民数記13章

民数記13

 

きょうは民数記13章から学びます。これはイスラエルの歴史の中で最も悲しい出来事の一つが記されてあるところです。それは彼らが約束の地に入ることができなくなった原因となった出来事です。このことによってイスラエルの民は、40年間も荒野をさまよわなければなりませんでした。それは彼らの不信仰が原因でした。いったいなぜ彼らは不信仰に陥ってしまったのでしょうか。きょうはそのことについて確認していきたいと思います。

 

Ⅰ.カナンの地の偵察(1-24)

 

まず1節から24節までを見ていきましょう。まず1節から16節までをお読みします。「主は

モーセに告げられた。 「人々を遣わして、わたしがイスラエルの子らに与えようとしているカナンの地を偵察させよ。父祖の部族ごとに一人ずつ、族長を遣わさなければならない。」モーセは、主の命により、パランの荒野から彼らを遣わした。彼らはみな、イスラエルの子らのかしらであった。 彼らの名は次のとおりである。ルベン部族からはザクルの子シャムア。シメオン部族からはホリの子シャファテ。ユダ部族からはエフンネの子カレブ。イッサカル部族からはヨセフの子イグアル。 エフライム部族からはヌンの子ホセア。ベニヤミン部族からはラフの子パルティ。ゼブルン部族からはソディの子ガディエル。ヨセフ部族、すなわちマナセ部族からはスシの子ガディ。ダン部族からはゲマリの子アンミエル。アシェル部族からはミカエルの子セトル。」

 

主はモーセに、人々を遣わして、主がイスラエル人に与えようとしているカナンの地を偵察するように命じられました。主はなぜこのようなことを命じられたのでしょうか。ここで申命記119節から23節までを開いてください。「私たちの神、主が私たちに命じられたとおりに私たちはホレブを旅立ち、あなたがたが見た、あの大きな恐ろしい荒野、すなわちアモリ人の山地への道を進み、カデシュ・バルネアまで来た。そのとき、私はあなたがたに言った。「あなたがたは、私たちの神、主が私たちに与えようとされるアモリ人の山地に来た。見よ、あなたの神、主はこの地をあなたの手に渡してくださった。上れ。占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたとおりに。恐れてはならない。おののいてはならない。」すると、あなたがたはみな私のもとに近寄って来て言った。「私たちより先に人を遣わし、私たちのためにその地を探らせよう。そして、私たちが上って行く道や入って行く町々について、報告を持ち帰らせよう。」私にはこのことが良いことと思われたので、私はあなたがたの中から部族ごとに一人ずつ、十二人を選んだ。」

 

このところを見ると、これは主がそのように命じたというよりも、それはイスラエルの民が申し出たことであることがわかります。彼らがパランの荒野にあるカデシュ・バルネアまで来たとき、主はモーセを通して「上れ。占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたとおりに。恐れてはならない。おののいてはならない。」と言ったとき、彼らはその前に人を遣わして、その地を探らせてくださいと言ったのです。なぜ彼らはそのように言ったのでしょうか。不安だったからです。自分たちに占領できるだろうか、自分たちの力で大丈夫だろうかという思いがありました。いわばそれは彼らの不信仰から出たことだったのです。しかし、それはモーセにとっても良いことだと思われました。なぜなら、それによってその地をいかに占領すべきかを考え、準備することができると思ったからです。ですから、イスラエルの民とモーセとの間には思惑のギャップがあったのです。

 

彼らが遣わしたのは、イスラエル人のかしらたちでした。民数記1章にも、軍務につくことができる者たちが軍団ごとに数えられ、そのかしらたちが登録されていますが、ここに記録されているかしらたちとは異なる人たちです。それはおそらくスパイ活動というかなり危険で体力が伴う特殊な任務であったため、比較的若い人が遣わされたからではないかと思われます。3節から15節までに、その名前が記録されていますが、この中で特に重要なのが、8節に出てくるヌンの子ホセアです。16節には、モーセはこのヌンの子ホセアをヨシュアと名づけたとあります。ヨシュアは、モーセによって名付けられた名前です。その前は「ホセア」という名前でした。「ホセア」の意味は「救い」です。そしてヨシュアは「ヤハウェは救い」あるいは「主は救い」となります。このギリシヤ語名が、「イエス」なのです。つまり、ヨシュアは単に人々を救い出す人物ではなく、全人類を罪から救い出すイエス・キリストを、あらかじめ指し示していたのです。

 

Ⅱ.エシュコルの谷(17-24

 

次に17節から20節までをご覧ください。「モーセは、カナンの地の偵察のために彼らを遣わして言った。「向こうに上って行ってネゲブに入り、山地に行き、その地がどんなであるか、調べてきなさい。そこに住んでいる民が強いか弱いか、少ないか多いか、また彼らが住んでいる土地はどうか、それが良いか悪いか、彼らが住んでいる町々はどうか、それらは宿営か、それとも城壁の町か、土地はどうか、それは肥えているか痩せているか、そこには木があるかないか。勇気を出して、その地の果物を取って来なさい。」その季節は初ぶどうの熟すころであった。」

 

モーセは、綿密にその土地と住民を調べてくるように指示しました。その地はどのような地形になっているか、そこに住んでいる民は強いか弱いか、あるいは多いか少ないか。その地質はどうか。また彼らが住んでいる町々は宿営の町なのか、それとも、外敵から守るための城壁があるのか、ないのか。また、土壌はどうなっているか。作物を得るのに、適しているのかいないのか。肥えているか、やせているのか、そして、みなを元気づけるために、そこのくだものを取ってきなさい、と言いました。かなり綿密に調べるように命じたことがわかります。状況を正しく把握することで良い戦略を立て、イスラエルの民を奮い立たせようとしたのです。


 そこで彼らは上って行って、その地を偵察しました。21節から24節です。「それで、彼らは上って行き、ツィンの荒野からレボ・ハマテのレホブまで、その地を偵察した。彼らは上って行ってネゲブに入り、ヘブロンまで行った。そこにはアナクの子孫であるアヒマンと、シェシャイと、タルマイがいた。ヘブロンはエジプトのツォアンより七年前に建てられていた。彼らはエシュコルの谷まで来て、そこでぶどうが一房ついた枝を切り取り、二人で棒で担いだ。また、ざくろやいちじくの木からも切り取った。その場所は、イスラエルの子らがそこで切り取ったぶどうの房にちなんで、エシュコルの谷と呼ばれた。」

 

それで彼らは上って行き、ツィンの荒野からレボ・ハマテのレホブに至るまでの地を偵察しました。レボ・ハマテというのは、ダマスコから北に100㎞のところにある町です(巻末の地図5)。神さまが約束された土地の北端になっている町です。カナンの地の領土の広がりについては、34112節に詳しく語られていますが、それは現在のイスラエルのほぼ全領土と、レバノン、シリヤ南部までを含んでいます。かなり広い領域を偵察したことがわかります。おそらく、12人が皆一緒に行動したというよりは、それぞれが分担し、割り当てられた地域を偵察したのでしょう。

 

またここにはネゲブからヘブロンまでとあります。そこは彼らにとっては重要な歴史的スポットでした。ネゲブは神がアブラハムに現れた場所であり、ヘブロンには、アブラハム、サラ、イサク、リベカ、レア、ヤコブが葬られた墓がありました。しかしそこにはアナクの子孫が住んでいました。彼らは巨人のように体が大きく、ちょうどダビデが対峙したゴリアテのようでした。しかし、そこは乳と蜜の流れる地であり、豊かないのちをもたらす土地でした。彼らはエシュコルの谷までやって来たとき、そこでぶどう一房ついた枝を切り取り、それをふたりが棒でかつぎました。これはイスラエル政府観光局のシンボルになっています。イスラエルに観光に行くと、必ず見るマークの一つです。それはこの地が豊かないのちをもたらす土地であることを表しています。

 

Ⅲ.報告(25-33

 

さて、その地の偵察から帰って来た偵察隊は、どんな報告をもたらしたでしょうか。25節から33節を見てください。「四十日の終わりに、彼らはその地の偵察から戻った。彼らは、パランの荒野のカデシュにいるモーセとアロンおよびイスラエルの全会衆のところにやって来て、二人と全会衆に報告をし、その地の果物を見せた。彼らはモーセに語った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこには確かに乳と蜜が流れています。そして、これがそこの果物です。ただ、その地に住む民は力が強く、その町々は城壁があって非常に大きく、そのうえ、そこでアナクの子孫を見ました。アマレク人がネゲブの地方に住んでいて、ヒッタイト人、エブス人、アモリ人が山地に、カナン人が海岸とヨルダンの川岸に住んでいます。」そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」しかし、彼と一緒に上って行った者たちは言った。「あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。」彼らは偵察して来た地について、イスラエルの子らに悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って偵察した地は、そこに住む者を食い尽くす地で、そこで見た民はみな、背の高い者たちだ。私たちは、そこでネフィリムを、ネフィリムの末裔アナク人を見た。私たちの目には自分たちがバッタのように見えたし、彼らの目にもそう見えただろう。」」

 

四十日が経って、彼らはその地の偵察から帰ってきました。これが後に、イスラエルが荒地で放浪することになる期間として定められる40年の根拠となります。彼らは偵察から帰ってくると、パランの荒野のカデシュ・バルネアにいたモーセとアロン、そしてイスラエルの全会衆のところに行き、その地で取ったくだものを見せながら、自分たちが見たとおりのことを話しました。それは、その地は確かに豊かな土地ではあるけれども、その地の住民は力強く、町々には城壁が張り巡らせてあり、そこにはアナクの子孫がいたということです。そればかりか、ネゲブの地方にはアマレク人が、山地にはヘテ人、エモリ人が住んでいるというものでした。彼らが伝えたかったことはどんなことだったのでしょうか。そこにはアナク人の子孫がいて、アマレク人もいるし、ヘテ人、エモリ人もいるから上って行くのは無理だということです。31節を見てください。彼らはこう言っています。「あの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強い。」

 

確かに彼らは自分たちが見たとおりのことを報告しました。しかし、彼らの結論は間違っていました。問題はそれがどういう状況なのかを踏まえながら、それにどのように対処していくかということです。神の約束の実現のために、自分たちはどのように対処すべきなのかを祈ることだったのです。しかし、彼らはその状況を見て、それに呑まれてしまいました。

 

彼らの問題はどこにあったのでしょうか。彼らは神を見ないで敵を見てしまったことです。自分たちと敵と比べたことです。彼らは神ご自身と敵を比較したのではなく、自分たちと敵を比較したのです。このように、もし私たちが自分と敵とを比較するなら、そこには恐れ以外の何ものも生じません。その結果はゆがめられたものなってしまいます。彼らは自分たちが探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらしました。そこには非常に大きく、力強い民がいて、とてもじゃないが、勝てる相手ではない。彼らに比べたら、自分たちはいなごのように小さく、何の力もない者であるにすぎないと言ったのです。彼らは心に植え付けられた恐れによって、物事を誇大解釈してしまったのです。

 

それに対してヨシュアとカレブはどうだったでしょうか。彼らの見方は違っていました。30節には、そのような恐れにさいなまれた他のスパイのことばをさえぎってこう言いました。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しましょう。必ず勝つことができます。」

 いったいこの違いは何でしょうか。同じものを見てもその捉え方は全く違います。他のスパイたちは、そこには大きく強い民がいるから上って行くのは無理だと言ったのに対して、カレブは、「ぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。」と言ったのです。いったいこの違いは何なのか。

 

これは信仰によるのか、そうでないかの違いです。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(へブル11:1目に見えるものを信じ、それによって判断することは信仰ではありません。信仰とは望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させることです。現状がたとえ険しくても、主がそのように言われたのであれば必ずそうなると信じること、それが信仰です。神のことばに従うこと、それが信仰なのです。単に主がおられることを信じ、遠くにある約束を信じているだけではなく、実際に自分の前に立ちはだかる現実に対して、神ご自身とその約束みことばを握りしめることです。カレブはそのことを行なったのです。これは無謀とは違います。無謀とは、神が語っていないのに自分で勝手にそのように思い込んで突っ走ることです。自分で自分に、「これを信じます。信じます!」と言い聞かせるのです。しかし、信仰は違います。信仰は自分はできると自分に言い聞かせることではなく、神が仰せになられことを信じることなのです。たとえ目に見えないことでも、たとえ、人間的には難しいことであっても。

 

特に、このような能力を神から与えられた人たちがいます。それを「信仰の賜物」と言います。神が与えてくださった賜物によって、人には不可能と思えることでも信仰によって信じることができるのです。そのような賜物を神様によって与えられている人がいるのです。自然にそのように信じることができ、必ずこのことは起こると確信することができます。この賜物を受け取るには、「自分が」ではなく、「神が」という姿勢が必要です。自分ができるかどうかではなく、神がどのようなお方なのか、そして何をなしてくださっているのかに目を留めなければなりません。

 

私たちのうちには、このカレブのような人も、また10人のイスラエルのスパイのような人もいます。信仰によって、戦いの中に入っていくことができるときもあれば、恐れ退くときもあります。御霊によって、「これはきっとできる」と思って前に進むこともあれば、思いもよらなかなった攻撃や試練によって、「これ以上前に進んだら、自分がだめになってしまう」と思って、退いてしまうときがあります。しかし、私たちが、乳と蜜の流れる地に入るためには、神のことばを信じなければなりません。信じて、前進するしかないのです。たとえ現実的には難しいようでも、主がそのように言われるのなら、そのように前進しなければならないのです。

 

 

ヘブル書には、「私たちは恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」(ヘブル10::39)」とあります。恐れ退いて、悲しみ、嘆き、退く人生ではなく、神が与えてくださった豊かないのちを受けるために、信じて前進していく者でありたいと思うのです。                                            

民数記12章

民数記12章

 

 きょうは民数記12章から学びたいと思います。

 

Ⅰ.モーセに対する非難(1-3)

 

 まず1節から3節までをご覧ください。「そのとき、ミリアムとアロンは、モーセが妻としていたクシュ人の女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女を妻としていたからである。彼らは言った。「主はただモーセとだけ話されたのか。われわれとも話されたのではないか。」主はこれを聞かれた。モーセという人は、地の上のだれにもまさって柔和であった。」

 

「そのとき」とは、11章にある出来事があったときのことです。イスラエルの民は神の山シナイ山から旅立ちバランの荒野にとどまりましたが、そこで民はひどく不平を鳴らしました。そこで主は彼らに対して怒りを燃やされたので、宿営をなめ尽くされました。その場所の名は「タブエラ」でしたね(11:3)。モーセはひどく困り果てたので主に祈ると、主は二つの解決を示されました。一つは、モーセのそばに70人の長老を置いてくださるということです。彼らがモーセとともに民の重荷を負うので、モーセの重荷は軽くなれます。そしてもう一つのことは、彼らが肉を食べられるようらにするということでした。男だけで60万人もいるのにどうやってそんなことができるのでしょうか。主はモーセにこう言われました。「この主の手が短いというのか。わたしのことばが実現するかどうかは、今にわかる。」(23)そして、そのことば通りに、主は彼らに肉を与えました。どうやって?主のもとから風が吹き、海からうずらを運んで来てくださったのです。それを宿営の近くに落とされたので、民はそれを集めて食べました。しかし、彼らはまだ肉を噛み終わらないうちに、主の怒りが彼らに降ったので、多くの民が激しい疫病ら打たれて死にました。その場所の名は「キブロテ・ハ・タアワ」ですイスラエルはそこからハツェロテに進み、そこにとどまりました。「そのとき」です。モーセの姉ミリアムがアロンといっしょに、モーセがめとっていたクシュ人の女のことで彼を非難したのです。

 

このクシュ人の女が誰のことを指しているのかはっきりわかりません。モーセにはチッポラという妻がいました。彼女はミデアン人イテロの娘です。「クシュ人」とは、エチオピア人のことなので、ミデアン人であるチッポラのことではないように思えますが、もしかするとチッポラが死んだ後の二番目の妻のことなのかもしれません。いずれにせよ、イスラエル人ではない異邦人の女を妻としていたのです。そのモーセの妻のことでミリアムとアロンがモーセを非難しました。なぜでしょうか。妬みがあったからです。自分はモーセの姉なのにモーセばかり用いられて自分が全く認められていないことに不満があったのです。モーセが異邦人の女を妻としていたことで、それを利用してモーセを非難したのです。しかし、その根底にあったものはモーセに対する妬みでした。、このような妬みは地に属するものであり、肉に属し、悪霊に属するものです。ヤコブ3章14-15節には、「 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。」とあります。私たちの中にもすぐにこうした妬みが入り込んできます。他の人が祝福されるのを見たり聞いたりすると、落ち込んでしまうのもその一つです。私たちは、自分の中にこうした妬みがないかどうかを点検しなければなりません。確かにモーセにも欠陥がありました。しかし、モーセは神によって立てられた神のしもべです。主が彼をお立てになったのです。そのモーセを非難して彼の評判を傷つけるということは、神ご自身を傷つけることと同じです。ミリアムはそのことを理解していませんでした。

 

ローマ13章1節には、「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたのです。」とあります。私たちは平気で上に立てられた権威を非難したり、悪口を言ったりすることがありますが、それは神ご自身を非難することになるのです。なぜなら、上に立つ権威は、すべて神によって立てられたものだからです。勿論、私たちはキリストにあって一つであり、そこにはだれが偉いかといった上下関係はありません。みな平等です。けれども秩序があります。神によって立てられた権威を非難することは神の秩序を乱すことであり、神のみこころではないのです。むしろ上に建てられた権威を理解し、祈り、支えていくことが求められているのです。

 

ところで、モーセはミリアムとアロンから非難されても、怒ったり、反発したりしませんでした。なぜでしょうか。もしかしたら、確かに自分は足りない人間だと思ったのかもしれません。それでも彼は神によって立てられたリーダーです。「だったら自分でやってみたらいい。できないから」と言ってもおかしくなかったのに、何も言いませんでした。ここには、「モーセは、地上のだれにもまさって非常に柔和であった」とあります。第三版では「謙遜であった」となっています。彼は、地上のすべてにまさって謙遜だったのです。謙遜であるとはこういうことですね。悪口や非難されてもすぐに腹を立てたりしません。それをすべて神にゆだねるのです。モーセはそういう人でした。

Ⅱ.神のしもべモーセ(4-8)

 

次に4節から8節までをご覧ください。「主は突然、モーセとアロンとミリアムに、「あなたがた三人は会見の天幕のところへ出よ」と言われた。そこで彼ら三人は出て行った。主は雲の柱の中にあって降りて来られ、天幕の入り口に立って、アロンとミリアムを呼ばれた。二人が出て行くと、主は言われた。「聞け、わたしのことばを。もし、あなたがたの間に預言者がいるなら、主であるわたしは、幻の中でその人にわたし自身を知らせ、夢の中でその人と語る。だがわたしのしもべモーセとはそうではない。彼はわたしの全家を通じて忠実な者。彼とは、わたしは口と口で語り、明らかに語って、謎では話さない。彼は主の姿を仰ぎ見ている。なぜあなたがたは、わたしのしもべ、モーセを恐れず、非難するのか。」」

 

すると主は突然、モーセとアロンとミリアムの三人に、天幕の所に出るようにと言われました。モーセも傷ついていましたが、それ以上に傷つかれたのは主ご自身でした。ですから、主は黙っておられなかったのです。彼らが出て行くと、主は雲の柱の中にあって降りて来られ、このように仰せになられました。「聞け、わたしのことばを。もし、あなたがたの間に預言者がいるなら、主であるわたしは、幻の中でその人にわたし自身を知らせ、夢の中でその人と語る。だがわたしのしもべモーセとはそうではない。彼はわたしの全家を通じて忠実な者。彼とは、わたしは口と口で語り、明らかに語って、謎では話さない。彼は主の姿を仰ぎ見ている。なぜあなたがたは、わたしのしもべ、モーセを恐れず、非難するのか。」

 どういうことでしょうか。「幻の中で知らせる」とか「夢の中で語る」というのは、誰かの解き証しが必要であるようなあやふやな語り方で語るということです。しかし、モーセに対してはそうではありません。モーセに対しては口と口で語り、明らかに語ります。謎で話すようなことはしません。なぜなら、彼は全家を通して忠実な者だからです。どういう意味でしょうか。神の家全体のために忠実であるということです。ミリアムは、主の働きを履き違えていました。モーセが預言し不思議を行なっているのを見て「なんてすばらしいんだろう」と興奮し、自分もそのような奉仕に携わりたいと思ったかもしれませんが、モーセはそういうつもりで奉仕していたのではなく、ただ神に忠実であることに徹していただけでした。神から与えられた使命を全うするために与えられていた賜物を用いて仕えていたのです。彼は自分の分をよくわきまえて、与えられた奉仕に集中していたのです。

