士師記17章

士師記17

士師記17章から学びます。17~21章までは、この士師記の後書きです。私たちはこれまで、士師の時代がどのような時代だったのかを学んできましたが、その間に起こった典型的な出来事がまとめられています。その特徴は何かというと、6節にあるように、「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」ということです。その時代がどのような時代であったのかを見ていきたいと思います。

 Ⅰ.自分の息子の一人を祭司にしたミカ(1-6)

まず、1節から6節までをご覧ください。 「17:1 エフライムの山地の出で、その名をミカという人がいた。17:2 彼は母に言った。「あなたが、銀千百枚を盗まれたとき、のろって言われたことが、私の耳に入りました。実は、私がその銀を持っています。私がそれを盗んだのです。」すると、母は言った。「【主】が私の息子を祝福されますように。」17:3 彼が母にその銀千百枚を返したとき、母は言った。「私の手でその銀を聖別して【主】にささげ、わが子のために、それで彫像と鋳像を造りましょう。今は、それをあなたに返します。」17:4 しかし彼は母にその銀を返した。そこで母は銀二百枚を取って、それを銀細工人に与えた。すると、彼はそれで彫像と鋳像を造った。それがミカの家にあった。17:5 このミカという人は神の宮を持っていた。それで彼はエポデとテラフィムを作り、その息子のひとりを任命して、自分の祭司としていた。 17:6 そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」

エフライムの山地の出身で、ミカという名の人がいました。ミカというのは、「誰が主のよう
であろうか」という意味ですが、彼はその名とは裏腹に、主に反した行動を取ります。彼は母から銀1,100枚を盗みました。しかし、その銀貨が盗まれた時、母親がのろいを誓い、それが彼の耳にも届いて恐ろしくなったのか、彼は「実は、その銀は私が持っています」と告白し、それを母に返しました。こうしたのろいの誓いは、呪われた人の上に留まるとされていたからです。

すると母親は何と言ったでしょうか。母はこのように言いました。「主が私の息子を祝福され
ますように。」
どういうことでしょうか。自分の銀を盗んだ息子を祝福してくれるようにと祈るとは・・。ここに一つの混乱が見られます。自分の息子がお金を盗んだのであれば、たとえ息子がそれを告白したとしても、「なんでこんなことをしたのか。このようなことはしてはならない」と叱るのが親でしょう。それなのに彼女は、「主が私の息子を祝福してください」と言ったのです。普通ではありません。

そればかりではありません。息子が母親にその銀1,100枚を返すと、母はその銀を主に献げ、その中から銀200枚を取り、自分の息子のために彫像と鋳像を作るのです。「彫像」とは、へブル語で「ペセル」という言葉から派生した言葉ですが、「彫る」とか「刻む」という意味です。おそらく、木や石や青銅などを彫って作った偶像のことでしょう。「鋳像」とは、へブル語で「マッセーカー」という言葉から派生した言葉ですが、意味は「地金を注ぐ」です。つまり、鉄や青銅、錫(すず)、鉛、アルミニウムなどの金属を溶かし、鋳型に流し込んで作られた偶像のことです。出エジプト記34章17節には、「あなたは、自分のために鋳物の神々を造ってはならない。」と禁じられていますが、それは明らかに十戒で禁じられていた「偶像を作ってはならない」という主の律法に違反することでした。

さら5節には、「このミカという人には神の宮があった。」とあります。これも律法に違反しています。というのは、神の宮は、主が命じられた場所に置かなければならなかったからです。この当時は、それはエフライム領内のシロという場所にありました。

それだけではありません。彼はエポデとテラフィムを作り、その息子の一人を祭司に任命していました。エポデとは祭司用の服のことです。またテラフィムとは家の守護神のことです。これも律法に違反しています。祭司はアロンの家系から選ばれなければならず、だれもが勝手になれるというものではありませんでした。

これらのことからどういうことが言えるでしょうか。6節です。「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」
確かに彼らは自分の目で良いと思えることを行っていましたが、それが必ずしも正しいことであったとは限りませんでした。それが神のみこころに反していることもあったのです。というか、かなり的を外していたことがわかります。彼らは決してイスラエルの神、主を捨てたわけではありませんでしたが、彼らの信仰はいつしかカナンの習慣に迎合し、神の民としてのあり方から大きくズレてしまっていたのです。その原因はどこにあったのでしょうか。

ここには、「そのころ、イスラエルには王がなく」とあります。民を導く指導者がいなかったのです。それで彼らは、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていたのです。神の指導者がいない民は、実に悲惨であることがわかります。常に聖書から神のみこころを語り、民を導く羊飼いがいないということは混乱を招くことになります。日本にも様々な事情により無牧の教会がたくさんありますが、群れを牧する羊飼いがいないことは羊にとって致命的な結果を招くことがあります。たとえ牧師がいたとしても、その牧師が正しく神のみことばを語り、みことばによって羊を養わなければ同じことです。群れを導くリーダーのために祈らなければなりません。

Ⅱ.祭司を雇ったミカ(7-13)
 
次に7節から13節までをご覧ください。「17:7 ユダのベツレヘムの出の、ユダの氏族に属するひとりの若者がいた。彼はレビ人で、そこに滞在していた。 17:8 その人がユダのベツレヘムの町を出て、滞在する所を見つけに、旅を続けてエフライムの山地のミカの家まで来たとき、 17:9 ミカは彼に言った。「あなたはどこから来たのですか。」彼は答えた。「私はユダのベツレヘムから来たレビ人です。私は滞在する所を見つけようとして、歩いているのです。」 17:10 そこでミカは言った。「私といっしょに住んで、私のために父となり、また祭司となってください。あなたに毎年、銀十枚と、衣服ひとそろいと、あなたの生活費をあげます。」それで、このレビ人は同意した。 17:11 このレビ人は心を決めてその人といっしょに住むことにした。この若者は彼の息子のひとりのようになった。 17:12 ミカがこのレビ人を任命したので、この若者は彼の祭司となり、ミカの家にいた。 17:13 そこで、ミカは言った。「私は【主】が私をしあわせにしてくださることをいま知った。レビ人を私の祭司に得たから。」

 7節には、ユダのベツレヘム出身の一人の若者が登場します。彼はレビ人でそこに寄留していました。どういうことかというと、彼はユダのベツレヘム出身のレビ人でしたが、ユダ族に属している人ではなかったということです。ただそこに寄留していただけです。というのは、レビ人はイスラエルに相続地を持っていなかったからです。神ご自身が彼らの相続地でした。彼らに与えられていたのは住む町と放牧地だけでした。ですから、この「ユダのベツレヘム出身で、ユダの氏族に属する」というのは、ユダのベツレヘムに居住していたレビ族出身の人という意味です。彼は滞在する所を求めて、ユダの町であるベツレヘムを出て、旅を続けていました。そして、エフライムの山地にあるミカの家までやって来たのです。

するとミカは、彼がベツレヘムから来たレビ人であることを知ると、「私と一緒に住んで、私のために父となり、また祭司となってください。」と懇願しました。この「父」というのは、その家の主人ということではなく、霊的導き手という意味です。そして、その対価として提示したのは、毎年、銀10枚と、衣服一そろいと、それに食料を差し上げるということでした。つまり、生活費を支給するということです。これはレビ人にとって大きな誘惑だったことでしょう。というのは、それだけあれば生活の安定が得られるからです。すると、このレビ人は一つ返事で同意しました。それでミカの家で一緒に住むことにしました。彼はミカの息子の一人のようになりました。するとミカは何と言ったでしょうか。13節に「今、私は、主が私を幸せにしてくださることを知った。レビ人が私の祭司になったのだから。」とあります。どういうことでしょうか?

これまでミカは息子の一人を祭司に任命していましたが、今や本物の祭司がミカの個人的な祭司になったということです。それで彼は喜んでいるのです。しかも彼はここで、それをしてくださったのは「主」だと言っています。「主が私を幸せにしてくださることを知った」と。それが主からの祝福であると勝手に思い込んだのです。しかし、これは大きな誤解でした。レビ人だからというだけで祭司になれるわけではないからです。下記のレビ族の家系図をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レビ族の家系」、空知太栄光キリスト教会ホームページより引用

 これを見ていただくとわかるように、祭司になることができるのはレビ族の中でもアロンの家系から出る者だけでしたが、彼はそうではありませんでした。

レビ族とは、ヤコブの3番目に生まれた息子レビから始まっている一族です。レビ族は神にとって特別な存在でした。つまり、彼らは神のために聖別された部族であったのです。そのため神は、レビ族の各氏族(ゲルション族、ケハテ族、メラリ族)に聖所の務めを果たすという重要な務めを与えられました。そして、それぞれの氏族に専門の任務を与えたのです。すなわち、ゲルション族には、聖所の幕に関する部分(天幕のおおい、会見と入口の垂れ幕、幕と幕をつなぐひもなど)の管理と運搬、ケハテ族には、聖所にある器具の一切(契約の箱、机、燭台、祭壇、それらに関する用具など)の管理と運搬、メラリ族には、聖所を支える部分(板、横木、柱、台座、釘など)です。各氏族に与えられた任務はそれぞれ独立したものであり、他の部族の任務を兼用したり、代替えすることは許されませんでした。それぞれが専門職として割り当てられたのです。

祭司とレビ人はもともと同じレビ族から派生していますが、祭司とその職はレビの2番目の息子であるケハテから生まれた最初の子であるアロンの家系から出た者たちで、いわば、特別職でした。祭司たちはすべてアロンの家系で世襲制でした。祭司たちは会見の天幕における礼拝を実際に取り仕切っていく者たちでした。そして、この祭司を支えたのがレビ人なのです。つまりレビ人は祭司の指導の管理下にあったのです。礼拝を取り仕切る祭司のもとで仕える存在、それがレビ人たちだったのです。民数記3章5~7節で神はモーセに次のように告げています。「主はモーセに告げられた。「レビ部族を進み出させ、彼らを祭司アロンに付き添わせて、仕えさせよ。彼らは会見の天幕の前で、アロンに関わる任務と全会衆に関わる任務に当たり、幕屋の奉仕をしなければならない。」
ですから、レビ人は神に仕え、祭司に仕え、そしてイスラエルの人々に仕える者たち(奉仕者)だったのです。また、彼らが祭司職にかかわることは一切許されませんでした。民数記3章10節には「あなたは、アロンとその子らを任命して、その祭司の職を守らせなければならない。資格なしにこれに近づく者は殺されなければならない。」とあります。それほどに祭司職は特別な職であったのです。
それなのにミカは、自分勝手に神の宮を設置し、そこに偶像を安置して、さらに資格のないレビ人を祭司に任命しました。こうしたことは、主の目には忌むべきことでしたが、ミカはそれを主からの祝福だと勘違いしたのです。

いったいどうしてこのようなことが起こったのでしょうか。続く18章1節をご覧ください。ここにも出てきます。「そのころ、イスラエルには王がいなかった。」それで、彼らは自分の目で良いと見えることを行っていたからです。このことは6節でも言われていたことです。このことが何度も繰り返して記されています。この士師記の著者は、このミカの行為が、士師時代の無法状態を表す良い例としてあげているのです。イスラエル人の信仰は、祭司制度の混乱にまで及んでいたのです。

しかし、これは何も当時のイスラエル人だけの問題ではありません。現代の私たちクリスチャンにも問われていることです。自分の目に良いと見えることを行っている人は、すなわち、勝手な信仰生活をしている人は、偶然にも良いことがあると、それを神からの祝福を受けている証拠だと受け止めて喜びますが、それはただの勘違いであり、聖書信仰とは相入れないものです。そのような信仰は、遅かれ早かれ、神のさばきをその身に招くようになり、結局、信仰からも離れてしまうことになります。こんなはずではなかったのに・・・と。

次の18章を見るとわかりますが、やがてミカもそのさばきを受けることになります。自分が雇った祭司に裏切られ、彼が所有していた偶像が奪われてしまうことになるのです。彼が母親から盗んだ銀によって作られた偶像が、今度は他の人の手によって盗まれるというのは、何とも皮肉な話です。私たちはそういうことがないように、自分の目に良いと見えることではなく、神の目に良いと見えることを求めましょう。主のみこころは何か、何が良いことで神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えましょう。そのためにはよく聖書のことばを学び、主のみこころを求めましょう。自分の中にミカのように都合の良い信仰はないかどうか、吟味しなければならないのです。

 

士師記16章

 士師記16章からを学びます。

 

 Ⅰ.ガザに下ったサムソン(1-3)

 

まず1~3節までをご覧ください。「16:1 サムソンはガザへ行き、そこで遊女を見つけて、彼女のところに入った。16:2 「サムソンがここにやって来た」と、ガザの人々に告げる者があったので、彼らはそこを取り囲み、町の門で一晩中、彼を待ち伏せた。彼らは「明け方まで待ち、彼を殺そう」と言って、一晩中鳴りを潜めていた。16:3 サムソンは真夜中まで寝ていたが、真夜中に起き上がり、町の門の扉と二本の門柱をつかんで、かんぬきごと引き抜き、それを肩に担いで、ヘブロンに面する山の頂に運んで行った。」

 

サムソンはガザへ行き、そこで遊女を見つけて、彼女のところに入りました。ガザはペリシテ人最大の町です。つまり、彼はペリシテ人の中心地にいたということです。それは、ペリシテ人全体を敵に回したことを意味していました。彼はそこで遊女を見つけ、彼女のところに入りました。彼は以前もペリシテ人の女に惹かれて結婚しましたが、今度はただのペリシテ人ではありません。遊女です。これは彼がナジル人だからということだけでなく、だれにとっても罪であることは明らかです。それは、彼の信仰がそこまで堕ちていたことを表しています。彼は罪に対して無感覚になっていたのです。

 

すると、「サムソンがここにやって来た」と告げる者があったので、ガザの人々は、サムソンを捕らえるために町の門で一晩中、待ち伏せますが、サムソンは真夜中に起き上がり、町の門の扉と二本の門柱を引き抜いて、それを肩にかつぎヘブロンに面する山の頂まで運んで行きました。これはどういうことかというと、当時、戦いに勝利した軍が敵の門の扉を運び去るという習慣があったので、サムソンはここで勝利を宣言したということです。それにしても、ガザからヘブロンまでの距離は約60㎞もありました。標高差は約900mです。その距離を彼は重い扉を担いで歩いたのです。

 

 サムソンは本当に問題の多い人物でしたが、神はこのような器を用いてご自身の御業を行われたことに驚ろかされます。私たちもサムソンのように罪深い者ですが、そんな者をも用いて神様はご自身の御業を成さろうとしておられることを覚え、その神様のみこころに応答したいと思います。

 

  Ⅱ.サムソンの力の秘密(4-21)

 

次に、4~21節までをご覧ください。まず9節までをお読みします。「16:4 その後、サムソンは、ソレクの谷にいる女を愛した。彼女の名はデリラといった。16:5 ペリシテ人の領主たちが彼女のところに来て、言った。「サムソンを口説いて、彼の強い力がどこにあるのか、またどうしたら私たちが彼に勝ち、縛り上げて苦しめることができるかを調べなさい。そうすれば、私たちは一人ひとり、あなたに銀千百枚をあげよう。」16:6 そこで、デリラはサムソンに言った。「どうか私に教えてください。あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょうか。」16:7 サムソンは言った。「もし、まだ干していない七本の新しい弓の弦で私を縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」16:8 そこで、ペリシテ人の領主たちは、干していない七本の新しい弓の弦を彼女のところに持って来たので、彼女はそれでサムソンを縛り上げた。16:9 彼女は、待ち伏せる者を奥の部屋に置いておき、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言った。しかし、サムソンはまるで麻の撚り糸が火に触れて切れるように、弓の弦を断ち切った。こうして、彼の力の源は知られなかった。」

その後、サムソンは、ソレクの谷にいる女を愛しました。彼女の名は「デリラ」といいました。「ソレクの谷」は、サムソンの故郷ツォルアや国境の町ベテ・シェメシュ、またペリシテ人の町ティムナなどがあるところです。しかし、これ以降の話の展開から判断すると、デリラはやはりペリシテの女であったと考えられます。

 

サムソンがデリラの家にいることを知ったペリシテの領主たちは、デリラにサムソンを口説いて、彼の力の秘密がどこにあるかを調べてほしいと、一つの提案を持ちかけます。もし彼女が調べることができたら、ペリシテの領主一人一人から銀1,100枚を受け取るというものでした。ペリシテ人の領主は5人いたので、合計で銀5,500枚となります。イスカリオテのユダがイエスを売った代価は銀30枚でしたから、それを考えると、デリラが受け取る報酬は考えられないほど膨大な額であったことがわかります。つまり、デリラはお金に目がくらんだのです。お金のためなら平気で夫を裏切るような女性でした。そんな女性を愛したサムソンも本当に愚かです。

 

そこで、デリラはサムソンに言いました。6節です。「どうか私に教えてください。あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょうか。」

するとサムソンは、「もし、まだ干していない七本の新しい弓の弦で私を縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」と答えました。これは嘘です。でも全くの嘘かというとそうではありません。「まだ干していない七本の新しい弓の弦」とは、生乾きの動物の腸のことで、ナジル人にとっては汚れた物でした。ですから、それで縛れば弱くなるというのは、彼からナジル人としての本質を取り去ることができれば自分は弱くなるということを意味していました。ですから、全くの嘘ではなく、わからないであろうヒントが含まれていたのです。それから、7本の新しい弓の弦ですが、彼の髪の毛は7房であったことを考えると、髪の毛にその秘密があるということなので、これもまた全くの嘘ではありません。

 

でも、これは非常に危険なやり取りでした。彼はその危険な道を歩み始めていたのです。私たちにもこのようなことがあるのではないでしょうか。この程度なら大丈夫だろうと安易な思いから失敗を招いてしまうことがあります。罪と戯れることがないように、そうした道を歩き始めていることに気づいたら、すぐに軌道修正しなければなりません。

 

しかし、幸いにも、彼の力の源は知られることはありませんでした。ペリシテ人の領主たちが、まだ干していない7本の新しい弓の弦で彼を縛り上げましたが、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲ってきます」とデリラが言うと、彼はまるで麻の撚り糸が火に触れて切れるように、断ち切ったのです。

 

 するとデリラはどうしたでしょうか。10~12節までをご覧ください。「16:10 デリラはサムソンに言った。「まあ、あなたは私をだまして?をつきましたね。今度こそ、どうしたらあなたを縛れるか教えてください。」16:11 サムソンは言った。「もし、仕事に使ったことのない新しい綱で、私をしっかり縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」16:12 そこで、デリラは新しい綱を取って、それで彼を縛り、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言った。奥の部屋には待ち伏せしている者がいた。しかし、サムソンは腕からその綱を、糸のように断ち切った。」

 

デリラは、サムソンが嘘をついたことを知り、さらにサムソンに食い下がります。そこでサムソンは言いました。「もし、仕事に使ったことのない新しい綱で、私をしっかり縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」

「仕事に使ったことのない新しい綱」とは、汚れた物に使ったことのない新しい綱という意味です。ここにも、ナジル人である彼の特質を取り去れば、力がなくなるというヒントが隠されていました。 そこで、デリラは新しい綱を取って、それで彼を縛ますが、デリラが、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言うと、彼はその綱を、まるで糸のように立ち切ってしまいました。

 

