に開催しています!

クリスマスチャペルコンサート

クリスマスチャペルコンサート

***フルートの調べが彩るクリスマス***

 

演奏者:紫園 香 Shion Kaori(フルーティスト・音楽伝道師)
フルート奏者の紫園 香さんが、素敵な演奏をしてくださいます!

【紫園 香 Shion Kaori プロフィール】

東京藝術大学附属高校、同大学、同大学院を各首席で卒業。川崎優、吉田雅夫、金昌国、M.モイーズ、A.マリオン、他各氏に師事。渡欧、モイーズ・マスターコース修了。
声楽を三林輝夫(二期会理事)に師事。第7回「万里の長城杯」国際コンクール他入賞多数。NHK洋楽オーディション入選。
NHKFM・TV出演多数。外務省招聘等により世界20ヶ国でリサイタル。ジュネーヴ国際芸術祭をはじめ国際音楽祭招聘多数。天皇に招聘され皇居にて御前演奏。東京文化会館・サントリーホールを始め国内主要ホールのリサイタルは常に高い評価を得ている。チャペルコンサート開催は世界2000ヶ所に及ぶ。
その多彩な活動はNHKFM・TVをはじめ、韓国CGN-TV、PBA-TV「ライフライン」、TV「ハーベストタイム」、FEBCラジオ、クリスチャン新聞、「百万人の福音」、「Manna」など、各番組・雑誌で大きく報じられ、音楽と信仰によって世界中に愛と平和を伝えている。現在、日本クラシックコンクール審査員。ムラマツ・フルート・レッスンセンター講師、ユーオーディア・アカデミー講師。いのちのことば社セミナー講師。ケニア「コイノニア教育センター」特別講師。日本バプテスト連盟東京バプテスト神学校教会音楽科講師。SIONの風プレイズ・ミニストリーズ主宰。キリスト品川教会音楽伝道師。10枚のオリジナルCD、曲集「Bless you」、著書「愛の風がきこえる」を発売中。2017年夏、11枚目「ビタミン・フルート」(いのちのことば社)発売。

HP http://sionkaori.com/

Program

・すべて新たに(柳瀬佐和子)
・やすけさは川のごとく(Ph.P.ブリス)
・やさしき鳥たち(リヴィエ)
・ソナタト長調BWV525(J.S.バッハ)
・ロシアの謝肉祭(チアルディ)
・ クリスマス・メドレー
 他
※曲目は変更になる場合があります。予めご了承ください。

 

 

開催日時:2017年12月9日(土)

開演:14:00(開場:13:30)

さくらコミュニティチャーチにて開催!

 

 

お問合せ:さくらコミュニティチャーチ
028-681-8317/sakura39church.gmail.com

 

 

クリスマスチャペルコンサート***フルートの調べが彩るクリスマス***
クリスマスチャペルコンサート***フルートの調べが彩るクリスマス***
フルート奏者の紫園 香さんのフルートコンサートです!

わかりやすい聖書の学び バイブルカフェのご案内

【わかりやすい聖書の学び バイブルカフェのご案内】

永遠のベストセラーである聖書を一緒に学んでみませんか?

アメリカ第16代大統領アブラハム・リンカーンは、「聖書は、神が人間に賜った最もすばらしい賜物である。人間の幸福にとって望ましいものはすべて聖書の中に含まれている。」と言いました。あなたもこのすばらしい聖書を一緒に学んでみませんか。初めて聖書を読まれる方、聖書を開いてみたけれども難しくてわからないという方にとって最適です。長年聖書を教えてきた経験豊かな牧師が、わかりやすく聖書をひもときます。お茶を囲みながらのリラックスした学びです。どなたもお気軽にお越しください。

講 師:大橋富男(牧師、実践神学博士)

開催日:毎月 第2,第4 水曜日
時 間:午前10時30分~12時00分
場 所:さくらコミュニティチャーチ(さくら市総合公園プール前)
参加費:無料 

聖書は教会に用意してあります。

お気軽にお問い合わせください!