 

時に私たちも、そうした目ざましいわざや興奮するような事に携わりたいと思う傾向がありますが、そうではなく、自分に与えられた使命を認識し、そのために与えられた賜物を用いて、忠実に与えられた役割を果たすことが求められます。そのことが、ローマ12章3節で教えてられています。「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。」

思うべき限度を超えて思い上がってはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなければなりません。他の人を見て羨み自分もそれを持ちたいなあと思うことがあっても、主が一人一人に分け与えてくださった信仰の量りがあります。その量りに応じて、慎み深く考えなければなりません。

 

パウロはこの御霊の賜物について、Ⅰコリント12章でこのように述べています。少し長いですが、読みたいと思います。

「12:1さて、兄弟たち。御霊の賜物については、私はあなたがたに知らずにいてほしくありません。

12:2 ご存じのとおり、あなたがたが異教徒であったときには、誘われるまま、ものを言えない偶像のところに引かれて行きました。

12:3 ですから、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。

12:4 さて、賜物はいろいろありますが、与える方は同じ御霊です。

12:5 奉仕はいろいろありますが、仕える相手は同じ主です。

12:6 働きはいろいろありますが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさいます。

12:7 皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。

12:8 ある人には御霊を通して知恵のことばが、ある人には同じ御霊によって知識のことばが与えられています。

12:9 ある人には同じ御霊によって信仰、ある人には同一の御霊によって癒やしの賜物、

12:10 ある人には奇跡を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。

12:11 同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。

12:12 ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。

12:13 私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。

12:14 実際、からだはただ一つの部分からではなく、多くの部分から成っています。

12:15 たとえ足が「私は手ではないから、からだに属さない」と言ったとしても、それで、からだに属さなくなるわけではありません。

12:16 たとえ耳が「私は目ではないから、からだに属さない」と言ったとしても、それで、からだに属さなくなるわけではありません。

12:17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょうか。もし、からだ全体が耳であったら、どこでにおいを嗅ぐのでしょうか。

12:18 しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。

12:19 もし全体がただ一つの部分だとしたら、からだはどこにあるのでしょうか。

12:20 しかし実際、部分は多くあり、からだは一つなのです。

12:21 目が手に向かって「あなたはいらない」と言うことはできないし、頭が足に向かって「あなたがたはいらない」と言うこともできません。

12:22 それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。

12:23 また私たちは、からだの中で見栄えがほかより劣っていると思う部分を、見栄えをよくするものでおおいます。こうして、見苦しい部分はもっと良い格好になりますが、

12:24 格好の良い部分はその必要がありません。神は、劣ったところには、見栄えをよくするものを与えて、からだを組み合わせられました。

12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。

12:26 一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。

12:27 あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。

12:28 神は教会の中に、第一に使徒たち、第二に預言者たち、第三に教師たち、そして力あるわざ、そして癒やしの賜物、援助、管理、種々の異言を備えてくださいました。

12:29 皆が使徒でしょうか。皆が預言者でしょうか。皆が教師でしょうか。すべてが力あるわざでしょうか。

12:30 皆が癒やしの賜物を持っているでしょうか。皆が異言を語るでしょうか。皆がその解き明かしをするでしょうか。

12:31 あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。私は今、はるかにまさる道を示しましょう。}

 

ここでパウロは、皆が使徒ではなく、皆が預言者ではない。皆が教師ではなく、すべてが力あるわざではない。」と言っています。皆違います。しかし、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部゛んを備えてくださいました。そして、ここで注目したいことは、22節のことばです。それは、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならない部分であるということです。それは、からだの中で見栄えがほかより劣っていると思う部分を、見栄え欲するものでおおうことで、見苦しいと思う部分がもっと恰好の良いものとなるためです。そのようにして、からだの中に分裂がなく、各部分が互いに配慮し合うためです。この奥義は偉大ですね。この世の中では弱い部分を排除しようとしますが、神の国においてはかえって無くてはならないものとして尊ばれるのです。そのようにして、調和が保たれているのです。

 

あなたにはどのような賜物が与えられているでしょう。それは地味で、きらびやかしたものではないかもしれませんが、それがどのようなものであれ、主のしもべに求められていることは忠実であることなのです。

 

Ⅲ.主の懲らしめ(9-16)

 最後に、ミリアムの高慢に対する主のさばきを見て終わりたいと思います。9節から16節までをご覧ください。「主の怒りが彼らに向かって燃え上がり、主は去って行かれた。雲が天幕の上から離れ去ると、見よ、ミリアムは皮膚がツァラアトに冒され、雪のようになっていた。アロンがミリアムの方を振り向くと、見よ、彼女はツァラアトに冒されていた。アロンはモーセに言った。「わが主よ。どうか、私たちが愚かにも陥ってしまった罪の罰を、私たちに負わせないでください。どうか、彼女を、肉が半ば腐って母の胎から出て来る死人のようにしないでください。」モーセは主に叫んだ。「神よ、どうか彼女を癒やしてください。」しかし主はモーセに言われた。「もし彼女の父が彼女の顔に唾したら、彼女は七日間、恥をかかされることにならないか。彼女を七日間、宿営の外に締め出しておかなければならない。その後で彼女は戻ることができる。」それでミリアムは七日間、宿営の外に締め出された。民はミリアムが戻るまで旅立たなかった。それから民はハツェロテを旅立ち、パランの荒野に宿営した。」

 

主の怒りがミリアムとアロンに向かって燃え上がると、主は天幕の上から離れ去って行きました。すると、ミリアムはツァラートに冒されたようになり、雪のように白くなりました。ツァラ―トとは重い皮膚病のことです。すると、アロンがモーセに「わが主よ。どうか、私たちが愚かにも陥ってしまった罪の罰を、私たちに負わせないでください。どうか、彼女を、肉が半ば腐って母の胎から出て来る死人のようにしないでください。」と言いましたが、主は彼女を七日間宿営の外に締め出さなければならないと言われたので、そのようにしました。
 モーセは、自分を非難したミリアムのために祈りました。彼には赦す心があったのです。愛は寛容であり、愛は親切です。自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人がした悪を思わず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてをしのびます。まさにモーセは愛の人でした。愛をもって行動したのです。しかし、主は彼女を七日間、宿営外の外に締め出しておかなければならないと言われました。どういうことでしょうか。

 

「彼女の顔に唾をする」とは、彼女を辱めるということです。死刑ではないけれども、このように唾をかけられて、辱めを受けるという刑が律法にありました。それと同じように、ミリアムは神の懲らしめを受け、自分の罪を悲しみ、もう二度と同じことをしないという悔い改める期間が求められたのです。それが七日間、宿営の外に締め出されるということです。

 

それでミリアムは七日間、宿営の外に締め出されましたが、民はミリアムが連れ戻されるまで、そこにとどまり、旅立ちませんでした。それはミリアムだけでなくイスラエル全体がこのことを深く考え、主の戒めを考える時でもあったかもしれません。主の懲らしめを受けるのは、私たちにとっても必要なことです。それは、私たちに意地悪するためではなく、愛をもっておられるからです。へブル12章5~13節に次のようにあるとおりです。「そして、あなたがたに向かって子どもたちに対するように語られた、この励ましのことばを忘れています。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、すべての子が受けている訓練を受けていないとしたら、私生児であって、本当の子ではありません。さらに、私たちには肉の父がいて、私たちを訓練しましたが、私たちはその父たちを尊敬していました。それなら、なおのこと、私たちは霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。肉の父はわずかの間、自分が良いと思うことにしたがって私たちを訓練しましたが、霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えた膝をまっすぐにしなさい。また、あなたがたは自分の足のために、まっすぐな道を作りなさい。足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろ癒やされるためです。」

 

こうしてモーセたちは、ハツェロテを旅立ち、パランの荒野に宿営しました。イスラエルの民は、約束の地に向かう荒野の道中ですぐにつぶやき、激しい欲望にかられてその多くの民が滅びました。また、モーセの姉ミリアムは、主のしもべモーセを非難して主の懲らしめを受けました。これらのことはみな何に起因していたのでしょうか。それは、主のあわれみと真実から離れてしまったことです。主は私たちに良くしてくださいます。一見、いつもと同じことの繰り返しのように感じるかもしれません。物足りないと感じるかもしれませんが、主のあわれみは朝ごとに新しいのです。つぶやきはこのことを忘れたところから出てくるのです。そして非難も、主が立てておられる秩序に違反することから出てきます。秩序を乱すことや平和を壊すことに、私たちは注意していなければいけません。慎み深くして、主とともに歩むことが、天に向かって進む私たちのこの荒野での歩みにおいて求められていることなのです。

民数記11章

2021年7月14日(水)バイブルカフェ

聖書箇所:民数記11章

 

きょうは、民数記11章から学びます。まず1節から9節までをご覧ください。

 

Ⅰ.イスラエルの民の不平、つぶやき(1-9)

 

まず1節から9節までをご覧ください。「さて、民は主に対して、繰り返し激しく不平を言った。主はこれを聞いて怒りを燃やし、主の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめ尽くした。すると民はモーセに向かってわめき叫んだ。それで、モーセが主に祈ると、その火は消えた。その場所の名はタブエラと呼ばれた。主の火が、彼らに向かって燃え上がったからである。彼らのうちに混じって来ていた者たちは激しい欲望にかられ、イスラエルの子らは再び大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、玉ねぎ、にんにくも。だが今や、私たちの喉はからからだ。全く何もなく、ただ、このマナを見るだけだ。」マナはコエンドロの種のようで、一見、ベドラハのようであった。民は歩き回ってそれを集め、ひき臼でひくか臼でつき、これを鍋で煮てパン菓子を作った。その味は、油で揚げた菓子のような味であった。夜、宿営に露が降りるとき、マナもそれと一緒に降りて来た。」

 

イスラエルは神の山シナイ山のふもとから旅立ち、約束の地に向かって荒野の旅を始めました。彼らが宿営を出て進むとき、主の雲が彼らの上にあって彼らを導きました。主の雲が最初にとどまったのはパランの荒野でした(10:12)。それはシナイ山の北にある荒野ですが、彼らが主の山を出て、三日の道のりを進んだところにありました。しかし、彼らがパランの荒野に着くまでの間に大きな問題が起こりました。1節から3節までを見てください。彼らはひどく不平を言って主につぶやいたのです。それで主はこれを聞いて怒りを燃やし、宿営の端をなめ尽くしたのです。荒野の旅を始めてまだ三日だというのに、早くも不平やつぶやきが出たのです。いったいなぜつぶやいたのでしょうか。荒野は決して楽な場所ではありませんでした。不便なことがあれば、困難もありました。空腹や疲れもあったでしょう。そんな荒野での三日間の旅で、彼らは「もう嫌だ、こんな生活は・・」と言ってつぶやいたのです。

何ということでしょうか。この荒野の旅のために神さまからいろいろな準備をしていただいたにもかかわらず、わずか三日でつぶやいてしまったのです。それに対して主は怒りを燃やし、火をもって彼らを懲らしめられました。この火は神の裁きを表しています。イスラエルの宿営の中にきよさがなくなったので、神は火をもってその汚れを取り除こうされたのです。

すると民はモーセに向かってわめき叫びました。「助けてください。何とかしてください。主に祈ってください。」と。それでモーセが主に祈ると、その火は消えました。それで、その所を「タブエラ」と名付けました。「燃える」という意味です。

 

つぶやきとか不平は、クリスチャンである私たちがいつも抱えている問題でもあります。イスラエルの荒野の旅は、クリスチャンにとってはこの世での歩みと言えるでしょう。この世は、クリスチャンにとって実に住みにくいところです。すべてが自分の思いとは反対の方向へ進んでいるかのように見えます。もちろん、この世の人たちと同じような問題にも出くわします。たとえば病気であったり、交通事故であったり、仕事をしている人はその会社の経営状況が悪かったりと、さまざまな苦しみがあります。そこで私たちは、イスラエルの民のように不平を漏らしてしまうのです。神さまから、旅のためのいろいろな準備をしていただいたにもかかわらずです。いざ不快なことが起こると、すぐに不平をいってしまうのです。それは神がお怒りになられることなのです。

 

4節から7節までをご覧ください。「また彼らのうちに混じっていた者が、激しい欲望にかられ、そのうえ、イスラエルの子らは再び大声で泣いて言った。「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいかも、にら、玉ねぎ、にんにくも。だから今や、私たちの喉はからからだ。全く何もなく、ただ、このマナを見るだけだ。」

ここで彼らは激しい欲望にかられ、「ああ、肉が食べたい。魚も。きゅうりも、すいかも・・・」と、かつてエジプトにいた時のことを思い出して嘆いています。でもエジプトにいた時は本当にそんなに良かったのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。ここで彼らはエジプトでの生活があたかも楽であったように言っていますが、実際は、激しい苦役であえぎ、叫んでいました。あの激しい労働を忘れていたのです。これが、私たちが陥ってしまう過ちの一つです。この世は楽しそうに見え、過去のほうが良かったように見えるときがあります。けれども、その時はきまって、自分が通ってきたむなしさや苦しみ、悩みを忘れてしまっているときです。そこから救い出された今こそが、最もすばらしい時であるということを見ることができないのです。

 

ところで、4節には、「また彼らのうちに混じってきていた者が・・」とあります。ここで気づかされることは、このつぶやきを初めに言ったのは、「イスラエルの中に混じってきた者」でした。これはいったいどういう人たちのことでしょうか?彼らはイスラエル人ではありません。イスラエルがエジプトを出るときに、「さらに、多くの入り混じって来た外国人も、彼らとともに上った。」(出エジプト12:38)とあります。イスラエルとの契約の中に入っていない者たちが、イスラエル人たちとともに旅をしていたのです。彼らはイスラエル人と行動はともにしていましたが、異なる動機と、異なる価値観で生きていました。彼らがいたこと自体は問題ではありません。問題は、イスラエル人自身が彼らにつられてつぶやいてしまったことです。宿営の中に、神の思いではなく、人の思い、肉の思いが入ってしまったのです。それが問題でした。

 

このことは神の民の集まりである教会にも言えることです。教会は、主から与えられた約束を信じて前進する共同体です。そこに必要なのは信仰であり、主のみことばによって、主を仰ぎ見ながら前進しています。しかし、信仰の共同体であるはずの教会が、人のことばやこの世の考えに振り回されてしまうことがあります。そしてそのようなことに影響されて、いっしょになってつぶやいてしまうことがあるのです。教会は、あらゆる人々を受け入れるところでありますが、この世に影響される共同体ではありません。教会は、神の方法によって人々に影響を与えていく共同体であるということをしっかりと覚えておきたいものです。

 

さて、この「マナ」は、イスラエルがエジプトを出て荒野に導かれた時、食べ物に飢えたイスラエルがモーセとアロンにつぶやいたので、彼らが食べることができるように、天から与えられたパンです(出エジプト6:14-15)。それは、コエンドロの種のようで、その色はベドラハのようでした。「ベドラハ」とは、「ゴム」や「ポプラ」のことではないかと考えられています。当時の人はこの名前を聞いただけで色を思い出せるほど特徴的か、あるいはよく知られた樹木だったと思われます。人々は歩き回って、それを集め、ひき臼でひくか、臼でついて、これをなべで煮て、パン菓子を作っていたのですが、その味は、おいしいクリームの味のようでした。しかし、イスラエルはこのマナに食べ飽きたのです。肉が食べたい、魚が食べたい、美味しい野菜も・・・。そう言ってつぶやいたのです。これは注意しなければなりません。そんな荒野にいてもちゃんと食べることができるように神が日々与えてくださったのだから、本来であればそのことを感謝しなければならなかったのに、彼らはこの一見お決まりの食事が嫌になってしまったのです。皆さんも、毎日納豆ばかりだと、「ああ、たましにステーキたべたい!」と言うでしょ。ステーキばかりじゃなく、寿司もハンバーガーも、刺身も・・と。人間はどこまでも欲足らずです。

 

このことは、私たちも注意しなければなりません。というのは、この世における歩みは、荒野の旅のように単調でお決まりの日々の連続だからです。必ずしも、自分たちの魂を満足させるような目新しいことや刺激的なことが起こるわけではありません。でも、そうした平凡な日々の生活の中に神の恵みであることを覚え、その神を喜び、神に感謝しながら生きるのです。

Ⅰテサロニケ5章16~18節には、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」とあります。どんな時でも喜び、祈り、感謝できるのは本当に幸いなことではないでしょうか。

 

Ⅱ.モーセの嘆きと祈り(10-15)

 

次に10節から15節までをご覧ください。「モーセは、民がその家族ごとに、それぞれ自分の天幕の入り口で泣くのを聞いた。主の怒りは激しく燃え上がった。このことは、モーセにとって辛いことであった。それで、モーセは主に言った。「なぜ、あなたはしもべを苦しめられるのですか。なぜ、私はあなたのご好意を受けられないのですか。なぜ、この民全体の重荷を私に負わされるのですか。私がこのすべての民をはらんだのでしょうか。私が彼らを産んだのでしょうか。それなのになぜ、あなたは私に、『乳母が乳飲み子を抱きかかえるように、彼らをあなたの胸に抱き、わたしが彼らの父祖たちに誓った地に連れて行け』と言われるのですか。どこから私は肉を得て、この民全体に与えられるでしょうか。彼らは私に泣き叫び、『肉を与えて食べさせてくれ』と言うのです。私一人で、この民全体を負うことはできません。私には重すぎます。私をこのように扱われるのなら、お願いです、どうか私を殺してください。これ以上、私を悲惨な目にあわせないでください。」」

 

これまでイスラエルの民と行動を共にしてきた外国人が発したつぶやきは、ついにイスラエルの民全体に波及しました。モーセは、民がその家族ごとに、それぞれ自分の天幕の入り口で泣くのを聞きました。すると主の怒りは激しく燃え上がりました。このことは、モーセにとって大変つらいことでした。このこととは、イスラエルの民が天幕の入り口で泣いているのを見ることと、主の怒りが激しく燃え上がるのを見てということでしょう。このことは、モーセにとってとても辛いことでした。第三版では「腹立たしく思った」と訳しています。モーセもどうしたらいいのかわからなかったのでしょう。また、何もできない自分が情けないと思ったのでしょう。

 

そんなイスラエルの民の不平とつぶやきに対するモーセの反応はどんなことかというと、神に訴えることでした(11~14)。神に祈ることは、指導者であるモーセが問題を前にしてできる最も重要なことでした。しかし、モーセは民の絶え間ない不平とつぶやきに忍耐の限界を感じていました。モーセはイスラエルの民に対して、「この民全体」(11)と呼んでいます。このような言い方は、自分とイスラエルの民との間に距離を置いた言い方です。神に自分の命を取り去ってほしいと叫ぶモーセの祈り(15)は、えにしだの木の下で嘆いていたエリヤの祈り(Ⅰ列王記19章)を連想させます。モーセは指導者として直面する痛みと苦しみを、神の前に正直に吐き出したのです。時に私たちも率直に神の前に祈る必要があります。神は人間の限界を十分に理解されます。ゆだねられたたましいが重荷に感じられるとき、指導者として直面する心の痛みを主に告白して祈りたいものです。

 

Ⅲ.70人の長老(16-30)

 

そんなモーセの祈りに主は答えてくださいました。16節と17節をご覧ください。「主はモーセに言われた。「イスラエルの長老たちのうちから、民の長老で、あなたが民のつかさと認める者七十人をわたしのために集めよ。そして、彼らを会見の天幕に連れて来て、そこであなたのそばに立たせよ。わたしは降りて行って、そこであなたと語り、あなたの上にある霊から一部を取って彼らの上に置く。それで彼らも民の重荷をあなたとともに負い、あなたがたった一人で負うことはなくなる。」

 