 すると、デリラはどうしたでしょうか。彼女は、以前にも増してサムソンに懇願します。13節と14節です。「16:13 デリラは、またサムソンに言った。「今まで、あなたは私をだまして?をついてきました。どうしたらあなたを縛れるか、私に教えてください。」サムソンは、「もしおまえが機の経糸と一緒に私の髪の毛七房を織り込み、機のおさで締めつけておくならば」と言った。16:14 彼女は機のおさで締めつけて言った。「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます。」すると、サムソンは眠りから覚めて、機のおさと機の経糸を引き抜いた。」

 

サムソンは、「機の縦糸と一緒に髪の毛七房を折込み、それを機のおさで締め付けておくならば」と言いました。そこでデリラがそのようにして再び「サムソン、ペリシテがあなたを襲ってきます。」と言うと、今度も彼はいとも簡単に、機のおさと機の縦糸を引き抜いてしまいました。それも嘘だったのです。しかし、サムソンは、徐々に危険の深みに足を踏み入れていることがわかります。その答えの中には、髪の毛に秘密が隠されていると述べているからです。このように、堕落というのは徐々に進行していきます。サムソンの失敗も、徐々に進行していくわけです。    

 

機の経糸も嘘であるということがわかると、デリラは泣き落としにかかります。15~17節です。「16:15 彼女はサムソンに言った。「あなたの心が私にはないのに、どうして『おまえを愛している』と言えるのでしょう。あなたはこれで三回も私をだまして、あなたの強い力がどこにあるのか教えてくださいませんでした。」16:16 こうして、毎日彼女が同じことばでしきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほど辛かった。16:17 ついにサムソンは、自分の心をすべて彼女に明かして言った。「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎にいるときから神に献げられたナジル人だからだ。もし私の髪の毛が剃り落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなって普通の人のようになるだろう。」」

 

これはサムソンにとってとても辛いことでした。自分の妻に泣かれることほど男にとって辛いことはないからです。奥さんが何としても夫を口説きたいと思うなら、このデリラのようにすると言いのです。彼がどれほど辛かったかは、16節のことばを見るとわかります。ここには、「こうして、毎日彼女が同じことばでしきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。」とあります。サムソンにとってはかなりのプレッシャーだったのです。

 

そこで彼は、ついに自分の心をすべて彼女に明かしてしまいました。すなわち、彼がナジル人であって、もし髪の毛が剃り落とされたら、彼の力は去り、弱くなって普通の人のようになるということを伝えたのです。なぜなら、髪の毛を剃り落とすということは彼がナジル人ではなくなり、主からの力を受けられなくなるということを意味していたからです。それは彼の不従順が外面的に現れた瞬間でした。これまでも彼は不従順な歩みをしてきましたが、これによって主との関係が最終的に断絶することになってしまったのです。いったいどこに問題があったのでしょうか。すべてはデリラという女性を愛したことから始まりました。罪の誘惑の根を早いうちに立ち切らなかったことが、悲劇的な結果を招くことになってしまったのです。

 

自分の力の秘密を明かしたサムソンはどうなってしまったでしょうか。18~22節までをご覧ください。「16:18 デリラは、サムソンが自分の心をすべて明かしたことが分かったので、こう言って、人を遣わし、ペリシテ人の領主たちを呼び寄せた。「今度こそ上って来てください。サムソンは心をすべて私に明かしました。」ペリシテ人の領主たちは、彼女のところに上って来たとき、その手に銀を持って来た。16:19 彼女は膝の上でサムソンを眠らせ、人を呼んで彼の髪の毛七房を剃り落とさせた。彼女は彼を苦しめ始め、彼の力は彼を離れた。16:20 彼女が「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言ったとき、彼は眠りから覚めて、「今度も前のように出て行って、からだをひとゆすりしてやろう」と言った。彼は、【主】が自分から離れられたことを知らなかった。16:21 ペリシテ人は彼を捕らえ、その両目をえぐり出した。そして彼をガザに引き立てて行って、青銅の足かせを掛けてつないだ。こうしてサムソンは牢の中で臼をひいていた。16:22 しかし、サムソンの髪の毛は、剃り落とされてからまた伸び始めた。」

 

デリラは、サムソンの秘密のすべてをペリシテの領主たちに明かすと、彼らから約束の銀を受け取ります。そして、サムソンを膝の上で眠らせると、人を呼んで彼の髪の毛七房を切り落とさせました。眠りから覚めたサムソンは、これまでのようにペリシテ人たちを蹴散らそうとしましたが、すでに神の力は彼から離れ去っていました。それで彼はペリシテ人に捕らえられ、両目をえぐり出され、ガザに連れて行かれました。そこで彼は、青銅の足かせをつけて牢につながれました。そこで彼が行っていたことは、臼をひく仕事です。それは婦人のする仕事でした。あの怪力を持ったサムソンが青銅の足かせをかけられ、婦人の労働に服したのです。これは、サムソンにとって最大の屈辱でした。

 

このようなサムソンの悲劇はどのようにして引き起こされたのでしょうか。それは、彼からその力が取り去られたことによります。私たちクリスチャンも神に背き、罪の道を歩み続けるなら、そして、その罪を悔い改めないなら、神の力、聖霊が取り去られることがあるということを覚えておかなければなりません。もし自分から聖霊が取り去られたことに気づいていないなら、それこそ最大の悲劇です。

 

Ⅲ.再び髪が伸び始めたサムソン(22-31)

 

しかし、それですべてが終わったわけではありません。聖書は、そこに回復の道もあるということを教えています。22~31節までを見て終わります。「16:23 さて、ペリシテ人の領主たちは、自分たちの神ダゴンに盛大ないけにえを献げて楽しもうと集まり、そして言った。「われわれの神は、敵サムソンをわれわれの手に渡してくださった。」16:24 民はサムソンを見たとき、自分たちの神をほめたたえて言った。「われわれの神は、われわれの敵を、われわれの手に渡してくださった。この国を荒らして、われわれ大勢を殺した者を。」16:25 彼らは上機嫌になったとき、「サムソンを呼んで来い。見せ物にしよう」と言って、サムソンを牢から呼び出した。彼は彼らの前で笑いものになった。彼らがサムソンを柱の間に立たせたとき、16:26 サムソンは自分の手を固く握っている若者に言った。「私の手を放して、この神殿を支えている柱にさわらせ、それに寄りかからせてくれ。」16:27 神殿は男や女でいっぱいであった。ペリシテ人の領主たちもみなそこにいた。屋上にも約三千人の男女がいて、見せ物にされたサムソンを見ていた。16:28 サムソンは【主】を呼び求めて言った。「【神】、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。私の二つの目のために、一度にペリシテ人に復讐したいのです。」16:29 サムソンは、神殿を支えている二本の中柱を探り当て、一本に右手を、もう一本に左手を当てて、それで自らを支えた。16:30 サムソンは、「ペリシテ人と一緒に死のう」と言って、力を込めてそれを押し広げた。すると神殿は、その中にいた領主たちとすべての民の上に落ちた。こうして、サムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。16:31 彼の身内の者や父の家の者たちがみな下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び上げて葬った。サムソンは二十年間イスラエルをさばいた。」

 

22節はおもしろいですね。サムソンの髪の毛は、剃り落とされましたがまた伸び始めました。これは何を表しているのかというと、彼がナジル人としての立場を回復したということです。神に反逆して罪を犯したらそれですべてが終わってしまうというわけではありません。髪の毛は再び伸び始めるのです。神の力、神の聖霊を取り戻す唯一の道は、神に立ち返って、罪の悔い改めることです。そうすれば回復することができます。サムソンは再びナジル人としての立場を回復しました。この神の恵み深さを思い出し、今自らの罪を悔い改めて神に立ち返りましょう。信仰によって神の赦しと力を受け取りましょう。

 

さて、ナジル人としての立場を回復したサムソンは、その後どのように歩んだでしょうか。23節からのところには、ペリシテ人たちが、サムソンを捕らえたことを自分たちの神ダゴンに感謝するために、宴会を開いた様子が記録されてあります。そこにはペリシテの領主と、多くの男女が集っていました。彼らはサムソンを見せ物にしようと牢から呼んできました。

するとサムソンは自分の手を握っている若者に、宮を支えている2本の中柱に寄りかからせてくれと頼みます。神殿は男や女でいっぱいでした。屋上にも3,000人の男女がいて、見せ物にされていたサムソンを見ていました。

その時です。サムソンは主を呼び求めて祈りました。「神、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。私の二つの目のために、一度にペリシテ人に復讐したいのです。」そして、二本の中柱を探り当て、力を込めて押し広げると、神殿が崩れ落ち、その中にいたペリシテの領主たちと民が死にました。それはサムソンがそれまでに殺した者よりも多い数でした。

 

サムソンの人生は波乱に満ちた人生でした。どんな強敵にも打ち勝つことができた彼が、最も弱い女性に負けました。また、ナジル人として聖別されていた彼が、触れてはならない獅子の死体の中から蜂蜜を取って食べたことで、神の祝福を失ってしまいました。しかしどんなに欠点の多い器であっても、主はご自身のご計画のために彼を用いられました。へブル11章32節には、「これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても語れば、時間が足りないでしょう。」とあります。信仰に生きた人たちの中に、彼の名前が刻まれているのです。彼の生き方を見る限り、彼が信仰の人ということにはとても抵抗があるかもしれませんが、そんな彼についてこのように記されているのです。それは、彼がどんなに神に背き、罪の中を歩んでも、髪の毛が再び伸びてきたからであり、言うならば、彼はナジル人として神に選ばれた者であったからです。

 

私たちもサムソンのように罪の中に陥ることもありますが、それでもその罪を悔い改めるなら、再びナジル人として回復することができます。それは私たちの力ではありません。神がそのように選んでおられたからです。神のナジル人として、私たちも生まれるずっと前から神によって選ばれたいたことを思い、いつも悔い改めて、神の道を歩ませていただきましょう。

士師記13章

士師記13章からを学びます。まず1節から7節までをご覧ください。

 

Ⅰ.マノアとその妻(1-7)

 

「イスラエルの子らは、主目に悪であることを重ねて行った。そこで主は四十年間、彼らをペリシテ人の手に渡された。

さて、ダンの氏族に属するツォルア出身の一人の人がいて、名をマノアといった。彼の妻は不妊で、子を産んだことがなかった。

主の使いがその女に現れて、彼女に言った。「見よ。あなたは不妊で、子を産んだことがない。しかし、あなたは身ごもって男の子を産む。今後あなたは気をつけよ。ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。見よ。あなたは身ごもって男の子を産む。その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから、神に献げられたナジル人だから。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」

その女は夫のところに行き、次のように言った。「神の人が私のところに来られました。その姿は神の使いのようで、たいへん恐ろしいものでした。私はその方がどちらから来られたか伺いませんでした。その方も私に名をお告げになりませんでした。けれども、その方は私に言われました。『見よ。あなたは身ごもって男の子を産む。今後、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。その子は胎内にいるときから死ぬ日まで、神に献げられたナジル人だから』と。」

 

イスラエル人は、再び主の目の前に罪を行いました。それで主は40年間、彼らをペリシテ人の

手に渡されました。ペリシテ人は地中海に面している地域に住んでいた民族で、イスラエルの地においてもガザやアシュケロンなど、沿岸地域に住んでいました。そのペリシテ人の手に渡されたのです。しかも、40年の長きに渡ってです。これは、預言者サムエルがペリシテ人に勝利する時まで続きます(Ⅰサムエル7章)。サムソンが士師として活躍するのは20年間ですが、それはペリシテ人による圧政の期間の間に入る出来事です。

 

ところで、ダン族に属するマノアという人がいました。彼の妻は不妊の女で、子を産んだことがありませんでした。当時は、子どもがいないということを神の呪いと受け止められていたので、そのことは彼らにとってとても悲しい出来事でした。

 

そんな彼女に、ある日主の使いが現れて、男の子を産む、と告げました。それゆえ、ぶどう酒や強い酒を飲んだり、汚れた物をいっさい食べないように気を付けよ、と告げたのです。また、その子の頭にかみそりを当ててはならない、とも言いました。なぜなら、その子は胎内にいるときから、神に献げられたナジル人であるからです。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始めるというのです。

 

ナジル人とは、「聖別されたもの」という意味です。民数記6章1~8節には、このナジル人について、次のように記されてあります。

「主はモーセに告げられた。 「イスラエルの子らに告げよ。男または女が、主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、その人は、ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう酒の酢や強い酒の酢を飲んではならない。また、ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも、干したものも食べてはならない。ナジル人としての聖別の全期間、彼はぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。

彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間は、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであり、頭の髪の毛を伸ばしておかなければならない。

主のものとして身を聖別している間は、死人のところに入って行ってはならない。父、母、兄弟、姉妹が死んだ場合でも、彼らとの関わりで身を汚してはならない。彼の頭には神への聖別のしるしがあるからである。ナジル人としての聖別の全期間、彼は主に対して聖なるものである。」

 

ここにはナジル人に対して、三つの命令が与えられています。一つは、ぶどう酒や強い酒を飲んではならないということ、二つ目に、ナジル人としての聖別の誓願を立てている間は、頭にかみそりをあててはならないということ、そして三つ目のことは、死人のところに入って行き、身を汚してはならないということです。ぶどう酒や強い酒を飲んではならないというのは、生活の楽しみを自発的に断ち、神への献身を表明することを表していました。また、頭にかみそりをあてないというのは、そのことで軽蔑されるようなことがあっても、神への献身のゆえにどのような軽蔑をも甘んじて受けることを表していました。当時の人は前髪を短く刈っていたので、ナジル人の誓願をすることで前髪が伸び、人々から軽蔑されるということもありました。しかし、どんなに軽蔑されても、神に献身した者はそれさえも甘んじて受けなければならなかったのです。そして、死体に近づくことは、汚れを避けることを意味していました。たとえそれが肉親であっても、死体に近づいて身を汚すことは許されませんでした。その厳格さは、大祭司と同等のものでした。一般の祭司でさえ、肉親の死体に近づくことは許されていたのです。(レビ記21:1-4,10-11)

このナジル人の誓願には、一定期間で終わるものと、終生の誓願とがありましたが、サムソンは終生のナジル人でした。しかし、彼の父母も一定期間ナジル人として生きることが求められたのです。

 

聖書の中には、生まれながらのナジル人が3人います。このサムソンと預言者サムエル(Ⅰサムエル1:11)、そして、バプテスマのヨハネ(ルカ1:15)です。彼らは、主のために聖別された僕としての人生を歩みました。そして、主イエスもこのナジル人としての生涯を歩まれました。主イエスは、この世から分離し、父なる神に完全に従うことによって、聖別された生涯を歩まれたのです。そして、そのイエスを信じ、イエスにつながり、イエスに従う私たちにも、霊的には、このナジル人とされたのです。ですから、クリスチャンはみな、ナジル人として生きることが求められているのです。

 

パウロはⅡコリント6章14~18節で、次のように言っています。

「不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。正義と不法に何の関わりがあるでしょう。光と闇に何の交わりがあるでしょう。キリストとベリアルに何の調和があるでしょう。信者と不信者が何を共有しているでしょう。神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らから離れよ。──主は言われる──汚れたものに触れてはならない。そうすればわたしは、あなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。──全能の主は言われる。」」

ここで勧められていることは、まさにこのナジル人として生きなさいということです。それはこの世から隔離された修道院のような生活をしなさいということではありません。この世にいながらも、この世のものではなく、神のものとして、この世と分離して生きなさいということです。それは主イエスがこの世から分離し、父なる神に完全に従ったように生きるということです。なぜなら、私たちはこの世から救い出され、神のものとされたものだからからです。神のものとされた者は、この世にあっても神のものとして聖別し、世の光、地の塩として生きていかなければならないのです。

 

Ⅱ.マノアに現れた主の使い(8-14)

 

次に8節から14節までをご覧ください。

「そこで、マノアは主に願って言った。「ああ、主よ。どうか、あなたが遣わされたあの神の人を再び私たちのところに来させ、生まれてくる子に何をすればよいか教えてください。」

神はマノアの声を聞き入れられた。それで神の使いが再びこの女のところに来た。彼女は畑に座っていて、夫マノアは彼女と一緒にはいなかった。

この女は急いで走って行き、夫に告げた。「早く来てください。あの日、私のところに来られたあの方が、また私に現れました。」

マノアは立ち上がって妻の後について行き、その人のところに行って尋ねた。「この女にお話しになった方はあなたなのですか。」その人は言った。「わたしだ。」

マノアは言った。「今にも、あなたのおことばは実現するでしょう。その子のための定めと慣わしはどのようなものでしょうか。」

主の使いはマノアに言った。「わたしがこの女に言ったすべてのことに気をつけなければならない。ぶどうからできる物はいっさい食べてはならない。ぶどう酒や、強い酒も飲んではならない。汚れた物はいっさい食べてはならない。わたしが彼女に命じたことはみな守らなければならない。」

 

それで、女は夫のところに行き、そのことを告げると、マノアは、主に願って言いました。「ああ、主よ。どうか、あなたが遣わされたあの神の人を再び私たちのところに来させ、生まれてくる子に何をすればよいか教えてください。」

マノアは妻の報告を聞き、主に願って言いました。神が遣わされた神の人を再び遣わして、生まれてくる子に何をすれば良いか教えてくれるように・・・と。

 

すると、神はマノアの祈りを聞かれたので、神の使いが再び彼の妻のところに来ました。その時マノアは彼女と一緒にいなかったので、彼女はすぐに夫を呼びに行き、その人のもとに連れて来ました。おもしろいですね。マノアが懇願したのに、神の使いはまたマノアのところではなく妻のところにやって来ました。また、マノアが妻に連れられてその神の人のところへ行ったとき、その神の使いが言ったことは、以前彼の妻に告げたことを繰り返しただけでした。つまり、「わたしが彼女に命じたことはみな守らなければならない。」(13)ということだけだったのです。なぜでしょうか?それはその必要がなかったからです。神のみこころはすでにマノアの妻に告げられました。彼にとって必要だったことは、そのことに聞き従うことだったのです。

 

時として、私たちも、既に与えられている御言葉で満足できず、もっと先のことや新しいことを知りたいと願うことがありますが、大切なのは、先のことが見えなくても、新しい情報が示されなくても、今与えられていることに感謝し、目の前に示されたことを忠実に行っていくことなのです。そうすれば、次にすべきことが示されるようになるでしょう。

 

Ⅲ.わたしの名は不思議(15-25)

 

次に、15節から23節までをご覧ください。

「マノアは主の使いに言った。「私たちにあなたをお引き止めできるでしょうか。あなたのために子やぎを料理したいのですが。」

主の使いはマノアに言った。「たとえ、あなたがわたしを引き止めても、わたしはあなたの食物は食べない。もし全焼のささげ物を献げたいなら、それは主に献げなさい。」マノアはその方が主の使いであることを知らなかったのである。

そこで、マノアは主の使いに言った。「お名前は何とおっしゃいますか。あなたのおことばが実現しましたら、私たちはあなたをほめたたえたいのです。」

主の使いは彼に言った。「なぜ、あなたはそれを聞くのか。わたしの名は不思議という。」

そこでマノアは、子やぎと穀物のささげ物を取り、それを岩の上で主に献げた。主のなさる不思議なことを、マノアとその妻は見ていた。

炎が祭壇から天に向かって上ったとき、主】使いは祭壇の炎の中を上って行った。マノアとその妻はそれを見て、地にひれ伏した。

主の使いは再びマノアとその妻に現れることはなかった。そのときマノアは、その人が主の使いであったことを知った。

マノアは妻に言った。「私たちは必ず死ぬ。神を見たのだから。」

妻は彼に言った。「もし私たちを殺そうと思われたのなら、主は私たちの手から、全焼のささげ物と穀物のささげ物をお受けにならなかったでしょう。また、これらのことをみな、私たちにお示しにならなかったでしょうし、今しがた、こうしたことを私たちにお告げにならなかったはずです。」