さくらコミュニティチャーチ
Tel.028-681-8317
Eメール sakura39church@gmail.com

 

わかりやすい聖書の学び バイブルカフェのご案内
わかりやすい聖書の学び
バイブルカフェのご案内

キッズ・バイブル バイブル ・クラブのご案内

さくらチャーチでは9月第二、第四日曜日にキッズ・バイブル・クラブを開催することになりました。
キッズ・バイブル・クラブでは、幼児と小学生を対象に楽しく聖書を学びます。
どなたも自分の子どもがすくすくと成長することを願い、最善のものを与えたいと思っていますが、果たして、その最善のものを与えているでしょうか。
子どもにとっての最善のもの、それは物質的なものではなく、永遠につながる価値観です。
キッズ・バイブル・クラブではその大切な価値観を提供します。
キッズ・バイブル・クラブを通して、きっと自分が大切な存在であることを知り、生きる力と希望を見い出すことでしょう。
是非、お子様を参加させてください。心からお待ちしております。
なお、この学びは英語のクラスはありません。
あらかじめご了承ください。

■とき:9月10日(日)、9月24日(日)
午後2時30分~3時30分
■会場:さくらコミュニティチャーチ
■対象:幼稚園児~小学生
■会費:無料
■お申込み:お子様のお名前と学年を明記してE-mailでお申込みください。

テーマ&主な内容

9/10(日)「イエスさまに出会って変えられたザーカイさん」

取税人だったザーカイさんは、みんなから嫌われ、いじめられていましたが、イエスさまのやさしさに触れ喜んでイエスさまを自分の家に招いて食事をしました。
私たちもアイスクリームを食べながらイエスさまのお話しを聞きましょう。
また、チョコレートのお金をもらうゲームもします。

9/24(日)「たくさんの魚をとったペテロさん」

イエスさまのお弟子さんだったペテロは、一晩中漁をしても一匹のさかなもとれませんでした。
それを見ていたイエスさまが、「舟の右側に網を下ろしなさい。」と言われたのでそのとおりにすると、たくさんの魚をとることができました。
私たちもイエスさまのことばにしたがって魚をとりましょう。金魚すくいや魚つりもします。金魚すくいは本物だよ!

お問合せ:さくらコミュニティチャーチ
Tel:028-681-8317
E-mail:sakura39church@gmail.com

キッズ・バイブル・クラブのお知らせ

サマーイングリッシュ・デイキャンプ2017のお知らせ

楽しい夏休み! 今年も5日間の楽しい英語体験プログラムが開催されます。

幼稚園児・小学生対象の英語体験プログラムを開催します! 長年氏家小で英語を教えたパット先生が、アメリカカリフォルニア州から来日する数名のアメリカ人チームと英語の歌やゲーム、手作りなどのアクティビティーを通して自然に英語と触れ合います。英語がわからなくても日本語のできるスタッフがいてサポートしますので、安心してご参加いただけます。

 

■対 象 :幼稚園児(年少・年中・年長) :小学生(1年生~6年生)

■日 時 :7月31日(月)~8月4日(金) 幼稚園児 … 9:30 ~ 12:00 小学生 … 14:00 ~ 17:00

■会 場 :さくらコミュニティチャーチ(さくら市総合公園プール前)

■参加費 :4,500円 (部分参加1日1,000円)

 

お問い合わせ・お申し込みは下記フォームあるいはEメールで!

Webフォーム https://form1ssl.fc2.com/form/?id=76419528cc7d2e82

Eメール sakura39church@gmail.com

 

サマーイングリッシュデイキャンプ2017
サマーイングリッシュデイキャンプ2017

イースターこどもの集い

2017こどもイースター 

イエス・キリストの復活をお祝いし、エッグハントをして、イースターエッグを作ろう!イースターのお話やゲームもあるよ。

日時:4/16(日)午後2時30分~3時45分

会場:さくらコミュニティチャーチ(さくら市総合運動公園プール側駐車場前)

お問合せ:同教会 ☎028-681-8317        

※参加費は無料です