神は重荷をひとりで背負い、苦しむモーセに解決策を与えてくださいました。それは、イスラエルの長老たちのうちから70人を取り、モーセのそばに立たせるということです。つまり、モーセの重荷を分けられたのです。これによってイスラエルに新しい形の組織ができました。イスラエルは一つの国として備えるべき行政的組織を整備していったのです。神はモーセの祈りと嘆願を通して、危機をチャンスに変えてくださったのです。神はモーセに臨んだ同じ霊を70人の長老に注がれ、神の働きを力強くするようにされました。神が指導者を立てられるとき、同時に力と権威も備えてくださるのです。神の働きは聖霊の油注ぎが伴う聖霊の働きであり、信仰の人々と共に成されていくものです。他の人の助けによってさらにスムーズらできることは何かを、真剣に祈り求めていかなければなりません。

 

さて、イスラエルの民の不満に対しては、主は何と言われたでしょうか。18節から23節までをご覧ください。「あなたは民に言わなければならない。明日に備えて身を聖別しなさい。あなたがたは肉を食べられる。あなたがたが泣いて、主に対して『ああ、肉が食べたい。エジプトは良かった』と言ったからだ。主が肉を下さる。あなたがたは肉を食べられるのだ。あなたがたが食べるのは、ほんの一日や二日や五日や十日や二十日ではなく、一か月もであって、ついには、あなたがたの鼻から出て来て、吐き気をもよおすほどになる。それは、あなたがたのうちにおられる主をないがしろにして、その御前で泣き、『いったい、なぜ、われわれはエジプトから出て来たのか』と言ったからだ。」しかしモーセは言った。「私と一緒にいる民は、徒歩の男子だけで六十万人です。しかもあなたは、彼らに肉を与え、一か月の間食べさせる、と言われます。彼らのために羊の群れ、牛の群れが屠られても、それは彼らに十分でしょうか。彼らのために海の魚が全部集められても、彼らに十分でしょうか。」主はモーセに答えられた。「この主の手が短いというのか。わたしのことばが実現するかどうかは、今に分かる。」」

 

主はイスラエルの民に、肉を食べさせると言われました。ただ食べさせるのではありません。彼らが食べるのは、ほんの一日や二日や五日、十日、二十日のことではなく、一か月もであって、ついには彼らの鼻から出て来て、吐き気をもよおすほどになるというのです。ヤッター!そんなに食べられてうれしいと言ってはなりません。なぜなら、それは神が喜ばれることではなかったからです。食べたい肉を嫌というほど食べさせるというのは、一見神の答えであるかのように見えますが、実際には神の懲らしめでした。欲望のままに祈りが答えられたからと言っても、それは神がしかたなく許されたことだったのです。私たちの祈りは私たちの願いではなく、神のみこころを求めなければなりません。神のみこころを自分の考えに合わせて祈るのではなく、神のみこころに合わせて祈ること、それが本当の祈りです。個人的な欲望によって祈っていないかを点検しなければなりません。

 

それにしても、主はどうやってそれほどの肉を与えてくれるのでしょうか。この時モーセといっしょにいた民は、徒歩の男子だけで六十万もいました。しかも、主は彼らに肉を与え、一月の間食べさせる、と言われます。彼らのために羊の群れ、牛の群れをほふっても、彼らに十分ではありません。彼らのために海の魚を全部集めても、間に合わないでしょう。どうやって与えるのでしょうか。

 

すると主はこう言われました。23節です。「この主の手が短いというのか。わたしのことばが実現するかどうかは、今に分かる。」

 

主がこのことを成し遂げてくださいます。それはモーセやこの70人の長老たちによるのではありません。これを聞いて、モーセは気づいたかもしれません。「ああ、70人の長老が与えられても、それは、この肉の食べ物の問題には関係のなかったことなのだ。私は、的外れなお願いをしていたのだ。」と。

主は、私たちがあまりにも切羽詰っていて、しきりにお願いするので、それを惜しまず与えられることがありますが、けれども、実は神はもっと違ったことを考えておられるのです。

 

そこで、モーセは出て行って、主のことばを民に告げました(24)。すると一つの事件が起こります。モーセは民の長老たちのうちから七十人を集め、彼らを天幕の回りに立たせました。すると主は雲の中にあって降りて来られ、モーセと語り、彼の上にある霊を取って、その長老たちも与えました。その霊が彼らの上にとどまったしるしとして、彼らは預言をしました。

しかし、この時エルダデとメダテという二人の者が宿営に残っていたので、天幕のモーセのところには行きませんでした。しかし彼らは、天幕預言したのです。そこで、若者やヨシュアもびっくりして、彼らの預言をやめさせなければいけない、と思ってそのことをモーセに告げました。おそらくヨシュアは、自分の主人のモーセの命ヨと特権を思ったのでしょう。それでモーセのところに行き、やめさせようとしましたが、モーセの答えはこうでした。29節です。「あなたは私のためを思って、ねたみを起こしているのか。主の民がみな、預言者となり、主が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに。」どういうことでしょうか。

モーセは、この二人に起こっていることは主の直接の働きによるものであり、この二人に起こったことは七十人の長老たちと全く同じことであるということです。そして、こうそして、こうした神の御霊の働きが、イスラエルの民の中に現れることを望んでいたのです。彼は自分の命ヨではなく、神の栄光と御霊の働きを真に求めていたのです。このような心掛けは、御国の働きらにおいて大切なことであり、必要なことです。私たちは自分たちの名誉を気にするあまり、こうした神のみこころが見えなくなってしまい、「やめさせなければならない」と思うことがありますが、それは間違っていることがわかります。

 

ここで興味深いのは、29節のモーセのことばです。モーセは、「主の民がみな、預言者となり、主が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに。」と言いました。この当時、神は特定の選ばれた者にのみご自身の霊、聖霊を与えておられましたが、そうではなく「すべての民」に与えられるといいと言ったのです。それが、使徒の時代に実現します。ペンテコステの日に、聖霊がキリストを信じる弟子たちすべての上に降りました。いや、それはユダヤ人だけでなく、サマリヤ人やギリシャ人といった異邦人にも下りました。それは、預言者ヨエルが予言していたことです。「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」(ヨエル2:28-29)これが成就したのです。

そして、それは私たちも同じです。この神の御霊が、キリストを信じる私たちにも注がれているのです。

 

Ⅳ.欲望にかられた民(31-35)

 

最後に31節から35節までを見て終わりたいと思います。「さて、主のもとから風が吹き、海からうずらを運んで来て、宿営の近くに落とした。それは宿営の周り、どちらの側にも約一日の道のりの範囲で、地面から約二キュビトの高さになった。民は、その日は終日終夜、次の日も終日出て行ってうずらを集めた。集めたのが最も少なかった者でも、十ホメルほど集めた。彼らはそれらを自分たちのために、宿営の周囲に広げておいた。肉が彼らの歯の間にあって、まだかみ終わらないうちに、主の怒りが民に向かって燃え上がり、主は非常に激しい疫病で民を打たれた。その場所の名はキブロテ・ハ・タアワと呼ばれた。欲望にかられた民が、そこに埋められたからである。キブロテ・ハ・タアワから、民はハツェロテに進んで行った。そしてハツェロテにとどまった。」

 

するとどんなことが起こったでしょうか。主のもとから風が吹き、海からうずらを運んで来て、宿営の近くに落とされました。いったいどうやってこれだけの数のイスラエルの民に肉を充て得てくれるというのか、モーセは疑問を持っていましたが、これが主の方法でした。海からうずらを運び、それを落としてくれたのです。それは人間の思いをはるかに超えた方法でした。主の手が短いということはないのです。海から風に乗って運ばれてきたうずら群れは、2キュビト、約90cmの高さにまで積もりました。それでイスラエルはそれぞれ10ホメル、約2.2リットルもの大量のうずらを集めることができました。しかし、肉が彼らの歯の間にあってまだかみ終わらないうちに、主の怒りが彼らに燃え上がりました。主は非常に激しい疫病で彼らを打ったのです。これはどういうことでしょうか。科学的には、うずらに何らかのばい菌が入っていたのかもしれません。それを少しずつ除菌しながら食べればよかったのかもしれませんが、むさぼって食べたのでばい菌が体に蔓延したのかもしれません。あるいは、そうしたむさぼりに対する神のさばきだったのかもしれません。

 

いずれにせよ、イスラエルは不信仰のゆえに滅んでしまいました。それは私たちにも言えます。肉の欲望は人を滅びに至らせます。コロサイ3章5~6節には「ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいまなさい。貪欲は偶像礼拝です。これらのために、神の怒りが不従順らの子らの上に下ります。」とあります。貪欲、欲望が偶像礼拝なのです。そのむさぼりのために滅びを自分自身の身に招いてしまいます。私たちはむさぼり殺し、神が与えてくださったものに満足し、感謝をもって日々歩んでいきたいと思います。

民数記10章

民数記10章

 

 きょうは、民数記10章を学びたいと思います。約束の地に向かって進むイスラエルのために、そのために必要なことを主はシナイの荒野で語っています。今回の箇所でイスラエルは実際に旅立ちます。

 

 Ⅰ.銀のラッパ(1-11)

 

 まず1節から11節までをご覧ください。「主はモーセにこう告げられた。「銀のラッパを二本作りなさい。それを打ち物作りとしなさい。あなたはそれを用いて会衆を召し出したり、宿営を出発させたりしなければならない。これらが長く吹き鳴らされると、全会衆が会見の天幕の入り口の、あなたのところに集まる。もしその一つが吹き鳴らされると、イスラエルの分団のかしらである族長たちがあなたのところに集まる。また、短く吹き鳴らすと、東側に宿っている宿営が出発する。二度目に短く吹き鳴らすと、南側に宿っている宿営が出発する。彼らが出発するためには、短く吹き鳴らさなければならない。集会を召集するときには、長く吹き鳴らさなければならない。短く大きく吹き鳴らしてはならない。祭司であるアロンの子らがラッパを吹かなければならない。これはあなたがたにとって、代々にわたる永遠の掟である。また、あなたがたの地で、自分たちを襲う侵略者との戦いに出るときには、ラッパを短く大きく吹き鳴らす。あなたがたが、自分たちの神、主の前に覚えられ、敵から救われるためである。また、あなたがたの喜びの日、あなたがたの例祭と新月の日に、自分たちの全焼のささげ物と交わりのいけにえの上にラッパを吹き鳴らすなら、あなたがたは自分たちの神の前に覚えられる。わたしはあなたがたの神、主である。」」

 

1節と2節には、「主はモーセにこう告げられた。「銀のラッパを二本作りなさい。それを打ち物作りとしなさい。あなたはそれを用いて会衆を召し出したり、宿営を出発させたりしなければならない。」とあります。

主はモーセに、銀のラッパを二本作るようにと命じました。それによって、会衆を召集したり、また宿営を出発させたりするためです。すなわち、イスラエルが荒野を進軍する時の合図のためにです。彼らが荒野を進軍する時のしるしは、雲の柱と火の柱でした。神は彼らを導くために、昼は雲の柱、夜は火の柱の中にいて、彼らの前を進まれ、夜も昼もこの柱は彼らの前から離れませんでした。すなわち、神は彼らと共にあって、彼らを導かれ、その行く道を守られたのです。そればかりではなく、神は荒野を進軍するためにこの二つの銀のラッパを与えられました。

 

この二本のラッパが長く吹き鳴らされると、全会衆が会見の入り口にいたモーセのところに集まりました(3)。この二本のラッパはそれぞれ異なった音色を出していたと思われます。そうでなければ、二本のラッパを吹きならす時と、一本のラッパを吹きならす時の聞き分けが困難になるからです。もし一本のラッパだけが長く吹き鳴らされたら、分団のかしらである族長たちだけが集まりました(4)。  

それを短く1回だけ吹き鳴らすと、東側に宿っていた宿営が出発しなければなりませんでした(5)。二度目に短く鳴らすと、南側の宿営が出発します(6)。このように分団を召集するときには長く、出発するときには短く吹き鳴らしたのです。ある学者は、出発する時には短く、召集する時には長く吹き鳴らしたのは、進軍する時には人々の心をかき立てたり、励ましたりするためであり、召集する時には、連続したむらのない響きが適していたからではないか考えています。

 

これは神の祭司であるアロンの子が吹かなければなりませんでした。これは代々ににわたる定めです。アロンの子らは、広い荒野において、ラッパの合図を正しく聞き分けられるように、イスラエルの民を指導したのです。そして民はこのラッパの音を聞くたびに、自分たちが神の導きの下にあって、「神われらと共にいます」ことを意識したに違いありません。

 

9節をご覧ください。イスラエルの民は、絶えず敵からの襲撃の脅威にさらされていましたが、その時にも、このラッパを短く吹き鳴らしました。その時には短く、大きく鳴らしました。彼らが彼らの神、主に覚えられ、敵から救われるためです。このように敵と戦い、敵に勝利してくださるのも主ご自身でした。敵と戦うとき、主に覚えられるために、ラッパを吹き鳴らしたのです。

 

また10節には、彼らの喜びの日、すなわち、例祭と新月の日に、全焼のいけにえと和解のいけにえの上に、ラッパを鳴り渡らしたとあります。過越の祭り、五旬節、仮庵の祭りなどにも吹き鳴らされたのです。

 

このように、イスラエルが荒野を進軍する時に、ラッパを吹き鳴らさなければなりませんでした。それは、ラッパを吹かなければ、主がその民を忘れておられるということではありません。私たちがラッパを吹き鳴らす前から、主は私たちのことを覚えておられ、その必要に応えてくださいます。しかし同時に、「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきない。」(ピリピ4:6)とあるように、戦いの時にラッパを吹き鳴らすのは、主に拠り頼んでいることの表れであり、いけにえの場合は、主を覚えて、喜びと感謝をもってささげる信仰告白となったのです。戦いの時に祭司たちがラッパを吹き鳴らしたという例は、Ⅱ歴代誌13章13~16節に見られます。また、民数記31章6節にも、ミディアン人との戦いに、モーセがピネハスにラッパを持たせて送り出したとあります。このように、ラッパを吹き鳴らしたのは、神への信頼の証だったのです。あなたは、このラッパを吹き鳴らしているでしょうか。人生の荒野を進軍するにあたり、私たちもラッパを吹きならし、神の助けを祈り求めましょう。

 

Ⅱ.出発の順序(11-28)

 

次に11節から28節までをご覧ください。いよいよイスラエルが約束の地に向かって旅立ちます。ここにはその順序が記されてあります。「二年目の第二の月の二十日に、雲があかしの幕屋の上から離れて上った。それでイスラエルの子らはシナイの荒野を旅立った。雲はパランの荒野でとどまった。彼らは、モーセを通して示された主の命により初めて旅立った。まず初めにユダ族の宿営の旗が、その軍団ごとに出発した。軍団長はアミナダブの子ナフション。イッサカル部族の軍団長はツアルの子ネタンエル。ゼブルン部族の軍団長はヘロンの子エリアブ。幕屋が取り外され、幕屋を運ぶゲルション族、メラリ族が出発。ルベンの宿営の旗が、その軍団ごとに出発。軍団長はシェデウルの子エリツル。シメオン部族の軍団長はツリシャダイの子シェルミエル。ガド部族の軍団長はデウエルの子エルヤサフ。聖なるものを運ぶケハテ人が出発。なお、幕屋は、彼らが着くまでに建て終えられることになっていた。また、エフライム族の宿営の旗が、その軍団ごとに出発。軍団長はアミフデの子エリシャマ。マナセ部族の軍団長はペダツルの子ガムリエル。ベニヤミン部族の軍団長はギデオニの子アビダンであった。ダン部族の宿営の旗が、全宿営のしんがりとして軍団ごとに出発。軍団長はアミシャダイの子アヒエゼル。アシェル部族の軍団長はオクランの子パグイエル。ナフタリ部族の軍団長はエナンの子アヒラ。-以上がイスラエルの子らの軍団ごとの出発順序であり、彼らはそのように出発した。」

 

イスラエルがシナイの荒野を出発したのは、第二年目の第二月の二十日のことでした。それは、神がイスラエルの民を登録するようにと命じてから二十日後のことでした(民数記1:1)。雲があかしの幕屋の上から離れていきました。それでイスラエル人はシナイの荒野を出て旅立ちましたが、雲はパランの荒野でとどまりました。モーセを通して語られた主の命令のとおりです。

 

まず初めにユダ族の宿営の旗が、その軍団ごとに出発しました(14)。ユダの宿営にはユダ部族以外にイッサカル部族とゼブルン部族がいましたが、彼らがまず出発しました。

次は17節にあるように、レビ人が幕屋を取り外して、彼らの後に続いて出発しました。彼らは、イスラエルの軍団と軍団の間に挟まれるようにして進みました。
 その次に出発しはたのは、レビ族の内、ゲルション族とメラリ族でした。幕屋が取り外されると、幕屋を運ぶゲルション族とメラリ族が出発したのです。レビ族にはもう一つケハテ族がいますが、なぜ彼らはゲルション族とメラリ族の後に続かなかったのでしょうか。ケハテ族は幕屋の中にあった聖なる物を運ぶ役割が与えられていましたが、そのためには彼らが着くまでに、幕屋が建て終えられていなければならなかったからです。そこまで計算されていたんですね。すごいです。実に整然としています。

その幕屋の後に進んだのがその次に進んだのがルベン族の宿営です。すなわち、南側に宿営していた部族です。まずルベン族が出発し、シメオン部族とガド部族が続きました。

次に進んだのは、エフライム族の宿営です。これは西側にいた部族でした。ここにはエフライム部族の他にマナセ部族、ベニヤミン部族がいました。

最後に出発したのはダン部族の宿営、すなわち、北側に宿営していた部族でした。ここにはダン部族の他にアシェル部族、ナフタリ部族がいました。彼らは全宿営の護衛に回りました。

 

以上がイスラエル人の軍団ごとに出発した順序でした。これを上空から眺めると、東から動いて、次にあかしの幕屋が動き、そして南、西、北と円を描くようにして出発していたことがわかります。実に整然としています。それはどういうことかというと、イスラエルの民は神の箱(神の臨在)を中心にキリストの恵みによって、聖霊が導かれるままに前進して行ったということです。神の民の共同体にはこのような秩序があったのです。どのような順序でも良かったわけではありません。そこには三位一体の神の導きによる順序があったのです。神は混乱の神ではなく、平和の神だからです(Ⅰコリント14:33)。それは私たちが集まるところにおいても同じです。神の教会にも平和と秩序があります。それを乱すことは神のみこころではありません。「ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いな」(Ⅰコリント14:40)わなければならないのです。私たちは、どのように神が権威を人々に与えておられるのかを、見極めることが大切なのです。

 

Ⅲ.主の契約の箱が出発するとき(29-36)

 

最後に29節から36節までを見て終わります。まず32節までをお読みします。「さて、モーセは、彼のしゅうとミディアン人レウエルの子ホバブに言った。「私たちは、主が与えると言われた場所へ旅立つところです。私たちと一緒に行きましょう。私たちはあなたを幸せにします。主がイスラエルに良いことを約束しておられるからです。」彼はモーセに答えた。「私は行きません。私の国に、私の親族のもとに帰ります。」するとモーセは言った。「どうか私たちを見捨てないでください。というのは、あなたは、私たちが荒野のどこで宿営したらよいかご存じで、私たちにとっては目なのですから。私たちと一緒に行ってくだされば、主が私たちに下さるはずのどんな良きものも、あなたにお分かちできます。」」

 

彼のしゅうとミディアン人レウエルの子ホハブとは、モーセのしゅうとレウエル、別名イテロの息子ホバブのことです。ここでモーセは彼に一緒に行きましょう、と言っています。なぜでしょうか。それは、彼が一緒ならば荒野を旅することも安心だと思ったからです。31節を見ると、モーセは「どうか私たちを見捨てないでください。」と言っています。彼ならどこで宿営したらよいかをよく知っていたので、自分たちの道案内人になってほしかったのです。荒野を旅することは死を意味することでした。何の目印もない広大な荒野を旅することは方向感覚を失うことでもあり、そのような中を進むことは一般的には不可能なことでした。しかし、ずっとミディアンの荒野に住んでいた彼なら、どこをどのように進んで行ったらいいのかをよく知っていたので、一緒に行ってもらえたら安心できると思ったのです。

 

しかし、私たちはこれまで民数記を学んでくる中で、荒野を旅するイスラエルを導かれるのは誰であるのかを見てきました。それは主なる神ご自身です。主は、荒野を旅するイスラエルを整え、備えてきました。まず二十歳以上の男子が登録され、敵の攻撃に備えました。また、イスラエルの各部族は天幕の回りに宿営し、上空から見れば十字架の形になって進んでいきました。また、外敵の攻撃ばかりでなく、内側も聖めました。なぜなら、そこには神が住まわれるからです。神が共におられるなら、どんな攻撃があっても大丈夫です。ですから彼らは内側を聖め、ささげ物をささげ、過越の祭りを行ないました。そして彼らが迷うことがないように、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって導いてくださったのです。これほど確かな備えと導きが与えられていたにもかかわらず、いくらその荒野を熟知しているからといっても、レウエルの息子ホバブに道案内を頼むというのは不思議な話です。いったいモーセはなぜ彼に一緒に行くようにと言ったのでしょうか。