 

マノアとその妻は、その時点でも主の使いが誰なのかを理解していませんでした。彼らはその人を預言者のひとりだと思っていたのです。そこで、その人をもてなしたいと思い、彼らの家に留まってもらうようにお願いしました。しかし、その人は、たとえ留まっても、食事のもてなしは受けないと断りました。そして、もし全焼のささげ物を献げたいなら、主に献げなさい、と命じたのです。

 

するとマノアは、その人に名前を尋ねました。「お名前は何とおっしゃいますか。」彼としては、このことが成就したら、預言者としてその人をほめたたえようと思ったのでしょう。

すると、主の使いは、「なぜ、あなたはそれを聞くのか。わたしの名は不思議という。」と言いました。「不思議」という名前は不思議な名前です。しかし、それはその人物が神であることを指していました。というのは、不思議を行うことができるのは神だからです。神は不思議な方です。そして、その不思議を千年以上も後にご自身の御子イエス・キリストを通して表してくださいました。まさに、神のなさった最高・最大の「不思議」は神の御子が人となってこの世に来られ、その十字架の御業によって救いの道が開いてくださったことです。

預言者イザヤはそのことを前もって預言し、やがて来られるメシヤがどのような方であのかをこう告げました。「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」。(イザヤ9:6)

 

そして、主はマノアとその妻に不思議な御業を見せてくださいました。マノアが主の使いに言われるとおり子やぎと穀物のささげ物を取り、それを岩の上で主に献げると、炎が祭壇(岩)から出てきて捧げ物を焼き尽くしたかと思ったら、主の使いが天に向かって上って行ったのです。それで、マノアとその妻は地にひれ伏しました。自分たちは死ぬのではないかと思ったのです(出エジプト記33:20)

 

しかし、マノアの妻は、こう言いました。「もし私たちを殺そうと思われたのなら、主は私たちの手から、全焼のささげ物と穀物のささげ物をお受けにならなかったでしょう。また、これらのことをみな、私たちにお示しにならなかったでしょうし、今しがた、こうしたことを私たちにお告げにならなかったはずです。」

それはそうです。彼らを殺すつもりであれば、彼らがささげた全焼のいけにえをお受けになられるはずはありません。主が全焼のいけにえをお受けになられたというのは、主が彼らの祈りが聞かれたことを示していました。ですから、マノアの妻の言っているこは正しいのです。妻の方が霊的な目が開かれていました。

 

私たちもクリスチャンになってからでも、このように神のさばきを恐れてしまうことがあります。けれども、神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためです。(ヨハネ3:17)もし神が私たちを滅ぼすつもりなら、私たちに御子を与えられるはががありません。神は私たちを救い、私たちに永遠のいのちを与えるために、御子を与えてくださいました。私たちは、御子にあって、神の御救いに入れていただいたのです。この神の愛を受け取り、安心して主の道を歩ませていただきましょう。

 

最後に24節と25節をご覧ください。

「この女は男の子を産み、その子をサムソンと名づけた。その子は大きくなり、主は彼を祝福された。主の霊は、ツォルアとエシュタオルの間の、マハネ・ダンで彼を揺り動かし始めた。」

 

主の使いの言ったとおり、マノアの妻は男の子を産み、その子を「サムソン」と名づけました。「サムソン」という名前は、「太陽」という意味の言葉から来ています。いわば、「太陽の子」という意味です。それはまた、彼の使命を象徴している名前でもありました。彼はイスラエルの民をペリシテ人の圧政から救い出す太陽となるからです。主が彼を祝福してくださったので、彼は大きく成長して行きました。それは肉体的にというだけでなく、知的にも、霊的にも、です。そして、彼が大きく成長して行ったとき、主の霊が彼を揺り動かしました。「マハネ・ダン」とは、「ダンの陣営」という意味です。主はダンの陣営で、彼を揺り動かし始めたのです。

 

このサムソンの姿には、いくつかの点でイエス・キリストとの類似点があります。たとえば、その出産が通常とは違っていたという点です。サムソンの母は不妊の女でしたが、主の助けによって男の子を身ごもりました(ルカ1:34-35)。そして、主イエスの母マリヤも処女でしたが、いと高き方の力、聖霊の力によって男の子を宿しました。また、サムソンは「太陽の子」という意味の名前でしたが、イエス・キリストは、「すべての人を照らすまことの光」(ヨハネ1:9)と呼ばれました。さらに、サムソンが主の祝福を受けて成長したように、主イエスも、神の恵みがその上にあったので、成長し、強くなり、知恵に満ちて行きました(ルカ2:40)。そして何よりも、サムソンも主イエスも、主の霊に揺り動かされて活動されました。つまり、サムソンは来るべきメシヤのひな型であったのです。私たちも、主の霊に揺り動かされ、主の霊に満たされて、神から与えられた使命を全うさせていただけるように祈りましょう。

士師記12章

士師記12章からを学びます。まず1節から7節までをご覧ください。

 

Ⅰ.エフライム人との内紛(1-7)

 

「エフライム人が集まってツァフォンへ進んだとき、彼らはエフタに言った。「なぜ、あなたは進んで行ってアンモン人と戦ったとき、一緒に行くように私たちに呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも火で焼き払おう。」

エフタは彼らに言った。「かつて、私と私の民がアンモン人と激しく争ったとき、私はあなたがたに助けを求めたが、あなたがたは彼らの手から私を救ってくれなかった。あなたがたが救ってくれないことが分かったので、私はいのちをかけてアンモン人のところへ進んで行った。そのとき、主は彼らを私の手に渡されたのだ。なぜ、あなたがたは今日になって、私のところに上って来て、私と戦おうとするのか。」

エフタはギルアデの人々をみな集めてエフライムと戦った。ギルアデの人々はエフライムを打ち破った。これは、エフライムが「あなたがたはエフライムからの逃亡者だ。ギルアデ人はエフライムとマナセのうちにいるべきだ」と言ったからである。

ギルアデ人はさらに、エフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取った。エフライムの逃亡者が「渡らせてくれ」と言うとき、ギルアデの人々はその人に、「あなたはエフライム人か」と尋ね、その人が「そうではない」と答えると、その人に、「『シボレテ』と言え」と言い、その人が「スィボレテ」と言って、正しく発音できないと、その人を捕まえてヨルダン川の渡し場で殺した。こうしてそのとき、四万二千人のエフライム人が倒れた。

エフタはイスラエルを六年間さばいた。ギルアデ人エフタは死んで、ギルアデの町に葬られた。

 

エフタがアンモン人との戦いを終えると、エフライム人がツァフォンに進み、エフタに詰め寄って来てこう言いました。「なぜ、あなたは進んで行ってアンモン人と戦ったとき、一緒に行くように私たちに呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも火で焼き払おう。」

彼らの不満は、エフタがアンモン人と戦う際になぜ自分たちに声をかけなかったのかということでした。エフライム族は、マナセ族とともにヨセフ族から枝分かれした部族です。そのエフライム族が、どうしてここでエフタに不満を述べたのでしょうか。それは彼らには、自分たちこそ卓越した部族であるという自負心があったからです。その自負心が高ぶりとなって表面化することがたびたびありました。

 

たとえば、ヨシュア記17章14節のところには、土地の分割の際にヨシュアに詰め寄り、「あなたはなぜ、私たちにただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらないのですか。これほどの数の多い民になるまで、主が私を祝福してくださったのに。」と言っています。自分たちは主に祝福された特別な部族だと主張したわけです。それに対してヨシュアは、「あなたが数の多い民であるなら、森に上って行って行きなさい。そこでペリジ人やれふぁいむ人の地を切り開くがよい。エフライムの山地はあなたには狭すぎるのだから。」(ヨシュア17:15)と答えました。ヨシュアが言ったことはもっともなことでした。そんなに主に祝福された者であるなら、そんなに数の多い民であるなら、自分たちで切り開けばいいではないか。それなのに、そのことでつべこべ言っているのは、彼ら自身の中に問題があるからではないかと諫めたわけです。

 

また、士師記8章1節でも、ギデオンがミディアン人との戦いを終えた後に彼のところに詰め寄り、「あなたは私たちに何ということをしたのか。ミディアン人と戦いに行くとき、私たちに呼びかけなかったとは。」(8:1)と激しく責めました。この時はギデオンが彼らをなだめ、平和的な解決を図りましたが、今回は違います。エフタは強硬な姿勢で対応しました。

 

2節と3節をご覧ください。そうしたエフライム人のことばに対して、かつてエフタがアンモン人と戦った際に、エフライム族に呼びかけたものの、彼らが出て来なかったからだと語り、自分を脅迫するのは筋違いだと反論します。そして、ギルアデの人々をみな集めてエフライムと戦い、彼らを打ち破ったのです。それは、エフライムが、「あなたがたはエフライムからの逃亡者だ。ギルアデ人はエフライムとマナセのうちにいるべきだ」と言ったからです。エフライムは、ギルアデ人のことを侮辱して、逃亡者呼ばわりしました。それは、異母兄弟たちから追い出され、逃亡者となった経験があったエフタにとっては断じて受け入れられることではなく、逆に彼の神経を逆なですることになりました。

 

ついに、あってはならない部族間の内紛が勃発しました。ギルアデの人々は、エフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取り、エフライムの逃亡者が「渡らせてくれ」と言うとき、その人がエフライム人かどうかを方言によって見分け、もしエフライム人ならその場で殺しました。すなわち、その人に「『シボレテ』と言え」と言い、その人が「スィボレテ」と言って、正しく発音できないと、その人を捕まえてヨルダン川の渡し場で殺したのです。こうして四万二千人のエフライム人が倒れました。

 

元はと言えば、エフライム人の高ぶりがこの悲劇の原因でした。箴言16章18節に、「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」とあります。心の高慢は、隣人との間に争いを生み、やがてその人を滅ぼしていくようになります。あなたはどうでしょうか。隣人との間に平和がありますか。もし争いがあるとしたら、あなたの中にエフライムのような自負心や高ぶりがあるからかもしれません。へりくだって.自分の心を点検してみましょう。

 

Ⅱ.9番目の士師イブツァン(8-10)

 

次に8節から10節までをご覧ください。ここには、9番目の士師でイブツァンのことが記されてあります。

「彼の後に、ベツレヘム出身のイブツァンがイスラエルをさばいた。彼には三十人の息子がいた。また、彼は三十人の娘を自分の氏族以外の者に嫁がせ、息子たちのために、よそから三十人の娘たちを妻に迎えた。彼は七年間イスラエルをさばいた。イブツァンは死んで、ベツレヘムに葬られた。」

 

「イブツァン」という名前の意味は「速い」です。その名に相応しく、彼についての言及はわずか3節だけです。彼はベツレヘムの出身で、三十人の息子と、三十人の娘がいました。それだけ彼は裕福であり、権力を持っていたということでしょう。しかし、何と言っても彼の特徴は、その三十人の娘たちを自分の氏族以外の者に嫁がせ、自分の息子たちのためには、よそから三十人の娘たちを迎えたという点です。なぜこんなことをしたのでしょうか。彼は、息子と娘たちを他の氏族と結婚させることによって争いを回避し、平和を確保しようとしたのです。いわば、それは政略結婚だったのです。このようなことは日本の戦国時代ではよく行われていたことでしたが、当時の士師たちの間では珍しいことでした。彼はこのようなことによって氏族の結束を強めようと思ったのかもしれません。

 

Ⅲ.10番目の士師エロンと11番目の士師アブドンの時代(11-15)

 

最後に、10番目の士師エロンと11番目の士師アブドンを見て終わります。11節から15節までをご覧ください。

「彼の後に、ゼブルン人エロンがイスラエルをさばいた。彼は十年間イスラエルをさばいた。ゼブルン人エロンは死んで、ゼブルンの地アヤロンに葬られた。

彼の後に、ピルアトン人ヒレルの子アブドンがイスラエルをさばいた。彼には四十人の息子と三十人の孫がいて、七十頭のろばに乗っていた。彼は八年間イスラエルをさばいた。ピルアトン人ヒレルの子アブドンは死んで、アマレク人の山地にあるエフライムの地ピルアトンに葬られた。」

 

エロンについての言及はもっと短いです。彼については、彼がゼブルン人で、十年間イスラエルをさばいたということ、そして、ゼブルンの地アヤロンに葬られたということだけです。つまり、彼の出身地と士師としてさばいた期間、そして葬られた場所だけです。

 

そして、彼の後に登場するのはピルアトン人ヒレルの子アブドンについての言及も同じで、彼についてもその出身地と生活、そしてさばいた年数、葬られた場所しか記されてありません。

「ピルアトン」とは「丘の頂」という意味で、エフライムにあった町です。ですから、彼はエフライムの出身でした。彼には四十人の息子と三十人の孫がいて、七十頭のろばに乗っていたとあります。当時ろばは高貴な人が乗る動物でしたので、ここから彼は非常に裕福で、社会的地位が高かった人物であったことがわかります。彼が士師としてさばいたのは8年間という短い期間でした。しかし、それは平和と繁栄の時代だったのです。

 

このエロン、アブトンがイスラエルをさばいたのはわずか18年間という短い期間でしたが、それは10章1~5節で見てきたトラやヤイルの時代のように、平和と繁栄の時代でした。それはトラとヤイルの時のように特記すべきことが少ない平凡な日々の積み重ねであったかもしれませんが、それこそが神の恵みだったのです。それは何よりも神が与えてくださった秩序の中で、互いに神を見上げ、神とともに歩んだということの表れでもあります。何気ない当たり前の平凡な日々中に隠されている主の恵みに目を留める者でありたいと思います。そして、そのような中で一生を終えこの世を去っていく人こそ、本当に幸いな人生を歩んだ人と言えるのです。あなたにとっての幸いな人生とは、どのような人生でしょうか。

士師記11章

士師記11章からを学びます。まず1節から11節までをご覧ください。

 

Ⅰ.第8番目の士師エフタ(1-11)

 

「さて、ギルアデ人エフタは勇士であったが、彼は遊女の子であった。エフタの父親はギルアデであった。ギルアデの妻も、男の子たちを産んだ。この妻の子どもたちが成長したとき、彼らはエフタを追い出して、彼に言った。「あなたはほかの女の息子だから、私たちの父の家を継いではならない。」そこで、エフタは兄弟たちのところから逃げて行き、トブの地に住んだ。エフタのもとには、ならず者が集まっていて、彼と一緒に出入りしていた。

それからしばらくして、アンモン人がイスラエルに戦争を仕掛けてきた。アンモン人がイスラエルに戦争を仕掛けてきたとき、ギルアデの長老たちはトブの地からエフタを連れ戻そうと出かけて行き、エフタに言った。「来て、私たちの首領になってください。そしてアンモン人と戦いましょう。」

エフタはギルアデの長老たちに言った。「あなたがたは私を憎んで、父の家から追い出したではないか。苦しみにあったからといって、今なぜ私のところにやって来るのか。」すると、ギルアデの長老たちはエフタに言った。「だからこそ、今、私たちはあなたのところに戻って来たのです。あなたは私たちと一緒に行き、アンモン人と戦って、私たちギルアデの住民すべてのかしらになってください。」

エフタはギルアデの長老たちに言った。「もしあなたがたが私を連れ戻してアンモン人と戦わせ、主が彼らを私に渡してくださったなら、私はあなたがたのかしらとなろう。」ギルアデの長老たちはエフタに言った。「主が私たちの間の証人となられます。私たちは必ずあなたの言われるとおりにします。」エフタがギルアデの長老たちと一緒に行き、民が彼を自分たちのかしらとし、首領としたとき、エフタは自分が言ったことをみな、ミツパで主の前に告げた。

 

ギデオンの子アビメレクの死後、イスラエルを救うために立ちあがったのは、イッサカル人、ドドの子プワの息子トラでした。彼について聖書は多くを語っていませんが、彼は23年間イスラエルをさばきました。それは平凡な日々の積み重ねであったかもしれませんが、そうした平凡な中にも主の恵みがあったのです。

 

そして次に立ちあがったのがギルアデ人ヤイルでした。彼は非常に裕福で、権力がありましたが、何といっても彼がギルガルから出たということが、彼の特質すべきことでした。ギルアデはヨルダン川の東側の地にあり、早くに異教化していった地です。そんなギルアデから士師が出たということは、主はそのような人たちをも忘れていなかったことを示しています。イスラエルは彼によって22年間、平和な時代を過ごしました。

しかし、彼が死ぬと、イスラエルはめいめい主に背き、主の目の前に悪を行いました。それはこれまでのバアルやアシュタロテといった神々に加え、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモンの神々、ペリシテの神々と、カナンの住民が拝んでいたほとんどすべての神々に仕えるという異常なほどの背きでした。

 

そんなイスラエルに主はあきれかえり、彼らが悔い改めて主に立ち返り、主に叫んでも、「わたしはこれ以上あなたがたを救わない」(10:13)と言われたほどでした。しかし、彼らが真に悔い改めたとき、すなわち、彼らの中から異国の神々を取り除いて主に仕えたとき、主は彼らの苦しみを見るのが忍びなくなり、彼らを救われました。そのために用いられたのがギルアデ人「エフタ」です。彼は八番目の士師となります。

 

1節を見ると、彼の生い立ちについて記されてありますが、彼は遊女の子でした。父親のギルアデ゙には妻がおり、彼女は男の子たちを産んだので、その子どもたちが成長したとき、エフタを追い出したので、彼は兄弟たちのところから逃げてトブの地に住みました。彼の周りにはならず者が集まっていましたが、これが彼らに戦闘の経験を与えました。彼らは生活のために敵の領土に侵入し、食物や生活の必需品などを略奪していたからです。

 

人は、その人自身の生き方や生活によって評価されるべきであって、両親の地位や家系によって判断されるべきではありません。そういう意味で、エフタは不幸な取り扱いを受けましたが、主はそんなエフタをイスラエルの士師としてお立てくださいました。それは、その人の生き方はその人の家柄や両親の地位とは全く関係ないことを示すためでもあったのです。

 

さて、アンモン人がイスラエルに戦争をしかけてきたとき、ギルアデの長老たちはトブの地からエフタを連れ戻そうと出かけて行きました。彼らは、この戦いに勝利するためには、強力なリーダーが必要であると感じていたからです。

エフタは当初、その申し出に反発しました。「あなたがたは私を憎んで、父の家から追い出したではないか。それなのに、苦しみにあったからと言って、今なぜ私のところにやってくるのか。」と。しかし、彼はギルアデの長老たちのお詫びの言葉を聞いて怒りを鎮めました。そして、もし主が彼らを自分に渡してくれたのなら、自分がギルアデ人のかしらになることを条件に、アンモン人との戦いに出て行くことを了承しました。

 

もしエフタが命がけでアンモン人と戦い、ギルアデ゙人を救うことができたなら、彼がギルアデ人のかしらになることは当然のことです。なぜなら、彼は命をかけてたたかったのだからです。それは主イエスにおいても言えることです。主イエスは私たちのために命を捨ててくださいました。罪人の救い主となられたのです。であれば、このイエスによって救われた者が、この方を主(かしら)として受け入れるのは当然のことです。あなたは、あなたの救い主を主(かしら)として仰いでおられるでしょうか。

 

Ⅱ.アンモン人との戦い(12-28)

 

次に12節から28節までをご覧ください。

「エフタはアンモン人の王に使者たちを遣わして言った。「あなたは私とどういう関わりがあるのですか。私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするとは。」

すると、アンモン人の王はエフタの使者たちに答えた。「イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの私の土地を取ったからだ。今、これらの地を穏やかに返しなさい。」

エフタは再びアンモン人の王に使者たちを遣わして、こう言った。「エフタはこう言う。イスラエルはモアブの地も、アンモン人の地も取ってはいない。イスラエルはエジプトから上って来たとき、荒野を通って葦の海まで歩き、それからカデシュまで来た。そこでイスラエルはエドムの王に使者たちを遣わして言った。『どうか、あなたの国を通らせてください』と。ところが、エドムの王は聞き入れなかった。同様にモアブの王にも使者たちを遣わしたが、彼も受け入れなかったので、イスラエルはカデシュにとどまった。それから荒野を行き、エドムの地とモアブの地を迂回し、モアブの地の東まで来て、アルノン川の対岸に宿営した。しかし、モアブの領土には入らなかった。アルノンはモアブの国境だったからだ。そこでイスラエルは、ヘシュボンの王で、アモリ人の王シホンに使者たちを遣わして言った。『どうか、あなたの国を通らせて、目的地に行かせてください』と。しかし、シホンはイスラエルを信用せず、その領土を通らせなかったばかりか、兵をみな集めてヤハツに陣を敷き、イスラエルと戦った。イスラエルの神、主が、シホンとその兵全員をイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打ち破った。そしてイスラエルは、その地方に住んでいたアモリ人の全地を占領した。こうしてイスラエルは、アルノン川からヤボク川まで、および荒野からヨルダン川までのアモリ人の全領土を占領したのだ。今すでに、イスラエルの神、主が、ご自分の民イスラエルの前からアモリ人を追い払われたというのに、あなたはその地を取ろうとしている。あなたは、あなたの神ケモシュがあなたに占領させようとする地を占領しないのか。私たちは、私たちの神、主が、私たちの前から追い払ってくださる者の土地をみな占領するのだ。今、あなたはモアブの王ツィポルの子バラクよりもまさっているだろうか。彼はイスラエルと争ったり、戦ったりしたことがあったか。

イスラエルが、ヘシュボンとそれに属する村々、アロエルとそれに属する村々、アルノン川の川岸のすべての町に三百年間住んでいたのに、なぜあなたがたは、その間にそれを取り戻さなかったのか。私はあなたに罪を犯していないのに、あなたは私に戦いを挑んで、私に害を加えようとしている。審判者であられる主が、今日、イスラエル人とアンモン人の間をさばいてくださるように。」

しかし、アンモン人の王はエフタが送ったことばを聞き入れなかった。」

 

エフタはアンモン人の王に使者を遣わして、「あなたは私とどういうかかわりがあるのですか。私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするとは。」と問いかけました。

するとアンモン人の王はエフタの使者たちに答えます。イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの土地を取ったからだと。その地を今すぐ、穏やかに返しなさい・・と。巻末の地図をご覧いただくとわかりますが、アルノン川とは死海に向かって流れている川で、ヤボク川とはその北にありヨルダン川に流れている川です。その間に、ルベン族とガド族の相続地がありますが、イスラエルはその土地を取ったからだ、と訴えているのです。

 

そこでエフタは再びアンモン人の王に使者たちを遣わし、歴史を回顧して、モーセに率いられてイスラエルが戦ったのは、アモリ人の二人の王シホンとオグであって、アンモン人やモアブ人、エドム人ではなかったと告げています。彼らがイスラエルを信用せず、その領土を通らせなかったので、仕方なく戦わざるを得ませんでしたが、イスラエルの神、主が、シホンとその兵全員をイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打ち破ることができたため、その地方に住んでいたアモリ人の全域、すなわち、アルノン川からヤボク川まで、および荒野からヨルダン川までのアモリ人の全領土を占領するようになったのです。だから、それはアンモン人とは全く関係のない話なのです。

 

このようにしてみると、エフタはイスラエルの民の歴史に精通していたことがわかります。つまり、モーセの律法をよく学んでいたということです。神は、幼子のような素直な信仰を喜ばれますが、決して、無知であることを望んではおられません。ペテロ第一3章15節には、「むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。」とあります。私たちも、信仰に関する質問を受けた時、自らの信じる内容を順序立てて説明できるようにしておきたいものです。

 

エフタの説明はこれだけで終わりません。彼は、イスラエルの神、主がアモリ人の王シホンとその勢力を追い払われたのであって、アンモン人がその地を奪い返そうとするのは間違いであること、それに25節を見ると、モアブの王ツィポルの子バラクでさえ、イスラエルと戦うことを断念したというのに、それよりも劣るアンモン人が戦いを挑んでくるなんて考えられない。そんな無茶なことはすべきではない、と言いました。

 

さらに、26節と27節には、イスラエルがカナンに定住して以来、ヨルダンの東側の地に三百年も住んでいたのだから、もしアンモン人に不満があったのなら、なぜもっと早く申し立てて、土地を取り戻さなかったのか、今になって無理難題を投げかけてくるのはおかしいではないか、と言うのです。

 

こうしたエフタの順序立てた説明を聞いても、アンモン人の王は聞き入れませんでした。どうしてでしょうか。それは、主なる神への挑戦であったからです。心を頑なにし、神の警告や説得に耳を傾けようとしない人は、愚か者です。このような人は、必ず自らが下す愚かな判断の刈り取りをするようになります。あなたは、どうでしょうか。心を柔らかくして、神のことばを聞いているでしょうか。

 

Ⅲ.エフタの誓願(29-40)

 

次に、29節から40節までをご覧ください。

「主の霊がエフタの上に下ったとき、彼はギルアデとマナセを通り、ギルアデのミツパを経て、そしてギルアデのミツパからアンモン人のところへ進んで行った。

エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます。」こうして、エフタはアンモン人のところに進んで行き、彼らと戦った。主は彼らをエフタの手に渡された。彼はアロエルからミニテに至るまでの二十の町、またアベル・ケラミムに至るまでを非常に激しく討ったので、アンモン人はイスラエル人に屈服した。

エフタがミツパの自分の家に帰ると、なんと、自分の娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来ているではないか。彼女はひとり子で、エフタには彼女のほかに、息子も娘もなかった。エフタは彼女を見るや、自分の衣を引き裂いて言った。「ああ、私の娘よ、おまえは本当に私を打ちのめしてしまった。おまえは私を苦しめる者となった。私は主に向かって口を開いたのだから、もう取り消すことはできないのだ。」

すると、娘は父に言った。「お父様、あなたは主に対して口を開かれたのです。口に出されたとおりのことを私にしてください。主があなたのために、あなたの敵アンモン人に復讐なさったのですから。」娘は父に言った。「このように私にさせてください。私に二か月の猶予を下さい。私は山々をさまよい歩き、自分が処女であることを友だちと泣き悲しみたいのです。」

エフタは、「行きなさい」と言って、娘を二か月の間、出してやったので、彼女は友だちと一緒に行き、山々の上で自分が処女であることを泣き悲しんだ。

二か月が終わって、娘は父のところに帰って来たので、父は誓った誓願どおりに彼女に行った。彼女はついに男を知らなかった。イスラエルではしきたりができて、年ごとに四日間、イスラエルの娘たちは出て行って、ギルアデ人エフタの娘のために嘆きの歌を歌うのであった。」

 

 

主の霊がエフタに下った時、彼はギルアデとマナセを通り、ギルアデのミツパを経て、そしてギルアデのミツパからアンモン人のところへ進んで行きました。その時彼は誓願立てて言いました。誓願とは何でしょうか。誓願とは、神に誓いをたて、事の成就を願うことです。30節、31節をご覧ください。

「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます。」

すると主はエフタの願いどおり彼らをエフタの手に渡されました。問題は、エフタがミツパの自分の家に帰った時です。なんと、自分の娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来たのです。彼女はひとり子で、エフタには彼女のほかに、息子も娘もいませんでした。その彼女が家から最初に出てきたのです。

エフタは唖然としました。なぜなら、彼は、自分がアンモン人のところから無事に帰ることができたのなら、自分の家の戸口から自分を迎えに出てくるものを、全焼のいけにえとして主にささげると誓ったからです。娘をささげるということは、娘が子を産まなくなるということであり、それは自分の名が絶えることを意味していました。これは私たちが想像する以上の呪いでした。エフタは彼女を見るや、自分の衣を引き裂いて、嘆きました。

 

いったいなぜ彼はそのような誓願をしてしまったのでしょうか。おそらく、自分が家に帰ったとき、自分の家の戸口から迎えに出てくるのは自分のしもべたちの内のだれかだと思ったのでしょう。まさか娘が出てくるとは思わなかったのです。それに、アンモン人との戦いは激しさを増し、何としても勝利を得たいという気持ちが、性急な誓いという形となって出てきたのでしょう。

 

こうした性急な誓いは後悔をもたらします。また、神へ誓いは、神に何かをしていただくためではなく、すでに受けている恵みに対する応答としてなされるべきです。ですから、エフタの請願は、信仰の表れというよりは、むしろ彼が抱いていた不安の表れにすぎなかったのです。

 

このように軽々しく誓うことが私たちにもあります。それが自分の力ではどうすることもできないと思うような困難に直面したとき、「神様助けてください。もし神様がこの状況を打開してくださるのなら、私の・・・をささげます」というようなことを言ってしまう傾向があるのです。イエス様は「誓ってはいけません。」と言われました。誓ったのなら、それを最後まで果たさなければなりません。果たすことができないのに誓うということは、神との契約を破ることであり、神の呪いを招くことになってしまいます。エフタは自分の直面している困難な状況を、誓願を通して乗り越えようとしましたが、軽々しく誓うべきではなかったのです。

 

ところで、旧約聖書の律法によれば、この時エフタは娘をささげなくても良かったはずです。というのは、申命記12章31節には、「あなたの神、主に対して彼らのように礼拝してはならない。彼らは主が憎むあらゆる忌み嫌うべきことをその神々に行い、自分たちの息子、娘を自分たちの神々のために火で焼くことさえしたのである。」とあるからです。

 

ではどうすれば良かったのでしょうか。そこで律法では、もし人間そのものをささげたいのであれば、その評価額として金銭を神殿にささげるようにと定められていたのです。それはレビ記27章1~8節にはこのようにあります。

「主はモーセにこう告げられた。 「イスラエルの子らに告げよ。人が人間の評価額にしたがって主に特別な誓願を立てるときには、その評価額を次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男子なら、その評価額は聖所のシェケルで銀五十シェケル。女子なら、その評価額は三十シェケル。 五歳から二十歳までなら、その男子の評価額は二十シェケル、女子は十シェケル。一か月から五歳までなら、男子の評価額は銀五シェケル、女子の評価額は銀三シェケル。六十歳以上なら、男子の評価額は十五シェケル、女子は十シェケル。その人が落ちぶれていて評価額を払えないなら、その人を祭司の前に立たせ、祭司が彼の評価をする。祭司は誓願をする者の能力に応じて彼を評価する。」

 

それなのに、エフタが娘をささげたのはどうしてなのでしょうか。それは、彼が無知であったか、頑なであったかのどちらかです。彼は戦いについて、イスラエルの神が戦ってくださることをよく知っていました。またイスラエルの歴史もよく知っていました。彼は神への信仰と、神のことばである律法をきちんと持っていました。それなのに彼が娘を神にささげたのは、聖書の知識が足りなかったからか、彼の心が頑なだったからかのどちらかであった考えられます。

 

結局彼女はどうなったでしょうか。彼女は二か月の猶予をもらい、自分の友達と一緒に山へ行き、自分が処女であることを嘆き悲しみました。そして、二か月が終わって、父のところに帰ったとき、エフタは誓った請願のとおりに彼女に行いました。

 

ここにエフタは誓願のとおりに娘に行ったとありますが、誓願のとおりとはどういうことでしょう?二つの解釈があります。一つは、彼女は文字通り全焼のいけにえとして殺されたということ、そしてもう一つは、彼女は終生幕屋で仕えるために主に捧げられたということです。どちらが正しいかはわかりません。しかし、37節以降の娘の言動を見ると、処女であることを悲しんだということが強調されてあるので、終生神の幕屋で仕えるために主にささげられたと考えられます。それにこれが「主の霊がエフタの上に降ったとき」(29)に立てられた誓願であることや、モーセの律法自体が、人間のいけにえを禁じているということから考えても、主がそのようないけにえを喜ばれるはずがないからです。

しかし、この士師時代の混迷していた時代のことを考えると、やはり文字通り全焼のいけにえとしてささげられたと考えるのが自然だと思います。それは神が喜ばれることではありませんでしたが、エフタは神に誓ったとおりに彼女を全焼のいけにえとしてささげたのです。

 

しかし、いずれにせよ、エフタは勢いに任せて安易に神に誓ったことは確かです。その結果、彼は後悔することになりました。私たちは、自ら発する言葉に注意し、いつも主の言葉に従って生きる者とさせていただきましょう。

士師記10章

士師記10章からを学びます。まず1節から5節までをご覧ください。

 

Ⅰ.6番目の士師トラと7番目の士師ヤイル(1-5)

 

「アビメレクの後、イスラエルを救うために、イッサカル人、ドドの子プワの息子トラが立ち上がった。彼はエフライムの山地にあるシャミルに住んでいた。彼は二十三年間イスラエルをさばき、死んでシャミルに葬られた。

彼の後にギルアデ人ヤイルが立ち上がり、二十二年間イスラエルをさばいた。彼には三十人の息子がいた。彼らは三十頭のろばに乗り、三十の町を持っていた。それらは今日まで、ハボテ・ヤイルと呼ばれ、ギルアデの地にある。

ヤイルは死んでカモンに葬られた。」

 

「アビメレク」とはギデオンの息子です。彼は弟ヨタム以外のすべての兄弟を皆殺しにし、イスラエルの王として君臨しました。しかし神は、アビメレクが兄弟七十人を殺して自分の父に行った、その悪の報いを彼に送られたので、彼もまたテベツの町でやぐらの上から一人の女が投げた石で頭蓋骨が砕かれて死にました。

 

アビメレクが死んだ後、イスラエルを救うために立ちあがったのがイッサカル人、ドドの子プアの息子トラでした。彼は6番目の士師としてイスラエルを治めました。彼はアビメレクの後のイスラエルの混乱期を鎮めた人物ですが、彼について聖書はあまり多くを語っていません。彼については、エフライムの山地にあるシャミルに住んでいたことと、23年間イスラエルをさばいていたということ、そして、死んでシャミルに葬られたということだけです。

どうしてでしょうか。おそらく、士師記の著者にとってはその後に登場する勇士エフタに大きな関心があったからではないかと思います。エフタについては、11章1節から12章7節まで続きます。そういう意味で、この10章はエフタが登場するまでのエピソードがまとめられているのです。

 

3節にはヤイルが登場します。彼は7番目の士師です。彼についてはたった3節しか言及されていません。彼がギルアデ人の出身であったということ、22年間イスラエルをさばいたということ、そして30人の息子がいたということ、また三十頭のろばと三十の町を持っていたということです。ろばは高貴な身分の人の乗り物で、士師たちはろばに乗って各地を巡回しました。ヤイルは、富と権力を兼ね備えた士師であったのです。

彼はギルアデの出身とありますが、ギルガルとはヨルダン川の東側の地域にあります。そこから士師が出たということは、主が東側の部族も忘れておられなかったことを表しています。

 

トラとヤイルは、アビメレクのように王になろうとはしませんでした。彼らは主からゆだねられた使命を忠実に果たし、イスラエルに富と繁栄をもたらしました。それは特筆すべきことのない平凡な時代だったかもしれませんが、だから悪いということではないのです。それはむしろ歓迎すべきことです。私たちの人生のほとんどは特筆すべきことのない平凡な日々の積み重ねですが、それこそ神の恵みなのです。何気ない「当たり前」の中に隠されている主の恵みに目を留める者でありたいと思います。

 

Ⅱ.苦境に立たされたイスラエル(6-9)

 

次に6節から9節までをご覧ください。

「イスラエルの子らは再び、主の目に悪であることを行い、もろもろのバアルやアシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた。こうして彼らは主を捨て、主に仕えなかった。

主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをペリシテ人の手とアンモン人の手に売り渡された。

彼らはその年、イスラエル人を打ち砕き、十八年の間、ヨルダンの川向こう、ギルアデにあるアモリ人の地にいたすべてのイスラエル人を虐げた。

アンモン人がヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、およびエフライムの家と戦ったので、イスラエルは大変な苦境に立たされた。

そのとき、イスラエルの子らは主に叫んだ。「私たちはあなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルの神々に仕えたのです。」」

 

ヤイルが死んでカモンに葬られると、イスラエルは再び、主の目の前に悪を行い、もろもろのバアルやアシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモンの神々、ペリシテ人の神々に仕え、主を捨て、主に仕えませんでした。ここには、彼らの霊的状況がさらに悪化しているのがわかります。以前から拝んでいたバアルやアシュタロテといった神々に加え、アラムの神々やモアブの神々、アンモンの神々、ペリシテ人の神々にも仕えるようになりました。

アラムとは北の方のシリアのことです。また、シドンとは北の地中海沿岸地域、今のレバノンの地域です。それからモアブとはヨルダン川の東側の地域、アンモンは死海の東側の地域のことです。さらにペリシテ人の地域とは、地中海の沿岸地域のことです。つまりカナンのすべての神々に仕えていたと言ってよいでしょう。彼らは主を捨て、主に仕えるのではなく、こうした神々に仕えたのです。

 

それで主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、彼らをペリシテ人の手とアンモン人の手に渡されました。ペリシテ人のことについては13章からのところに記されてあります。有名なサムソンが戦ったのはこのペリシテ人です。そして、アンモン人については11章と12章に記されてあります。

 

ペリシテ人とアンモン人はイスラエル人を打ち砕き、18年の間、ヨルダン川の川向う、ギルアデにあるアモリ人の地にいたすべてのイスラエル人を虐げ、アンモン人がヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、およびエフライムの家と戦ったので、イスラエルは大変に苦境に立たされました。

 

何度同じことを繰り返したら気が済むのでしょうか。彼らが主に背いたのはこれで六回目です。その度に彼らは苦しみ、主に叫び、何度も主に助けられたという経験をしてきたにもかかわらず、それでもまた同じことを繰り返したのです。

 

これはイスラエル人に限ったことではなく、私たち人間の姿そのものです。私たちも何度も主に背き、その度に苦境に陥り、主に助けを叫び求めることで、何度も主に助け出されたのに、それでもまた同じことを繰り返してしまいます。まさに、のど元過ぎれば熱さ忘れる、です。背信、それに対する神のさばき、苦悩の中からの叫び、というのが士師記に見られるサイクルです。民が悔い改める時、神は必ず恵みをもって臨んでくださいます。この時のイスラエルの叫びに、主はどのように対応されたでしょうか。

 

Ⅲ.主のあわれみは尽きない(10-18)

 

10節から18節までをご覧ください。

「そのとき、イスラエルの子らは主に叫びました。「私たちはあなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルの神々に仕えたのです。」主はイスラエルの子らに言われた。「わたしは、かつてエジプト人、アモリ人、アンモン人、ペリシテ人から、また、シドン人、アマレク人、マオン人があなたがたを虐げてあなたがたがわたしに叫んだとき、あなたがたを彼らの手から救ったではないか。しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。

行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。あなたがたの苦しみの時には、彼らが救ってくれるだろう。」

イスラエルの子らは主に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたが良いと思われるように何でも私たちにしてください。ただ、どうか今日、私たちを救い出してください。」

彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って主に仕えたので、主はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなられた。