 

それはモーセが彼に道案内をしてほしかったというよりも、これまで長らくお世話になったしゅうとのレウエル(イテロ)とその家族に恩返しをしたかったからです。彼らを幸せにしたいと思ったからでしょう。29節には「私たちはあなたを幸せにします」と言っていますし、32節にも「主が私たちに下さるはずのどんな良きものも、あなたにお分かちできます。」と言っています。彼は、主がイスラエルに良いことをしてくださると信じていました。それを彼らにも分かち合いたかったのです。事実、約束の地に入った彼の子孫は、イスラエル人の中に住むようになりました(士師1:16,4:11)。

 

それは33節以降を見てもわかります。実際にイスラエルの荒野の旅を導いたのはホバブではなく、主ご自身でした。「こうして、彼らは主の山を旅立ち、三日の道のりを進んだ。主の契約の箱は三日の道のりの間、彼らの先に立って進み、彼らが休息する場所を探した。彼らが宿営から出発する際、昼間は主の雲が彼らの上にあった。契約の箱が出発するときには、モーセはこう言った。「主よ、立ち上がってください。あなたの敵が散らされ、あなたを憎む者が、御前から逃げ去りますように。」またそれがとどまるときには、彼は言った。「主よ、お帰りください。イスラエルの幾千幾万もの民のもとに。」」

旅の中では後ろのほうにあるはずの契約の箱が、ここでは先頭に立って進んでいることがわかります。すなわち、本当の道案内人はホバブではなく、主ご自身であったのです。主が彼らの先頭に立って進み、彼らの休息の場所をもたらしたのです。

 

そして、その契約の箱が出発するときには、モーセはいつもこのように祈りました。「よ。立ち上がってください。あなたの敵は散らされ、あなたを憎む者は、御前から逃げ去りますように。」また、それがとどまるときには、「主よ。お帰りください。イスラエルの幾千万の民のもとに。」と。つまり真にイスラエルの荒野の旅を導いていたのは主ご自身だったのです。モーセは出発するときにはその主が立ち上がり敵が逃げ去って行きますように、宿営するときには、主がとどまってくださるように祈ったのです。

 

この二つの祈りは単純な祈りですが、私たちにとっても大切なものです。私たちが、この世において歩むときにも、霊の戦いがあります(エペソ6章)。その戦いにおいて勝利することができるように、主が立ち上がり敵と戦ってくださるように、そして、敵の手から、私たちを救い出してください、と祈らなければなりません。また、この世において歩んでいるところから立ち止って、礼拝をささげるとき、「主よ、お帰りください。私たちとともにいてください。」と祈ることが必要です。というのは、私たちの信仰の歩みにおいて最も重要なことは、この主が共にいてくださるかどうかであるからです。私たちの信仰の旅立ち、その行程において、主が共におられ、敵から救ってくださり、敵に勝利することができるように祈り求める者となりますように。

民数記9章

民数記9章

 

きょうはレビ記9章から学びます。

 

Ⅰ.過越のいけにえを献げよ(1-5)

 

まず1~5節までをご覧ください。「エジプトの地を出て二年目の第一の月に、主はシナイの荒野でモーセに告げられた。「イスラエルの子らは、定められた時に、過越のいけにえを献げよ。あなたがたはこの月の十四日の夕暮れ、その定められた時に、それを献げなければならない。それについてのすべての掟とすべての定めにしたがって、それをしなければならない。」モーセがイスラエルの子らに、過越のいけにえを献げるように告げたので、彼らはシナイの荒野で第一の月の十四日の夕暮れに過越のいけにえを献げた。イスラエルの子らは、すべて主がモーセに命じられたとおりに行った。」

 

1節を見ると、時は、再び、第二年目の第一の月に遡っています。出エジプト記40章17節の後のことです。モーセは、主が命じられたとおりに幕屋を建設しました。それはイスラエルがエジプトを出て第二年目の第一の月でした。その月の第一日に幕屋が完成しました。それから、主はモーセを呼び寄せ、会見の天幕から彼に告げて仰せられました。それがレビ記に記されてある内容です。ですから、この箇所は、その時にまで遡っているのです。出エジプト記には、モーセは主が命じられた通りに幕屋を設営すると、雲が会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちたとありますが、民数記には、その前に主がモーセに命じられたことが記されてあります。それは、過越しのいけにえをささげるということです。

 

2節には「イスラエルの子らは、定められた時に、過越のいけにえを献げよ」とあります。イスラエルの民は主のことばに従い、定められた第一の月の夕暮れに過越しのいけにえをささげなければなりませんでした。過越のいけにえとは、イスラエルがエジプトを出るときにささげたいけにえのことです。それは出エジプト記12章3~13節までにありますが、主がエジプトにわざわいを下し、ご自身の民を救われたことを覚えるためでした。

イスラエルの民は、おのおのその父祖の家ごとに羊一頭を用意し、それを十四日の夕暮れにほふり、その血を取って家々の門柱と、かもいにつけ、その夜にその肉を食べました。種を入れないパンと苦菜を添えて。腰には帯を締め、足にくつをはき、手には杖を持っていました。すぐに旅立てるように支度を整えて食事をしたのです。そして、その夜神はエジプトの地を行き巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、初子という初子はすべて打ちました。ただ門柱とかもいに羊の血が塗ってある家だけは、そのさばきを通り越したのです。そこには神のわざわいがもたらされることはありませんでした。

 

あの出来事から一年後に、イスラエルがシナイの荒野で旅を始めるにあたり、主はその過越のいけにえを献げるようにと命じられたのです。どうしてでしょうか。それはイスラエルの民にとって過越の小羊の血は、エジプトから救い出されたときだけではなく、荒野の旅をするときにも必要だったからです。その旅はエジプトからの救いと切り離されたものではなく、むしろ、その贖いによって荒野の過酷な生活を耐え忍び、前に向かって進んで行くための力となったのです。荒野にひそむ様々な危険やわなも、過越の子羊の血によって乗り越えることができたのです。

 これは私たちにもいえることです。この過越の小羊とはイエス・キリストのことですが、イエス様が十字架で血を流し私たちの身代わりとなって死んでくださったことは、私たちがイエスさまを信じて救われた時だけでなく、その後の荒野での生活、この地上における信仰の歩みにおいても、常に必要なものなのです。そうでなければ、荒野の旅を全うすることはできません。天の都に向かう私たちの信仰の旅においては、常にキリストの血潮に立ち返る必要があるのです。キリストが成し遂げてくださった十字架のみわざを仰ぎ見ていかなければならないのです。

それが聖餐式です。イエス様は弟子たちの最後の晩餐の席で、「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」(Ⅰコリント11:24)と言われました。また、夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを呑むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」(Ⅰコリント11:26)と言われました。ここでのポイントは、「わたしを覚えて」ということです。なぜ主を覚える必要があるのでしょうか。それが私たちの信仰生活の土台であり、力だからです。主は、私たちに出来ないことをしてくださいました。それは全く罪のない方が私たちのために死んでくだることによって、私たちが罪から救われ、永遠のいのちが与えられる道を開いてくださいました。私たちが救われたのは、ただ神の恵みによるのです。それは私たちの救いだけでなく、私たちの信仰の歩みにおけるすべてに言えることです。私たちがこうして生かされているのも、私たちの日々の生活が守られているのも、すべて神の恵みなのです。それは今だけでなく、これからも同じです。私たちの人生にはこれからもいろいろなことが起こるでしょう。しかし、何が起こっても大丈夫です。ご自身の恵みによって私たちを救ってくださった主は、これからも恵みによって救ってくださいますから。何があっても大丈夫です。この信仰の土台のゆえに、私たちの生活が保障されているのです。ですから、私たちはこの神の恵みを忘れてはならないのです。いつもここに帰らなければなりません。初めの愛に帰らなければならないのです。

 

Ⅱ.もし死体によって身を汚したら(6-14)

 

しかし、様々な事情でこの過越しのいけにえをささげることができなかった場合はどうしたらいいのでしょうか。6~14節までをご覧ください。「しかし、人の死体によって汚れていて、その日に過越のいけにえを献げることができなかった人たちがいた。彼らはその日、モーセとアロンの前に進み出た。 その人たちは彼に言った。「私たちは、人の死体によって汚れていますが、なぜ、イスラエルの子らの中で、定められた時に主へのささげ物を献げることを禁じられているのでしょうか。」モーセは彼らに言った。「待っていなさい。私は主があなたがたについてどのように命じられるかを聞こう。」主はモーセにこう告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。あなたがたのうち、またはあなたがたの子孫のうちで、人の死体によって身を汚している者、あるいは、遠い旅路にある者はみな、過越のいけにえを主に献げることができる。その人たちは、第二の月の十四日の夕暮れに、それを献げなければならない。種なしパンと苦菜と一緒にそれを食べなければならない。そのうちの少しでも朝まで残してはならない。また、その骨は折ってはならない。すべて過越のいけにえの掟のとおり、それを献げなければならない。身がきよく、また旅にも出ていない者が、過越のいけにえを献げることをしないなら、その人は自分の民から断ち切られる。その人は定められた時に主へのささげ物を献げなかったので、自分の罪責を負う。もし、あなたがたのところに寄留者が滞在していて、主に過越のいけにえを献げようとするなら、過越のいけにえの掟と、その定めとにしたがって献げなければならない。寄留者でも、この国に生まれた者でも、あなたがたには掟は一つである。」」

 

もし人が死体によって身を汚し、その日に過越のいけにえを献げることができなかったらどうしたらいいのでしょうか。モーセの律法によれば、そのような人たちはいけにえをささげることができませんでした。5章2~4節を振り返ってみましょう。ここには「イスラエルの子らに命じて、ツァラアトに冒された者、漏出を病む者、死体によって身を汚している者をすべて宿営の外に追い出せ。男でも女でも追い出し、彼らを宿営の外に追い出し、わたしがそのただ中に住む宿営を、彼らが汚さないようにしなければならない。」イスラエルの子らはそのようにして、彼らを宿営の外に追い出した。主がモーセに告げられたとおりにイスラエルの子らは行った。」とあります。このような人たちは身を汚しているということで、宿営の外に追い出されたのです。過越しのいけにえをささげることができませんでした。

 

するとモーセは彼らに言いました。8節です。「待っていなさい。私はがあなたがたについてどのように命じられるかを聞こう。」

モーセにもわからないことがあったんですね。彼は、このことについて主がどのように命じられるのかを聞くために祈りました。すると主はモーセに、そのような人でも、過越しのいけにえを献げることができると仰せになられました。そのような人は、一か月遅れの、第二の月に十四日の夕暮れに、それを献げなければなりませんでした。なぜなら、それはとても重要なことだからです。過越のいけにえをやめるようなことがあったら、そのような者は民から断ち切られなければなりませんでした。過越のいけにえは、それほど重要なことだったのです。すべて過越しのいけにえの掟のとおりに、献げなければならなかったのです。

 

実際に一か月遅れで過越のいけにえを献げたという例があります。Ⅱ歴代誌30章1~5節をご覧ください。「ヒゼキヤはイスラエルとユダの全土に人を遣わして、またエフライムとマナセに手紙を書いて、エルサレムにある主の宮に来て、イスラエルの神、主に過越のいけにえを献げるように呼びかけた。王とその高官たちとエルサレムの全会衆は協議して、第二の月に過越のいけにえを献げようと決めた。というのは、身を聖別した祭司たちが十分な数に達しておらず、民もエルサレムに集まっていなかったので、そのときには献げることができなかったからである。このことは、王と全会衆の目に良いことに思えたので、彼らはベエル・シェバからダンに至るまで、イスラエル全土に通達を出し、エルサレムに来てイスラエルの神、主に過越のいけにえを献げるよう、呼びかけることを決定した。規定どおりに献げている者が多くなかったからである。」

 

この時ユダの王ヒゼキヤはアッシリヤの攻撃に対して、まず宗教改革を行いました。主に過越のいけにえを献げることから始めたのです。なぜなら、身を聖別した祭司たちの数が十分ではなく、民もエルサレムに集まっていなかったので、そのときには献ゲルことができなかったからです。それで第二の月の十四日に過越しのいけにえを献げようと決めたのです。

そこで、イスラエルとユダの全会衆に呼び掛けてエルサレムに集まり、過越のいけにえを献げるようにと手紙を書き送りました。その結果、アッシリヤの王セナケリブがエルサレムを包囲しましたが、主は、アッシリヤの王の手からイスラエルを救い出されました。主はひとりの御使いを遣わし、アッシリヤの陣営にいたすべての勇士、隊長、主張を全滅されたのです(Ⅱ歴代誌32:21)。まさに子羊の血による勝利でした。たとえそれが一か月遅れであっても、それは省くことができない重要なことであり、それが神の命令に従って献げられるとき、そこに偉大な神の力と勝利がもたらされるのです。それは最初の過ぎ越しの祭りに勝るとも劣らない神の祝福なのです。

 

主の晩餐、聖餐式もそうです。それは、子羊の血による救いを表していました。今、すべての人にこの救い主キリストが与えられています。誰でも、イエスを救い主として信じるなら救われるのです。これが福音です。この福音が私たちにも差し出されています。それを受け入れるなら私たちの罪は赦され、聖めていただくことができますが、それを拒むなら、罪の赦しはありません。ですから、私たちはみなこの過越しのいけにえを献げなければなりません。主の聖餐を受けなければならないのです。もしかすると、何らかの罪、汚れがあるかもしれません。それでもその場で悔い改めて受けるべきです。もしそのときに受けられなくても、次の機会には受けることができるように備えておくべきです。あなたがキリストの十字架に信頼するなら、あなたもその恵みを受けることができるのです。

 

時として私たちも汚れることがあります。イスラエルの民が死体にさわって自分の身を汚したように、私たちも自分の身を汚すことがあるのです。でも私たちは何度でもやり直すことができます。私たちが罪を犯すとき、自分は失敗した、もうだめだ、教会に行く資格なんてない、信仰を続けることなどできないと意気消沈することがありますが、私たちはやりなおすことができます。私たちは神に立ち返り、キリストのみこころにかなった生活をやり直すことができるのです。いや、やり直さなければなりません。自分勝手に判断してキリストから距離を取って生きるのではなく、主が与えられた機会を用いて悔い改め、新しい人生を始めていかなければならないのです。それが福音です。

 

Ⅲ.主の命により(15-23)

 

次に15~23節までをご覧ください。「幕屋が設営された日、雲が、あかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって朝まで火のようであった。いつもこのようであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。いつでも雲が天幕から上るときには、その後でイスラエルの子らは旅立った。また、雲がとどまるその場所で、イスラエルの子らは宿営した。主の命によりイスラエルの子らは旅立ち、主の命により宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営した。雲が長い間、幕屋の上にとどまるときには、イスラエルの子らは主への務めを守って、旅立たなかった。また、雲がわずかの間しか幕屋の上にとどまらないことがあっても、彼らは主の命により宿営し、主の命により旅立った。雲が夕方から朝までとどまるようなときがあっても、朝になって雲が上れば、彼らは旅立った。昼でも夜でも、雲が上れば旅立った。二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって、去らなければ、イスラエルの子らは宿営を続けて旅立たなかった。しかし、雲が上ったときは旅立った。彼らは主の命により宿営し、主の命により旅立った。彼らはモーセを通して示された主の命により、主への務めを守った。」

 

イスラエルの民が旅立つとき、彼らの導き手となったのは雲の柱と火の柱でした。モーセが幕屋を設営した日に、雲が幕屋をおおいました。夕方には幕屋の上に火の柱があって、それが朝までありました。いつもこのようであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えました。雲が天幕を離れて上ると、すぐそのあとで、イスラエル人はいつも旅立ち、そして、雲がとどまると、その場所で宿営していました。雲が夕方から朝までとどまるようなときがあっても、朝になって雲が上れば、彼らはただちに旅立ちました。昼でも、夜でも、雲が上れば、彼らはいつも旅立ったのです。彼らとしては、突然雲が上がっても、まだ出発したくないという時もあったでしょうが、それでも、昼でも、夜でも、雲が上がれば、いつでも旅立ったのです。また、一日でも、二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって去らなければ、イスラエル人は宿営して旅立ちませんでした。ただ雲が上ったときだけ旅立ったのです。長い期間、宿営していたら退屈になってしまうかもしれませんが、それでも彼らは雲がとどまっている限り、宿営をつづけました。

 

これはどういうことでしょうか。それは、イスラエルが主の命令によって旅立ち、また主の命令によってとどまったように、私たちも主の導きに従って進まなければならないということです。私たちの生活は彼らの生活よりもずいぶん便利になりました。いつでも行きたい所に行くことができ、泊まりたい所に泊まることができます。やりたいことをし、やりたくないことはしない、何でも自由にできます。けれども、そのような自由が必ずしも良いとは限りません。何の問題もないようでも、実はそこに大きな落とし穴があるのです。

 

ヤコブはこう言っています。「「今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう」と言っている者たち、よく聞きなさい。あなたがたには、明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です。あなたがたはむしろ、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう」と言うべきです。」(ヤコブ4:13-15)

主のみこころなら、です。私たちのいのちは完全に主によりかかっています。ですから、主のみこころのみを求めて、主のみこころが成し遂げられることを願い求めて、生きていかなければなりません。人生の行程に、突然の変化があるかもしれません。しかし、柔軟になるべきです。主がなされることを見つめ、その導きに従うべきなのです。

 

イスラエルに与えられていたのは雲の柱でした。それは神がそこにおられ、彼らを導いておられるしるしでした。同じように、神は私たちに聖霊を与え私たちの歩みを導いておられます。中には、「イスラエルはいいなぁ、目に見える形で導かれて。迷うことなく、安心して進んでいけたに違いない。」と思う人がいるかもしれません。確かに彼らには目に見える形での道しるべが与えられていましたが、だからといってそれでよかったのかというとそうでもないのです。というのは、彼らはそのような確かな道しるべが与えられていたにもかかわらず、不平や不満を言っては神の怒りを招いていたからです。彼らは目に見えるものがあっても文句を言いました。大切なのは、それが目に見えるかどうかというとこではなく、見えても見えなくても従うことです。

 

十字架と復活の主を信じた私たちには、約束の聖霊が与えられています。私たちはイスラエルと同じように、みことばと聖霊の導きに従って前進することができるのです。何と幸いなことでしょうか。大切なのは、神がどのように導いておられるかを知るということともに、その導いてくださる神の御声に聴き従うことです。主の恵みによって与えられたこの信仰の歩みを、神の聖霊の導きに従って歩んでいくものでありたいと思います。

 

民数記8章

民数記8章

 

 民数記8章を学びます。まず1節から4節までをご覧ください。

 

Ⅰ.燭台のともしび(1-4) 

 

「主はモーセに告げられた。「アロンに告げよ。『あなたがともしび皿を載せるとき、七つのともしび皿が燭台の前を照らすようにしなさい』と。」アロンはそのようにした。主がモーセに命じられたとおりに、燭台の前に向けてともしび皿を載せた。燭台の作りは次のとおりであった。それは金の打ち物で、その台座から花弁に至るまで打ち物であった。主がモーセに示された型のとおりに、この燭台は作られていた。」

 

主はモーセに、アロンに告げて言うようにと命じられました。七つのともしび皿が燭台の前を照らすようにと。それでアロンは、主がモーセに命じられたとおりに、前に向けて燭台のともしび皿を、取り付けました。

 

至聖所には神の臨在の栄光の輝きがありますが、聖所は真っ暗でした。この燭台のともしびによって明るくなります。主はこのようにして聖所の中に光があることを望まれたのです。それにしても、いったいなぜ急に燭台のともしびの話が出てくるのでしょうか。少し不思議な感じがします。しかし、その後の箇所を読むと、その意味が明らかになります。

 

Ⅱ.レビ人のきよめ(5-13)

 