このころ、アンモン人が呼び集められて、ギルアデに陣を敷いた。一方、イスラエル人も集まって、ミツパに陣を敷いた。

ギルアデの民や、その首長たちは互いに言い合った。「アンモン人と戦いを始める者はだれか。その人がギルアデの住民すべてのかしらとなるのだ。」

 

イスラエル人の叫びに対して主は、「わたしはこれ以上あなたがたを救わない。」(13節)と言われました。なぜなら、これまで何度もイスラエルが敵に虐げられて主に叫んだとき、主は敵の手から救い出してくださったのに、イスラエルは主を捨てて、ほかの神々に仕えたからです。だったら自分たちで解決すればいい、自分たちが選んだ神々に叫べばいいのではないか、そうすれば、そうした神々があなたがたを救ってくれるだろう、と突き放したのです。これは、強烈な皮肉です。

 

ここで大切なのは、主がイスラエルを突き放したのは彼らを愛していないからではなく、救われた彼らが異国の神々のところに行ってしまったからです。もしそのようなことをするのであれば、救うということ自体に何の意味もなくなってしまいます。彼らが救われたのは、彼らが主の民として主に仕えるためなのに、その主をないがしろにして他の神々に走っていくというようなことがあってはなりません。そのようなことをするなら、そうした神々に助けを求めればよいと言うのは、むしろ当然のことです。

 

神は真実な方であって、ご自身が約束されたことを破られる方ではありません。どんなことがあっても最後まで契約を守られる方です。しかし、いくら神がそのような方であってももう一方がその愛に真実に応えるのでなければ、その契約自体が成立しません。不真実なのは神の側ではなく、イスラエルの側、私たち人間の側なのです。

 

するとイスラエルの民は、自らの罪の深さを認識し、心から悔い改めました。

「イスラエルの子らは主に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたが良いと思われるように何でも私たちにしてください。ただ、どうか今日、私たちを救い出してください。彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って主に仕えたので、主はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなられた。」

それが真の悔い改めであったことをどうやって知ることができるでしょうか。それは、彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って主に立ち返り、主に仕えたからです。真の悔い改めには、行動が伴わなければなりません。イスラエルの民は、自分たちのうちから外国の神々を取り除き、主に仕えるようになりました。

 

これがただ悲しむことと、悲しんで悔い改めることの違いです。パウロはこのことをコリント第二コリント7章10-11節でこう言っています。

「神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。見なさい。神のみこころに添って悲しむこと、そのことが、あなたがたに、どれほどの熱心をもたらしたことでしょう。そればかりか、どれほどの弁明、憤り、恐れ、慕う思い、熱意、処罰をもたらしたことでしょう。」

後にイスラエルは平和な状況の中で、また主に背いてしまうかもしれません。すぐに心変わりするかもしれない。でも、この時、イスラエルは真剣に悔い改め、切実に助けを求めました。

 

するとどうでしょう。それをご覧になられた主は心を動かされました。16節の後半部分には、「主はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなった。」とあります。

神はその心の叫びを聞いてくださいました。また裏切られるかもしれません。いやきっとそうなるでしょう。でも何度裏切られても、イスラエルが苦しみ、心から悔い改めるなら、主はその姿を見て忍びなくなるのです。

 

主のあわれみは、いつの時代にも悔い改める者の上に注がれます。主は怒るにおそく、あわれみ深い方です。そのあわれみのゆえに、私たちも滅びないでいられるのです。私たちもイスラエルのようにどうしようもない弱さ、愚かさがありますが、そんな者でも悔い改めて神に助けを叫ぶなら、神があわれんでくださるのです。

 

哀歌3章22-23にこのようにあります。

「実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は偉大です。」

それは朝ごとに新しい恵み、あわれみです。尽きることのないあわれみなのです。先日、ヨハネの福音書1章16節にもありましたね。「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。」「恵みの上にさらに恵みを受ける」とは、「恵みの代わりに恵みを受ける」という意味で、一つの恵みを受けたらそれで終わりということではなく、その代わりに新しい恵みを受けるということ、尽きない恵みを受けるということです。主の私たちに対する恵み、あわれみは尽きることがないのです。

 

だから私たちには望みがあるのです。私たちはこの神のあわれみによりすがり、いつも悔い改めて、新しい一歩を踏み出させていただきましょう。

士師記9章

士師記9章からを学びます。まず1節から21節までをご覧ください。

 

Ⅰ.アビメレクとシェケムの住民の悪(1-21)

 

まず6節までをお読みします。

「さて、エルバアルの子アビメレクは、シェケムにいる母の身内の者たちのところに行き、彼らと母の一族の氏族全員に告げて言った。

「どうかシェケムのすべての住民の耳に告げてください。『あなたがたにとって、エルバアルの息子七十人全員であなたがたを治めるのと、ただ一人があなたがたを治めるのとでは、どちらがよいか。私があなたがたの骨肉であることを思い起こすがよい』と。」

アビメレクの母の身内の者たちが、彼の代わりに、これらのことをみな、シェケムのすべての住民の耳に告げたとき、彼らの心はアビメレクに傾いた。彼らが「彼は私たちの身内の者だ」と思ったからである。

彼らは、バアル・ベリテの神殿から銀七十シェケルを取り出して彼に与えた。アビメレクはそれで、粗暴なならず者たちを雇った。彼らはアビメレクに従った。

アビメレクはオフラにある彼の父の家に行って、自分の兄弟であるエルバアルの息子たち七十人を一つの石の上で殺した。しかし、エルバアルの末の子ヨタムは隠れていたので生き残った。

シェケムのすべての住民とベテ・ミロのすべての人々は集まり、行って、シェケムにある石柱のそばの樫の木の傍らで、アビメレクを王とした。」

 

「エルバアル」とはギデオンのことです。ギデオンには七十人の息子がいましたが、その中の一人の子アビメレクが、シェケムにいた母の身内の者たちのところに行き、彼らは母の一族全員にギデオンの七十人の息子全員でイスラエルを治めるのと、一人が治めるのとでは、どちらがよいかと告げると、シェケムのすべての住民の心はアビメレクに傾きました。なぜなら、彼はシェケムの出身だったからです。そこでシェケムの住民とベテ・ミロのすべての人々は集まり、アビメレクを王としました。

 

ここで「シェケム」の場所を確認しておきましょう。巻末の「12部族に分割されたカナン」を見ると、エフライムの境界線に近いマナセの領地にあることがわかります。ここはかつてヨシュアがイスラエルの全部族を集め、民と契約を結び、彼らのために掟と定めを置いた所です。(ヨシュア24:1-24)

ヨシュアはそれらのことばを神の教えの書に記し、大きな石を取り、主の聖所にある樫の木の下に立てました。(ヨシュア24:25)この石こそ6節にある「石柱」のことです。その後、ヨシュアは、百歳で死に、隣のエフライムの相続地にあるティムナテ・セラフに葬られました。また、エジプトから携え上ったヨセフの遺骸を、シェケムの地に葬りました。

ですから、「シェケム」というのは地理的にもそうですが、信仰的にもイスラエルの中心であったことがわかります。そこであった出来事がこれなのです。

ギデオンが死んだ後、彼の一人の息子アビメレクが王となります。彼らはアビメレクからの提案を受けると、彼が自分たちの身内の者であるという理由で、彼を王にしようとしました。それで、彼らはアビメレクにバアル・ベリテの神殿から銀七十シェケルを取り出して与えました。するとアビメレクはそれで、粗暴なならず者たちを雇い、ギデオンの七十人の息子たちのうち、末の子ヨタム以外の兄弟全員を殺しました。

 

すると、そのことが末の子ヨタムに告げられ、ヨタムは預言します。7節から21節までをご覧ください。

「このことがヨタムに告げられたとき、彼は行って、ゲリジム山の頂上に立ち、声を張り上げ、彼らに叫んだ。「私に聞け、シェケムの人々よ。そうすれば神はあなたがたに耳を傾けてくださる。

木々が出かけて行って、自分たちの上に王を立てて油を注ごうとした。木々はオリーブの木に言った。『私たちの王となってください。』

すると、オリーブの木は彼らに言った。『私は、神と人をあがめるために使われる私の油を捨て置いて、木々の上にそよぐために行かなければならないのだろうか。』

木々はいちじくの木に言った。『あなたが来て、私たちの王となってください。』

しかし、いちじくの木は彼らに言った。『私は、私の甘みと良い実を捨て置いて、木々の上にそよぐために行かなければならないのだろうか。』

木々はぶどうの木に言った。『あなたが来て、私たちの王となってください。』

しかし、ぶどうの木は彼らに言った。『私は、神と人を喜ばせる私の新しいぶどう酒を捨て置いて、木々の上にそよぐために行かなければならないのだろうか。』

そこで、すべての木が茨に言った。『あなたが来て、私たちの王となってください。』

茨は木々に言った。『もしあなたがたが誠意をもって私に油を注ぎ、あなたがたの王とするなら、来て、私の陰に身を避けよ。もしそうでなければ、茨から火が出て、レバノンの杉の木を焼き尽くすだろう。』

今、あなたがたは誠意と真心をもって行動して、アビメレクを王にしたのか。あなたがたはエルバアルとその家族に良くして、彼の手柄に報いたのか。

私の父は、あなたがたのために戦い、自分のいのちをかけて、あなたがたをミディアン人の手から助け出したのだ。

しかし、あなたがたは今日、私の父の家に背いて立ち上がり、その息子たち七十人を一つの石の上で殺し、また、あなたがたの身内の者だからというので、女奴隷の子アビメレクをシェケムの住民たちの上に王として立てた。

もしあなたがたが、今日、エルバアルとその家族に対して誠意と真心をもって行動したのなら、あなたがたはアビメレクによって喜ぶがよい。彼も、あなたがたによって喜ぶがよい。

もしそうでなかったなら、アビメレクから火が出て、シェケムの住民とベテ・ミロを焼き尽くし、シェケムの住民とベテ・ミロからも火が出て、アビメレクを焼き尽くすだろう。」

それから、ヨタムは逃げ去ってベエルに行き、兄弟アビメレクの顔を避けてそこに住んだ。」

 

このことがヨタムに告げられたとき、彼は行って、ゲリジム山の頂上に立ち、声を張り上げ、シェケムの人たちに叫びました。ヨタムは、ギデオンの末の子でしたが、アビメレクが自分の兄弟七十人を殺したとき隠れて難を逃れたのです。

彼は、まずたとえを語ります。木々が自分たちの王になってくれるようにとオリーブの木に、次にいちじくの木に、次にぶどうの木にお願いします。「木々」とは、シェケムの人々のこと、オリーブの木やいちじくの木、ぶどうの木はギデオンの後に出たイスラエルの勇士たちのことでしょう。ところが、これらはいずれも、その願いを退けます。それで最後に、茨に向かって、「あなたが来て、私たちの王になってください。」と言いました。すると、茨は木々に言いました。

「もしあなたがたが誠意をもって私に油を注ぎ、あなたがたの王とするなら、来て、私の陰に身を避けよ。もしそうでなければ、茨から火が出て、レバノンの杉の木を焼き尽くすだろう。」(15)

 

この「茨」とはアビメレクのことです。彼は王にふさわしくない、野心に満ちた危険な存在であるとヨタムは警告しています。そして、これはあなたがたに善意を尽くしたギデオンに真実を尽くしたものなのか、と問います。いや、そうではありません。ギデオンは良いことをしたのに、彼と彼の家族に感謝し、誠意と真心をもって行動したかというとそうではなく、むしろ彼らは自分たちの欲望を満たすためにそむきの罪を犯したのだと断罪するのです。そして、もしそうでないなら、アビメレクから火が出て、シェケムの住民とベテ・ミロを焼き尽くすと宣言しました。(20)これはどういうことかというと、アビメレクとシェケムの人々は、今は悪い考えで一致しているが、その関係は決して長続きしないということです。彼らは、やがて互いに食い合い、滅ぼし合って、さばきをもたらし合うようになる、ということです。これを聞いたアビメレクやシェケムの人々は、そんなことはないと笑っていたことでしょう。そして3年間はこの状態が保たれたようです。しかし時が経過して、このヨタムの宣言は現実のものとなって行きます。

 

Ⅱ.暴虐への報い(22-49)

 

22節から25節までをご覧ください。

「アビメレクは三年間、イスラエルを支配した。

神は、わざわいの霊をアビメレクとシェケムの住民の間に送られたので、シェケムの住民たちはアビメレクを裏切った。

こうして、エルバアルの七十人の息子たちに対する暴虐への報いが現れ、彼らの血が、彼らを殺した兄弟アビメレクと、アビメレクに手を貸してその兄弟たちを殺したシェケムの住民たちの上に降りかかった。

シェケムの住民たちは、アビメレクを待ち伏せする者たちを山々の頂上に置き、また道を通り過ぎるすべての者から略奪した。やがて、このことがアビメレクに告げられた。

 

まず、シェケムの人々がアビメレクを裏切りました。それは、神がわざわいの霊をアビメレクとシェケムの住民の間に送られたからです。(23) シェケムの住民たちは、アビメレクを待ち伏せする者たちを山々の頂上に置き、そこを通り過ぎるすべての者から略奪したのです。これはどういうことかというと、シェケムの人たちが略奪を繰り返すことによってシェケムの治安を悪化させ、アビメレクの支配を揺るがそうとしたということです。こうしてアビメレクとシェケムの人たちの間に亀裂が生じました。前述のヨタムの言葉で言えば、シェケムから火が出たわけです。

 

そればかりではありません。今度はエベデ人ガアルが加わります。26節から29節までをご覧ください。

エベデの子ガアルとその身内の者たちが来て、シェケムを通りかかったとき、シェケムの住民たちは彼を信用した。

住民たちは畑に出て行って、ぶどうを収穫して踏み、祭りを催して自分たちの神の宮に入って行き、食べたり飲んだりしてアビメレクをののしった。

そのとき、エベデの子ガアルは言った。「アビメレクとは何者か。シェケムとは何者か。われわれが彼に仕えなければならないとは。彼はエルバアルの子、ゼブルは彼に仕える者ではないか。シェケムの父ハモルの人々に仕えよ。なぜわれわれはアビメレクに仕えなければならないのか。

だれか、この兵を私の手に与えてくれないものか。そうすれば、私はアビメレクを追い出すのだが。」彼はアビメレクに「おまえの軍勢を増やして、出て来い」と言った。」

 

エベデ人ガアルとその身内の者たちが来て、シェケムの住民たちのところに来ると、シェケムの人たちは彼を信用しました。そして、畑に出て行って、ぶどうを収穫して踏み、食べたり飲んだりしたとき、アビメレクをののしりました。

するとガアルは、「アビメレクとは何者か。シェケムとは何者か。われわれが彼に仕えなければならないとは。彼はエルバアルの子、ゼブルは彼に仕える者ではないか。シェケムの父ハモルの人々に仕えよ。なぜわれわれはアビメレクに仕えなければならないのか。だれか、この兵を私の手に与えてくれないものか。そうすれば、私はアビメレクを追い出すのだが。」と言いました。

 

このところからわかることは、彼はハモルと深いつながりがあった人物であるということです。「ハモル」とは、ヤコブがまだ生きていた頃、ラバンのところから約束の地に帰ってくるとき、シェケムにとどまっていたときの首長です。もともと、ここにはヒビ人ハモルとその子シェケムらが住んでいましたが、シェケムがディナを見てこれを捕らえこれと寝て辱めるという事件が起こったため、ヤコブの息子たちは一つの民となる約束を交わし、相手方に割礼を受けさせました。そしてその傷が痛んでいる間に襲って、すべての男子を殺しました(創世記34章)。そのシェケムの父ハモルの血を引く者たちが残っていたのでしょう。ガアルもその一人だったと考えられます。その彼がシェケムの父ハモルの人々に仕えよ、と叫んだのです。

 

先にアビメレクが自分はシェケム出身であると訴えて、シェケムの人々の心を勝ち取りましたが、今度はガアルがこの町のより深い歴史に訴えて、アビメレクに対する謀反を煽ったのです。こうしてアビメレクは自分がしたように他の人にもされることになりました。

 

その結果どうなったでしょうか。30節から45節までをご覧ください。

「この町の長ゼブルは、エベデの子ガアルの言ったことを聞いて怒りを燃やし、

ひそかにアビメレクのところに使者を遣わして言った。「今、エベデの子ガアルとその身内の者たちがシェケムに来ています。なんと、彼らは町をあなたに背かせようとしています。今、あなたとあなたとともにいる兵が、夜のうちに立って、野で待ち伏せし、朝早く、太陽が昇るころ、町に襲いかかるようにしてください。すると、ガアルと、彼とともにいる兵があなたに向かって出て来るでしょう。あなたは手当たり次第、彼らを攻撃することができます。」そこで、アビメレクと、彼とともにいた兵はみな、夜のうちに立って、四隊に分かれてシェケムに向かって待ち伏せた。

エベデの子ガアルが出て来て、町の門の入り口に立ったとき、アビメレクと、彼とともにいた兵は、待ち伏せしていたところから立ち上がった。

ガアルはその兵を見て、ゼブルに言った。「見よ、兵が山々の頂から下りて来る。」ゼブルは彼に言った。「あなたには、山々の影が人のように見えるのです。」

ガアルはまた続けて言った。「見よ、兵がこの地の一番高いところから下りて来る。さらに一隊がメオンニムの樫の木の方から来る。」

ゼブルは彼に言った。「『アビメレクとは何者か。われわれが彼に仕えなければならないとは』と言ったあなたの口は、いったいどこにあるのですか。あなたが見くびっていたのは、この兵ではありませんか。さあ今、出て行って、彼と戦いなさい。」そこで、ガアルはシェケムの住民たちの先頭に立って出て行き、アビメレクと戦った。

アビメレクが彼を追ったので、ガアルは彼の前から逃げた。多くの者が刺し殺されて倒れ、門の入り口にまで及んだ。」

 

このことを聞いたアビメレクは、怒りを燃やし、夜のうちに立って、野で待ち伏せし、翌朝早く、町に襲いかかり、ガアルと、彼とともにいた者たちを打ちました。 しかし、アビメレクの怒りはこれで収まりませんでした。裏切ったシェケム人に対する復讐心に燃え上がります。

 

41~45 節をご覧ください。

アビメレクはアルマにとどまったが、ゼブルは、ガアルとその身内の者たちを追い払って、彼らをシェケムにとどまらせなかった。

翌日、兵が野に出て行くと、そのことがアビメレクに告げられた。そこで、アビメレクは自分の兵を引き連れ、三隊に分けて、野で待ち伏せた。彼が見ていると、見よ、兵が町から出て来た。そこで彼は立ち上がって彼らを討った。

アビメレクと、彼とともにいた一隊は町に襲いかかって、その門の入り口に立った。一方、残りの二隊は野にいたすべての者を襲って打ち殺した。

アビメレクは、その日一日中、町を攻め、この町を占領して、その中の民を殺した。彼は町を破壊して、そこに塩をまいた。」

 

アビメレクは、自分の兵を引き連れてシェケムの町に襲いかかり、すべての者を打ち殺し、増した。彼はこの町を破壊して、そこに塩をまきました。「塩をまく」という行為は、もう二度と再建されないという意味です。

 

そればかりではありません。46~49 節にあるように、エル・ベリテの神殿の地下室に逃げ込んだ者たちを滅ぼすため、この地下室に火をつけて一千人を皆殺しにしました。まさにギデオンの末の子ヨタムが預言したように、アビメレクから火が出て、シェケムの者たちを食い尽くしたのです。

 

Ⅲ.アビメレクの死(50-57)