では次に、5節から13節までを見ましょう。「主はモーセにこう告げられた。 「レビ人をイスラエの子らの中から取って、彼らをきよめよ。あなたは次のようにして彼らをきよめなければならない。罪のきよめの水を彼らにかける。彼らは全身にかみそりを当て、その衣服を洗い、身をきよめる。そして若い雄牛と油を混ぜた小麦粉の穀物のささげ物を取る。あなたはまた別の若い雄牛を罪のきよめのささげ物として取る。あなたはレビ人を会見の天幕の前に近づかせ、イスラエルの全会衆を集め、レビ人を主の前に進ませる。イスラエルの子らは手をレビ人の上に置く。 アロンはレビ人を、イスラエルの子らからの奉献物として主の前に献げる。これは彼らが主の奉仕をするためである。レビ人は、雄牛の頭に手を置く。そこであなたは一頭を罪のきよめのささげ物として、また一頭を全焼のささげ物として主に献げ、レビ人のために宥めを行う。あなたはレビ人をアロンとその子らの前に立たせ、彼らを奉献物として主に献げる。」

 

主は、レビ人を幕屋の奉仕を行なうためにささげるように命じられます。聖所における奉仕は、アロンとその子孫が祭司として任命を受け、祭司たちが行ないます。また祭壇における奉仕も祭司が行ないます。しかしながら、彼らだけでは人数が足りないためすべての務めを行なうことはできません。そこで主は、幕屋の中で奉仕するために、レビ人を取るように命じられたのです。

 

レビ人は、まずきよめられなければなりませんでした。その方法は7節以降にあります。まず、罪のきよめの水を彼らに振りかけます。次に、彼らは全身の毛をそり、その衣服を洗います。このようにして身をきよめなければなりませんでした。このように、レビ人の奉献式は水の洗いから始まりました。このことは、クリスチャンがどのようにきよめられるのかを教えています。クリスチャンは、イスラエル人のようにささげ物をするだけではなく、レビ人のように自分自身をささげる者ですが(ローマ12:1)、そのときに必要なのが、身をきよめるということです。どうやってきよめたら良いのでしょうか?Ⅰヨハネ1章9節には、「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」とあります。私たちをきよめるのは御子イエスの血です。そして、そのようにイエスの血によってきよめられた者は、イエスの御姿に変えられていくために、神のみことばによってきよめられるのです(ヨハネ17:17,エペソ5:26)。しかし、ここで注意しなければならないのは、自分をきよめるということを、多くのクリスチャンは自分の内側を見つめて、自分の肉と罪深さを探っていくことであると考えていることです。そのため、自分は汚れた者であり、主に受け入れられる資格はない、奉仕する資格はないと思ってしまうのです。しかし、それは誤っています。主が私たちをきよめてくださるのは、ただご自身の血と聖霊の恵みによって成されていくものなのです。

 

 それが、燭台のともしびが表していたことでした。ここで1節から4節までに記されてあった燭台のともしびの意味が明らかになります。このレビ人のきよめの前に、燭台のともしびを整えなければならなかったのは、このレビ人のきよめの前提というか土台が、燭台のともしびであったということです。つまり、イエス・キリストと聖霊ご自身であるということです。ヨハネ8章12節には、「イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」とあります。またゼカリヤ書4章をみると、ともしび皿の油は主の御霊である聖霊のことを指していることがわかります。御霊がキリストの栄光を照らし出し、私たち(教会)の心を明るくされるのです。この燭台の光があるからこそ、水の洗いがあるのです。この順番が大切です。私たちが自分をきよめるということは、自分の考えで自分自身の内側を見つめるということではなく、聖霊によってキリストの光を照らしていただくことなのです。それによって私たちはきよめられるのです。ゼカリヤ書に「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と書かれてあるとおりです。私たちの働きは、私たちの能力や力によって行われるのではなく、ただ神の恵みと神の力によって成されていくものなのです。燭台であられるキリストと、油であられる聖霊の働きことが、レビ人のきよめに必要なものであり、その前提、土台にあるものなのです。

 

 9~11節には、「あなたはレビ人を会見の天幕の前に近づかせ、イスラエルの全会衆を集め、レビ人を主の前に進ませる。イスラエルの子らは手をレビ人の上に置く。アロンはレビ人を、イスラエルの子らからの奉献物として主の前に献げる。これは彼らが主の奉仕をするためである。」とあります。
 モーセがレビ人を会見の天幕の前に近づかせると、イスラエルの全会衆を集め、彼らはレビ人の上に手を置きます。これはどういうことかというと、レビ人がイスラエル全会衆を代表していたということです。イスラエルの代表として、その働きをゆだねられていたのです。それはレビ人だけではなく、イスラエルのすべての人も一緒に奉仕をしていることを意味していました。つまり、イスラエル人は今、レビ人を自分たちのものとして、主の前にささげているのです。レビ人は、その手を雄牛の頭の上に置き、レビ人の罪を贖うために、一頭を罪のためのいけにえとし、一頭を全焼のいけにえとして主にささげます。このようにしてレビ人を奉献物として主にささげたのです。

 

 Ⅲ.レビ人の奉仕(14-22)

 

 次に14~22節をご覧ください。「こうして、あなたはレビ人をイスラエルの子らのうちから分け、レビ人はわたしのものとなる。この後、レビ人は会見の天幕に入って奉仕をすることができる。あなたは彼らをきよめ、彼らを奉献物として献げなければならない。彼らはイスラエルの子らのうちから正式にわたしに与えられたものだからである。すべてのイスラエルの子らのうちで、最初に胎を開いた、すべての長子の代わりに、わたしは彼らをわたしのものとして取ったのである。イスラエルの子らのうちでは、人でも家畜でも、すべての長子はわたしのものだからである。エジプトの地で、わたしがすべての長子を打った日に、わたしは彼らを聖別してわたしのものとした。わたしは、イスラエルの子らのうちのすべての長子の代わりにレビ人を取った。わたしは、イスラエルの子らのうちからレビ人をアロンとその子らに正式に付け、会見の天幕でイスラエルの子らの奉仕をし、イスラエルの子らのために宥めを行うようにした。それは、イスラエルの子らが聖所に近づいて、彼らにわざわいが及ぶことのないようにするためである。」モーセとアロンとイスラエルの全会衆は、レビ人に対してそのようにした。主がレビ人についてモーセに命じられたことすべてにしたがって、イスラエルの子らは彼らに行った。レビ人は身の汚れを除き、その衣服を洗った。そうしてアロンは彼らを奉献物として主の前に献げた。またアロンは彼らのために宥めを行い、彼らをきよめた。この後、レビ人は会見の天幕に入って、アロンとその子らの前で自分たちの奉仕をした。人々は主がレビ人についてモーセに命じられたとおりに、レビ人に行った。」

 

このようにしてレビ人は、主の奉仕に就くことができました。彼らはイスラエル人のうちから正式に主のものとなったからです。すべてのイスラエル人のうちで最初に生まれた初子の代わりに、主は彼らをご自身のものとして取られました。イスラエル人のうちでは、人でも家畜でも、すべての初子は主のものです。エジプトの地で、主がすべての初子を打ち殺した日に、主は彼らを聖別してご自身のものとされたからです。主はそのイスラエル人のうちのすべての初子の代わりにレビ人を取ったのです。

 それで主はイスラエル人のうちからレビ人をアロンとその子らに正式にあてがい、会見の天幕で奉仕ができるようにしました。ですから、主の奉仕をするときに必要なことは「私は主のものである」という確信です。主が私をここに置いてくださり、ご自身のみこころに従って用いられるという思いです。私たちが奉仕をしているときに感じることの一つは、孤独です。主が私のことを気にかけておられるのか、ちゃんと見ていてくださるのか、といった思いです。しかし、主はいつもともにいてくださいます。なぜなら、私たちは主のものとされているからです。モーセとアロンとイスラエル人の全会衆は、すべて主がレビ人についてモーセに命じられたところに従って、レビ人に対して行ないました。

 

Ⅳ.レビ人の奉仕(23-26)

 

最後に、23~26節までを見て終わりたいと思います。「主はモーセにこう告げられた。「これはレビ人に関わることである。二十五歳以上の者は、会見の天幕の奉仕の務めを果たさなければならない。しかし、五十歳からは奉仕の務めから退き、もう奉仕してはならない。その人はただ、会見の天幕で、自分の同族の者が任務に当たるのを助けることはできるが、自分で奉仕をしてはならない。あなたはレビ人に、彼らの任務に関してこのようにしなければならない。」」

 4章3節には、会見の天幕で務めにつき、仕事をすることができるのは30歳以上50歳までの男子であると言われていましたが、ここでは25歳以上となっているのは、おそらくインターンの期間も含めてのことでしょう。インターンとして5年間奉仕し、30歳から50歳までフルに仕えるようにと定められていたのです。Ⅰテモテ3章には監督の資質が書かれてありますが、そこには「信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。」(3:6)とあります。25歳からでも奉仕できますが、実際にはよく経験を積んで30歳から奉仕するようになっていたのです。また、50歳からは奉仕の務めから退き、もう奉仕できませんでした。会見の天幕での奉仕は、それほど肉体的にも、精神的にも、霊的にも、集中を要したからでしょう。その人はただ、会見の天幕で、自分の同族の者が任務を果たすのを助けることはできましたが、自分で奉仕することはできませんでした。50歳以上の人は、サポートする側、監督をする側に回り、実際の奉仕をすることはなかったのです。

民数記7章

民数記7章

 

きょうは民数記の7章から学びます。まず1節から9節までをお読みします。

 

1.ささげ物(1-9)

 

「モーセは幕屋を設営し終えた日に、これに油注ぎをして、聖別した。そのすべての器具と、祭壇およびそのすべての用具にもそうした。彼がそれらに油注ぎをして聖別したとき、イスラエルの族長たち、すなわち一族のかしらたちが近づいた。彼らは部族の長たちで、登録に当たった者たちである。彼らは自分たちのささげ物を主の前に持って来た。それは覆いのある台車六台と雄牛十二頭で、族長二人につき車一台、一人につき牛一頭であった。彼らはこれを幕屋の前に引いて来た。 すると主はモーセに告げられた。「会見の天幕の奉仕に使うために彼らからこれらを受け取り、レビ人にそれぞれの奉仕に応じて渡せ。」そこでモーセは台車と雄牛を受け取り、それをレビ人に与えた。ゲルション族には、その奉仕に応じて台車二台と雄牛四頭を与え、メラリ族には、祭司アロンの子イタマルの監督のもとにある彼らの奉仕に応じて、台車四台と雄牛八頭を与えた。しかしケハテ族には何も与えなかった。彼らの聖なるものに関わる奉仕は、肩に担いで運ぶことだったからである。」

 

1節を見ると、「モーセは幕屋を設営し終えた日に」とあります。モーセが幕屋を建て終ったのは、イスラエルがエジプトを出てから二年目の、第一月の月の一日のことです。出エジプト記40章17節にそのように記録されてあります。それから一か月間、主はモーセを呼び寄せ、会見の天幕から、彼に告げて仰せられました。それがレビ記の内容です。その後、神はモーセに人口調査をするように命じられました。それが民数記の最初に記されてあることです。それは彼らがエジプトを出て二年目の第二の月の一日のことです。それなのに、ここにはモーセが幕屋を建て終った日の話にさかのぼっています。いったいなぜでしょうか?おそらく二つの理由があったと考えられます。

 

第一のことは、モーセは幕屋を完成させましたが、これからイスラエルが約束の地に向かって進んでいく上で、何か足りないものでしょう。それは、イスラエルが旅をするときの運搬用具です。旅をするときには、幕屋を分解して運ばなければなりません。それを運ぶトラックが必要でした。そこで彼らは、その車とそれを引っ張る牛をささげるのです。それが7章に記されてある内容です。ですから、幕屋は完成して聖別したけれども、これから旅立つにあたって、今度はそれを運ぶトラックが必要になったことを、ここで振り返って記録しているのです。

 

もう一つの理由は、この7章はささげものについて記録されていると申し上げましたが、そのささげものについて記す前に、奉仕について記す前に、それに先行することがあったということを示すためです。それは何でしょうか?それは神の恵みであり、神の祝福です。6章の終わりのところには、アロンによる神の祝福のことばが述べられていました。それはイスラエルが何かをしたからではありません。彼らはただ自分を主にささげたので、主は彼らを祝福してくださいました。彼らが何かをしたから祝福されたのではなく、神が一方的に祝福したのです。これが神の祝福です。神は私たちが奉仕をしたから、献金をしたから祝福してくださるのではなく、その前に一方的に祝福してくださる方なのです。つまり、私たちの奉仕やささげものの前に神の恵みが先行するということです。そうした神の愛や恵み、祝福があるからそれに応答してささげるのです。それが私たちの奉仕です。その逆ではありません。ですから、ここに一か月さかのぼってイスラエルのささげ物について記されているのです。

 

それでは2節から9節までをご覧ください。イスラエルの族長たち、すなわち彼らの父祖の家のかしらたちがささげ物をしました。それは覆いのある台車6台と雄牛12頭で、族長2人につき車1台、1人につき牛1頭でした。族長2人で車1台ですから、車は全部で6台、族長1人につき牛1頭ですから12頭になります。それを幕屋の前に連れてきました。

 

すると主はモーセに告げて仰せられました。「会見の天幕の奉仕に使うために彼らからこれらを受け取り、レビ人にそれぞれの奉仕に応じて渡せ。」(5)そこでモーセは車と雄牛とを受け取り、それをレビ人に与えました。

 

レビ族には三つの氏族がいました。ゲルション族、メラリ族、ケハテ族です。まずゲルション族には車2台と雄牛4頭です。車は全部で6台、雄牛は全部で12頭ありましたので、それを三つに分ければ車2台と雄牛4頭というのは妥当な数です。しかし、メラリ族はそうではありませんでした。メラリ族には車4台と雄牛8頭です。つまり残りの車と雄牛のすべてがメラリ族に与えられたのです。ということは、残りはゼロになります。ですから、ケハテ族には何も与えられませんでした。これはどういうことでしょうか?

 

私たちはこういう記事を読むと不公平ではないかと感じます。ある人たちはたくさん受けているのに自分たちはそうではないと不満になります。特に格差社会が広がっているような今日の社会においてはそのような傾向があります。たとえば、コロナで時短要請が出されたとき、これに協力した飲食店には一律の協力金が支払われましたが、店の規模によって経費も違うので一律というのはおかしいのではないかという不満が出ました。ここではその逆で一律ではないということでの不満です。これは本当に不公平なのでしょうか?

 

ここで鍵になる言葉は「その奉仕に応じて」(5,7,8,)という言葉です。これは奉仕に応じて与えられました。民数記4章を見ると、彼らの奉仕が割り当てられていたかがわかります。ゲルション族にはどのようなに奉仕が割り当てられましたか。彼らには幕屋の幕、会見の天幕とその覆い、その上にかけるじゅごんの皮の覆い、会見の天幕の入り口の垂れ幕、・・およびこれらに関するすべての奉仕」でした(4:25,26)。それはかなりの重量がありました。ですから、人力で運ぶのは大変だったのです。彼らの奉仕には車2台と牛4頭が必要でした。メラリ族はどうでしょう。彼らは幕で覆うところの板、柱、釘、台座などを運ぶように任命されました(29-33)。彼らは幕屋の板や横木、台座といった重いものから、釘1本、ひも1本に至る小さな奉仕に至るまで行いました。ですから、もっと人手が必要でしたし、当然、車や牛といった運搬用具も必要だったのです。ではケハテ族はどうだったのでしょうか。ケハテ族に割り当てられていた奉仕は、最も聖なるものにかかわることでした。それは、聖所のすべての器具を運ぶというものでした(4:15)。それに触れてもいけませんでした。それに触れることがあると死んでしまうからです。ですから、それにかつぎ棒を通し、肩にかついで運ばなければならなかったのです。

 

Ⅱサムエル6章には、これとは違った方法で運んだ結果、神の怒りに触れて死んだ人の事件が記されてあります。そうです、ウザです。彼はダビデの命令によってユダのバアラから自分の町に神の箱を運び入れようとしました。それで彼らは、神の箱を新しい車に載せてアビナダブの家から運び出したのです。しかし、ナコンの打ち場まで来たとき、牛がそれをひっくり返そうとしたので、ウザが手を伸ばして神の箱を押さえたところ、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、彼はそのかたわらで死んでしまいました。いったい何が問題だったのでしょうか。それはこの民数記に書いてあるような方法によって運ばなかったことです。それは肩にかついで運ばなければなりませんでした。箱に触れて死なないためです。それなのに彼らはそれを新しい車に載せて運ぼうとしました。それが問題だったのです。

 

ですから、ケハテ族には車も牛も必要ありませんでした。幕屋の燭台以外はかつぎ棒を通して、肩にかついで運んだからです。それは不公平ではないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。彼らはそれを肩にかつぐことが許されていたのですから。栄光の主に密着するかのようにして奉仕することができました。主の臨在をもっとも近く感じることができたのです。それは何よりも特別な奉仕でした。そんなにすばらしい特権は他にはありません。車や牛によってではなく、聖なるものに密着しながら歩むことができたからです。それは不公平どころかむしろ、人もうらやむようなすばらしい恵みだったのです。

 

このところから教えられことは、私たちクリスチャンにとっての幸いは何かということです。私たちにとっての幸いは、このように主と共に歩むことです。マタイの福音書8章20節のところでイエス様は、「きつねには穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」と言いました。これがイエス様の生き方でした。イエス様は物質に振り回されるような生き方ではなく、神と親密な関係を求めてシンプルに生きられたのです。時として車や牛がどれだけあるかということが、神との関係を阻害することがあります。この世の情報に振り回されることで、神が見えなくなってしまうことがあるのです。

 

最近、前中国大使だった韓国のクリスチャンでキム・ハジュン氏が書かれた「神の大使」と本を読みました。この本は、著者がどのように神に頼り、どのように祈りに答えられたかというご自分の体験をまとめられたものですが、最後のエピローグに「聖霊に従って歩む人生」というタイトルで、どうしたら聖霊に従って歩むことができるかについて述べておられます。その一つに「神お一人に集中してください」という項目があります。霊的な祈りをささげるためには、もう少し生活を単純化させる必要があるということです。あれもこれもではなく、この一事に励むということです。生活が少し単純になると、余計な考えが減り、もっと祈りやすくなります。この著者は中国大使という仕事でかなり忙しい日々でしたが、そのような中にあって祈ることができたのは、仕事と祈りだけに酋長していたからではないかと言っています。ドラマや映画、スポーツ中継を見ていたら、神に集中することは難しかったと思うと。しかし、彼は自分の本来の仕事と勉強、そして祈ることに集中していたので、そのほかのことはよくわからないが、祈りに集中できたと証しています。

 

これを読んで教えられたことは、私たちが神との関係を親密なものとしたいのであれば、シンプルに生きなければならないということです。この世のものに振り回されるのではなく、どうしても必要なものに心を留めて、そこに集中することです。神の国とその義とを第一にするなら、それに加えて必要なものは与えられるのです。ですから、神に集中できるように、シンプルに生きることです。

車や牛が与えられていてもいなくも、神の臨在が与えられていることを感謝して受け止める信仰が求められるのです。

 

 2.祭壇奉献(10-11)

 

次に10節と11節をご覧ください。「祭壇に油注ぎが行われた日に、族長たちは祭壇奉献のためのささげ物を献げた。族長たちが自分たちのささげ物を祭壇の前に近づけたとき、主はモーセに言われた。「族長たちは一日に一人ずつの割合で、祭壇奉献のために彼らのささげ物を献げなければならない。」」

 

幕屋が完成し祭壇に油が注がれる日に、族長たちは祭壇奉献のためのささげ物を献げました。それは12節から終わりのところまでに記されていることですが、それは運搬用具の車や牛だけではなく、祭壇における奉仕に必要なものでした。

 11節を見ると、族長たちは一日にひとりずつの割合で、部族ごとにささげるようにと命じられました。なぜ一度に持ってくるようにしなかったのでしょうか?それは主が私たちのささげ物をしっかりと受け止めておられるからです。丁寧に、一日一日という間隔を空けて持って来ることによって、それを噛み締めるかのようにして受け取られたのです。私たちは効率主義の社会の中で動いていますが、そこでは一つの成果をあげるために、私たちの仕事がまるで機械のねじのように扱われることがあります。しかし、神の方法は違います。「わたしの弟子だということで、この小さい者たちのひとりに、水いっぱいでも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」(マタイ10:42)。とあるように、私たちの一つ一つの小さな奉仕が、一滴のしずくのように感じるものでも、主はそれをしっかりと心に留めておられ、それにしたがって報いをお与えになられるのです。その一つ一つの奉仕を覚えるためです。

 

3.主へのささげ物(12-89)

 

では、それぞれの部族はどのようにささげたでしょうか。12節から終わりまでを見てください。ここには、各部族の長たちが何をささげたのかが記されてあります。第一にささげたのは、ユダ部族のアミナダブの子ナフションでした。そのささげ物は、銀の皿一つ、銀の鉢一つ、これらには穀物のささげ物として油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてありました。また香を満たした金のひしゃく、全焼のいけにえとして雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭、罪のためのいけにえとして雄山羊一頭、和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄山羊五頭、一歳の雄の子羊五頭です。これがアビナダブの子ナフションのささげ物でした。

 

そして、それを各部族が毎日順番でもってくるのです。二日目は18節にありますが、イッサカルの部族、ツアルの子ネタンエルです。三日目は24節にあります。ゼブルン族の族長、ヘロンの子エリアブです。四日目は30節にありますが、ルベン族の族長、シェデウルの子エリツルです。五日目は36節、シメオン族の族長、ツリシャダイの子シェルミエルです。六日目は42節、ガドの族長、デウエルの子エルヤサフ、七日目は48節、エフライム族の族長、アミフデの子エリシャマ、八日目は、マナセ族の族長、ペダツルの子ガムリエルです。九日目は、ベニヤミン族の族長、ギデオニの子アビタン、十日目は、ダン族の族長アミシャダイの子アヒエゼル、十一日目は、アシェル族の族長、オクランの子パグイエル、そして十二日目は、ナフタリ族の族長、エナンの子アヒラです。

 

この箇所を読み進めながら非常に驚くことは、それぞれの部族が携えてくるささげ物は、すべて同じものであるのにもかかわらず、繰り返してささげ物の内容が記されていることです。この章は、聖書の中で2番目に長い章であり89節もあります。一番長いのは詩篇119篇ですが、詩篇119篇にはみことばに関するさまざまな事について書かれてあり、私たちの魂を潤わせる内容となっていますが、この章は、ただささげ物の内容が12回繰り返されているだけです。いったいなぜ同じことが何回も繰り返してあるのでしょうか?いくつかの理由が考えられます。

 

第一のことは、主はささげることを大切にしておられるということです。主は、それぞれのささげ物を記録として残しておかれたいと願われたほど、彼らのささげ物に目を留めておられたのです。一日ごとに、それぞれのささげ物が省略されることなく列挙されているのは、神の目ではどんなに小さなささげものであっても、しっかりと記録されていることを教えるためです。

 

第二のことは、各部族はそれぞれ人数が異なるのに、同じささげ物がささげられていることに注目してください。成年男子の人数は、ユダ部族が最も多くマナセ族がもっとも少ないのですが、それでも全く同じささげものがささげられました。つまり、主の前にあって、どの部族がより多くの注目を集め、他の部族がそれほど注目に値しないということではなく、主の前では、どの部族も覚えられ、主に栄光が帰せられているのです。こうして平等となり、調和が保たれているのです。これは旧約のイスラエルの時代だけでなく、新約の時代も、あるいは今の時代にも適用できる原則です。それが十分の一の原則です。十分の一とは何でしょうか。それは私たちに与えられている財産のすべては神のものであるという信仰の表明として、それを十分の一ささげることによって表しました。新約の時代に生きる者としてこうした律法に縛られる必要はありませんが、これは律法が制定される前にすでに存在していた神の原則なのです。創世記14章20節を見ると、アブラハムはサレムの王メルキデゼクに戦利品の十分の一をささげたとあります。それは律法が制定される以前の話です。神は私たちがどれだけささげたかということではなく、どのような割合でささげたのかをご覧になられます。レプタ銅貨2枚をささげたやもめには、彼女は他のだれよりも多くささげたと称賛しました。多く集めた人も少なく集めた人も余ることがなく、また足りないことがないように、神は十分の一という原則を定めてささげることを願っておられるのです。

 

パウロはこう言っています。「今あなたがたの余裕が彼らの欠乏を補うなら、彼らの余裕もまた、あなたがたの欠乏を補うことになるのです。こうして、平等になるのです。多く集めた物も余るところがなく、少し集めた物も足りないところがなかった」と書いてあるとおりです。」(Ⅱコリント8:14)

 

私たちも自分に与えられたものは神のものであって、それを神に喜んでお返しするために、いやいやながらではなく、強いられてでもなく、心に決めたとおりに、喜んで主にささげるものでありたいと思います。主は喜んでささげ人を愛してくださるのです。

 

84節以降は、12部族のささげ物の合計が記されてあります。ここには12という数字と7という数字になっていることに注目してください。完全なお方にふさわしく、それぞれの合計が完全数になっています。

 

89節には、「モーセは、主と語るために会見の天幕に入ると、あかしの箱の上にある「宥めの蓋」の上から、すなわち二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。」とあります。これらのささげ物がささげられた後で、主の御声がモーセにあったのは、民がささげた物を、主が受け入れられたということを表しています。モーセやアロン、そしてイスラエルの民にとって、それは大きな喜びであったに違いありません。さらに、このことによって、民がシナイの荒野を出発する日が近づいていることを知らされたのではないかと思います。

 

私たちも主イエスの贖いによって神と親しく交わる道が開かれました。約束の聖霊が与えられ、霊とまことによって礼拝することができるようになりました。それによって私たちは主の御声を聞き、賛美と感謝をささげ、神の知恵と力によって前進していくことができるようになりました。何という恵みでしょうか。

時には主の御声が聞こえないとい時があるかもしれません。しかし主は、その沈黙を通しても私たちに語りかけてくださいます。私たちの罪が贖われ、神と親しく交わることが許され、主を礼拝することによって主の御声を聞くことができるようになったのですから。今、あなたも出発するときです。主の御声を聞きながら、この人生の荒野を前進していこうではありませんか。

民数記6章

民数記6章

 

 きょうは、民数記6章から学びます。まず1節から12節までをお読みします。

 

  • ナジル人の誓願(1-12)

 

 まず1節から12節までをお読みします。「【主】はモーセに告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。男または女が、【主】のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、その人は、ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう酒の酢や強い酒の酢を飲んではならない。また、ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも、干したものも食べてはならない。ナジル人としての聖別の全期間、彼はぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間は、頭にかみそりを当ててはならない。【主】のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであり、頭の髪の毛を伸ばしておかなければならない。【主】のものとして身を聖別している間は、死人のところに入って行ってはならない。父、母、兄弟、姉妹が死んだ場合でも、彼らとの関わりで身を汚してはならない。彼の頭には神への聖別のしるしがあるからである。ナジル人としての聖別の全期間、彼は【主】に対して聖なるものである。だれかが突然、彼のそばで死んで、その聖別された頭を汚した場合には、身をきよめる日に頭を剃る。すなわち七日目に剃る。そして八日目に、山鳩二羽か家鳩のひな二羽を、会見の天幕の入り口にいる祭司のところに持って行く。祭司はその一羽を罪のきよめのささげ物とし、もう一羽を全焼のささげ物として献げ、死体によって招いた罪を除いて彼のために宥めを行い、その日に彼の頭を聖なるものとする。その人は、ナジル人としての聖別の期間を、改めて【主】のものとして聖別する。そして一歳の雄の子羊を携えて行き、代償のささげ物とする。それ以前の日数は、彼の聖別が汚されたので無効になる。」

 

5章では、宿営の内側を聖めることについて教えられていました。なぜなら、そこに主が住まわれるからです。主が住まわれる宿営を汚さないように、ツァラートの者、漏出を病む者、死体によって身を汚している者をすべて追い出すようにと勧められていました。また、夫婦関係についても教えられていました。それは社会の最小単位であるからです。すべての関係の土台でもある夫婦関係が守られてこそ敵に勝利することができます。

 

きょうの箇所には、ナジル人の誓願について教えられています。「ナジル人の誓願」とは、2節にもあるように、「男または女が主のものとして身を聖別するための特別な誓い」のことです。意味は「聖め別たれた者」とか、「主に献げられた者」という意味です。つまり、自分を主に献げるという特別の誓いのことです。ローマ人への手紙12章1節には、すべての神の民に、自分を神にささげるようにと勧められています。「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」「ですから」とは、神の恵みにより、イエス・キリストの贖いのゆえに罪を赦されたのですから、神の民とされていただいたのですから、という意味です。そのように神の恵みによって聖なる者とされたクリスチャンは、自分を聖い生きた供え物としてささげなければなりません。

 

しかし、ここでは「特別な誓い」とあるように、何か特別な目的のために自分を主にささげる人たちがいたのです。それがナジル人の誓願です。なぜこのような誓願をしたのかというと、神がそれを喜ばれ、そのような人に神の特別な力と御業を現わすためです。それは断食等の信仰の行いもそうです。ただ形式にやっても意味はありませんが、ある目的のために神の恵みとあわれみを求めて自分を聖別するなら、神はその信仰を喜ばれ、御力を現してくださるのです。いわばこのナジル人の誓願はより積極的な面での聖めについての教えであると言えます。このようなナジル人の誓願を立てる場合はどうしたら良いのでしょうか。

 

その場合はまず、ぶどう酒や強い酒を断たなければなりませんでした。ここには「ぶどう酒や強い酒を断たなければならない」(3)とあります。また、ぶどう酒と強い酒の他に、酢も飲んではいけませんでした。ぶどう汁もそうです。ぶどうの実の生のものも干したものもです。ナジル人としての聖別の期間には、ぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならなかったのです。なぜでしょうか?それはぶどうがこの世の楽しみや喜びの象徴であったからです。神へのナジル人はそうしたこの世の楽しみや喜びを断つことが求められたのです。なぜ喜びとか楽しみを断たなければならなかったのでしょうか。別に喜んではならないとか、楽しんではならないということではありません。そのような時でも神に集中し、神に祈り、神との交わりを第一に求めなければならなかったからです。ナジル人にとってはこの世の楽しみよりも、主との交わりを最優先にしなければならなかったということです。

 

第二のことは、ナジル人は頭の髪をそってはならないとあります(5)。なぜでしょうか。それは、髪の毛が神の力を象徴していたからです。サムソンは、母の胎内にいるときから神へのナジル人でしたが、主の使いが父マノアに、「その子の頭にかみそりを当ててはならない。」(士師記13:5)と言いました。それでサムソンは長髪だったのです。彼には御霊によって怪力が与えられ、何千人ものペリシテ人を殺すことができましたが、その力の源は何だったかというと、その髪の毛にありました。それでペリシテ人の女デリラは彼を欺き、自分のひざの上にサムソンを眠らせると、人を呼んで彼の髪の毛をそり落としてしまいました。それで神の力は彼を去っていったのです(士師16:19)。

 

サムソンだけではありません。サムエルもそうでした。ハンナが、主に祈って、激しく泣いた時、彼女は誓願を立ててこう言いました。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」(Ⅰサムエル1:11)。        

サムエルは後に偉大な士師、預言者となり、霊的に暗かった時代の中でイスラエルを復興させるために神に用いられる器になりました。したがって、ナジル人の長髪は、神に用いられるための力を象徴していたのです。主に自分のすべてをささげている人は、神の力を受けるのです。

 

ですから、イスラエルには、このようなナジル人の存在が必要だったのです。すべてを主に明け渡し、自分の思いを主に定め、右にも左にもそれない人が必要だったのです。神は、このような人たちを通して、ご自分のわざを行なわれるからです。それはキリストの教会においてもいえることです。教会もこのように自分を主にささげ、主のために生きるとコミットした人たちによって建て上げられていきます。そこに神のいのちと力が増し加えられ、ご自身のみわざが現されるからです。

 

第三に、主のものとして身を聖別している間は、死体に近づくことができませんでした(6)。父、母、兄弟、姉妹が死んだ場合でも、身を汚してはなりませんでした。なぜなら、死体は罪、汚れの象徴だったからです。罪によって死がもたらされました。神のうちにはいのちがあるだけで、死は一切ありません。したがって、これらを避けることが主のみこころだったのです。

 

ところで、9節から12節までには、「もしだれかが突然、彼のそばで死んで、その聖別された頭を汚した場合」はどうしたらよいかが教えられています。つまり、自分の意志によってではなく、たまたまそれに巻き込まれた場合はどうしたらいいのかということです。その場合は12節にあるように、「ナジル人としての聖別の期間をあらためて主のものとして聖別」しなければなりませんでした。すなわち、ふりだしに戻らなければならないということです。その時には、まず七日目に頭をそり、八日目に山鳩二羽か家鳩のひな二羽を会見の天幕の入口の祭司のところに持って行きます。祭司はその一羽を罪のためのいけにえとし、他の一羽を全焼のいけにえとしてささげ、死体によって招いた罪について彼のために贖いをし、彼はその日にその頭を聖なるものとして、ナジル人としての聖別の期間をあらためて主のものとして聖別したのです。罪のいけにえは、罪を犯したときその赦しのためにささげられるいけにえで、全焼のいけにえは、神に自分自身をささげるためのいけにえです。私たちが罪を犯したときは、この二つのいけにえが必要です。罪の赦しをいただき、再び主に自分自身をささげることです。このようにして再びやり直すことができました。

 

けれども、自分の行為によって犯した過ちではないのに、なぜ、罪を犯した者として数えられなければならないのでしょうか。それは、ナジル人として自分を主に献げるということはそのような厳しさが伴うからです。たとえ自分の方から触っただけではなく死体の方からふりかかってきても、その人は罪のいえにえと全焼のいけにえをささげなければならなかったのです。そして一歳の雄の子羊を携えて来て、罪過のためのいけにえとしなければなりませんでした。罪過のいけにえは、自分が他の人に危害を加えた場合にささげるものです。このいけにえをささげたあと、聖別は振り出しに戻り、またゼロから出発することになります。私たちも、ふと思いがけないことですべてのことがだめになってしまうことがありますが、神は何度でもチャンスを与えてくださいます。これまで築き上げてきたものがゼロになっても、再びスタートすることができるのです。

 

Ⅱ.ナジル人の期間が満ちた時(13-21)

 

  次に13節から21節までをご覧ください。「これはナジル人についてのおしえである。ナジル人としての聖別の期間が満ちたときは、彼を会見の天幕の入り口に連れて行く。彼は次のささげ物を【主】に献げる。すなわち、全焼のささげ物として傷のない一歳の雄の子羊一匹、罪のきよめのささげ物として傷のない一歳の雌の子羊一匹、交わりのいけにえとして傷のない雄羊一匹、さらに穀物のささげ物として、種なしパン一かご、油を混ぜた小麦粉の輪形パン、油を塗った種なしの薄焼きパンを、それぞれに添える注ぎのささげ物とともに献げる。祭司はこれらのものを【主】の前に近づけ、罪のきよめのささげ物と全焼のささげ物を献げる。交わりのいけにえとして雄羊を、一かごの種なしパンとともに【主】に献げ、さらに祭司は穀物のささげ物と注ぎのささげ物を献げる。ナジル人は会見の天幕の入り口で、聖別した頭を剃り、その聖別した頭の髪の毛を取って、交わりのいけにえの下にある火にくべる。ナジル人がその聖別した髪の毛を剃った後、祭司は煮えた雄羊の肩と、かごの中の種なしの輪形パン一つと、種なしの薄焼きパン一つを取って、ナジル人の手の上に載せる。祭司はこれらを奉献物として【主】の前で揺り動かす。これは聖なるものであって、奉献物の胸肉、奉納物のもも肉とともに祭司のものとなる。その後で、このナジル人はぶどう酒を飲むことができる。これがナジル人についてのおしえである。ナジル人としての聖別に加えて、その人の力の及ぶ以上に【主】へのささげ物を誓う者は、ナジル人としての聖別のおしえに加えて、その誓った誓いのことばどおりにしなければならない。」」

 

ここには、ナジル人としての聖別の期間が満ちた時にはどうしたらよいかが教えられています。

ナジル人としての聖別の期間が満ちたときは、彼を幕屋のところに連れて来て、主にいけにえをささげなければなりませんでした(13)。そのいけにえは、まず全焼のいけにえです。それは、一歳の雄の子羊一匹でした。また、罪のきよめのいけにえとして傷のない一歳の雌の子羊をささげなければなりませんでした。また、交わりのいけにえ(和解のいけにえ)としては、傷のない一匹の雄羊をささげなければなりませんでした。交わりのためのいけにえとは和解のいけにえのことです。神との和解、神との平和が与えられたので、それを楽しむためのいけにえです。

 

そして、穀物のささげものもありました。穀物のささげものとしては、種を入れないパン一かご、油を混ぜた小麦粉の輪型のパンと、油を塗った種を入れないせんべいです。パン種は罪の象徴ですので、パンの中には種が入っていてはいけなかったのです。また油は聖霊の象徴なので、その油を塗るとか混ぜるというのは、主の聖霊が私たちのうちに宿り、また主の油注ぎが私たちのうちにあることを表していました。このように、ナジル人の誓願によって身を聖別することで主との特別な交わり、御霊にある喜びを持つことができたのです。

 

18節には、ナジル人は会見の天幕の入り口で、これまで伸ばしてきた髪の毛を剃り、それを祭壇のところで交わりのいけにえの下にある火にくべなければなりませんでした。祭司は、煮えた雄羊の肩と、かごの中の種を入れない輪型のパン一個と、種を入れない薄焼きパン(せんべい)一個を取って、ナジル人がその聖別した髪の毛を剃った後で、これらをその手の上に載せました。祭司はこれらを奉献物として主に向かって揺り動かします。これは聖なるものであって、奉献物の胸、奉納物のももとともに祭司のものとなりました。

 

交わりのいけにえは、このようにして祭司によって神の前で高くかかげられます。主に感謝して、主を賛美している姿です。その後で、ナジル人はぶどう酒を飲むことができました。それはどれほどの喜びをもたらしたことでしょう。その喜びがこの後の祝福となって表われます。

 

Ⅲ.主の祝福(22-27)

 

22節から27節をご覧ください。ここにイスラエルに対する祝福が語られます。「【主】はモーセにこう告げられた。「アロンとその子らに告げよ。『あなたがたはイスラエルの子らに言って、彼らをこのように祝福しなさい。【主】があなたを祝福し、あなたを守られますように。【主】が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。【主】が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』アロンとその子らが、わたしの名をイスラエルの子らの上に置くなら、わたしが彼らを祝福する。」」

 

これは、礼拝の祝祷でも用いられる有名な祝福の祈りです。神はこの祝福の祈りをナジル人の教えの後で、アロンにするように命じられました。なぜでしょうか。これはナジル人の誓いと無関係ではないからです。なぜなら、神は自分自身を聖別する者を喜ばれ、祝福されるからです。ツァラートの者、漏出を病む者、死体で身を汚している者を追い出し、他人に害を加えた者が弁償を行ない、苦い水によってためされ、そしてナジル人の聖別によって聖別し、内なる人が強められるとき、主はご自分の祝福を注がれるのです。神が願っておられることは、私たちが主に聖別された者として、自分自身を主にささげることです。そこに神のいのちと力、祝福が現され、教会は外側からも内側からも崩れない堅固なものとして堅く立ち続けることができるのです。

 

先ほど、ナジル人としてささげられた人としての例としてサムソンとサムエルのことを取り上げましたが、実は新約聖書にもナジル人として自分自身を神にささげた人がいます。その一人は、バプテスマのヨハネです。天使ガブリエルがザカリヤに対して、「彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、」(ルカ1:15)と言いました。そのように神にささげられたバプテスマのヨハネは、主イエスから「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。」(マタイ11:11)と称賛されたほどです。彼はそれほど神の力に満ち溢れていました。

 