 

それからどうなってでしょうか。最後に50節から55節までをご覧ください。

「それからアビメレクはテベツに行き、テベツに向かって陣を敷いて、これを占領した。

この町の中に堅固なやぐらがあった。すべての男女、町の住民たち全員はそこへ逃げて立てこもり、やぐらの屋根に上った。

アビメレクはやぐらのところまで来て、これを攻め、やぐらの入り口に近づいて、これを火で焼こうとした。

そのとき、一人の女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕いた。

アビメレクは急いで、道具持ちの若者を呼んで言った。「おまえの剣を抜いて、私にとどめを刺せ。女が殺したのだと私について人が言わないように。」若者が彼を刺したので、彼は死んだ。

イスラエル人はアビメレクが死んだのを見て、一人ひとり自分のところへ帰って行った。」

 

アビメレクの怒りはそれでも収まりませんでした。シェケムの一部の人たちがテベツに逃れると、今度はテベツに行き、テベツに向かって陣を敷いて、これを占領しました。そして、やぐらに火を放ちそこへ逃げ込んだ住民たちを滅ぼそうとしました。しかし、そのとき一人の女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕きました。ひき臼は、直径30センチくらいの石です。そのような石がうまく命中して死ぬというのも、まさに神の御手によると言えます。

 

ここにも皮肉があります。アビメレクはギデオンの子らを一つの石の上で殺しましたが、その彼自身、石を投げつけられ、石の傍らで死にます。自分がしたようにされたのです。ヨタムはアビメレクを呪ったが自ら手を下すことなく、アビメレクは葬り去られました。

 

これらの出来事から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。この章の結論は56節と57節です。

「こうして神は、アビメレクが兄弟七十人を殺して自分の父に行った、その悪の報いを彼に返された。神はまた、シェケムの人々のすべての悪の報いを彼らの頭上に返された。エルバアルの子ヨタムののろいが彼らに臨んだ。」

 

ここには「報い」という言葉が強調されています。こうして神は、アビメレクが兄弟七十人を殺して自分の父に行った、その悪の報いを彼に返されました。また、シェケムの人々のすべての悪の報いを彼らの頭上に返されました。これは神の報いなのです。神に背いて王となったアビメレクと、それに共謀したシェケムの住民がともにさばきを受けたのです。

 

私たちも神にそむき、自分の欲望と満足に生きるのであれば、必ず神のさばきを受けることになります。現実的にはそう見えない時があっても神の支配はそこにあり、時至って一人一人にふさわしい報いをお与えになるのです。仮にこの世でそうでなくても、来たるべきさばきにおいて必ずそれは実現するでしょう。

 

ですから、私たちに求められているのは、神の恵みに心を留めるということです。神はギデオンがイスラエルのためにいのちをかけてミディアン人と戦い、彼らをミディアン人の手から救い出したように、ご自分のいのちをかけて、私たちを罪の中から救い出してくださいました。そのことを心に留めなければなりません。そのことから離れると、すぐに元の生活に逆戻りし、主の目の前に悪を行うことになってしまいます。悪は悪の報いをもたらします。その悪は必ず自分に戻ってくるのです。そういうことがないように、いつも主の恵みに心を留め、誠意と真心をもって主に応答し、主に喜ばれる生活をささげていかなければなりません。主の前に正しく生きる者の恵みは大きいのです。

士師記8章

士師記8章からを学びます。まず1節から9節までをご覧ください。まず3節までをお読みします。

 

Ⅰ.仲間からの敵対心(1-9)

 

「エフライムの人々はギデオンに言った。「あなたは私たちに何ということをしたのか。ミディアン人と戦いに行くとき、私たちに呼びかけなかったとは。」こうして彼らはギデオンを激しく責めた。

ギデオンは彼らに言った。「あなたがたに比べて、私が今、何をしたというのですか。アビエゼルのぶどうの収穫よりも、エフライムの取り残した実のほうが良かったではありませんか。

神はあなたがたの手にミディアン人の首長オレブとゼエブを渡されました。あなたがたに比べて、私が何をなし得たというのですか。」ギデオンがこのように話すと、彼らの怒りは和らいだ。」

 

「エフライムの人々」とは、イスラエル12部族の一つですが、彼らはギデオンに対して激しく責めました。それは、ギデオンがミディアンとの戦いに出て行ったとき、彼らに呼びかけなかったからです。このような人が意外と多くいます。たとえそれがどんなにすばらしいことでもそこに自分が関わっていないと喜ぶことができないのです。逆に、うまくいくと苦々しい思いを抱いてしまう。それは生まれながらの肉の性質です。

 

それに対してギデオンはどのように対応したでしょうか。2節と3節を見ると、彼は、「あなたがたに比べて、私が今、何をしたというのですか。アビエゼルのぶどうの収穫よりも、エフライムの取り残した実のほうが良かったではありませんか。神はあなたがたの手にミディアン人の首長オレブとゼエブを渡されました。あなたがたに比べて、私が何をなし得たというのですか。」 と言っています。

これはどういうことかというと、彼らの手柄に比べたら、自分の働きなど何でもないということです。アビエゼルとは、ギデオンが属していた家系のことです。つまり、ギデオンのぶどうの収穫よりも、エフライムの人たちのぶどうの収穫の方がずっと良かった、というのです。それは何を意味しているのかというと、彼らが殺したミディアン人の二人の首長オレブとゼエブのことです。つまり、ギデオンが倒した相手よりもエフライムの人たちが殺した二人の首長たちの方がずっと価値があるということです。

 

すると、彼らの怒りは和らぎました。ギデオンは、彼らの自尊心を傷つけないように細心の注意を払ったからです。すごいですね。同胞からこんな非難をされたらすぐにカッとなってしまいますが、彼はそうしたことに対して忍耐し、寛容な心で受け止めました。箴言15章1節に、「柔らかな答えは憤りを鎮め、激しいことばは怒りをあおる。」)とありますが、彼は柔らかな答えで怒りを鎮めたのです。私たちもこうした状況の中で怒りを鎮めるというのは難しいことですが、自分の感情をしっかりとコントロールし、主に喜ばれる人間関係を求めていきたいですね。

 

しかし、いつもそうした態度だけが望ましいのではなく、時としては毅然とした態度で臨まなければなりません。4節から9節までをご覧ください。

「それからギデオンは、彼に従う三百人とヨルダン川を渡った。彼らは疲れていたが、追撃を続けた。

彼はスコテの人々に言った。「どうか、私について来た兵に円形パンを下さい。彼らは疲れているからです。私はミディアン人の王ゼバフとツァルムナを追っているのです。」

すると、スコテの首長たちは言った。「おまえは今、ゼバフとツァルムナの手首を手にしているのか。われわれがおまえの部隊にパンを与えなければならないとは。」

ギデオンは言った。「そういうことなら、主が私の手にゼバフとツァルムナを渡されるとき、私は荒野の茨やとげで、おまえのからだを打ちのめす。」

ギデオンはそこからペヌエルに上って行き、同じように彼らに話した。すると、ペヌエルの人々もスコテの人々と同じように彼らに答えた。

そこでギデオンはまたペヌエルの人々に言った。「私が無事に帰って来たら、このやぐらを打ち壊す。」

 

次に、ギデオンに心無い態度を取ったのはスコテの人々でした。ギデオンは確かに大勝利を収めましたが、まだミディアン人の王ゼバフとツァルムナを追っていました。ギデオンは、彼に従う三百人とヨルダン川を渡り、かなり疲れてはいましたが、追撃を続けていたのです。そこでスコテの人々に、この三百人の兵に円形のパンを下さい、とお願いしましたが、スコテの主張たちは、「おまえは今、ゼパフとツァルムナの手首を手にしているのか。」と言って、ギデオンの申し出を断わりました。

 

スコテの人々とは、ガド族の割り当て地の中、ヨルダン川を渡ってすぐの所にあります。ギデオンは、ミディアン人の王ゼバフとツァルムナを追ってヨルダン川を渡って追撃を続けていましたが、彼に従う三百人の兵士たちが付かれていたので、そのスコテの人々にパンを与えてくれるようにと願いました。

ところが、スコテの首長たちはそれを断りました。ゼバフとツァルムナの首を手にしているのなら与えてもよいが、そうでないのに与えることなどできないというのです。たかが三百人の兵士で敵を打ち破ることができるという考えは甘い。ゼバフとツァァルムナが武装していつ逆襲してくるかわからない。パンを与えるとしたら完全に敵に勝利してからであって、それまでは少しのパンでも分けてやることはできないと、見下すような態度を取ったのです。考えてみると、彼らは、デボラとバラクの戦いの時にも参戦をしませんでしたが(5:15-17)、この戦いに勝算があるかどうかわからなかったからでしょう。

 

このように、彼らはいつも日和見的な判断に終始し神のみこころに積極的に関わろうとしないばかりか、そういう人たちを軽んじては神の民の一致を破壊していました。そのような者は、神のさばきを受けることになります。7節には、このような彼らの態度に対して、ギデオンはこう言いました。

「そういうことなら、主が私の手にゼバフとツァルムナを渡されるとき、私は荒野の茨やとげで、おまえのからだを打ちのめす。」

厳しいことばです。パンを与えなかっただけでどうしてこれほどのさばきを受けなければならないのか。それはただギデオンを見下げたというよりも、神を見下げたことになるからです。というのは、イスラエルの士師としてお立てになったのは神ご自身であられるからです。そうしたリーダーへの不平不満、非難は、神への非難であって、そのような態度には神の厳しいさばきが伴うということを覚えなければなりません。神は高ぶる者には敵対視、へりくだった者には恵みを与えられる。」(Ⅰペテロ5:5)のです。

 

それは、ペヌエルの人たちも同様でした。ギデオンはそこからペヌエルに上って行き、同じように話すと、彼らはスコテの人々と同じように答えました。そこでギデオンはペヌエルの人々にも言いました。「私が無事に帰って来たら、このやぐらを打ち壊す。」

 

ペヌエルは、かつてヤコブがエサウに会う前に神と格闘した場所です。その時ヤコブは顔と顔とを合わせて神を見たので、その場所を「ペヌエル」と名付けたのに、そのペヌエルの人たちもギデオンの要請に応じなかったので、ギデオンにより、その町は破壊され、住民は虐殺されることになりました。

 

Ⅱ.報復(10-21)

 

次に10節から21節までをご覧ください。まず17節までです。

「ゼバフとツァルムナはカルコルにいたが、約一万五千人からなる陣営の者もともにいた。これは東方の民の陣営全体のうち、生き残った者のすべてであった。剣を使う者十二万人が、すでに倒されていた。

そこでギデオンは、ノバフとヨグボハの東の、天幕に住む人々の道を上って行き、陣営を討った。陣営は安心しきっていた。ゼバフとツァルムナは逃げたが、ギデオンは彼らの後を追った。彼は、ミディアンの二人の王ゼバフとツァルムナを捕らえ、その全陣営を震え上がらせた。」

こうして、ヨアシュの子ギデオンは、ヘレスの坂道を通って戦いから帰って来た。彼はスコテの人々の中から一人の若者を捕らえて尋問した。すると、その若者はギデオンのために、スコテの首長たちと七十七人の長老たちの名を書いた。

ギデオンはスコテの人々のところに行き、そして言った。「見よ、ゼバフとツァルムナを。彼らは、おまえたちが私をそしって、『おまえは、今、ゼバフとツァルムナの手首を手にしているのか。おまえに従う疲れた者たちに、われわれがパンを与えなければならないとは』と言ったあの者たちだ。」

ギデオンはその町の長老たちを捕らえ、また荒野の茨やとげを取って、それでスコテの人々に思い知らせた。

また彼はペヌエルのやぐらを打ち壊して、町の人々を殺した。」

 

ゼバフとツァルムナはカルコルにいたが、約一万五千人からなる陣営の者もともにいました。すでに十二万人がギデオンによって倒されていました。残されたのはたった一万五千人でした。ギデオンは果敢に彼らの天幕に上って行き、陣営を打ちました。ゼバフとツェルムナは逃げましたが、ギデオンはその後を追って行き、ついにこの二人の王を捕らえ、ヘレスの坂を通って帰って来ました。

 

するとギデオンはスコテの人々の中から一人の若者を捕らえて、スコテの首長たちと長老たちの名前を尋問したので、彼はその名前を書きました。するとギデオンはスコテに行き、自分たちをそしった者たちと長老たちを捕らえ、荒野の茨やとげを取って、スコテの人々に思い知らせました。また彼はペヌエルのやぐらを打ち壊して、町の人々を殺しました。

 

それからゼバフとツァルムナが、以前タボル山でイスラエルを殺したことの報いとして、長男エテルに、「立って、彼らを殺しなさい。」と言ったが、長男はまだ若く、恐ろしかったので、剣を抜くことができなかったので、ギデオンが彼らを殺しました。

 

Ⅲ.罠(22-35)

 

最後に、22節から35節までを見て終わりたいと思います。まず22節と23節をお読みします。

「イスラエル人はギデオンに言った。「あなたも、あなたの子も、あなたの孫も、私たちを治めてください。あなたが私たちをミディアン人の手から救ったのですから。」

しかしギデオンは彼らに言った。「私はあなたがたを治めません。また、私の息子も治めません。主があなたがたを治められます。」

 

ギデオンがミディアン人に完全に勝利すると、イスラエルの人々が彼にいました。「あなたも、あなたの子も、あなたの孫も、私たちを治めてください。あなたが私たちをミディアン人の手から救ったのですから。」

これはどういうことかというと、世襲制による支配のことです。政治でも政治家の世襲というのが話題になっていますが、ここでもギデオンの世襲による支配が求められたのです。

 

これに対してギデオンはきっぱりと断りました。「私はあなたがたを治めません。また、私の息子も治めません。」なぜなら、「主があなたがたを治められ」るからです。これはすごいことです。だれでも成功を収めると、それを自分の支配に置きたいと思うものです。そして、自分だけでなく、自分の子孫に継がせたいと考えるものですが、ギデオンは、そのようには考えませんでした。なぜなら、神の民を治められるのは神ご自身であられるからです。

 

ここに真のリーダーの姿を見ることができます。ギデオンは、イスラエルを守り導いたのは自分ではなく、神の恵みであることをよくわかっていました。だから自分が治めるのでも自分の子孫たちが治めるのでもなく神が治めるべきであって、その神に目を向けさせたのです。自分の地位に執着するのではなく、そうした支配欲から解放されていたギデオンの態度は立派であったと言えます。

 

しかし、そんな彼にも弱さがありました。24から28節までをご覧ください。

「ギデオンはまた彼らに言った。「あなたがたに一つお願いしたい。各自の分捕り物の耳輪を私に下さい。」殺された者たちはイシュマエル人で、金の耳輪をつけていた。

彼らは「もちろん差し上げます」と答えて、上着を広げ、各自がその分捕り物の耳輪をその中に投げ込んだ。

ギデオンが求めた金の耳輪の重さは、金千七百シェケルであった。このほかに、三日月形の飾りや、耳飾りや、ミディアンの王たちの着ていた赤紫の衣、またほかに、彼らのらくだの首に掛けてあった首飾りなどもあった。

ギデオンは、それでエポデを一つ作り、彼の町オフラにそれを置いた。イスラエルはみなそれを慕って、そこで淫行を行った。それはギデオンとその一族にとって罠となった。

こうしてミディアン人はイスラエル人の前に屈服させられ、二度とその頭を上げなかった。国はギデオンの時代、四十年の間、穏やかであった。」

 

これはどういうことでしょうか?敵の部族はイシュマエル人で、金の耳輪をつける習俗を持っていました。イスラエル人は、それらをたくさんぶんどってきていたのです。人々は、「もちろん差し上げます」と、金の耳輪をどっさり差し出しました。その重さは金千七百シェケル、約20㎏もありました。このほかにも、いろいろな飾り物類や、ミディアンの王たちが着ていた豪華な服や首飾りなどが差し出しました。

 

いったい何のためにギデオンはこうした物を求めたのでしょうか。27節には、「ギデオンは、それでエポデを一つ作り、彼の町オフラにそれを置いた。」とあります。エポデとは、大祭司の装束の一部であって、胸当てのようなものであったり、占いの道具であったり、様々な形で使われたものです。大祭司でもなかったギデオンが、なぜエポデを作ろうと考えたのかはわかりません。おそらく、勝利のしるしに記念を残したかったのではないかと思います。偉そうに王様として君臨することは望まなかったギデオンでしたが、神が自分に語り、自分を通して勝利を与えてくださったことを記念に残しておきたいと思ったのでしょう。

 

しかし、そのことがギデオンとその一族にとって大きな罠となりました。イスラエルの人々はみなそれを慕って、そこで淫行を行ったのです。つまりイスラエルの民は、神の与えてくださった定めとおきてから目をそらしてしまい、神に示された正しいことではなく、間違ったこと、おぞましい行いをするようになってしまったのです。

この「罠となった」という言葉は、「落とし穴となった」という意味です。第三版にはそのように訳されてあります。気づかないうちにいつのまにか深く掘られ、普通に歩いているつもりで一歩を踏み出した先に待ち受けていて、人を飲み込むことです。私たちは神さまに守られています。信仰によって歩めば、勝利を得させていただくことができますが、油断してはなりません。喜びに気持ちが高ぶる時こそ、静かに祈ることが大切です。日々、神さまが示してくださるみことばに淡々と従い、自分や自分の過去、役割に執着しないで、いつも新しい道を示してくださる神に従うことなのです。

 

それだけではありません。29節から35節までをご覧ください。

「ヨアシュの子エルバアルは帰り、自分の家に住んだ。ギデオンには彼の腰から生まれ出た息子が七十人いた。彼には大勢の妻がいたからである。

シェケムにいた側女もまた、彼に一人の男の子を産んだ。そこでギデオンはアビメレクという名をつけた。

ヨアシュの子ギデオンは幸せな晩年を過ごして死に、アビエゼル人のオフラにある父ヨアシュの墓に葬られた。

ギデオンが死ぬと、イスラエルの子らはすぐに元に戻り、もろもろのバアルを慕って淫行を行い、バアル・ベリテを自分たちの神とした。

イスラエルの子らは、周囲のすべての敵の手から救い出してくださった彼らの神、【主】を、心に留めなかった。彼らは、エルバアル、すなわちギデオンがイスラエルのために尽くしたあらゆる善意にふさわしい誠意を、彼の家族に対して尽くさなかった。」

 

ギデオンの支配した40年間、イスラエルは平和でしたが、彼の死後、悲劇は起こりました。彼には大勢の妻がいたため、息子が70人もいました。そのうちの一人が、国を我がものにしたいという欲望にかられ、残りの兄弟を皆殺しにしたのです。名前はアビメレクです。そればかりか、ギデオンが死ぬと、イスラエルの子らはすぐに元に戻り、あっと言う間にバアルを慕って淫行を行い、バアル・ベリテを自分の神とし、主を、心に留めることはありませんでした。

 

何ということでしょうか。主が、周囲のすべての敵の手からイスラエルを救い出してくださったというのに、また元の状態に戻ってしまったのです。いったいどうしてでしょうか?どんなに信仰の勝利を体験したとしても、そのような体験はすぐにどこかへ吹っ飛んで行ってしまうからです。大切なのは、神のみことばに従い、神の御霊に満たされることです。

 

パウロは、このことを次のように言っています。「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。」(ガラテヤ5:24-25)

パウロはここで、キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたといっています。十字架につけたというのは、もう死んでいるということです。死んでするのですから何もすることができません。そのとき、自分ではなく神の御霊に支配されて生きることができます。それが御霊によって生きるということです。そうするなら、一時的な平穏ではなく、永続する平和を見ることができるでしょう。神は私たちにそのように歩むことを願っておられるのです。