また、使徒パウロも一時、ナジル人の誓いを立てていたことが分かります。ケンクレヤというところで一つの誓いを立てたので、髪の毛を剃っています(使徒18:18)。パウロがケンクレヤで髪を剃ったというのは、その断食期間、その誓願期間に一つの区切りを迎えたということです。ナジル人として一定期間誓願を立てておりそれに区切りをつけたということは、ケンクレヤで第二次伝道旅行は終わったということです。パウロは、コリントに腰を据えて伝道していました。18章11節には、「そこでパウロは、1年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。」とあります。衰弱して、恐れを抱きながら、コリントに来たパウロでしたが、そこでアクラとプリスキラという、同じようにローマから避難してきた夫婦に出会い、話をしているうちに元気を回復し、そしてイエスさまから励ましのことばを受けました。これが10節です。「わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はいない。この町にも、わたしの民がたくさんいるから。」伝道の実りは大きいと主に励まされて、パウロはコリントに一年半滞在することができたのです。その伝道の働きが終わりました。それで、パウロはシリヤに向かって船出したのです。それが18節に書いてあることです。そしてケンクリヤに来た時に髪をそったのです。いったいパウロは何ためにナジル人としての誓願を立てたのでしょうか。おそらく、第二次伝道旅行においてふりかかる数々の迫害の中にも神の恵みと力にあふれて、その御業を果たすことができるようにという願いがあったのでしょう。それが終わりました。それから解かれたので、彼は髪の毛をそったのです。そのように神の働きにおいて、神の力ある御業が現されるようにと願ってナジル人としての誓願を立てる、自分を神にささげるということはとても大切なことなのです。

 

そして何よりもナジル人として生きられたのは、イエス様ご自身でした。イエス様は最後の晩餐の時にこう言われました。「あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」(ルカ22:18)これはナジル人としての誓願です。イエス様が再び地上に来られる時までぶどうの実で造られた物を飲むことはないと、ご自分をささげられたのです。神の国がもたらされるそのときに、その喜びの祝宴の中でぶどう酒を飲みます、そう言われたのです。つまり、イエス様が切に願われたのは、ご自分の民であるユダヤ人がご自分を受け入れること、そして世界が元の通りに回復することです。それまでは、ご自分を父にお任せしていました。それほどご自分を父なる神にゆだねておられたのです。神の救いは、そのようなところにもたらされるのです。

 

皆さんはどうでしょうか。自分を主にささげておられるでしょうか。主のものとなっていますか。もしそうであるならば、そこに主の御力とみわざがあらわれます。主があなたを祝福し、あなたを守ってくださいます。主があなたを照らし、あなたを恵まれます。主が御顔をあなたに向け、あなた平安を与えてくださるのです。私たちはそんな力ある主のみわざにあずかるために、自分自身を主におささげして歩む者でありたいと思います。

民数記4章

民数記4章

 

 きょうは民数記4章から学びます。

 

 Ⅰ.ケハテ族の奉仕(1-20)

 

 まず1節から20節までをご覧ください。3節までをお読みします。「【主】はモーセとアロンに告げられた。「レビ人のうち、ケハテ族の頭数を、その氏族ごと、一族ごとに調べよ。それは会見の天幕で任務に当たり、仕事をすることのできる三十歳以上五十歳までのすべての者である。」

 

ここには、レビ族たちの奉仕について書かれてあります。まずケハテ族です。レビ族の先祖はレビですが、レビ族には三つの種族がおりました。ゲルション族、ケハテ族、メラリ族です。彼らは祭司の家系をサポートする聖職者たちでした。そのレビ人のうち、最初がケハテ族です。まず3節には、仕事をすることができるのは30歳以上50歳までのすべての者とあります。イエス様も幼い頃から主に仕えておられましたが、メシヤとして公の生涯に入られたのはおおよそ30歳でした。またⅡサムエル記5章4節を見ると、ダビデがイスラエルの王になったのも30歳の時でした。それが神によって定められた時だったのです。そして引退の年は50歳でした。50歳と聞いて、「若いなあ、まだまだできるのに」と思われる方も少なくないのではないでしょうか。なぜ50歳なのかはわかりません。おそろく、聖なる神が臨在される幕屋の奉仕のためには体力、気力、経験が必要だったからでしょう。

 

このケハテ族に与えられた奉仕はどんなことだったでしょうか。4節から16節までをご覧ください。「ケハテ族の会見の天幕での奉仕は、最も聖なるものに関わることで、次のとおりである。宿営が出発するときは、アロンとその子らが入って行って、仕切りの垂れ幕を取り降ろし、あかしの箱をそれでおおい、その上にじゅごんの皮の覆いを掛け、またその上に真っ青の布を広げ、担ぎ棒を通す。また、臨在の机の上に青色の布を広げ、その上に皿、ひしゃく、水差し、注ぎのささげ物のための瓶を載せ、またその上に常供のパンを置く。これらのものの上に緋色の撚り糸の布を広げ、じゅごんの皮の覆いでこれをおおい、担ぎ棒を通す。青色の布を取って、燭台とともしび皿、芯切りばさみ、芯取り皿、また、燭台のために用いる、油のためのすべての器具をおおい、この燭台とそのすべての器具をじゅごんの皮の覆いの中に入れ、これを担ぎ台に載せる。また金の祭壇の上に青色の布を広げ、それをじゅごんの皮の覆いでおおい、担ぎ棒を通す。聖所で務めに用いる用具をみな取り、青色の布の中に入れ、じゅごんの皮の覆いでそれをおおい、これを担ぎ台に載せ、祭壇から灰を除き、紫色の布をその上に広げる。その上に、祭壇で用いるすべての用具、すなわち火皿、肉刺し、十能、鉢、これら祭壇のすべての用具を載せ、じゅごんの皮の覆いをその上に広げ、担ぎ棒を通す。宿営が移動する際には、アロンとその子らが聖所と聖所のすべての用具をおおい終わってから、その後でケハテ族が入って行って、これらを運ばなければならない。彼    

彼らの奉仕は、最も聖なるものに関わることでした。まず宿営が進んで行く時に、モーセとその子らが幕屋に入って行き、仕切りの幕を降ろし、それであかしの箱を覆いました。この垂れ幕にはケルビムが織り込まれていましたが、それは青、紫、白、緋色の糸で織られていました。この四つの色の糸こそキリストご自身を表していたものです。キリストの神としての栄光の輝きです。その上にじゅごんの皮の覆いをかけました。これもキリストを表していました。これは人として来られたキリストの姿です。じゅごんの皮はどす黒い色をしていて見た目にはあまりきれいではありませんが、人としてのキリストの姿もそうでした。見た目ではあまりきれいではありませんでした。しかし、その中身は神の栄光に満ちていました。そして、その上に真っ青の布を広げ、担ぎ棒を通しました。これは天の象徴です。神の国はみずぼらしく外側からは魅力を感じないようなものかもしれませんが、中身すばらしいのです。中に入ると天国を味わうことができます。神を賛美し、祈り、神のことばに触れるとき、さながら天国のすばらしさを味わうことができるのです。それが神の国です。そのように聖所の器具はじゅごんの皮と真っ青の布で覆われました。

 

しかし、祭壇の器具だけは別の色の布が用いられました。13節を見ると、祭壇は青色の布ではなく紫色の布を使いました。なぜでしょうか。それは十字架を表していたからです。紫色と聞けば、私たちはすぐにピンときすね。それはイエス様が着せられた紫色の着物です。ヨハネ19章2節には、十字架につけられる時、紫色の着物を着せられたとあります。イエス様は私たちの罪のための供え物となって十字架で死んでくださいました。そして、三日目によみがられました。イエスこそ死からよみがえられたまことの主、まことの王であられます。紫色の布はそれを表していたのです。

 

15節を見てください。「宿営が移動する際には、アロンとその子らが聖所と聖所のすべての用具をおおい終わってから、その後でケハテ族が入って行って、これらを運ばなければならない。彼らが聖なるものに触れて死ぬことのないようにするためである。これらは、会見の天幕でケハテ族が運ぶ物である。」

レビ人が奉仕できた年齢が30歳から50歳までであったもう一つの理由がここにあります。それは、集中力が必要であったからということです。彼らの奉仕は特に注意を要するものでした。なぜなら、聖所の用具に関することだったからです。なぜこれが注意を要したのかというと、扱い方を間違えると命の危険があったからです。彼らがそれに触れて死ぬことがないようにする必要がありました。

 

Ⅰ歴代誌13章9~10節には、ウザが神の箱に触れて死んだことが書かれてあります。ダビデが神の箱をキルヤテ・エアリムから自分の町に運ぼうとしていたとき、牛がそれをひっくりかえそうとしたので、ウザが手を伸ばして箱を押さえました。すると神が怒り発せられ、ウザはその場で死んでしまいました。それほど神は聖なる方であり、私たちが勝手にふれることなどできない方なのです。ですから、この奉仕に当たる時には特に注意し、決して自分の思いつきで行ってはならなかったのです。

 

このことから教えられることは、神の奉仕は決して自分の考えや自分の思いで行ってはならないということです。それは神の方法で行われなければなりません。キリストを中心に行なわなければならないのです。自分でよかれと思ってすることが、死を招いてしまうこともあります。神の召しもないのに、あたかも召されたかのようにふるまうと大変なことになってしまいます。神の奉仕は、みことばに従ってキリスト中心に行われなければなりません。

 

さらに主はモーセにこう告げられました。17~20節です。「【主】はモーセとアロンにこう告げられた。「あなたがたは、ケハテ人諸氏族の部族をレビ人のうちから絶えさせてはならない。あなたがたは彼らに次のようにして、彼らが最も聖なるものに近づくときに、死なずに生きているようにせよ。アロンとその子らが入って行き、彼らにそれぞれの奉仕と、運ぶ物を指定しなければならない。彼らが入って行って、一目でも聖なるものを見て死ぬことのないようにするためである。」

 

主はモーセとアロンに、「ケハテ人諸氏族の部族をレビ人のうちから絶えさせてはならない」と言われました。それは、彼らが最も聖なるものに近づいて、あるいは一目でも聖なるものを見て死なないためです。

神は聖なる方であって、だれも見ることも、近づくこともできない方です。近づこうものなら、たちまち滅ぼされてしまいます。しかし、神はご自身の方から近づいてくださいました。神は御子イエスをこの世に送り、イエスの血によって大胆に神に近づくことができるようにしてくださいました。それが十字架の御業です。イエスが十字架でその御業を完成したとき、神殿の幕が真っ二つに裂けたのはそのことを示しています。ですから、私たちは今、このイエスの血によって大胆に神に近づくことができ、神を「アバ父」(お父さん)と呼ぶことができるのです。何という恵みでしょうか。それは本当に幸いなことです。しかし、神が聖なる方であることに変わりはありません。この聖なる方を自分の思い通りに動かそうとするなら、そこには主の御怒りが下ることを覚えておかなければなりません。

 

私たち人間がこの聖なる神に仕えることは不可能なことです。しかし、神はあわれみのうちに私たちを救ってくださり、ご自身の民とし、必要な知恵と力、そして助けを与えてくださいます。私たちはこの聖なる神の前にへりくだり、恐れと感謝と信仰をもって御前に進み出て、心からの奉仕をささげたいと思います。

 

Ⅱ.ゲルション族の奉仕(21-28)

 

次にゲルション族の奉仕について見ていきましょう。21節から28節までをご覧ください。「【主】はモーセにこう告げられた。「あなたはまた、ゲルション族の頭数を、その一族ごと、氏族ごとに調べ、三十歳以上五十歳までの者で会見の天幕で任務に当たり、奉仕をすることのできる者をすべて登録しなければならない。ゲルション人諸氏族のなすべき奉仕と運ぶ物は次のとおりである。幕屋の幕、会見の天幕とその覆い、その上に掛けるじゅごんの皮の覆い、会見の天幕の入り口の垂れ幕を運び、また庭の掛け幕、幕屋と祭壇の周りを取り巻く庭の門の入り口の垂れ幕、それらのひも、およびそれらに用いるすべての用具を運び、これらに関係するすべての奉仕をしなければならない。ゲルション族のすべての奉仕、すなわち、彼らが運ぶすべての物と彼らのすべての仕事は、アロンとその子らの命令によらなければならない。あなたがたは彼らに、任務として、彼らが運ぶ物をすべて割り当てなければならない。以上がゲルション人諸氏族の会見の天幕における奉仕で、彼らの任務は祭司アロンの子イタマルの指揮下にある。」

 

ケハテ族同様、ゲルション族も会見の天幕で奉仕をできる者は、30歳以上50歳までの年齢制限がつけられています。その奉仕は、幕屋の幕に関する奉仕でした(25-26)。すなわち、幕屋の幕と会見の天幕とその覆い、その上に掛けるじゅごんの皮の覆い、会見の天幕の入口の垂れ幕を運び、また庭の掛け幕、幕屋と祭壇の周りを取り巻く庭の門の入口の垂れ幕、それらのひも、およびそれらに用いるすべての用具を運ぶことと、これらに関係するすべての奉仕です。これをアロンの子イタマルが監督しました。

 

ここでのポイントは、まずアロンとその子らによって聖所の器具が覆われ、次にケハテ族によって運ばれ、そしてその後で彼らが幕を取り降ろしたということです。ここには一つの順序、一つの流れがあります。また、この奉仕のために監督者が立てられました。アロンの子イタマルです。彼らは勝手に奉仕したのではなくアロンとその子らの命令により、イタマルという監督の指導のもとに行われたのです。

 

Ⅲ.メラリ族の奉仕(29-33)

 

次にメラリ族の奉仕についてみていきましょう。29節から33節までをご覧ください。「メラリ族について、あなたはその氏族ごと、一族ごとに、彼らを登録しなければならない。三十歳以上五十歳までの者で、務めに就き、会見の天幕の奉仕をすることができる者たちをすべて、登録しなければならない。会見の天幕での彼らのすべての奉仕の中で、彼らが任務として運ぶ物は次のとおりである。幕屋の板、その横木、その柱とその台座、庭の周りの柱と、その台座、杭、ひも、これらの備品と、その奉仕に使うすべての物である。あなたがたは、彼らが任務として運ぶ備品を、名を挙げて割り当てなければならない。これが会見の天幕でのすべての仕事に関するメラリ人諸氏族の奉仕で、これは祭司アロンの子イタマルの指揮下にある。」」

 

メラリ族もイタマルの監督の下で奉仕します。奉仕ができたのは30歳以上50歳までの者です。彼らの奉仕は、幕屋の板、横木、台座、釘などです。これはかなりの重労働でした。ですから44節を見るとわかりますが、彼らの人数が最も多かったのです。3,200人です。それだけ手がかかったということです。釘1本、ひも1本の細かい作業も求められました。

 

このようにして神の幕屋の奉仕が行われました。まずアロンとその子らがもっとも重要な仕切りの幕をとりおろし、それで神の箱をおおい、また他の聖なる用具にもおおいをかけ、それをケハテ族に託します。そして次にゲルション族が幕を取り外します。そして、幕が取り外されたところで、最後にメラリ族が板、横木、釘、などを取り外したのです。これらはすべて主の命令によって行われました。だれかが勝手に行えば、全体の作業に支障をきたしました。そこには互いのコンビネーションが求められます。

 

大田原教会の隣にコンビニがありますが、数年前に店舗の拡張工事が行われました。9月下旬に古い建物が取り壊されると、2か月足らずで新しい建物が完成しました。それをずっと見ていて感じたことは、全体が機能的に動いていたことでした。全体を統括している人がいて、その命令に従って各部門が迅速に動いていました。もしその命令に従わなかったら完成にはもっと時間がかかったでしょう。あるいは、作業がバラバラになっていたかもしれません。これだけ早く新装オープンすることができたのは、統括の下に全体がその命令に従って動いたからです。

 

これが神の奉仕です。この4章の至るところに「主の命により」とあるのに気づかれた方もおられるかと思いますが(37,41,45,49節)、モーセを通して示された主の命令によって、それぞれの監督者たちが立てられ、その監督者たちの割り当てにしたがって、それぞれが奉仕してこそ神の家が建て上げられていったのです。教会も同じです。教会の奉仕においても、このコンビネーションが求められます。神はおのおのに御霊の賜物を与えてくださいました。それは互いがいたわり合い、補い合い、助け合い、支え合って、キリストのからだを建て上げるためです。そこには分裂がなく、互いにいたわりあうように、一つ一つの奉仕が割り当てられているのです。その調和が保たれる時、キリストのからだは力強く建て上げられていきます。そうでないと、分裂してしまうことになってしまいます。エペソ4章1節から16節までのところには、このことについて言われています。

 

ですから、私たちはいつもこのことに敏感になり、自分に与えられている賜物が用いられ、その賜物がしっかりと組み合わされ、結び合わされることを求めていかなければなりません。その時キリストのからだである教会は成長して、愛のうちに建て上げられるのです。自分だけはという考えは許されません。

 

34~49節には、これらの主の命令に従い、ケハテ族、ゲルション族、メラリ族の幕屋で奉仕する者たちが調べられ、登録されたことが記されてあります。「そこでモーセとアロンと会衆の上に立つ族長たちは、ケハテ族をその氏族ごと、一族ごとに、三十歳以上五十歳までの者で、会見の天幕での奉仕の務めに就くことのできる者を、すべて登録した。その氏族ごとに登録された者は、二千七百五十人であった。これはケハテ人諸氏族で登録された者であって、会見の天幕で奉仕する者の全員であり、モーセを通して示された【主】の命によって、モーセとアロンが登録した者たちである。ゲルション族で、その氏族ごと、一族ごとに登録され、三十歳以上五十歳までの者で、会見の天幕での奉仕の務めに就くことのできる者の全員、その氏族ごと、一族ごとに登録された者は、二千六百三十人であった。これはゲルション人諸氏族で登録された者たちで、会見の天幕で奉仕する者の全員であり、【主】の命により、モーセとアロンが登録した者たちである。メラリ人諸氏族で、その氏族ごと、一族ごとに登録され、三十歳以上五十歳までの者で、会見の天幕での奉仕の務めに就くことのできる者の全員、その氏族ごとに登録された者は、三千二百人であった。これはメラリ人諸氏族で登録された者であり、モーセを通して示された【主】の命により、モーセとアロンが登録した者たちである。モーセとアロンとイスラエルの族長たちが、レビ人を、その氏族ごと、一族ごとに登録した登録者の全員、三十歳以上五十歳までの者で、会見の天幕で労働の奉仕と運搬の奉仕をする者の全員、その登録された者は、八千五百八十人であった。彼らは【主】の命により、モーセを通して任じられ、それぞれその奉仕とその運ぶ物を受け持った。【主】がモーセに命じた、主によって登録された者たちである。」

 

その合計は8,580人でした。その人数は一見多いようにも見えますが、しかし、移動のたびに幕屋を整える奉仕は激務であったことと思います。だからこそ、これらの奉仕が主からのものであることを確信されるために、主によって登録される必要があったのです。この数は日本で主に仕えている牧師の数とほぼ同数です。牧師によって主に仕える期間に違いはありますが、それがどれだけであったとしても、主に召され、主に仕えることができることを感謝し、与えられた奉仕を全うさせていただきたいと願わされます。

 

最後に49節を読んで終わります。ここには、「彼らは主の命により、モーセを通して任じられ、それぞれその奉仕とその運ぶ物を受け持った。主がモーセに命じた、主によって登録された者たちである。」イスラエルの民は主の命により、モーセを通して命じられたとおりにこれを行いました。

 

イスラエルの民が約束の地に向かって進んでいくために、神はイスラエルにこのような登録と割り当てを行いました。それは彼らが力強く前進していくためです。それは私たちも同じです。私たちもキリストの旗印を高く上げ、この世の旅路において敵に勝利するために、十字架のキリストを見上げなければなりません。そして、神によって神のために召された者として、神の命に従って、神に仕えなければなりません。私たちは主によって前進し、主の命によって動く群れなのです。それは自分から出たものではありません。キリストのからだである教会の一員として登録され、互いに励まし合い、助け合い、結び合って、主に仕えル群れです。私たちはそのために数えられているのです。私たちが自分に与えられている務めを全うすることで群れ全体が生かされ、強められ、共に約束の地に向かって前進していくことができるのです。

 

民数記3章

民数記3章

 

 きょうは民数記3章から学びます。

 

Ⅰ.レビ人は主(1-13)

 

まず、1~13節までをご覧ください。1~4節までをお読みします。 「これは、【主】がシナイ山でモーセと語られたときの、アロンとモーセの系図である。アロンの息子たちの名は、長子ナダブ、アビフ、エルアザル、イタマル。これらはアロンの息子たちの名で、彼らは油注がれて祭司職に任じられた祭司であった。ナダブとアビフは、シナイの荒野で【主】の前に異なる火を献げたときに、【主】の前で死んだ。彼らには子がいなかった。それでエルアザルとイタマルが父アロンの生存中から祭司として仕えた。」

 

ここには、主がシナイ山でモーセに語られた時のアロンとモーセの系図が記されてあります。アロンの子らの名は長男がナダブで、次にアビフ、そしてエルアザル、イタマルです。彼らは油注がれて祭司の職に任じられた祭司たちでした。モーセもアロンも皆レビ族の出身です。しかし、すべてが祭司なれるのではありません。祭司になれるのはアロンの家系だけです。その他のレビ族の人たちは、アロンの家系をアシストするために召されていました。

 

しかし、アダブとナビフはシナイの荒野で異なった火をささげたので、主の前に死にました。これはレビ記10章にある内容です。彼らは異なった火をささげたので、主の前で息絶えました。この異なる火とは何か?それは、彼らは大祭司しか入ることのできない至聖所に入っていけにえをささげたのです。レビ記16章1、2節には、「アロンの二人の息子の死後、すなわち、彼らが【主】の前に近づいて死んだ後、【主】はモーセに告げられた。【主】はモーセに言われた。「あなたの兄アロンに告げよ。垂れ幕の内側の聖所、すなわち箱の上の『宥めの蓋』の前に、時をわきまえずに入ることがないようにせよ。死ぬことのないようにするためである。『宥めの蓋』の上で、わたしは雲の中に現れるからである。」とあります。すなわち、この二人の息子は、大祭司である父親のアロンしかできないことを自分たちの手でやろうとしたのです。彼らは、主がしてはならないと命じられたことを勝手に行ったのです。自分たちにもできると思ったのでしょう。それゆえ、彼らは火で焼き尽くされてしまいました。そこでエルアザルとイタマルが祭司として仕えました。

 

 次に、5~10節までをご覧ください。「【主】はモーセに告げられた。「レビ部族を進み出させ、彼らを祭司アロンに付き添わせて、仕えさせよ。彼らは会見の天幕の前で、アロンに関わる任務と全会衆に関わる任務に当たり、幕屋の奉仕をしなければならない。彼らは会見の天幕のすべての用具を守り、またイスラエルの子らに関わる任務に当たり、幕屋の奉仕をしなければならない。あなたは、レビ人をアロンとその子らに付けなさい。彼らはイスラエルの子らの中から、正式にアロンに付けられた者たちである。あなたは、アロンとその子らを任命して、その祭司の職を守らせなければならない。資格なしにこれに近づく者は殺されなければならない。」」

 

ここには他のレビ族の人たちの幕屋における奉仕について書かれてあります。彼らは、アロンに関わる任務を全会衆に関わる任務に当たり、幕屋の奉仕をしなければなりませんでした。アロンとその子らの働きをサポートして、彼らがそれをできるように助けたのです。聖所における奉仕はみなアロンとその息子たちが行いましたが、それに付随する働きはレビ族の人たちが担ったのです。ですから、たとえレビ人といえども、聖所の中での奉仕をすることはできませんでした。それはアロンとその子たちだけに許されていたことであり、ほかの人で近づく者は殺されたのです。

 

次に、11~13節をご覧ください。「【主】はモーセに告げられた。「見よ。わたしは、イスラエルの子らのうちで最初に胎を開いたすべての長子の代わりに、イスラエルの子らの中からレビ人を取ることにした。レビ人はわたしのものとなる。長子はすべて、わたしのものだからである。エジプトの地でわたしがすべての長子を打った日に、わたしは、人から家畜に至るまで、イスラエルのうちのすべての長子をわたしのものとして聖別した。彼らはわたしのものである。わたしは【主】である。」」

 

ここには、レビ人を初子の代わりとして聖別するようにと命じられています。主は、長子はすべてご自分のものだと言われたのです。なぜでしょうか。それは、イスラエルをエジプトすら救い出されたとき、エジプトの地ですべての初子を打った日に、イスラエルのすべての初子を、人から家畜に至るまで、ご自分のものとして聖別したからです。その初子の代わりに、レビ人を取られたのです。

 

これは、イスラエル全体が聖別されたことを示しています。「聖別」とは、神のために分ける、という意味です。神のもの、神の民であるということです。それは、私たちクリスチャンの姿を描いていました。Ⅰペテロ2章9節には、「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。」とあります。私たちは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民なのです。何という特権でしょうか。イエス・キリストを信じる私たちはすべて主のものなのです。この主の選びの尊さを覚えるゆえに、時に大変だと思うことがあっても、同時に、主に選ばれたものとしての喜びと平安があるのです。

 

Ⅱ.レビ族の登録(14-26)

 

そこで主は、レビ族をその氏族ごと、-登録するようにと命じられました。14節から26節までをご覧ください。「【主】はシナイの荒野でモーセに告げられた。「レビ族をその一族ごと、氏族ごとに登録せよ。あなたは生後一か月以上のすべての男子を登録しなければならない。」そこでモーセは、【主】の命により、命じられたとおりに彼らを登録した。レビ族の名は次のとおりである。ゲルション、ケハテ、メラリ。ゲルション族の諸氏族の名は次のとおりである。リブニとシムイ。ケハテ族の諸氏族は、それぞれ、アムラムとイツハル、ヘブロンとウジエル。メラリ族の諸氏族は、それぞれ、マフリとムシ。これらが父祖の家ごとのレビ人の諸氏族である。リブニ族とシムイ族はゲルションに属し、これらがゲルション人諸氏族であった。数を数えて登録された者は、一か月以上のすべての男子であり、この登録された者は、七千五百人であった。ゲルション人諸氏族は、幕屋のうしろ、西側に宿営することになっていた。ゲルション人の一族の長は、ラエルの子エルヤサフであった。会見の天幕でのゲルション族の任務は、幕屋すなわち天幕と、その覆い、会見の天幕の入り口の垂れ幕、庭の掛け幕、それに幕屋と祭壇の周りを取り巻く庭の入り口の垂れ幕およびそのひも──そしてそれに関わるすべての奉仕であった。」

 

ここで注目してほしいことは、一か月以上のすべての男子が登録されたということです。1章では荒野を進んで行くイスラエルは20歳以上の男子が数えられましたが、レビ人は一ヶ月以上の男子が数えられました。なぜでしょうか?イスラエル人は軍務につくわけですから成人でなければその任務を行なうことはできませんが、レビ人は、神の働きに召された者です。もちろん、一歳にも満たない赤子が幕屋の奉仕をすることはできません。しかし、どんなに小さくても、彼らは主が臨在しておられるその場所に置かれ、そこで親から神様のことをいろいろと教えてもらうことによって主に仕える備えがされていたのです。そのことがすでに主の前での奉仕として数えられているのです。

 

それは、霊的には私たちのことを指しています。私たちはみなキリストによって贖われた神の民です。祭司であり、レビ人です。神の働きのために選ばれた者なのです。そのような者は生まれて一か月の時から神のもとに置かれなければなりません。生まれたばかりの霊的赤ん坊にとって幕屋で仕えるということはできないかもしれませんが、主のみそば近くに置かれる必要があるのです。ただ主の愛と恵みの中に置かれ、そこから主のことを学び取っていかなければなりません。彼らにとって必要なことは奉仕をすることではなく主の臨在に触れること、主のみことばを聞くという環境に身を置くことなのです。奉仕はその後でいいのです。それなのにすぐに奉仕をさせてしまうことがあります。しかし、みことばを聞くことが彼らにとっての奉仕なのです。もちろん、いつまでも聞くだけではいけません。聞いた、それを実行することが大切です。しかし、初めは神の臨在に置かれるだけでいいのです。そこで神のことばを聞き、神の恵みに満たされること、後の働きに備えて、十分愛情をいただくだけでいいのです。

 

 そして、レビ族はさらに氏族ごとに分けられ、おのおのの氏族ごとに数えられます。レビ族には三つの氏族がいます。ゲルション族とケハテ族とメラリ族です。まずゲルション族についてですが、

ゲルションの意味は「追放された者」です。人気グループに「EXILE」というグループがいますが、それがこのゲルションの意味です。ですから、ゲルションはEXILE、追放された者であります。

 

その人数は7,500人でした。彼らは幕屋のうしろ、すなわち、西側に宿営しました。彼らの天幕での任務は、幕屋すなわち天幕と、そのおおい、会見の天幕の入口の垂れ幕、庭の掛け幕、それに幕屋と祭壇の周りを取り巻く庭の入り口の垂れ幕、そのすべてに用いるひもについてでした。

幕屋は主に三つのものによって成り立っていました。まず契約の箱と祭壇などの道具です。それから、それらを取り囲む板や、板をつなぐ棒などです。そしてもう一つはその上にかける幕です。ゲルション族の奉仕は、幕屋の幕を取り外し、それを運び、また取り付ける奉仕でした。

 

これは地味な奉仕のようですが、天国における報いの大きい奉仕だと思います。これは霊的にはとりなしの祈りを表していると言ってもいいでしょう。幕によって覆うのです。それがとりなしの祈りです。ヤコブ5章19~20節には、「私の兄弟たち。あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すなら、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、罪人のたましいを死から救い出し、また多くの罪をおおうことになるのだと、知るべきです。」とあります。心理から迷い出る人を連れ戻す働きです。そのような働きは、罪びとのたましいを市から救い出し、また多くの罪をおおうことになるのです。

 

また、Ⅰペテロ4章7~8節にも、「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」とあります。愛は多くの罪を覆うのです。祈りによって心を備えなければなりません。主の再臨のために。

 

 次に、27~32節までをご覧ください。ここにはケハテ族について書かれています。「アムラム族、イツハル族、ヘブロン族、ウジエル族はケハテに属し、これらがケハテ人諸氏族であった。これらの一か月以上のすべての男子を数えると、八千六百人であった。彼らが聖所の任務に当たる者たちである。ケハテ人諸氏族は、幕屋の南側に沿って宿営することになっていた。ケハテ人諸氏族の、一族の長は、ウジエルの子エリツァファンであった。彼らの任務は、契約の箱、机、燭台、祭壇、務めに用いる聖所の用具、さらに垂れ幕とそれに関わるすべての奉仕を含んでいた。レビ人の長の長は祭司アロンの子エルアザルで、聖所の任務に当たる者たちの監督であった。」

 

 ケハテ族の人数は8,600人でした。彼らも一か月以上のすべての男子が数えられました。彼らは幕屋の南側に宿営しました。彼らの任務は、契約の箱、机、燭台、祭壇、およびこれらに用いる聖なる用具と垂れ幕に関する奉仕でした。ケハテの意味は「集まり」です。モーセもアロンも、ミリヤムも、このケハテ族の出身でした。32節を見ると、レビ人の長は祭司アロンの子エルアザルであって、聖所の任務を果たす者たちの監督であった、とあります。ゲルションの長はエルヤサフ、ケハテの長はエリツァファンでした。けれども、その彼らを取りまとめる人がアロンの子エリアザルです。アロンの後継者です。彼は、聖所の任務を果たす者のところで監督しました。これらの用具は聖なるものであり、運搬にはとくに注意を要したからです。エルアザルの意味は「神は助け」ですが、この聖所の任務には、特別な神の助けが求められたのでしょう。

 

 次はメラリ族です。33~37節をご覧ください。「マフリ族とムシ族はメラリに属し、これらがメラリ人諸氏族であった。数を数えて登録された者は、一か月以上のすべての男子であり、六千二百人であった。メラリ人諸氏族の一族の長は、アビハイルの子ツリエルであった。彼らは幕屋の北側に沿って宿営することになっていた。メラリ族の任務は、幕屋の板、その横木、その柱と台座、そのすべての用具、およびそれに関わるすべての奉仕、庭の周りの柱とその台座、その杭とそのひもについてであった。」

 

 メラリ族は人数が6,200人で、北側に宿営しました。彼らに任じられた務めは、幕屋の板、その横木、その柱と台座、また、庭の回りの柱とその台座、その釘とひもについての奉仕でした。これは幕屋の屋台骨を支えるような奉仕です。いわば縁の下の力持ちのような働きです。そればかりではありません。ここには、釘1本、ひも1本のような小さな奉仕でした。これでも主にお仕えできるのです。いや、こうした小さな奉仕が重要なのです。イエス様は、「小さい事に忠実な人は、大きいことにも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」(ルカ16:10)と言われました。小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実なのです。そういう人に主は、大きな働きをゆだねられるのです。

 

 そして、最後に幕屋の正面です。38~39節には、「幕屋の正面、すなわち会見の天幕の前方に当たる東側に宿営するのは、モーセとアロンまたその子らで、イスラエルの子らの任務に代わって、聖所の任務に当たる者たちであった。資格なしにこれに近づく者は殺されなければならない。モーセとアロンが【主】の命により氏族ごとに登録した、すべての登録されたレビ人は、一か月以上のすべての男子であり、二万二千人であった。」とあります。

 

 幕屋の正面、すなわち会見の天幕の前方に当たる東側に宿営する者は、モーセとアロンまたその子らで、イスラエル人の任務に代わって、聖所の任務を果たす者たちでした。ほかの者でこれに近づく者は殺されました。幕屋の東側というのは幕屋への入り口があった場所です。そこは聖所への通り道でもありました。ですから、聖なる神にもっとも近いところであり、仲介役のモーセ、そしてアロンしか近くに宿営することが許されなかったのです。モーセとアロンが主の命により、氏族ごとに登録したレビ人は、一か月以上のすべての男子で、二万二千人でした。

 

 Ⅲ.イスラエル人の初子の贖いの代金(40-51)

 

  最後に、40~51節を見て終わりたいと思います。ここにはイスラエル人の初子が数えられています。「【主】はモーセに言われた。「イスラエルの子らの、一か月以上の男子の長子をすべて登録し、その名を数えよ。わたしは【主】である。あなたはイスラエルの子らのうちのすべての長子の代わりとしてレビ人を、またイスラエルの子らの家畜のうちのすべての初子の代わりとしてレビ人の家畜を取り、わたしのものにしなさい。」モーセは【主】が彼に命じられたとおりに、イスラエルの子らのうちのすべての長子を登録した。その登録による、名を数えられた、一か月以上のすべての男子の長子は、二万二千二百七十三人であった。【主】はモーセに告げられた。「イスラエルの子らのすべての長子の代わりにレビ人を、また彼らの家畜の代わりにレビ人の家畜を取れ。レビ人はわたしのものでなければならない。わたしは【主】である。レビ人の数より多い、二百七十三人のイスラエルの子らの長子の贖いの代金として、一人当たり五シェケルを取りなさい。これを、一シェケル二十ゲラの、聖所のシェケルで取らなければならない。そしてこの代金を、多い分の者たちの贖いの代金として、アロンとその子らに渡しなさい。」モーセは、レビ人によって贖われた者より多い分の者たちから、贖いの代金を取った。すなわち、イスラエルの子らの長子から、聖所のシェケルで千三百六十五シェケルの代金を取ったのである。モーセは【主】の命により、この贖いの代金をアロンとその子らに渡した。【主】がモーセに命じられたとおりである。」

 

イスラエル人の初子を数えたところ22,273人でした。レビ人の人数は22,000人でしたので、273人少なかったことになります。そうすると、レビ人はイスラエルの初子の代わりでしたので、273人分はいつものように贖い金を支払わなければなりませんでした。そこでモーセは贖い金を徴収して、そのお金をアロンに手渡しました。それが40節から51節までの話です。 その代価は、一人あたり5シェケルでした。それはレビ記27章6節にあることです。生まれて1か月から5歳までの男子は一人あたり5シェケルの価値と定められていたからです。それで、その273人分を支払ったのです。こうしてレビ人が数えられました。

 

 それにしてもなぜレビ人が他のイスラエル部族から取られて数えられ、主のもっとも近くに宿営し、幕屋の奉仕にあずかることができたのでしょうか。創世記49章5~7節を見ると、彼らは必ずしも良い性格の持ち主ではありませんでした。ヤコブがこのレビとシメオンについて次のように預言しています。「シメオンとレビとは兄弟、彼らの剣は暴虐の武器。わがたましいよ、彼らの密議に加わるな。わが栄光よ、彼らの集いに連なるな。彼らは怒りに任せて人を殺し、思いのままに牛の足の筋を切った。のろわれよ、彼らの激しい怒り、彼らの凄まじい憤りは。私はヤコブの中で彼らを引き裂き、イスラエルの中に散らそう。」

 

「散らそう」というのは、相続地を持たないということです。ですから、彼らが約束の地に入ったとき相続地を持てませんでした。シメオンについてはヨシュア記19章を見るとわかりますが、ユダ族の割り当て地の中に吸収されています。彼らはヤコブの預言のとおり、相続地を持つことができませんでした。イスラエルの中に散らされたのでます。なぜでしょうか?彼らのつるぎは暴虐の道具だったからです。彼らは怒りにまかせて人を殺し、ほしいままに牛の足の筋を切ったので、神に呪われてしまいました。それは創世記34章の出来事のゆえです。彼らの直属の妹ディナがシェケムの異教徒の長の息子シェケムに強姦されたので、その破廉恥な行為をされて黙っていることができず、その復讐に彼らを虐殺ししてしまいました。シェケムがディナを嫁にもらいたいと申し出たとき、自分たちは割礼のない民に嫁がせることはできないと言い、彼らが割礼を受け痛みで苦しんでいたときに皆殺しにしたのです。このことをヤコブは思い出して、彼らの将来は、暴虐であると預言したのです。このような性格の部族が、今、幕屋の奉仕の務めとして取られたのです。それはいったいどうしてなのでしょうか?

 

 出エジプト記32章を開いてください。32章21節から29節です。アロンが罪を犯し、金の子牛の像を作ってどんちゃん騒ぎをし敵の笑ものになっていた時、モーセは「だれでも、主につく者は、わたしのところに」と言いました。するとレビ族だけがつきました。それでモーセは彼らに、剣で兄弟たちを殺すように命じました。それでその日、三千人ほどが倒れました。剣で失敗したレビが、今度はつるぎで主に従ったのです。過去においた失敗はしたが、その過去にしがみつくことをせず、ただ主に従うことを選び取ったのです。

 

それは私たちも同じです。私たちも過去において失敗するようなことがあったでしょう。だれにでもそういうことがあります。自分なんて神に仕える資格なんてないと落ち込むこともあるのです。こんな者が神の奉仕に立てるのかと悩むこともあるかもしれません。しかし、神はそんな者でも新しく造り変えてくださり、神の働きのために用いてくださるのです。パウロはピリピ3章13~14節のところで、「兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」と言っています。パウロもかつてはイエス・キリストに敵対する者でした。イエスを信じる者をつかまえては投獄し、殺害していたのです。それは赦されないことでした。しかし、そんな者が神に捕えられたのです。神の福音を宣べ伝える器とされました。それで彼はうしろのものにとらわれることをやめ、ひたむきに前に進んで行くことを学びました。それは私たちも同じです。私たちもかつては神に敵対し、自分の思うままに生きていました。とても赦されるには値しないどうしようもない者だったのです。そんな者が神の働きに携わることが許されるのであれば、それはただ神の恵みによるのです。

 

彼らは確かにかつて神の呪いを受けるようなことをしました。それで相続地を受けることもできませんでした。しかし、神はそんなレビ人を新しく造り変えてくださり、たとえ相手から嫌われても、神のみこころに従うことによって、神の呪いを祝福に変えたのです。確かに過去を消すことはできません。自分の犯した罪の結果は刈り取らなければなりかもしれませんが、それで終わりではないのです。悔い改めて神に立ち返るなら、神はその人を新しく造り変え、ご自身の働きのために用いてくださるのです。呪いを祝福に変えてくださるのです。最も神の近くに置いてくださるのです。

 

1章ではイスラエル人が軍務につく者として数えられ、それがこの世との戦いにおけるクリスチャンの勝利を表しているとすれば、幕屋の奉仕に数えられたレビ人は、神の恵みによって奉仕をする者に変えられたクリスチャンの姿を表しています。ペテロは主であるイエスを三度も否定しました。それは弟子としてふさわしい者ではありません。しかし、復活された主イエスは、ペテロにお姿を現されたとき「わたしを愛しますか。」と三度聞かれ、「わたしの羊を飼いなさい。」と命じられました。ペテロは失敗したときに主にお仕えするように呼び出されたのです。私たちも、そのままでは主にお仕えすることなどできません。主に反逆し、主に罪を犯し、神の呪いを受けてもおかしくないような者なのに、主はそんな私たちを赦してくださいました。呪いを祝福に変えてくださいました。だから私たちは、ただ神の恵みによって神のご奉仕にあずかることができるのです。この恵みに感謝したいと思います。そして、たとえ自分がそれにふさわしくないと思っていても、主が呼び出されるなら、その召しに答えて主に仕えさせていただきたいと思うのです。それがレビ人として呼び出されたクリスチャンの姿なのです。