士師記7章

士師記7章を学びます。まず1節から8節までをご覧ください。

 

Ⅰ.三百人の主の勇士(1-8)

 

「エルバアルすなわちギデオンと、彼とともにいた兵はみな、朝早くハロデの泉のそばに陣を敷いた。ミディアン人の陣営は、その北、モレの丘に沿った平地にあった。

主はギデオンに言われた。「あなたと一緒にいる兵は多すぎるので、わたしはミディアン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないからだ。今、兵たちの耳に呼びかけよ。『だれでも恐れおののく者は帰り、ギルアデ山から離れよ』と。」すると、兵のうちの二万二千人が帰って行き、一万人が残った。

主はギデオンに言われた。「兵はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下って行け。わたしはそこで、あなたのために彼らをより分けよう。わたしがあなたに、『この者はあなたと一緒に行くべきである』と言うなら、その者はあなたと一緒に行かなければならない。またわたしがあなたに、『この者はあなたと一緒に行くべきではない』と言うなら、だれも行ってはならない。」

そこでギデオンは兵を連れて、水辺に下って行った。主はギデオンに言われた。「犬がなめるように、舌で水をなめる者は残らず別にせよ。また、飲むために膝をつく者もすべてそうせよ。」すると、手で口に水を運んですすった者の数が三百人であった。残りの兵はみな、膝をついて水を飲んだ。

主はギデオンに言われた。「手で水をすすった三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミディアン人をあなたの手に渡す。残りの兵はみな、それぞれ自分のところに帰らせよ。」そこで三百人の者は、兵の食糧と角笛を手に取った。

こうして、ギデオンはイスラエル人をみな、それぞれ自分の天幕に送り返し、三百人の者だけを引きとどめた。ミディアン人の陣営は、彼から見て下の方の平地にあった。」

 

神の召命に対してしるしを求めたギデオンでしたが、主の霊に満たされ、神のみこころを慎重に求めて、ミディアンとの戦いに立ちあがりました。きょうの箇所には、そんなギデオンがどのように敵と戦ったのかが記録されてあります。

 

ギデオンは、ミディアン人と戦うために、ハロデの泉のそばに陣を敷きました。一方ミディアン人は、その北、モレの山沿いの平野に陣を構えました。それはちょうどイスラエルが、敵の連合軍を上から見下ろす布陣です。

 

その時、主はギデオンに言われました。「あなたと一緒にいる兵は多すぎるので、わたしはミディアン人を彼らの手に渡さない。」どういうことですか、イスラエルの民は多すぎるというのは?この時ギデオンの兵力は三万二千人です。一方、ミディアン人の連合軍の兵力は十三万五千人です。どうして十三万五千人であったということがわかるのかというと、8章10節にそのように記されてあるからです。十三万五千人に対して三万二千人でもわずかなのに、主はさらなる兵力の削減を求めたのです。なぜでしょうか?ここにその理由が記されてあります。それは、「イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないからだ。」人は、愚かにも、ちょっとでも成功したり、勝利したりすると、あたかもそれを自分の手で成し遂げたかのような錯覚を持ちがちです。そのように思って主に対して誇ることがあるとしたら、それは本末転倒です。これは主の戦いであり、主が勝利を与えてくれるのだから、主に栄光を帰さなければなりません。

 

それで主はどうされたかというと、3節です。兵士たちに呼びかけ、「だれでも恐れおののく者は帰り、ギルアデの山から離れよ。」と言われました。その最初のテストは「恐れおののく者」であるかどうかでした。「恐れおののく者」は帰らなければなりませんでした。なぜなら、戦いにおいて恐れおののく者は戦力にならないからです。すると、二万二千人が帰って行き、一万人が残りました。

 

すると主は続いてギデオンに言われました。「まだ多すぎる。」えっ、たったの一万人しかいないんですよ。それなのに、まだ多すぎるとはどういうことですか。これ以上少なくなったら戦いになりませんと、私たちなら思うでしょう。しかし、主のお考えはそうではありませんでした。主にとっては兵力がどれだけいるかなんて関係ないのです。主にとって大切なことは、主を恐れ、主に従う信仰の勇士がどれだけいるかということです。なぜなら、主はその兵士を用いて圧倒的な勝利をもたらしてくださるからです。

そこで、主が用いられた次のテストは、彼らを水辺に連れて行き、彼らをより分けるということでした。すなわち、ハロデの泉で水を飲む際に、「犬がなめるように、舌で水をなめる者、ひざをついて飲む者」ではなく「手で水をなめた者」だけが残されたのです。

これはどういうことかというと、犬のように水をなめる者は水をなめることに注意が向きすぎ、敵の攻撃に対して無防備となるので、戦力になりません。また、ひざまずくという行為は、バアルに仕える偶像礼拝の習慣を暗示していると考えられたのでしょう。それに対して手ですくって水を飲む者は、敵からの不意の攻撃にも備える注意力があるということではないかと思われます。

 

すると、兵力は三百人に絞られました。それはまさに焼け石に水です。人間の目には何の役にも立たないかのように思われたでしょう。しかし、主はギデオンに、「手で水をすくった三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミディアン人をあなたの手に渡す。残りの兵はみな、それぞれ自分のところに帰らせよ。」と言われました。

そこで、ギデオンはイスラエル人をみな、それぞれ自分の天幕に送り返し、三百人だけを引きとどめました。

三百人の兵力で十三万五千人の陣営に攻め下るというのは、無謀なことです。しかし神のみこころは、どんなことにおいても、私たちが主の命令に従うことです。全ての勝利は神から与えられるものだからです。たとえそれが人の常識を超えたことであっても、ただ神の命令に従うことが求められるのです。

 

Ⅱ.主の戦い(9-23)

 

さあ、いったいどうなったでしょうか。その戦いの様子を見ていきましょう。9節から23節までをご覧ください。

「その夜、主はギデオンに言われた。「立って、あの陣営に攻め下れ。それをあなたの手に渡したから。 もし、あなたが下って行くことを恐れるなら、あなたの従者プラと一緒に陣営に下って行き、 彼らが何を言っているかを聞け。その後、あなたの手は強くなって、陣営に攻め下ることができる。」

ギデオンと従者プラは、陣営の中の隊列の端まで下って行った。ミディアン人やアマレク人、またすべての東方の民が、いなごのように大勢、平地に伏していた。彼らのらくだは、海辺の砂のように多くて数えきれなかった。

ギデオンがそこに来ると、ちょうど一人の者が仲間に夢の話をしていた。「聞いてくれ。私は夢を見た。見ると、大麦のパンの塊が一つ、ミディアン人の陣営に転がって来て、天幕に至り、それを打ったので、それは崩れ落ちて、ひっくり返った。こうして天幕は倒れてしまった。」

すると、その仲間は答えて言った。「それはイスラエル人ヨアシュの子ギデオンの剣でなくて何であろうか。神が彼の手に、ミディアン人と全陣営を渡されたのだ。」

ギデオンはこの夢の話と解釈を聞いたとき、主を礼拝し、イスラエルの陣営に戻って言った。「立て。主はミディアン人の陣営をあなたがたの手に渡された。」

彼は三百人を三隊に分け、全員の手に角笛と空の壺を持たせ、その壺の中にたいまつを入れさせて、彼らに言った。「私を見て、あなたがたも同じようにしなければならない。見よ。私が陣営の端に着いたら、私がするように、あなたがたもしなければならない。私と、私と一緒にいるすべての者が角笛を吹いたら、あなたがたもまた、全陣営を囲んで角笛を吹き鳴らし、『主のため、ギデオンのため』と言わなければならない。」

真夜中の夜番が始まるとき、ギデオンと、彼と一緒にいた百人の者が陣営の端に着いた。ちょうどそのとき、番兵が交代したばかりであったので、彼らは角笛を吹き鳴らし、その手に持っていた壺を打ち壊した。三隊の者が角笛を吹き鳴らして、壺を打ち砕き、左手にたいまつを、右手に吹き鳴らす角笛を固く握って「主のため、ギデオンのための剣」と叫んだ。彼らはそれぞれ持ち場に立ち、陣営を取り囲んだので、陣営の者はみな走り出し、大声をあげて逃げた。

三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、主は陣営全体にわたって同士討ちが起こるようにされたので、軍勢はツェレラの方のベテ・ハ・シタや、タバテの近くのアベル・メホラの岸辺まで逃げた。」

 

主はギデオンに、「立って、あの陣営に攻め下れ。」と命じました。なぜなら、主が「それをあなたの手に渡したからです。」とは言っても、主はギデオンがそのことを恐れるということを十分承知のうえで、「もし、あなたが下って行くことを恐れるなら、あなたの従者プラと一緒に陣営に下って行き、 彼らが何を言っているかを聞け。その後、あなたの手は強くなって、陣営に攻め下ることができる。」と言われました。それは、敵陣の戦力や配置を知り、作戦を練るためではありません。ギデオンの心によぎる恐れを、解消するためでした。どのようにして解消されたでしょうか?

 

ギデオンと従者プラが、陣営の中の隊列の端まで下って行くと、そこにミディアン人やアマレク人、またすべての東方の民が、いなごのように大勢、平地に伏しているのを見ました。彼らのらくだは、海辺の砂のように多くで数えきれませんでした。そしてギデオンがそこに来ると。ちょうど一人の者が仲間に夢の話をしていました。それは、「大麦のパンの塊が一つ、ミディアン人の陣営に転がって来て、天幕に至り、それを打ったので、それは崩れ堕ちて、ひっくり返った。こうして天幕は倒れてしまった。」というものでした。大麦とは貧しい人が食べるパンですが、それは貧弱なイスラエルを指し、天幕とは遊牧民のミディアン人を指していました。ほんの小さなイスラエルの群れが、いなごのようなミディアンの大群を打ち倒すというのです。戦う前からすでに、敵はギデオンとの戦いに恐れを抱いていました。主はそのような思いを敵に植え付けておられたのです。

 

それを聞いたギデオンは、主を礼拝し、イスラエルの陣営に戻って言いました。「立て。主はミディアン人の陣営をあなたがたの手に渡された。」

圧倒的な敵の兵力の前に恐れていたギデオンでしたが、主が戦ってくださると言うこと、そして、必ず勝利を与えてくださると確信したので、彼は立ち上がることができたのです。私たちも置かれた状況を見れば恐れに苛まれますが、主が顧みてくださるということがわかるとき立ち上がることができます。

 

昨日、さくらチャーチで創世記21章から学びました。アブラハムの下から追い出されたハガルとイシュマエルは荒野で食べ物と飲み水が尽きると、彼女はイシュマエルが死ぬのを見たくないと、一本の灌木の下に彼を放り出し、自分は、弓で届くぐらい離れたところに座り、声をあげて泣きました。

そのときです。神の使いは天からハガルを呼んでこう言われました。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたのだから。立って、あの少年を起こし、あなたの腕でしっかり抱きなさい。ほたしは、あの子を大いなる国民とする。」(創世記21:17-18)

するとどうでしょう。神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけて残ました。それまでは、そこに井戸があるのに気付きませんでした。目が閉じられていたからです。

私たちも現状ばかりに気が捕らわれていると目が閉じられてしまいます。しかし、そこに主がおられるということ、そして、主が戦ってくださるということがわかるとき、主が勝利を与えてくださると確信して起き上がることができます。

 

さて、恐れが解消されたギデオンはどうしたでしょうか。16節をご覧ください。ギデオンは、三百人を三隊に分け、全員の手に角笛と空の壺を持たせ、その壺の中にたいまつを入れさせました。空の壺は、敵に近づくまでたいまつを隠し、近づいたところでその壺を一斉に割り、大きな音を立てるために用意しました。そうすれば、三百人しかいないイスラエル軍が、数多くの軍隊のようにと見せることができるからです。ギデオンは三百人に、武器を取って戦うようにと言いませんでした。そんなの必要なかったのです。必要なのは、主が戦ってくださると信じ、ただ主の命令に従うことでした。

それは18節のことばを見ればわかります。敵はギデオンを恐れていました。すでにギデオンの名前は広まっていました。でも全陣営が角笛を吹き鳴らす時に叫ばなければならなかったのは、「主のため、ギデオンのため」ということでした。なぜなら、これは主の戦いだったからです。

 

19節をご覧ください。真夜中の夜番が始まるとき、ギデオンと、彼と一緒にいた百人の者が陣営の端に着きました。ちょうどそのとき、番兵が交代したばかりだったので、彼らは角笛を吹き鳴らし、その手に持っていた壺を打ち壊して、「主のため、ギデオンのための剣」と叫んで、宿営に乱入しました。

するとどうでしょう。陣営の者はみな走り出し、大声をあげて逃げて行きました。それは三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、主は陣営全体にわたって同士討ちが起こるようにされたので、軍勢はツェレラの方のベテ・ハ・シタや、タバテの近くのアベル・メホラの岸辺まで逃げたからです。

 

神への完全な信頼と、神の御業による奇跡的な大勝利です。まさにⅠサムエル14章6節にあるように、「おそらく、主がわれわれに味方してくださるだろう。多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いになるのを妨げるものは何もない。」のです。

神が私たちの味方であるかどうかが勝負の分かれ目です。恐怖におののいた心では戦うことはできません。たとえ勝ち目がない戦いであっても、主が勝利を約束してくださったものは、必ずそのように導かれます。私たちは、主に信頼し、主の勝利に与る者となりましょう。

 

Ⅲ.エフライムへの応援の要請(23-25)

 

最後に、23節から25節を見て終わりたいと思います。

「イスラエル人は、ナフタリ、アシェル、また全マナセから呼び集められて、ミディアン人を追撃した。

ギデオンはエフライムの山地全域に使者を遣わして言った。「下りて来て、ミディアン人を迎え撃て。彼らから、ベテ・バラまでの流れと、ヨルダン川を攻め取れ。」エフライム人はみな呼び集められ、ベテ・バラまでの流れと、ヨルダン川を攻め取った。

彼らはミディアン人の二人の首長オレブとゼエブを捕らえ、オレブをオレブの岩で殺し、ゼエブをゼエブのぶどうの踏み場で殺した。こうしてエフライム人はミディアン人を追撃したが、オレブとゼエブの首は、ヨルダン川の反対側にいたギデオンのところに持って行った。」

 

ミディアンの軍勢がツェレラの方のベテ・ハ・シタや、タバテの近くのアベル・メホラの岸辺まで逃げたので、ナフタリ、アシェル、全マナセが呼び集められて、ミディアン人を追撃しました。

また、ギデオンはエフライム山地全域にも使者を遣わして、ミディアン人を追撃するために応援を要請しました。それは、エフライムがマナセの南に相続地を割り当てられていたので、彼らの土地を通ってミディアン人が逃げて行くのを阻止するためです。ヨルダン川の向こう側に行かれては困るので、そこで彼らを攻め取ろうとしたのです。

 

彼らはミディアン人の二人の首長オレブとゼエブを捕らえ、オレブをオレブの岩で殺し、ゼエブをゼエブのぶどうの踏み場で殺しました。こうしてエフライム人はミディアン人を追撃しましたが、オレブとゼエブの首は、ヨルダン川の反対側にいたギデオンのところに持って行きました。ふたりの首長オレブとゼエブを打ち倒したことは、詩篇83編11節とイザヤ書10章26節に決定的な打撃を敵に対して与えた出来事として記されています。

 

こうしたナフタリ、アシェル、また全マナセもそうですが、その中には先に帰って行った人々も含まれていたことでしょう。初めは恐れがあっても、後に勇気が与えられて、再び立ち上がる人たちもいます。今だめだからもう何もできないというのではなく、神に用いられる時に備えて待ち望むことも大切です。

しかし、ギデオンとあの三百人の勇士のように、主のために立ちあがり、霊的突破口を開いていく人たちが求められています。彼らのように、主が共におられるなら必ず勝利が与えられると信じて、主の戦いに勤しむ者でありたいと思います。

士師記6章

士師記6章を学びます。まず1節から10節までをご覧ください。

 

Ⅰ.主の声に聞き従わなかったイスラエル(1-10)

 

1 イスラエルの子らは、主の目に悪であることを行った。そこで、主は七年の間、彼らをミディアン人の手に渡された。

2 ミディアン人の勢力がイスラエルに対して強くなったので、イスラエル人はミディアン人を避けて、山々にある洞窟や洞穴や要害を自分たちのものとした。

3 イスラエルが種を蒔くと、いつもミディアン人、アマレク人、そして東方の人々が上って来て、彼らを襲った。

4 彼らはイスラエル人に向かって陣を敷き、その地の産物をガザに至るまで荒らして、いのちをつなぐ糧も、羊も牛もろばもイスラエルに残さなかった。

5 実に、彼らは自分たちの家畜と天幕を持って上り、いなごの大群のように押しかけて来た。彼らとそのらくだは数えきれないほどであった。彼らは国を荒らそうと入って来たのであった。

6 こうして、イスラエルはミディアン人の前で非常に弱くなった。すると、イスラエルの子らは主に叫び求めた。

7 イスラエルの子らがミディアン人のゆえに主に叫び求めたとき、

8 主は一人の預言者をイスラエルの子らに遣わされた。預言者は彼らに言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。わたしはあなたがたをエジプトから上らせ、奴隷の家から導き出し、

9 エジプト人の手と、圧迫するすべての者の手から助け出し、あなたがたの前から彼らを追い出して、その地をあなたがたに与えた。

10 わたしはあなたがたに言った。『わたしが主、あなたがたの神である。あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々を恐れてはならない』と。ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。」

 

デボラとバラクによって四十年の間、穏やかだったイスラエルでしたが、彼らは再び主の目に悪であることを行いました。せっかく主がカナン人の王ヤビンの支配から解放してくださったというのに、再び主の目に悪を行ったのです。これが人間の姿です。どんなに偉大な主の御業を見ても、その御業をすぐ忘れてしまい、すぐに自分勝手な道に歩もうとするのです。

 

そこで、主は七年間、彼らをミディアン人の手に渡されました。ミディアン人の勢力があまりにも強かったので、イスラエル人はミディアン人を避けて、山々にある洞窟やほら穴や要害に住むことを余儀なくされました。

イスラエル人がどんなに種を蒔いても、いつもミディアン人やアマレク人がやって来て、彼らを襲ったので、イスラエルにはいのちをつなぐ糧も、羊も牛もろばも残りませんでした。5節にあるように、彼らはすなごの大群のように押しかけて来たので、そんな彼らの前にイスラエルは何の成す術もありませんでした。

 

こうしてイスラエル人はミディアン人の前に非常に弱くなったのです。その結果、イスラエルはどうしたでしょうか?6節をご覧ください。「すると、イスラエルの子らは主に叫び求めた。」だったら初めから主の目に正しいことを行っていれば良かったのに、その主の目の前に悪を行ったので、このような結果となってしまったのです。しかし、それでも彼らは主に叫び求めた時、主は彼らに答えてくださいました。8節から10節をご覧ください。

「8イスラエルの神、主はこう言われる。わたしはあなたがたをエジプトから上らせ、奴隷の家から導き出し、9 エジプト人の手と、圧迫するすべての者の手から助け出し、あなたがたの前から彼らを追い出して、その地をあなたがたに与えた。10 わたしはあなたがたに言った。『わたしが主、あなたがたの神である。あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々を恐れてはならない』と。ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。」

 

どういうことでしょうか?彼らは今、ミディアン人によって圧迫されているので主に叫んでいるのに、主の使いは、かつてイスラエルがエジプトの奴隷の家から解放されたことと、その後約束の地を彼らに与えてくださったことを思い起こさせています。それは、彼らがこのようにミディアン人によって圧迫されている原因がどこにあるのかを告げるのです。

それは、「あなたがたが住んでいる地のアモン人の神々を恐れてはならない」と言われた主の声に、彼らが従わなかったことです。つまり、主との契約を破り、自分勝手に歩んだことが原因だと言っているのです。「わたしは主、あなたがたの神である。」主がついているならどんな敵も恐れることはありません。主は全能の神であって、どんな敵も討ち破られるからです。それなのに彼らは目の前のアモリ人を恐れ、主を忘れてしまいました。それが問題だったのです。彼らはまずこのことをしっかり受け止めなければならなかったのです。

 

それは私たちにも言えることです。私たちも何か問題が起こったり、置かれている状況が悪くなったりすると、その問題の原因をどこか別のところに持っていこうとしますが、その原因は他でもない自分自身にあることが多いのです。自分が神様に背いているために起こっているのに、そのことになかなか気づきません。イスラエルは主の御声に聞き従っていませんでした。それが問題だったのです。

 

Ⅱ.ギデオンの召命(11-16)

 

それで主はどうされたでしょうか。そこで主はイスラエルに五人目の勇士を送ります。それがギデオンです。11節から18節までをご覧ください。ここには、主がギデオンを士師として召されたときの様子が描かれています。

「11 さて主の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下に座った。このとき、ヨアシュの子ギデオンは、ぶどうの踏み場で小麦を打っていた。ミディアン人から隠れるためであった。

12主の使いが彼に現れて言った。「力ある勇士よ、主があなたとともにおられる。」

13 ギデオンは御使いに言った。「ああ、主よ。もし主が私たちとともにおられるなら、なぜこれらすべてのことが、私たちに起こったのですか。『主は私たちをエジプトから上らせたではないか』と言って、先祖が伝えたあの驚くべきみわざはみな、どこにあるのですか。今、主は私たちを捨てて、ミディアン人の手に渡されたのです。」

14 すると、主は彼の方を向いて言われた。「行け、あなたのその力で。あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。わたしがあなたを遣わすのではないか。」

15 ギデオンは言った。「ああ、主よ。どうすれば私はイスラエルを救えるでしょうか。ご存じのように、私の氏族はマナセの中で最も弱く、そして私は父の家で一番若いのです。」

16主はギデオンに言われた。「わたしはあなたとともにいる。あなたは一人を討つようにミディアン人を討つ。」

 

11節にある「ぶどうの踏み場」とは、酒ぶねのことです。ぶどうの実を足で踏みつぶして、ぶどうの汁を出しました。ギデオンはそこで小麦の脱穀を行なっていました。ミディアン人に見つかるとみな荒らされてしまうので、彼らに見つからないようにこっそりと、静かに小麦を脱穀していたのです。彼もまた他のイスラエル人同様、ミディアン人を恐れていました。ギデオンという名前を聞くと、学校やホテルなどで聖書を配布している「ギデオン協会」のことを思い浮かべることもあって、勇士だったのではないかというイメージがありますが、実は、彼は臆病で、敵に対してびくびくしているような小さな存在でした。

 

そんな彼を主はご自身の働きへと召されました。12節をご覧ください。主の使いが彼のところに現れて、「力ある勇士よ、主があなたとともにおられる。」と告げました。ギデオンは、これはいったい何のことかと思ったでしょうね。全く考えられないことです。敵を恐れて隠れているような者ですよ。そんな臆病な者が大それたことができるわけがありません。

 

それでギデオンは御使いに言いました。13節です。「ああ、主よ。もし主が私たちとともにおられるなら、なぜこれらすべてのことが、私たちに起こったのですか。『主は私たちをエジプトから上らせたではないか』と言って、先祖が伝えたあの驚くべきみわざはみな、どこにあるのですか。今、主は私たちを捨てて、ミディアン人の手に渡されたのです。」

これはどういうことかというと、主がともにおられるのであれば、なぜこのようなことが起こるのですか。確かに過去においてエジプトで主が行なってくださった偉大な御業のことは聞いています。ではなぜそのような御業を私たちには行なってくださらないのですか。主がともにおられるのなら、こんなはずがありません。これは主がともにおられないということの確たる証拠ではありませんか。

このような疑問はだれでも抱きます。神がともにおられるのなら、どうして主はこのようなことを赦されるのか・・・。しかし、それは主がイスラエルを捨てたからではなく、イスラエルが主を捨てて自分勝手に歩んだからです。だから、主は敵の手の中に彼らを引き渡さざるを得なかったのです。

 

すると主は何と仰せになられたでしょうか。14節です。「行け、あなたのその力で。あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。わたしがあなたを遣わすのではないか。」

すると主は、ギデオンの疑問に一切答えることをせず、「行け。あなたのその力で。」と言われました。どういうことでしょうか。それは、彼の力が強かろうが弱かろうが、そんなことは全く関係ないのであって、彼に求められていたことは、主の命令に従って出て行くということでした。なぜなら、主が彼を遣わされるからです。主が遣わされるのであれば、主が最後まで責任を取ってくださいます。むしろ、「私が、私が」という人はあまり用いられません。神様の力が働きにくくなるからです。大切なのは自分にどれだけ力や能力があるかということではなく、自分を遣わしてくださる方がどのような方であるかということ、そして、その方が自分とともにいてくださるかどうかということなのです。

 

私は18歳で信仰に導かれ、信仰に導かれるとすぐにテモテへの手紙第二4章2節のみことばが示されました。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」(Ⅱテモテ4:2)

しかし、どのようにみことばを宣べ伝えていったらいいのかわからず、与えられた奉仕を手あたり次第しました。やがて青年のスモールグループをリードするようになって、もしかすると神様は牧師に召しているのではないかと思うようになりました。でも私の夢は社会でバリバリ働いてお金持ちになり、豊かな生活をすることでしたので、そういうことではないと思いましたし、小さい頃から勉強があまり好きではなかったので、そちらの方に進むことに抵抗がありました。というか、あまり自信がなかったのでしょうね。

家内と結婚する時に言いました。「私は、牧師にならないかもしれないけれども、それでもいいんですか。」。すると家内が何を思ったのか、「私はモーセであなたはアロンです。」と言いました。要するに、口べたな私のために話してください、ということでした。それもありかなということで教会を始めたわけですが、救われてバプテスマを受ける人たちが出てくるとそこから逃げられなくなってしまいました。それまでは、いつでも逃げられると思ってやっていたのに、もう逃げられないと思ったとき、主にすべてをゆだねようと、決心しました。それから神学校での学びをしながら牧会するようになりました。

要するに、私がどのような者であるかとか、どれだけ牧師にふさわしい者であるのかということではなく、だれが私を遣わされるのかということです。主が遣わしてくださるなら、主が最後まで責任を持ってくださいます。たとえ私がどんなに小さな者であっても、主が御業を成してくださるのです。私たちはただ主の召しに従えばいいのです。

「行け、あなたのその力で。あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。わたしがあなたを遣わすのではないか。」

私たちもギデオンのように臆病で、弱い者かもしれませんが、主が私たちを遣わしておられるのです。そう信じて、その力で出て行かなければなりません。

 

それに対してギデオンはどのように応答したでしょうか?15節をご覧ください。

「ギデオンは言った。「ああ、主よ。どうすれば私はイスラエルを救えるでしょうか。ご存じのように、私の氏族はマナセの中で最も弱く、そして私は父の家で一番若いのです。」

自分にはできないという言い訳です。モーセもそうでした。モーセは、イスラエルの子らをエジプトから救い出せ、との命令を神から受けたとき、「私は、いったい何者なのでしょう。ファラオのもとに生き、イスラエルの子らをエジプトから導き出さなければならないとは。」(出エジプト3:11)と言いました。とても無理です。だれか別の人を遣わしてくださいというモーセに対して、「あなたの手に持っているものは何か。」と言って、その杖を地に投げるように命じられました。するとそれは蛇になりました。

続いて主は、「手を伸ばして、その尾をつかめ。」と命じると、それは手の中で杖になりました。それは、彼らの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が彼に現れたことを、彼らが信じるためでした。

するとモーセは何と言ったでしょう。「ああ、わが主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が思いのです。」(出4:10)と言いました。言い訳です。最初からそんなに流暢に語れる人なんていません。また、語れるからといって、必ずしも神のことばを語れるとは限りません。問題は、だれが語るのかということです。語るのはモーセではなく神です。そのことを示すために主はモーセにこう言いました。

「人に口をつけたのはだれか。だれが口をきけなくし、耳をふさぎ、目を開け、また閉ざすのか。それは、わたし、主ではないか。」(4:11)

それでもぐずくずしているモーセに対して主は、彼の兄アロンを備えてくださいました。アロンは雄弁なので、彼に語り、彼の口にことばを置け、というのです。そこまでして神はモーセを励まし、ご自身の働きに遣わしてくださいました。

ギデオンも同じです。彼は、自分がマナセの中で最も弱く、彼の父の家で一番若いということを理由に、とても自分にはイスラエルを救うことなんてできないと言ったのです。

 

すると主は何と言われたでしょうか。16節をご覧ください。「主はギデオンに言われた。「わたしはあなたとともにいる。あなたは一人を討つようにミディアン人を討つ。」

主は彼とともにいるので、彼はあたかも一人の人を倒すようにミディアン人を打つ、というのです。主がともにおられるなら、一人を打つように敵を打つことができます。大切なのは、あなたがどのような者であるかということはではなく、あなたはだれとともにいるのかということです。主がともにおられるなら、あなたは敵を打つことができます。あなたがどれほど小さいく、弱い者であっても、あなたは敵に勝利することができるのです。

 

Ⅲ.しるしを求めたギデオン(17-40)

 

それに対してギデオンはどのように応答したでしょうか。彼はそれでも安心できず、自分と話しておられる方が主であるというしるしを求めます。17節から24節までをご覧ください。

「17 すると、ギデオンは言った。「もし私がみこころにかなうのでしたら、私と話しておられるのがあなたであるというしるしを、私に見せてください。

18 どうか、私が戻って来るまでここを離れないでください。贈り物を持って来て、御前に供えますので。」主は、「あなたが戻って来るまで、ここにいよう」と言われた。

19 ギデオンは行って、子やぎ一匹を調理し、粉一エパで種なしパンを作った。そして、その肉をかごに入れ、また肉汁を壺に入れ、樫の木の下にいる方のところに持って来て差し出した。

20 神の使いは彼に言った。「肉と種なしパンを取って、この岩の上に置き、その肉汁を注げ。」そこで、ギデオンはそのようにした。

21 主の使いは、手にしていた杖の先を伸ばして、肉と種なしパンに触れた。すると、火が岩から燃え上がって、肉と種なしパンを焼き尽くしてしまった。主の使いは去って見えなくなった。

22 ギデオンには、この方が主の使いであったことが分かった。ギデオンは言った。「ああ、神、主よ。私は顔と顔を合わせて主の使いを見てしまいました。」

23 主は彼に言われた。「安心せよ。恐れるな。あなたは死なない。」

24 ギデオンはそこに主のために祭壇を築いて、これをアドナイ・シャロムと名づけた。これは今日まで、アビエゼル人のオフラに残っている。」

 

ギデオンは、自分と話しておられる方が主であることを確認するために、また、主が彼とともにおられるということを確信するためにしるしを求めました。すると主の使いは、子やぎ一匹を調理し、粉一エパで種なしパンを作り、また肉汁を壺に入れ、樫の木の下にいる方のところに持って来るように命じました。そして、その肉と種なしパンを取って、岩の上に置き、その肉汁を注ぐようにと言ったので、そのとおりにすると、主の使いが手にしていた杖の先を伸ばして、肉とパンに触れました。すると、火が岩から燃え上がって、肉と種なしパンを焼き尽くしたので、この方が主の使いであることがわかりました。

 

彼はそのことがわかったとき、こう言いました。「ああ、神、主よ。私は顔と顔を合わせて主の使いを見てしまいました。」

ギデオンは、主を見たことを恐れました。なぜなら、主を見る者は殺されなければならなかったからです。(出19:21,33:20)けれども、主は「安心しなさい」と言われました。それでギデオンは、そこに主のための祭壇を築き、「アドナイ・シャロム」と名付けました。意味は「主は平安」です。主は、ギデオンが平安を求めたとき、平安を与えてくださいました。主は平安を与えてくださる方なのです。

 

するとその夜、主はギデオンに言われました。25節、26節です。「25 その夜主はギデオンに言われた。「あなたの父の若い雄牛で、七歳の第二の雄牛を取り、あなたの父が持っているバアルの祭壇を壊し、そのそばにあるアシェラ像を切り倒せ。

26 あなたの神、主のために、その砦の頂に石を積んで祭壇を築け。あの第二の雄牛を取り、切り倒したアシェラ像の木で全焼のささげ物を献げよ。」

どういうことでしょうか? イスラエル人たちは、主とともにバアルやアシェラ像を拝んでいました。あるときは主を礼拝し、そしてまたある時はバアルを拝んでいたのです。その祭壇を壊しなさい、というのです。そして、あの第二の雄牛を取り、その壊した偶像の木で全焼のいけにえとして献げるように、と言われたのです。それは主なる神がバアルやアシェラといった偶像とは違ってはるかに力ある方であることを示すためでした。

 

ギデオンはどうしたでしょうか?27節をご覧ください。ギデオンは自分のしもべの中から十人を引き連れて、主が言われたとおりにしました。しかし、彼は父の家の者や、町の人々を恐れたので、昼間はそれをしないで、夜に行いました。どんなに主がともにおられるということがわかっていても、そんなことをしたら殺されるのではないかと思うと、恐れが生じたのでしょう。しかし主は、そんな弱いギデオンさえも用いてくださいました。

 

それがどれほどの怒りであったかは28節から30節までをご覧ください。町の人々は、「だれがこのようなことをしたのか」と調べて回り、それがギデオンであるということがわかったとき、父親のヨアシュにこう言いました。「おまえの息子を引っ張り出して殺せ。あれはバアルの祭壇を打ちこわし、そばにあったアシェラ像も切り倒したのだ。」

 

すると、ギデオンの父ヨアシュは自分に向かって来たすべての者に言いました。「あなたがたは、バアルのために争おうというのか。あなたがたは、それを救おうとするのか。バアルのために争う者は、朝までに殺される。もしバアルが神であるなら、自分の祭壇が打ち壊されたのだから、自分で争えばよいのだ。」

これはどういうことかというと、なぜあなたがたはバアルのために争おうとするのか、バアルが神であるなら、どうして我々がバアルを救ってあげなければならないのか、おかしいではないか、そんなの神ではない。もしバアルが神であるなら、自分の祭壇が壊されたんだから、自分で争えばいいのであって、そのために我々が争うというのはおかしい、ということです。

 

よく考えてみるとおかしな話です。神は我々を助ける存在なのに、我々に助けてもらわなければならないというのは変です。でも、このような変なことを比較的多くの人々が何の矛盾も感じることなく信じています。偶像の神々は、我々が守らなければ壊されてしまうような、はかないものなのであって、そのようなものが神であるはずがありません。神はわれわれが守ってあげなければならないような方はなく、我々をはじめ、この世界のすべてを創造され、我々をいつも守ってくださる方なのです。

 

こうして、その日、ギデオンの父ヨアシュは、「バアルは自分で彼と争えばよい。なぜなら彼はバアルの祭壇を打ち壊したのだから」と言って、ギデオンをエルバアルと呼びました。

 

33節から35節をご覧ください。一方、ミディアン人やアマレク人、また東方の人々が連合してヨルダン川を渡り、イズレエルの平野に陣を敷いたとき、主の霊がギデオンをおおったので、彼が角笛を吹き鳴らすと、アビエゼル人が集まって来て、彼に従いました。またギデオンはマナセの全域にも使者を遣わしたので、彼らもまた、ギデオンに従いました。その他、アシェル、ゼブルン、ナフタリも上って来て合流しました。

 

なぜこんなに大勢の人々が集まることができたのでしようか。それはギデオンに力があったからではありません。34節にはこうあります。「主の霊がギデオンをおおったので」。主の霊がギデオンをおおったので、多くの人々が、彼に従ったのです。つまり、主の霊によってギデオンが戦うと決断したので、多くの人々がつき従ったのです。私たちも時としてなかなか決断できない時がありますが、そうした決断さえも主が与えてくれるものです。ギデオンのように主がともにおられるなら、主の霊が彼をおおったように私たちをもおおい、そうした決断も与えてくれるのです。

 

36節から40節までをご覧ください。

「35 ギデオンはマナセの全域に使者を遣わしたので、彼らもまた、呼び集められて彼に従った。また彼は、アシェル、ゼブルン、そしてナフタリに使者を遣わし、彼らも上って来て合流した。

36 ギデオンは神に言った。「もしあなたが言われたとおり、私の手によってイスラエルを救おうとされるのなら、

37 ご覧ください。私は刈り取った一匹分の羊の毛を打ち場に置きます。もしその羊の毛だけに露が降りていて、土全体が乾いていたら、あなたが言われたとおり、私の手によって、あなたがイスラエルをお救いになると私に分かります。」

38 すると、そのようになった。ギデオンが翌日朝早く、羊の毛を押しつけて、その羊の毛から露を絞り出すと、鉢は水でいっぱいになった。

39 ギデオンは神に言った。「私に向かって御怒りを燃やさないでください。私にもう一度だけ言わせてください。どうか、この羊の毛でもう一度だけ試みさせてください。今度はこの羊の毛だけが乾いていて、土全体には露が降りるようにしてください。」

40 神はその夜、そのようにされた。羊の毛だけが乾いていて、土全体には露が降りていたのであった。」

 

ここにきてギデオンは、主にもう一つのしるしを求めました。それは、本当に主が言われたとおり、主は自分の手によってイスラエルを救おうとしておられるのかを知るためでした。そこで彼は、羊一頭分の毛を打ち場に置き、もしその羊の毛だけに露が降りていて、土全体が乾いていたら、主が言われたとおり、自分の手によってイスラエルをお救いになるということです。

すると、そのようになりました。それはちょっとの露ではありませんでした。鉢がいっぱいになるほどの水でした。

 

するとギデオンは、再び主に言いました。その羊の毛でもう一度だけ試させてください、と。今度はこの羊の毛だけが乾いていて、土全体に露が降りるようにしてくださいと言ったのです。いったいなぜギデオンは何度もしるしを求めたのでしょうか。

これはギデオンが不信仰だったからではありません。34節には、彼は主の霊におおわれていたとあります。主が彼とともにおられることはわかっていました。しかし、その戦いが本当に主から出たものなのかどうかを確かめたかったのです。私たちも主の働きを行なうとき、はたしてこれは自分の思いから出たことなのか、それとも神のみこころなのかがわからなくなることがあります。そのようなときに、それが神のみこころであると確信することは大切です。ギデオンが主のみこころを求めて祈ったように、私たちも主のみこころを求めて慎重に祈り求めていくことが認められているのです。

 

主イエスは言われました。「7 求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。8 だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」(マタイ7:7-8)

これは私たちにも求められていることです。私たちは、主のみこころを求めてもっと祈るべきです。求めるなら与えられます。ギデオンは主に確信を祈り求めた結果、その確信を得ることができました。だからこそ彼は、大胆に出て行くことができたのです。私たちも主のみこころを求めて求めましょう。探しましょう。たたきましょう。そうすれば、主は与えてくださいます。それによってもっと大胆に主の御業を行うことができるのです。